ルギアが今しがた突っ切った滝が半分を埋め尽くす空間。残りの半分はここへ至るまでに見た青く輝く岩が壁となり、辺り一面を覆っていた。
滝……そう、そこでサクラは気がついた。この場所は海底だと言うのに空気がある。水に浸かっていなかった。何の力が働いているのか、このドームのような空間は自然の法則からは完全に離れているようだった。正に聖域や、神殿といった呼称が相応しいように思う。
まるでその神聖さを促すかのように、暗い筈のこの場所を煌々と照らす星の輝きに似た淡い光。それは正しく満天の夜空の下、照らされるかのような心地だった。……いつの日か母と最後に交わした約束の、あの秘境のような優しい光が広がっていた。
そして滝のほとりには岩の大地が広がっており、まるでこの空間の半分を人の為に用意したかのようだった。装飾の類は無かったが、しかしその岩肌にはあるまじき草木が生えており、神秘を再確認させるかのよう。
正しく海の神と人が邂逅する為に設けられた神殿。そのものなのだろう。
その証拠か証明か、この空間の中央には一つの祭壇。緑の生垣で囲われたその場所は水面よりも岩の大地よりも高く、同じ岩肌であるにもかかわらず、まるでルギアを歓迎するかのように強く輝いていた。
その場に、一人の男。
黒と黄色のキャップ帽を被り、その下から腰まである一筋に束ねられた長い黒髪が出ていた。髪型は兎も角、その帽子にサクラは既視感を覚える。とすれば、ジャケットもズボンも、まるでこの日の為に用意したと言わんばかりに、かつてサクラの自宅にあった『写真』と酷似していた。違うのはサイズと、一見して綺麗だとは思えるものの、拭えない使い古した感じだろうか。
サクラの胸がドクンと音を鳴らす。
精悍な顔立ちに宿る無の表情を確かに認め、思わず生唾を飲み干した。
ドクンドクンと、急激に加速する心臓の鼓動。そしてそれに倣うようにして、吸い込めなくなっていくように感じる息。不意に胸にちくりとした痛みを覚え、すると息を吸えていないように感じたのにも関わらず、言葉はすっと喉を通って出た。
「……お父さん」
「久しいな。サクラ」
そして返ってきた声は、シルバーよりは高いものの逞しい成熟した男の声だった。
目を瞑り、サクラは聞こえた声を脳の中で反芻させた。……間違いない。記憶の彼方で覚えがあるものだ。改めてそう確認する。
ゆっくりと目を開いて、小さく零す。
「ルギア、私をあそこに下ろして」
漠然とした言い分。『あそこ』が何処なのかを指差して指示する事もせず、サクラはそう言った。彼女のそんな言葉を正しく理解するルギアは、正しく神そのものだった。
サクラ、サキ、アキラを覆っていたバリアが、三人を宙に浮かせる。
ゆっくりと宙を浮遊して、祭壇よりは随分と離れた岩の大地へ降り立った。
地に足を着け、サクラは身体から消えた浮揚力の反動をものともせずにしっかりと二本の足で立って見せる。何も言わずに隣で立つ二人も、同じようにして祭壇の方を臨んでいた。
「此処へ来たその理由は聞く必要が無さそうだね」
男もまた、サクラが自分の頭上を越えていくのに合わせ、こちらを臨んで来ている。
視線が合った。
サクラはゆっくりと頷く。
「……お父さん」
そしてそう声を掛ける。
男の後ろでは、二匹の神が今に始まるだろう対峙のその瞬間を待っているようだった。その様子を彼は一度だけ振り返り、再度サクラへと視線を戻してきて小さく唇を開く。
「何だ?」
サクラは胸の内から今に這い上がってくるような熱を感じつつ、生唾を飲んでそれをぐっと堪えた。
改めて毅然とした表情を取り繕うと、ゆっくりと言葉を返す。
「お父さんが、ウツギ博士を殺したって……本当?」
そして問い掛けた。
すると男はピクリと肩を震わせ、帽子の鍔を右手で掴み、相貌を隠すようにして顔を伏せた。
「……事実だ」
短い答え。
しかしそれを聞いたサクラの胸の内で、衝動が暴発するように弾けた。
「何で!? どうしようもなかったの!?」
再度問い掛ける。
それはずっと抱いてきた疑問であり、正しく愚問でもあった。
この場、こうして対峙している現状。
ただそれだけで答えそのものだろう。
そんな事は分かっていた。
分かっていたのだ。
だけど納得しきれない自分がいた。
理解したくなかった自分がいた。
だからこれが最後。
最後の確認だった。
男は帽子の鍔を後ろへ回し、相貌を上げてサクラを見返してくる。その顔つきは感情の読めない、ひたすらなまでの『無』を映すかのよう。その唇はやはりゆっくりと動き――。
「そうだ」
そしてやはり、短く答えた。
男のその答えが合図となったのか、彼の背後でルギアが首を反らして口腔を開く。そこに真白の閃光をチャージした。対するホウオウも鋭いくちばしを大きく開き、そこへ緋色の閃光をチャージする。
交わされる破壊光線。
しかし勝者はおらず、地鳴りをも引き起こす衝撃波と轟音が止めば、二匹は変わらずその場に健在だった。
男もまた、その二匹のやりとりを合図としたのだろう。
ジャケットを捲って腰からボールを三つ取り出した。Hの烙印が施されたボールをサクラから見て右端へ投げ、返す動作で同じ烙印のボールを左端へ。最後に残った烙印の無い赤と白のボールを目前へ。
「さあ、はじめよう」
閃光と共に現れたのは、何とも豪勢な顔ぶれだった。
サキが見詰める右端には山の化身。
アキラが見詰める左端には雷の化身。
そして、サクラの真正面には父が長く連れ添っただろう、彼の代名詞たる炎を噴き上げるポケモン。
「エンテイ。ライコウ。……それにバクフーンか」
「へえ。アレが……。何とも御大層な面子ですこと」
サキとアキラが苦々しげに零す。
サクラもまた、目の前に立つポケモンにはひとしおの思いがあった。
遠い、遠い記憶の果てで、見た事があるような気がした。
何処か懐かしい雰囲気を感じた。
朧気で、微かな、本当に幼い頃の何気ない記憶。
――久しぶりだね。バクフーン。
思わず誰にも聞こえないような声でそう零す。
それを聞いてはいないだろうが、まるで見計らったかのようなタイミングで男は声をあげた。
「ライコウ。エンテイ。
すると山の神と雷の神は猛々しい咆哮を上げる。
ジャキン。と言う乾いた音が鳴ったと思えば、ハッとしたサクラの両脇には光りを放つ壁が一枚ずつ。……リフレクターだろうか。それによってサクラ達は互いに分断された。
思わず両側を一瞥したサクラは、身を縮こまらせる。
予定していた状況とは真逆の、各個撃破の体制を強制されたと言えるだろう。思わずサキの側のリフレクターへ駆け寄って手を伸ばせば、触れただけでそれがとてつもなく強固なものなんだと察してしまう。……これは、割れない。二人が向かい立つそれぞれのポケモンを倒さねば、決して解けないだろうと思えた。
不意に不安を隠す事なく表情に出せば、しかし透過した壁の向こうのサキは何も気にした風はなく、四匹の相棒を繰り出していた。そして見返してくる視線はサクラではなく、更に後ろの方を見詰めている。
「おいアキラ。手早く済ませるぞ」
ハッとしてサクラが振り向けば、アキラは三匹の相棒を従え、肩を竦めて笑っていた。
「役不足も良い所よ。……ほら」
そして、アキラは拳を作って、壁に。
尚もハッとする心地でサクラがサキへ振り向けば、彼もアキラと同じように拳を突き出してきている。
いつかのルーチン。
勝利への誓い。
不安に押し潰されそうなサクラの胸に、微かな闘志が返って来た。
沸々と昂ぶってくる心は、今まで数多と感じてきた強敵へ挑む時特有の高揚感。
サクラはサキと右手で拳を交わすと、アキラの方へ数歩進んで左手で拳を交わす。
中央へ戻るとジャケットを捲って、四匹の相棒を繰り出した。
『強敵上等。燃えるぜ』
『ふふ。燃やされないようにね』
『私が消火するよー』
『……ちょっとは緊張感持ちましょうよ』
そして相棒達の声を聞いて、サクラは自分の頬を張った。
大きく口を開いて、自分の両の拳を軽く合わせた。
「約束だよ。皆、生きて帰ろうね」
当然だろ。
当たり前ですの。
態々確認する事かよ。
ちゃんと皆守るわ。
頑張る。
まあ、及第点までは。
返って来る声達を聞き、サクラは向かい立つバクフーンを、そして父を、静かに臨む。
――何故か、父は嬉しそうに見えた。
「いくよ! お父さん!!」
そして決戦がはじまる――。
天海の初投稿から今日で一年です。
その記念ではありませんが、完成していた一話分を丸々投下してみました。結構急ぎで書いたので誤字脱字や文法が心配ですが……どうしても此処までいきたかった!
二回ぐらいエタりかけたりしましたが、此処まで続けてこれたのはこうして読んでくれている皆様から頂いたコメントだったり、数字だったりのおかげです。
本当にありがとうございます。
相も変わらず馬鹿さ加減炸裂してる文章かもしれませんが、是非ともこのまま完結まで宜しくお願いします。
……あ、ミニコーナーは間に合わなかったッスorz