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『キミは……何の為にポケモンを戦わせる?』
たった一言。
それまで、その人の声を聞いた事は無かった。
初めて聞いたそれは、青年というには若く、少年というには落ち着きすぎていて、実にアンマッチングなものに聞こえた。
いや、その容姿だってそうだ。彼は実年齢よりも随分若く見えるというのに、まるで『絶望』を知ってしまったと言わんばかりに、物事を達観視しているような雰囲気を纏っている。
でも、それもそうかもしれない。
昔、彼と一度邂逅した後に、人伝で聞いた事がある。
――リビングレジェンドは、優しすぎた。
と……。
その優しさ故に、非凡な才を発揮出来るバトルを、誰より好み、誰より嫌った。
ポケモンと心を通わせるこの行いを、とても稀有なものと捉えてしまった。
だから、世捨て人になってしまった。
無為な戦いをしなくなり、至高の一戦を……ポケモン達と最大級に心を通わせられる一瞬を望んだ。
それは決して、私が過去に相対したその時、彼に贈れたものではなかったろう。
事実、彼は私との一戦が済むなり、言葉も無く去ってしまった。
だからこそ、私は理由を求め、彼の居る極致を求め、ここまで来れたのかもしれない。が、確かにあの時――私は彼に敗北した。バトルの結果ではなく、バトルの意義で、敗北感を味わった。
それから幾年が過ぎて、今――。
抜け殻だった体内に黒い半身を取り戻し、溢れんばかりの冷気を放つポケモン。
彼は崩落が進む崖に前足を凍り付かせ、甲高い咆哮を上げた。
背に乗るメイさえもが凍り付く。
髪は弧を描いたまま形を変えず、霜で真っ白に染まってしまった。
しかし彼女は遥か頭上に佇む男を見上げて、悠々と唇を開く。
「私自身の信念の為です」
そしてそう口にした。
その言葉には躊躇いのひとつさえ無く、用意していたのかと思わせる程。
果たしてそれが男の期待した答えかは分からない。しかし、たとえ独善的だと言われようと、それがメイの本心。英雄との誓いだった。
言葉は崩落するシロガネ山の内部にこだまする。
岩が崩れる音も、水が新たな流れを作る音も、何処か遠く……。
身体中が凍り付いているのに、メイの闘志は燃え上がらんばかり。
深く、より深く、集中する。
霜を散らしながら、彼女は手を振るった。
「キュレム! フリーズボルト!!」
途端に青白い光が辺りを覆う。
バチバチと激しい音が響けば、それは撒き散らされた氷の結晶同士を引き結ぶかのように繋がっていく。
お世辞にも出が早いとは言えない技……しかし、口腔を大きく開いたキュレムがごうと唸る瞬間には、キュレム自身を上回るような氷塊が出来上がっていた。
それが、飛ぶ。
紫電と化した光を放ち、偉大なる覇者へ目掛けて、一直線に。
「グォォオオオ!」
「ピカピ!!」
それへ対するは、ピカチュウとリザードンの二匹がかり。
崖に捕まっている状態のメイを攻撃しあぐねていたらしいが、氷塊に対する対処は実に速かった。
ピカチュウが氷塊へ飛び乗ったかと思えば、流れる電流を吸い上げた。そして彼が飛び退くタイミングを見計らったように、リザードンの口腔から吐き出された灼熱がそれを溶かす。
――が、そこまでは予想通り。
キュレムは既に、凍り付いた足下を踏み砕き、跳躍していた。
それは持ち前の巨躯故に、決して静かな挙動では無かったが、氷塊が蒸発する煙が煙幕を果たしている。認められたのは、対角線上からはずれた位置に跳んでいるピカチュウのみ。
メイは、そのピカチュウを狙い済ましていた。
「クロスサンダー!」
そして、指示。
キュレムは黒き雷を放ちながら、その黄色い肢体を狙う。
「ピッカァアア!」
対するピカチュウも、白熱するかのような真白の電光を宿した。
紛う事無き、彼の持てる最強の必殺技、ボルテッカー。
メイは確かに認めた。
ただで電気技が利く相手ではないと分かってはいる。
だが、ブラックキュレムのそれは――。
一合を交わす。
衝撃は互いに殺しきれず、ぶつかった瞬間に黒煙を放ちながら、互いに吹き飛んだ。
その刹那、辛うじて身を捻ってくれたキュレムのおかげで、メイは陸地へ転がされた。
一転、二転、と大地を無防備に転げ、身体中に激痛を感じる。しかしそれに呻く暇は無い。すぐにハッとして身を起こせば、キュレムも同じく崖上で堪えていた。ちらりとこちらを一瞥してくる様は、主の無事に安堵しているように見えた。
そして――。
「チャァ……」
ピカチュウは苦悶の表情を浮かべ、何とか堪えているようだった。
ゼクロムの高出力な電力をそのまま再現したキュレムのクロスサンダーだが、流石は伝説を作り上げたポケモンと言うべきか……まだ戦えるような姿をしていた。
対するキュレムは……視界の端で認めた限りでは、かなりのダメージを負っている。
それもそうだ。
元々クロスサンダーは雷をぶつける技で、雷撃のように身に纏って突進する技ではない。あの時放った雷は、ゼクロム程の絶縁体を持たない彼にとって、捨て身の一撃に等しかったのだろう。加えてメイを乗せていた以上、そこに過度な電気や冷気を寄せないようにと配慮もしていた筈だ。その全てが彼へのダメージになっている。
「……くっ」
勝てない。
まだ勝てないのか。
メイの思考を、敗北の予感が過ぎった。
が、その時。
「…………」
「ピ!?」
ピカチュウの前に、ゆっくりと歩み出てきたレッド。
彼は片手でメイを制すと、腰を降ろしてピカチュウを優しく抱き上げた。
その後、傷だらけのモンスターボールをリザードンへ向け、彼をボールに戻す。
「……え?」
思わずメイは目を瞬かせた。
彼の挙動は、まるでバトルが終わったと、そう言わんばかりだった。
レッドはちらりとメイを見てくる。
その双眸は澄んでいて、何処か満ち足りたように映った。
「……行け。その信念を、彼女にぶつけてくると良い」
そして小さく、そう言った。
それは……つまり……。
ドクンと高鳴る鼓動。
震えが抑えきれない程の高揚感を覚えた。
それと同時に、漸く理解する。
この男は、メイを試していた。
『彼女』に挑んで良いか、
そして、認められた。
ぺこりとお辞儀をすると、メイはブラックキュレムをキュレムのボールへ戻す。
「また、バトルして下さい……今度は、勝ちます!」
そして、言葉を残して、駆け出した。
これでやっと対等。
敢えて言葉にするなら、引き分け。
身体は痛む。
満身創痍、極まれり。とでも言える程。
しかし、活力ばかりは、若き日の頃を思い出すばかりだった。