天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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Tide reversal.

 七色が――爆ぜた。

 

 途端に先程まで空を覆っていた曇天が裂け、薄暗かった視界を光が満たす。

 太陽はまだ天頂に至っていないだろうに、一筋の光が白銀の冠へと降り注いだ。

 

 それは祝福。

 天の神へ、空がもたらす敬愛の如く。

 

「グォォオオオオッ!」

 

 猛るような咆哮が響き、コトネとシルバーの前へと勇んだ。

 

 緑の装甲を凶暴な陽射しに照らされ、その装甲が明るくなったかと思えば――。

 

「バンギラス!!」

 

 シルバーの悲痛な叫び声の先で、装甲の向こう側からやって来た獄炎によって焼き払われる。

 轟と唸るその緋色は、厚い装甲を持つ彼が庇っても尚、二人へ苦悶の一時を与えた。

 

 大気さえ焼き尽くす灼熱。

 神々しいばかりの来光の下、その色さえも炭に変えてしまうのではないかと、そう思える程の熱量。

 

 肌が焼ける。

 酸素が無くなる。

 あまりの熱で思考が焼ききれそうだ。

 

 それは正しく一瞬。

 しかし、一瞬だけで済んだ。

 

 次いで訪れたのは、浮遊感。

 

 

 何時の間にか閉じていた瞼。

 肌に感じる熱量が唐突に失われて、身体に感じる感覚の意味が分からなくて、コトネはハッとして目を開く。

 

 すると目の前には――青と白の体躯。

 

 バンギラスが庇った一瞬の隙に、コトネはスイクンに救い出されていた。

 気がつけば自分の身体はスイクンに担がれていて、場所は随分と離れている。急な傾斜をしている白銀の峰を、正に駆け下りようとしている最中だった。

 

「ちょ、スイクン。待ちなさい!」

 

 思わずコトネはそう叫ぶ。

 敵前逃亡なんてするつもりも無ければ、頂上にはシルバーも居た。彼一人残して、逃げる訳にはいかない。いや、そもそも逃げることなんてしてはならない。

 

 が、そんなコトネの思案は既に知れた事だったらしい。

 スイクンは間近の崖を蹴るなり、空中で翻って、コトネの身体を跨るようにと立て直させた。「わあ!?」と声を上げながらも、乱暴な扱いではあれ、彼の意図するままに、コトネの体勢は整った。

 一瞬ばかり、彼は振り向いてくる。

 その顔は、いつもの精悍なもので、今ばっかりはしてやったり顔にも見えた。

 

 成る程。

 コトネが大丈夫なら、すぐにでも転身しようというつもりらしい。

 

「……ったく」

 

 思わずごちる。

 それは空中を落下しているにしては、我ながら呑気すぎるような気もしたが、ぼやかずにはいられなかったのだ。

 

――シルバーと言い、スイクンと言い、()()()と言い……もっと私を大事にしろよ! バカ!!

 

 そして、スイクンの足が切り立った崖に着いた。

 その瞬間、首を竦める様子の彼に、コトネは両手をその首へ回してギュッとしがみ付く。

 

 白銀の頂上を目視する。

 そこは七色が極彩色にも似て、煌いていた。

 降り注ぐ陽光に似た光は、未だ健在。

 それに伴うように、頂上は巨大な炎に包まれている。

 

――聖なる炎。

 

 ホウオウの十八番だ。

 知っている。

 ヒビキが使わせていたのを、何度見てきたと思っているんだ。

 

 だからこそ――シルバーも大丈夫な筈だ。

 彼も伊達にヒビキのライバルを何十年もやっちゃいない。ホウオウのそれは、彼の知るところの筈だ。だからこそ警戒して、バンギラスを待機させていたのだろう。正しくそのおかげで、瞬時に灰にされずに済んだのだから。

 

 強いて言えば、あのバンギラスが無事とは思えない。

 そして、おそらくこの状況を予期して連れて来ていただろうあのミュウツーというポケモンを、コトネはどんなポケモンかさえ知らない。それが不確定要素なぐらいだ。

 

 有り体に言って――些事だ。

 

「跳びなさい!」

 

 コトネは叫んだ。

 瞬時に気高い鳴き声を上げ、湖の化身は跳躍する。

 

 しかし一息で駆け登るには、距離が遠い。

 崖を踏み台にして再度跳躍した。

 右へ、左へ、スイクンの跳躍は、小刻みに跳ねるかのようにして繰り返される。

 

 そして、再び頂上を望もうかと至ったその時だった。

 

「フシャァッ!」

 

 頂上から跳躍してくる紫の影。

 しなやかな四肢には、しかし凶暴すぎる爪が映る。

 

 その前足は、確かにコトネを狙っていた。

 宙に浮いている一瞬の隙を、正しく狙い澄ましたかのようだった。

 言葉を発する一瞬さえ無い。

 

――隻眼のレパルダス。

 

 その姿にコトネがハッとしたのと、『死』という未来を見たのは殆んど同時。

 あまりの俊敏さ、あまりの狡猾さだった。

 形相までも、鬼気迫るかのようで――。

 

 が、しかし。

 

「ニャッ!?」

 

 その肢体は、横から突っ込んできた緋色の物体によって、弾かれる。

 滑落しようかというその体躯は、それでも宙で体勢を立て直し、スイクンが着地した位置よりも僅かな低所へ着地。その瞬間には再度跳躍して、今度こそと言わんばかりに突っ込んでくる。

 

 が、そこへ――。

 

「させっかよォ!!」

 

 橙色の炎が飛来。

 今にコトネへ跳びかかろうとしていたレパルダスの肢体を焼き、爆ぜる。

 黒煙に抱かれるようにして、レパルダスは更に低所へ落ちていった。

 

 ハッとして振り向けば、そこにはコトネの予想に影も形も無かったポケモンと、そのトレーナーが居た。

 

 翻るは伝説にして伝説級に非ず。

 緋色の体毛を炎のように揺らすポケモン――ウインディ。

 

 跨る青年は、茶色の髪を揺らす。

 正しく誉れを栄光と言わんばかりに、自信に満ち溢れた横顔。

 

 年がいっても、その姿は昔見た時と変わりなく。

 コトネはすぐに誰かと察した。

 

 そして理解が追いつくのと同時に、目を丸くして叫ぶ。

 

「グ、グリーンさん!? どうして此処に!?」

 

 すると、今正にコトネの窮地を救ったらしい青年、トキワシティのジムリーダーは、繕ったような笑みを浮かべて、ウィンクをひとつ寄越す。

 

「よぉ。久しぶりだな、ジョウトのお嬢ちゃん。相変わらず若いねぇ?」

「い、いや、っていうか、ほんと何で!?」

 

 予想外も予想外。

 一瞬ばかりはシルバーが助けを寄越してくれたとばかり思ったコトネは、折角高めていた集中を霧散させる勢いで困惑した。

 

「何でも何も、おたくんとこの会長が――」

 

 と、こんな状況下で余裕綽々と語り始めようとするグリーン。

 その背後に跳びあがってくる影が――再度横へ吹っ飛ばされた。

 

「――おっと。無駄話してる余裕は無い系? そうっぽいな?」

「ピカ! ピカチュ!!」

 

 ハッとするばかりのコトネの視界には、最早驚き以外の何ものでもない光景があった。

 

 コトネの窮地を救ったグリーン。

 次いでそのグリーンの隙を突いた筈のレパルダスを吹っ飛ばした――ピカチュウ。

 

「…………」

 

 そしてその更に向こう。

 オレンジ色の飛竜に跨り、グリーンを咎めるかのように睨みつける寡黙な青年。

 レッド。

 

「ま、状況の説明は無しってことで」

 

 グリーンはキザっぽく取り繕った笑顔でそう零す。

 そしてウインディに目配せをして、踵を返させると、後ろ手を振った。

 

「あのレパルダスはオレとレッドで引き受ける。お嬢ちゃんは頂上に行きな。会長さんの方はチャンピオンが行ってるからよ」

 

 そして、その言葉でやっと理解が追いついた。

 

 シルバーが呼んだ援軍。

 彼はその一人なのだろう。

 

 この場面。

 このタイミング。

 

 まるで誰かが計らったようだった。

 

 それは例えるなら快進撃で。

 それは例えるなら反旗の時で。

 

 ドクン。

 ドクン。

 

 年甲斐も無く、溢れてくる熱情。

 久しく忘れていた高揚感。

 

 ああ、そうだ。

 ヒビキと冒険していた時の私は――ずっとこんな感覚を抱いていたんだ。

 

 思わず頬が緩む。

 身体が震える程に力が籠もった。

 

「ありがとう……ございます!」

 

 なんて豪華な待遇か。

 先代の伝説にまで助けて貰えるなんて。

 

 そんな事を思う。

 そしてそれは同時に――。

 

 

 敗北感が覆った瞬間だった。


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