天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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Shrieking.

 コトネの腕を掴んだのは、シルバーの左手だった。

 そしてその手がぶんと振るわれれば、小柄な彼女の身体はあっさりと後ろに投げられて尻餅を着く。そこで地面に突いた両手が、雪の冷たさにびくりと震え、思考が水でも掛けられたかのように一転した。

 

 ハッとして見直す。

 赤髪の青年は、眼鏡を中指で押し上げ、ゆっくりと首を横に振っていた。

 

「……不正解だ。完全に不正解だ。あまりにも残念すぎて、反吐が出る」

 

 そしてそう零した。

 彼は返す右手を腰に当て、そのまま紫色のボールを背後に放る。

 閃光と共に現れるは――コトネが見た事の無い人型のポケモン。

 

 その姿を認めたコトネは、戦況が動くかもしれないと今一度ハッとする。改めてククリを見直すが、しかし彼女は怪訝な表情を浮かべているだけで、警戒心を顕にしようとしているマニューラを、片手で宥めていた。

 

「……何が?」

 

 まるで先程までのコトネが持っていた怒りが移ったようだった。

 熱が冷めたコトネの前で、今度はククリが眉間に皺を寄せる。

 

 対するシルバーが、小さく雪を踏み直して改まる。

 今一度彼に向き直れば、何処か尊大にさえ見えた。不敵な笑みを浮かべ、胸を張っている様は、昔の荒々しい姿を呼び起こすようだ。

 

「ほんと、馬鹿みてえな言葉ばっか並べやがって……」

 

 男は零しながらククリを、そしてコトネを一瞥してきた。

 その後肩越しに背後を振り返って、人型のポケモンに向かって拳を差し出した。

 白と紫が基調となっているそのポケモンは、長い尾を一度二度と振り払い、宙を浮いて彼とコトネの間まで歩を進めてくる。そして彼と拳を交わす。

 

「ガキか。……なぁ? ミュウツー」

『ああ。ただの子供だ』

 

 当然のように言葉を交わすそのポケモン。

 その声自体は思念をそのまま音として放っているようだったが、それを驚く事さえ野暮に感じる程、霊的な存在感を感じた。そう、正しくスイクンと似た雰囲気を醸し出している。

 

 ミュウツーの返答にひとつ頷き、シルバーは再度ククリへ向き直った。

 

「まさかこんな簡単な事を説く事になるとはな……。残念だよ、()()()。こっちのお前がそこまで愚かじゃない事を祈るばかりだ」

 

 そして挑発。

 

「だから何が!」

 

 対するククリは、怒りを顕にしたように叫んだ。

 茫然と眺めるコトネは、そこに至って何となく悟る。

 

――ああ、そうだ……。

 

 目の前でシルバーが盛大な溜め息を吐いた。

 隣に立つバンギラスとミュウツーを一瞥して、呆れたように肩を竦めていた。

 

――何を勘違いしていたのだろう。

 

 そしてコトネが答えに手を掛けたのと同時。

 シルバーはふんと失笑を口に出して、嫌味たらしく表情を歪ませた。

 

 

「お前ら、何様だよ」

 

 

 とても端的だった。

 

 しかしその言葉は、飾り気が無い月並みなもの故に、清々しい程にあっさりと胸を打つ。

 まさかこんなあっさりとした言葉を貰うと思わなかったのか、相対している筈のククリも目を瞬かせていた。

 

 唖然とするククリと、固唾を飲むコトネに、彼は溜め息混じりな様子で更に続ける。

 

「人様の運命だとか、世界の命運だとか、勝手に決めつけやがって……」

 

 ゆっくりと彼の手が上がれば、先ずはと言わんばかりにコトネを指差してくる。

 

「お前は馬鹿だ。知っている。……だが、実の娘に向かって『ぶっ殺してでも止めろ』って何事だよ。話聞いてやろうって誠意を見せずに、正義ぶってんじゃねえよ。馬鹿が。阿呆が。親失格だ。茶化す事と暴れる事しか能がねえなら、さっさと引退して引っ込んでろ」

 

 ぶすり。

 辛辣な言葉がコトネの胸を深々と抉った。

 

 それで満足しきれた様子ではなかったが、シルバーは「まあお前は良いや」と溜め息を再度吐いた。いや、結構酷い事を言われたとは思ったが、この期に及んでコトネがそれを口に出して抗弁出来る雰囲気ではなかった。というより、正論すぎて耳が痛かった。

 

 彼は改まって、ククリを指差した。

 その矛先で彼女は……固唾を呑むような雰囲気だった。

 

「お前もお前だ。サクラが自分自身だからって、何をしても自己責任で済む訳ねえだろ。こっちのサクラはこっちのサクラで心を持っているし、お前はお前で心を持っている。……つまり、同じ人間でも他人みたいなもんだろ。今、そんな憎たらしい顔で母親を酷い目に合わせようとするお前が、こっちのサキやアキラと笑いながら旅をしているサクラの気持ちが分かるのか? 一言一句相違なく、あいつの望むものを述べられるのか? 無理だろ?」

 

 それは説教で。

 

「確かにお前が干渉しなきゃ、サクラはお前と同じ人生を辿る可能性があったのかもしれない。それが原因で世界が滅びるのかもしれない。……だが、敢えて言おう――」

 

 それは彼だから言える正論で。

 

「それがどうした」

 

 だからこそ彼は、淀みなく言い切った。

 

 思わずと言った様子で、ククリは目を見開く。

 これまでやって来た事を全て否定されて、それは間違いだと言われた。その現状をまるで認められないと言うように、彼女の眉間に皺が寄り、唇が震えだす。

 

「言いたい事は――」

「ああ? まだ話は終わってねえよ。最後まで聞けよ。糞ガキ」

「…………」

 

 そして、思わずと言った様子で彼女が言葉を吐こうとすれば、シルバーはバッサリと切り捨てる言葉で彼女の言葉を呑ませる。

 

 言葉を呑んだククリを見て、コトネは何となく、彼女が哀れに思えた。

 

 こういう時のこの男は本当に容赦が無い。

 コトネはそれを知っていた。

 

「お前は既に絶対悪に触れている。そんな立場でどれだけ高尚な台詞を並べたところで、コトネに悪人だと思われるのは当然だ。……最初にあった筈の『話し合い』という選択肢を蹴った時点で、お前がやっているのは独りよがりなエゴだ。どだい正当化しようとそれを抜け出る事はない。そんな状態で理解してくれって雰囲気を出されてもなぁ? 折り合いをつけようとしてねえのはコトネも同じだが、なまじ武力を前提にしているから性質(たち)が悪い。悲観的な話を引っ張りだして、悲劇のヒロイン気取りか? 馬鹿馬鹿しい。反吐が出る」

 

 ポケットに手を突っ込み、シルバーは俯く。

 それはこれから自分が一番言いたい事を言うと思わせるようなパフォーマンスにも見えた。

 

「だから、俺ははっきり言おう……」

 

 そして、彼は胸を張る。

 もういっそ清々しいまでに、堂々とした出で立ちだった。

 

「それ以上は迷惑だ。悪いがこの世界の為にさっさと諦めてくれ」

「――っ!」

 

 その言葉を聞き、ククリの双眸が大きく見開かれる。

 我慢の限界だと言わんばかりに、荒々しくコートを翻して、腰元のボールを――。

 

「いや、だから……話聞いてねえのかよ。馬鹿か? お前」

 

 と、したところで、片手を差し出したシルバーの毒舌的な一言が、彼女の動作をぴたりと止めさせる。

 

「……さっきのはこっちの世界の俺の要求だ。お前の要求が何なのか、俺の意見にちゃんと抗弁しろよ。話し合いたいってパフォーマンスをさっきしたのはお前だろ? 何でそうあっさりと暴力的に解決しようとするんだ。馬鹿か……いや、馬鹿だろ。お前」

「…………」

 

 ぴたりと固まるククリ。

 その表情さえも、フリーズしてしまったかのように動かなくなってしまった。

 

 もうシルバーの独擅場としか言い様がない。

 ただの論弁で、最終決戦と名の付きそうなこの場を、完全に制圧していた。

 

 やはり、その男は傑物だったのだ。

 

 そしてその傑物の思慮は……当然の事のように、向かい立つ彼女が抱えている矛盾を的確に突く。

 

「ていうか、お前『我慢をするな』ってホウオウに洗脳されたんだろ? 我慢してんじゃねえか、今」

「……あ」

 

 思わずコトネは声を漏らす。

 呆れ混じりなシルバーの言葉が、あまりにあっさりとしていて、あまりに的確で、納得するよりも早く声が出た。

 

「それとも何か? 叱られたかったのか?」

 

 シルバーは呆れ混じりにそう締め括った。

 

 すると――。

 

「…………」

 

 ククリは俯き、身体を小さく震わせた。

 ゆっくり、ゆっくりと、腰に回していた手を下ろし、倣うように面を下げていく。

 

「……う、うぇ」

 

 そして、小さな嗚咽。

 

「うぇえ……うぅぁぁ……」

 

 ついには手で顔を押さえながら、膝を崩す。

 一度漏れた嗚咽は、留まる事を知らないように、徐々に徐々に大きくなっていった。

 不安定な瓦礫に腰を降ろして、蹲りながら小さな声を漏らす彼女は――そう、此処に至って初めて、コトネは彼女の事を『サクラ』なんだと思えた。

 

「だって……だって……サキも、メイちゃんも……いなくなって」

 

 それは独白。

 

「おかあさんも……ククリも……」

 

 それは理由。

 

「おとうさんまで……」

 

 それは……本音。

 

「わたしがやるしかないじゃない……わたしが……わたししか、たすけられないじゃない」

 

 それは……彼女が今尚、葛藤している表れだったのかもしれない。

 

 洗脳が本当にされていたのか。それを確かめる必要さえ、もう無いだろう。

 

 しかし彼女にかけられた洗脳の目的が『我慢をするな』であれば、我慢をしないサクラは……納得さえすれば、簡単に折れる。元より彼女にモラルはしかとある筈だし、信念だって持っている事だろう。

 子供を取り返すだの、世界を取り戻すだの、そんな高尚な言葉が邪魔をしていただけで、彼女は元々失われた世界が恋しかっただけなのだ。その前提に荒事を持ち込んでいる矛盾は確かに彼女を苦しめていただろうし、それが間違った方法である事も彼女は知っている筈。

 

 いや、むしろ、シルバーの弁は、彼女が『言って欲しかったこと』なのかもしれない。

 彼が揶揄した通り、叱ってくれる人さえ、彼女は失った筈なのだから。

 

 彼女の父であるヒビキに何があったかは知れないが、彼がそれを放棄していたとするなら、余計に……。

 

 

――だが。

 

 この時、そんな稀有な事に気付いたシルバーさえも、そればっかりは気付かなかったろう。

 

 

『主は言った。貴様は誓った。あの世界を取り戻すと……』

 

 

 不明瞭な声が、サクラの懐から零れ落ちる。

 それと同時に、彼女のコートのポケットから漏れ出るは――緋色の光。

 

『違えるとは言わせぬ。其れは確かに、貴様が渇望した願いだった筈だ』

 

 その声に彼女自身目を見開いて驚き、しかし光が七色へと変化を見せれば、顔を上げた彼女は決死の形相で叫んだ。

 

『笑止。神は貴様の願いを、まだ諦めてはおらぬ!』

 

「ごめんなさいっ! お母さん。お義父さん。逃げて!!」

 

 と――。


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