天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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第九話
Don`t forget.


 ここはどこだろう……。

 

 空が、大地が、全てが白い。

 かざした筈の自分の手さえ、真っ白。視界に何も映らない。

 

 何も……そう、何も無い。

 

 熱くも、冷たくもない。

 匂いさえ嗅ぎ取れない。

 漠然とした浮遊感に包まれて、漂っているだけ。

 

 どこだ……。

 ここはどこだ……。

 

 私は一体、誰なんだ。

 何故、こんな所に居るんだ。

 

 

 見えない手を下ろす。

 すると、見計らったように、空が緋色に染まった。

 雲を思わせる霞を割って、それがわたしへ問い掛ける。

 

――忘れるつもり?

 

 やけに不明瞭な声が聞こえた。

 それは女の子の声。まだまだ成熟しきっていない若い声。

 どこかたどたどしく感じる程、舌っ足らずだった。

 

 私は感覚の無い首を傾げる。

 

 何を?

 

 そう問い返した。

 すると緋色の空が、私の直上を中心として、光の輪を広げる。

 それは波紋となって、二度、三度、と繰り返された。

 

――ダメだよ。忘れちゃ……。

 

 空はそう言った。

 その声はとても悲しげで、今に消えてしまいそう。

 だけど意味が分からない。

 誰の声かも分からない。

 聞き覚えがあるのかさえ、分からない。

 

 だから私はもう一度問い掛ける。

 

 あなた……誰?

 

 緋色の空は、またも波紋を広げた。

 不意に、私はその色合いが濃くなっていることに気付く。

 

――忘れ……で……ママ……。

 

 しかしそれと対照的に、声はどこか遠くなっていった。

 

 私は首を傾げた。

 

 ママって……誰?

 

 

 氷雪へ降り注ぐ極彩色。

 獄炎と化して、白銀の冠を包み込む。

 それが轟と唸れば、長く降り積もっていた筈の雪が溶け、水に変わる。更にじゅうと音を立ててれば、大気へと還った。そして、獄炎の外の冷気に冷やされ、白い霞と化す。

 ぶわりと波が起こるように、巨大な空気の津波が起こった。

 それは白銀の頂上から輪を広げるように、麓へと駆け下りていく。

 

「あれは……クソ。あのままじゃ雪崩が起きるぞ!」

「構わん! 俺が止める。ワタルは()()()を食い止めてろ。最悪コトネが居れば、今のあいつはもう止められる筈だ!」

 

 気高く鳴き声を上げるオンバーンに跨り、シルバーはそう言って指を差した。

 その先に居るのは、崖に鉤爪を引っ掛けている紫色の猫型ポケモン。マニューラ。

 応と返事があれば、そのポケモンへ襲い掛かる肌色の翼竜。カイリュー。

 

 マニューラが跳躍した。しかしその先はカイリューの居る方角ではない。少し離れた所で、別個体のカイリューに跨っている青年だった。

 何の躊躇いも無くトレーナーを目掛けている様は、まるで何の知恵や心を持たないよう。

 相対するオレンジ髪の青年を庇わんと、襲い掛かったカイリューが軌道を修正。割って入る。

 

 炎を纏った拳と、氷を纏った拳が交差する。

 

 結果は見るまでもない。

 シルバーはオンバーンの背を叩いた。

 背後で、大型のポケモンが墜ちた音を聞く……が、また別のカイリューが雄たけぶ音も聞こえた。

 

 空は曇天。

 その所為か、灰色にも見える煙が、斜面を撫でているようだった。

 あれは高温の水蒸気。幾ら岩肌が多く見られるシロガネ山とて、白銀に見える程の雪が積もっている。それが溶け崩れれば、雪崩と化す。麓にあるワカバタウンの跡地やフスベシティ、セキエイは漏れなくその被害を被るだろう。

 

『あれは頂けないな……セキエイが潰されれば、私のおやつが無くなってしまうではないか』

 

 ふわりと宙に浮いて、シルバーの横に付いたミュウツー。

 悩み多きポケモン……ではあるが、実に呑気な悩みを呟いていた。

 

 が、彼を認めたシルバーは、丁度良いと言わんばかりに微笑む。

 オンバーンの背を今一度叩いて、空中に静止させた。

 

「ミュウツー。メガ進化だ……あれを食い止めろ。フスベとワカバの方も頼む」

『……はずんでくれるのだろうな?』

「当然だ。食いたいだけ食わしてやる!」

 

 全く以って緊張感の無いポケモンだ。

 辺り一帯には緊張感しか与えないような威圧感を放っているくせに。

 

 そんなことを思いながら、シルバーは上着の袖口を捲くった。下に着ているワイシャツを顕にし、ミュウツーへ向けて差し出す。その手が開けば、何時の間にとりあげたのか、中から紫色の宝石が弧を描く。

 それをミュウツーが片手で受け取った。

 と同時に、ワイシャツの袖を留めていたカフスが、紫色の光を放つ。

 

 バチバチと音を立て、サファイアのような色をしたエネルギー体がミュウツーを覆う。

 そして、一瞬の内に爆ぜた。

 気高い咆哮が上がれば、殻を割るようにして、中から随分と小さくなった彼が姿を見せる。

 

 長く逞しい尾が消え、転じて後頭部から似たような器官が伸びている。

 逞しさ溢れる元の隆々さは消え、二周りは小さくなったような姿。

 しかし、朱に染まった瞳が何とも言えない威圧感を放つ。

 肉体的には退化したように見えるのに、それは明確な『進化』だった。

 

「手段は問わない。やれ!」

『任された』

 

 ミュウツーは応えるなり、短い右手を軽く振った。

 挙動こそたったそれだけだが、応じるように大地が轟と唸るような音を立てる。

 

 そして、目の前の光景が激変した。

 シルバーから尤も近い白煙が上空に巻き上げられ、巨大な雲と化す。

 それが纏まったかと思えば、ミュウツーはそこへ青白い光線を放つ――するとそれはあられを降らす雲になった。

 

 とどめと言わんばかりに、崩れかけた斜面へ、再度の冷凍ビーム。

 そこに巨大な氷塊が出来上がれば、一目に雪崩は食い止められたろうと思わせる。

 

 ただ、それはほんの一角。

 まだ煙は八割がた残っていた。

 

 シルバーは状況を認め、こくりと頷いた。

 

「……よし。次だ」

 

 するとミュウツーは溜め息に似た息を吐く。

 

『全く……人間というのは本当に身勝手な生き物だな』

 

 それは使い勝手が荒いシルバーを指しているのか、ホウオウにああさせたヒビキを指しているのか……。

 さておいて、シルバーはにやりと笑って返す。

 

「悪いな。その分良い思いさせてやるから、許せ」

『……ふん。その癖貴様は主ではないと断言する。全く以って、理に適わん生き物だ』

 

 どこか物憂げに、彼は零した。

 シルバーは肩を竦めて返すと、オンバーンの背を叩く。

 追従してくるミュウツーを肩越しに振り返って、言葉を返した。

 

()()はなりたくないだろう?」

 

 そして目でシロガネ山の頂上を指す。

 その意は、ホウオウを揶揄していた。

 

 ミュウツーは飛行しながらも、悠々自適に肩を竦めて、呆れたような表情をした。

 

『それはお前次第ではないか』

 

 その言葉を聞き、シルバーは少しばかり切なさを醸し出すように、微笑んだ。

 前方へ向き直って、小さく唇を開く。

 

「だからだ……俺が道を誤らないとは限らない。一度も二度も間違えた人間だからな」

 

 そして、誰にも聞こえない程のか細い声で、そう呟いた。

 

『ふん。強情な奴め』

 

 が、飛行しているにも関わらず、どうやら聞こえていたらしい。

 ミュウツーは呆れ果てたような声を上げた。

 

 返答を聞いて、シルバーは溜め息を一つ。

 全く……こんな時に無駄話なんて、我ながら緊張感に欠けている。ミュウツーのことを揶揄出来たものではない。

 そう思い直した。

 

 ただ……思うのだ。

 間違ってきた自分だからこそ、思うのだ。

 

 いつだって、間違いは正せる。

 失敗した事実は消えずとも、償うことは出来る。

 罪は消えずとも、心は変わるものだからだ。

 

 ちらりとシロガネ山の頂上を一瞥する。

 そこを駆け上がっていく水色の獣と、赤いシャツの女性を認めた。

 

 胸の内がざわりと音を立てる。

 これは果たして、彼女の身を危惧しているのか、それとも――。

 

「上手くやれよ。コトネ……」

 

 拭いきれない不安感を、言葉にして払った。


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