七色が――爆ぜた。
途端に先程まで空を覆っていた曇天が裂け、薄暗かった視界を光が満たす。
太陽はまだ天頂に至っていないだろうに、一筋の光が白銀の冠へと降り注いだ。
それは祝福。
天の神へ、空がもたらす敬愛の如く。
「グォォオオオオッ!」
猛るような咆哮が響き、コトネとシルバーの前へと勇んだ。
緑の装甲を凶暴な陽射しに照らされ、その装甲が明るくなったかと思えば――。
「バンギラス!!」
シルバーの悲痛な叫び声の先で、装甲の向こう側からやって来た獄炎によって焼き払われる。
轟と唸るその緋色は、厚い装甲を持つ彼が庇っても尚、二人へ苦悶の一時を与えた。
大気さえ焼き尽くす灼熱。
神々しいばかりの来光の下、その色さえも炭に変えてしまうのではないかと、そう思える程の熱量。
肌が焼ける。
酸素が無くなる。
あまりの熱で思考が焼ききれそうだ。
それは正しく一瞬。
しかし、一瞬だけで済んだ。
次いで訪れたのは、浮遊感。
何時の間にか閉じていた瞼。
肌に感じる熱量が唐突に失われて、身体に感じる感覚の意味が分からなくて、コトネはハッとして目を開く。
すると目の前には――青と白の体躯。
バンギラスが庇った一瞬の隙に、コトネはスイクンに救い出されていた。
気がつけば自分の身体はスイクンに担がれていて、場所は随分と離れている。急な傾斜をしている白銀の峰を、正に駆け下りようとしている最中だった。
「ちょ、スイクン。待ちなさい!」
思わずコトネはそう叫ぶ。
敵前逃亡なんてするつもりも無ければ、頂上にはシルバーも居た。彼一人残して、逃げる訳にはいかない。いや、そもそも逃げることなんてしてはならない。
が、そんなコトネの思案は既に知れた事だったらしい。
スイクンは間近の崖を蹴るなり、空中で翻って、コトネの身体を跨るようにと立て直させた。「わあ!?」と声を上げながらも、乱暴な扱いではあれ、彼の意図するままに、コトネの体勢は整った。
一瞬ばかり、彼は振り向いてくる。
その顔は、いつもの精悍なもので、今ばっかりはしてやったり顔にも見えた。
成る程。
コトネが大丈夫なら、すぐにでも転身しようというつもりらしい。
「……ったく」
思わずごちる。
それは空中を落下しているにしては、我ながら呑気すぎるような気もしたが、ぼやかずにはいられなかったのだ。
――シルバーと言い、スイクンと言い、
そして、スイクンの足が切り立った崖に着いた。
その瞬間、首を竦める様子の彼に、コトネは両手をその首へ回してギュッとしがみ付く。
白銀の頂上を目視する。
そこは七色が極彩色にも似て、煌いていた。
降り注ぐ陽光に似た光は、未だ健在。
それに伴うように、頂上は巨大な炎に包まれている。
――聖なる炎。
ホウオウの十八番だ。
知っている。
ヒビキが使わせていたのを、何度見てきたと思っているんだ。
だからこそ――シルバーも大丈夫な筈だ。
彼も伊達にヒビキのライバルを何十年もやっちゃいない。ホウオウのそれは、彼の知るところの筈だ。だからこそ警戒して、バンギラスを待機させていたのだろう。正しくそのおかげで、瞬時に灰にされずに済んだのだから。
強いて言えば、あのバンギラスが無事とは思えない。
そして、おそらくこの状況を予期して連れて来ていただろうあのミュウツーというポケモンを、コトネはどんなポケモンかさえ知らない。それが不確定要素なぐらいだ。
有り体に言って――些事だ。
「跳びなさい!」
コトネは叫んだ。
瞬時に気高い鳴き声を上げ、湖の化身は跳躍する。
しかし一息で駆け登るには、距離が遠い。
崖を踏み台にして再度跳躍した。
右へ、左へ、スイクンの跳躍は、小刻みに跳ねるかのようにして繰り返される。
そして、再び頂上を望もうかと至ったその時だった。
「フシャァッ!」
頂上から跳躍してくる紫の影。
しなやかな四肢には、しかし凶暴すぎる爪が映る。
その前足は、確かにコトネを狙っていた。
宙に浮いている一瞬の隙を、正しく狙い澄ましたかのようだった。
言葉を発する一瞬さえ無い。
――隻眼のレパルダス。
その姿にコトネがハッとしたのと、『死』という未来を見たのは殆んど同時。
あまりの俊敏さ、あまりの狡猾さだった。
形相までも、鬼気迫るかのようで――。
が、しかし。
「ニャッ!?」
その肢体は、横から突っ込んできた緋色の物体によって、弾かれる。
滑落しようかというその体躯は、それでも宙で体勢を立て直し、スイクンが着地した位置よりも僅かな低所へ着地。その瞬間には再度跳躍して、今度こそと言わんばかりに突っ込んでくる。
が、そこへ――。
「させっかよォ!!」
橙色の炎が飛来。
今にコトネへ跳びかかろうとしていたレパルダスの肢体を焼き、爆ぜる。
黒煙に抱かれるようにして、レパルダスは更に低所へ落ちていった。
ハッとして振り向けば、そこにはコトネの予想に影も形も無かったポケモンと、そのトレーナーが居た。
翻るは伝説にして伝説級に非ず。
緋色の体毛を炎のように揺らすポケモン――ウインディ。
跨る青年は、茶色の髪を揺らす。
正しく誉れを栄光と言わんばかりに、自信に満ち溢れた横顔。
年がいっても、その姿は昔見た時と変わりなく。
コトネはすぐに誰かと察した。
そして理解が追いつくのと同時に、目を丸くして叫ぶ。
「グ、グリーンさん!? どうして此処に!?」
すると、今正にコトネの窮地を救ったらしい青年、トキワシティのジムリーダーは、繕ったような笑みを浮かべて、ウィンクをひとつ寄越す。
「よぉ。久しぶりだな、ジョウトのお嬢ちゃん。相変わらず若いねぇ?」
「い、いや、っていうか、ほんと何で!?」
予想外も予想外。
一瞬ばかりはシルバーが助けを寄越してくれたとばかり思ったコトネは、折角高めていた集中を霧散させる勢いで困惑した。
「何でも何も、おたくんとこの会長が――」
と、こんな状況下で余裕綽々と語り始めようとするグリーン。
その背後に跳びあがってくる影が――再度横へ吹っ飛ばされた。
「――おっと。無駄話してる余裕は無い系? そうっぽいな?」
「ピカ! ピカチュ!!」
ハッとするばかりのコトネの視界には、最早驚き以外の何ものでもない光景があった。
コトネの窮地を救ったグリーン。
次いでそのグリーンの隙を突いた筈のレパルダスを吹っ飛ばした――ピカチュウ。
「…………」
そしてその更に向こう。
オレンジ色の飛竜に跨り、グリーンを咎めるかのように睨みつける寡黙な青年。
レッド。
「ま、状況の説明は無しってことで」
グリーンはキザっぽく取り繕った笑顔でそう零す。
そしてウインディに目配せをして、踵を返させると、後ろ手を振った。
「あのレパルダスはオレとレッドで引き受ける。お嬢ちゃんは頂上に行きな。会長さんの方はチャンピオンが行ってるからよ」
そして、その言葉でやっと理解が追いついた。
シルバーが呼んだ援軍。
彼はその一人なのだろう。
この場面。
このタイミング。
まるで誰かが計らったようだった。
それは例えるなら快進撃で。
それは例えるなら反旗の時で。
ドクン。
ドクン。
年甲斐も無く、溢れてくる熱情。
久しく忘れていた高揚感。
ああ、そうだ。
ヒビキと冒険していた時の私は――ずっとこんな感覚を抱いていたんだ。
思わず頬が緩む。
身体が震える程に力が籠もった。
「ありがとう……ございます!」
なんて豪華な待遇か。
先代の伝説にまで助けて貰えるなんて。
そんな事を思う。
そしてそれは同時に――。
敗北感が覆った瞬間だった。