Treasure.
なんて酷い光景だろうか……。
セキエイ高原のゲートを西に抜け、先駆者が敵を殲滅した道のりを急ぎ足で駆ける。
黒く消し炭と化した大木。焼き払われてしまって、まるで居合い切りでもしたかのように大地の色が見えている草原。
誰ともなく言ったものだ。
『会長……。
と……。
おそらくは覚悟の上だったのだろう。
大地に深々と空いた大穴を見つけ、その脇で足を止めたワタルは、誰に零す事も無い言葉を頭の中で呟いた。……きっと彼の正義の有り方は、誰にも理解出来ない。そう思えたが故に、口に出すのは憚られた。
横たわるポケモンの数は一〇〇や二〇〇で済まない。
この『28番道路』で繰り広げられたのは、紛れも無い死闘……いや、戦争だったと思わせた。ならばあの赤髪の青年が何を優先するかなんて、誰に聞いても同じ予想が返ってくるだろう。……そう、仲間の命だ。
それを理解出来ても、きっと彼の正義が理解されないだろうと思わせるのは――彼は一番大事なものを見付けたら、それ以外を捨て去る事が出来る冷酷さを兼ね持っている為だろう。カリンやイツキ、ハヤトならこうはいくまい。強いて言うなれば、シゲルやワタル自身は、それを理解している。実践出来るかは兎も角。……尤も、今目に見えている現状は、彼が手を下したと思えぬ惨事だと、思えてしまうのだが。
大地に大穴を空けられる程のポケモンなど、そこそこ限られている。シルバーの手持ちならば、バンギラスやリザードン……あとは、『M』くらいだろうか……いや、それにしてもこれは酷い。
底の見えない大穴を一瞥して、ワタルは首を横に振った。
まあ、結果が重要なだけだ。誰がやったとて、パーティのリーダーを務めるシルバーがその責を負うのは、至極当然だろう。それを嘆く程、彼があの座に執着しているとも思えない。
しかしながら、幸いなことに、凄惨な光景に反して、犠牲はいない様子だった。
イツキが手持ちのネイティオに探らせたところ、辺りのポケモンは等しく『戦闘不能』な状態ではあれ、一匹として命を落とした様子はないらしい。「信じられない」と呟く彼に、ワタルも深く頷いた。
この規模の戦闘をして、手加減までもをしているなど、まるでマサラの――。
「ワタルさん。この辺りが一番瀕死ポケモンの多い場所のようです。……移送にはボクとハヤトが適任でしょう」
思考を断つ、若い声。
思わずハッとする心地で、仮面を着けた男に向き直った。
そしてこくりと一回頷いて返す。
「……そうだな。頼めるか?」
「喜んで」
「まあ、当分目は覚まさないだろうけどな……」
恭しく礼をするイツキに対して、ハヤトは切なげな表情で、地に落ちた飛行ポケモンを労わっているようだった。
どうやら電気タイプの攻撃を貰ったようだ。彼はそう言う。
成る程。状態異常として、麻痺を貰っているのだろう。扱うポケモンによっては強力な拘束能力があるそれは、等しくこの場全てのポケモンに掛けられているのかもしれない。……まあ、これ幸いとして進んできて、文句は言えないだろう。
やがてやおら立ち上がったハヤトも頷く。
大型の飛行タイプのポケモンを扱う彼と、探知に優れたエスパーポケモンを扱うイツキ。この二人がいれば、ここはさして問題は無い筈だ。後から来るように告げてある援軍と巧く連携をとれる人柄でもある。何を危惧する必要も感じられなかった。
「……では、急ごう」
となれば、そうなる。
不意に脳裏に浮かぶ朱色の髪をした女性に、何処か私情を挟んでいる背徳感を感じながら、ワタルは先に走りだしたカリンとシゲルを追った。
――どうか無事で。
そう思ってしまうのは、きっと贔屓ではない。贔屓だとしても、仕方無い筈だ。
家族というものは宝であり、誰もが大事に想う筈なのだから。
そしてそんな一抹の不安を抱えながら突入したシロガネ山。
麓のポケモンセンターは見る必要が無いと、先行したシゲルがそう告げた。
その意味を、そこで知る――。
白銀の鉱物が微かな光を反射し続ける洞窟内。その昔は真っ暗だったが、何時ぞや伝説のポケモンであるファイヤーが住処にしていた頃から、中は随分明るくなったと聞く。何らかのエネルギーがどうのと学者は騒ぎ立てたが、この洞窟に住まうポケモン達は総じて強靭かつ凶暴の為に目立った調査が出来ず、謎は謎として残されたままだった。
かつて何処かの学者が言った。
――この世界にポケモンと言う生物がいなければ、世界地図は完成し、人類が世界の頂点に立つ生物となっているだろう。
と。
それを小耳に挟んだ時こそワタルは「それもそうかもしれないな」と思うだけで、大した試案を脳裏に展開する事は無かった。確かに凶暴なポケモンの住処は大抵不可侵領域として見守るだけで、ろくな調査が出来ない。その為にポケモン協会は日夜腕の立つトレーナーを育て、派遣しようとしたりもしているが、成果はあまり聞く事がなかった。元よりそんな事はリーグチャンピオンとしての生業を持つワタルに要求される話ではなかったし、有り体に言ってあまり関心が無かったとも言える。自分を越えていったトレーナーがそう言う立場に行き着く事はあった為、全くの無関心だった訳ではないが、そんな事を考えるよりもポケモン達の調整をしてやりたいと思うばかりだった。
が、しかし。
例えば『それ』が目の前に広がる光景だとしたら、何時ぞや聞いたその論理を彷彿せざるを得ない。
「……これは」
「嫌な予感しかしねえ。ってやつだな」
カリンは息を呑む。
その隣でシゲルは鼻の下を人差し指で擦り、眉を寄せていた。
幼少から残っているという緊張した時の癖を、おそらく不意に出している彼の更に隣で、ワタルは喉を震わせた。
――親父。
――お父様。
自分を呼ぶ、少女の声が二つ。
脳の中で再生された。
まるでそれに背中を押される風になって、ワタルは思わずたたらを踏むようにして一歩踏み出した。そのまま、ゆらりゆらりと、二歩、三歩。歩を進めていく。
「……アカネ?」
そしてぽつりと零した。
それは応える者がいない洞窟で、こだまするように反響していく。
「何処だ……アカネ」
一歩。
また一歩踏み出す。
凍りづけのドンファンが見えた。
装甲を叩き割られ、座して光を失ったバンギラスを見付けた。
驚愕の表情で活目したまま気絶しているゴルダック。二対の羽を地に投げ出して動かないクロバット。
そのどれもが、『相性の良い技』で倒されていた。
その光景が教える。……いや、一目に分かっていた。
こんな打ち分けが出来るのは、きっと一方的に相性の良い技を放ち続ける為の相性を持ったタイプだけだろう。
彼女のポケモンは、それを出来るように鍛えられている。ジョウトにおいて、彼女にのみ許された才能とも言える。
抜群の汎用能力。
ノーマルタイプ。
ああ、つまり……。
アカネは、ここに居る。
何となく、そう確信を持った。
「アカネ。何処だ……」
理解を進めていく内、ワタルの足は矢継ぎ早に近付いていく。
右足、左足、右足、左足、交互に投げ出していく足は、誰に止められる事はなかった。
シゲルもカリンも理解していたのだろう。
ジョウトにおける頂点と言われたこの霊峰は今――人という生き物が頂点に君臨している空間だった。
何もワタルを襲うものはいない。
止めるものもいない。
そして、それは同時に――。
「アカネ!!」
幾度目かの呼びかけの後、ワタルは漸く宝を見付けた。
ピクシーに庇われる形で下敷きになっているその女性。
髪が乱れに乱れ、煤を被ったような色合いになっていれば、どんな戦い方をしたら指示を出すだけのトレーナーがこんなに傷だらけになるのかと問いたくなる程、その身体には赤黒い色が目立つ。
燃え、千切れ、穿たれ、裂かれ。
ズタズタにされた服は、服としての役割さえ果たしちゃいない。下着さえも見当たらなかった。僅かな切れ端から、これが彼女の気に入っていた服だと思い起こせるが、最早そんな事はどうでも良い。
「しっかりしろ。おい!」
自分でも悲痛に聞こえる叫び声を上げながら、ワタルは自身のマントを外して駆け寄った。
横たわる彼女の上からピクシーをそっと退け、身体をゆっくりと抱き起こす。
外したマントを半裸を隠すように掛けてやった。
すると……。
「っつぁあ……」
抱き起こされてか、マントが傷に障ったのか、アカネは苦悶の表情と共に悲痛な声を挙げた。
その姿を認めて、身体にじんわりとした熱が帰ってきた気がした。
何時の間にか肝を冷やしていたらしいと、そんな事を思う。
だが、何より……。
生きている。
先ずはその事にホッとした。
明けましておめでとうございます。
今年も一年、よろしくお願いします。