天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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涙の奥の決意

 シルバーは溜め息を一つ。

 

 左右を見渡せば、既に緋色は無い。全て鎮火され、後には消し炭と化した黒炭が残るばかり……。

 脅威が去って息をつくマニューラの頭を撫で、オーダイルにサクラの安否を問う。返って来た鳴き声は少し雲っていて、あちらはかなりごたついている事を理解した。

 

 とはいえ無事なのは間違い無いだろう。

 無事でなければオーダイルがこちらへやって来たりはしない。

 それに、Lの覚醒ともあれば、サクラの身の安全は保障されたも同然だ。彼女は海鳴りの鈴を持っている。仮にLが暴走していれば、状況はもっと荒れている筈だ。

 今した質問は質問ではなく、確認だった。

 

 シルバーは雨で使い物になら無い眼鏡を外して、ズボンのポケットへ雑に仕舞った。

 そしてマニューラとオーダイルにもう一働きを命じる。

 

「生存者を捜してこい。隈無く捜して、見付けたらちゃんと介抱してやれ」

 

 二匹は二つ返事で散っていく。

 その背を見送りつつ、シルバーはゆっくりと目を瞑る。

 

 仮に同じ命令を人間に下していたら、下された人間はおそらく涙ながらに行うのだろう。その点、生物的に隔たりのある彼らは主人以外の死に対して頓着は薄い。こう言う時こそ真価を発揮すると言って良い。

 

 見るも無残なワカバタウン。

 緋色の炎に焼き尽くされ、蹂躙された町並み。

 矯正されていない視力で確認しただけでも、まともな建物は残っていないと分かってしまう。

 

 とても生存者が居るようには見えなかった。

 

 火は大雨により間違いなく鎮火している。

 燻っているものを残すと思えない程、雨足も強い。

 

 しかし、鎮火するまでの間、一体どれ程の時間を焼き払われたのか。

 建物の土台や、基礎さえ、残っていると思えない。

 加えて、ヒビキは住人の全滅でも命じていたのだろうか……至るところに転がる肉体は、火事から逃げ延びたのだろうが、漏れ無くポケモンの手によって殺害されている。

 正しく酷い有り様だった。

 凄惨な光景とは、この事を指すのだろう。

 

 シルバーは溜め息を一つ吐き、ポケットから黒い端末を取り出す。

 画面を数度タップすると、PSSが起動する。

 ホログラムとして展開されたそれを指で操作し、一つの連絡先を開いて、通話を繋いだ。水滴なんて気にも留めずに、端末を耳に添える。

 

「……俺だ。至急、災害救護と、鑑識の大隊をワカバタウンに回せ。……ああ、そうだ。大隊で間違い無い。町が壊滅している。……良いな? 急げよ」

 

 即座に通話を切ると、続いて別の連絡先を開き、通話。

 

「ポケモン協会のシルバーと申します。急を要したので、直通で申し訳ない。ワカバタウンが何者かに襲撃を受け、壊滅的被害を受けています。至急情報の統制をお願いしたく……ありがとうございます。では」

 

 同じく、別な方面へ通話。

 

「協会のシルバーと申します。町長に至急の言伝を願います。『ワカバタウン壊滅につき、至急援助願う』以上です」

 

 やはり同じく、通話。

 

「シルバーだ。すまないがジムリーダーの招集を頼む。三日以内にセキエイ管轄のリーダーを全員揃えて、会議の場を用意しろ……急務だ」

 

 計四件の電話を終え、ふうと溜め息。

 最後にもう一つだけ連絡先を開き、今一度端末を耳に当てる。

 

「……俺だ。……急務だ。すまんが暫く帰れん。そっちにサクラを向かわせる。酷い有り様だろうから、手厚くしてやってくれ。何があったかは後から話す。サクラが話せそうならサクラから聞いてくれ。良いな?」

 

 通話を切ると、再度一息。

 

 大雨に濡れた端末を拭い、辺りを見渡す。

 マニューラも、オーダイルも、特に生存者を見つけた様子は見られなかった。

 

「クソが……。殺すだけ殺しやがって」

 

 悪態を吐き、東の空を仰ぐ。

 

 先程の女が逃げたのはカントーの方角だが、撃退したポケモンの生息地に統一性は見られなかった。通信事業が栄えた今となっては、それも参考にならない事だが、彼女の逃げた方角もまた、それ等と何ら関連性は見られない。

 追跡を警戒して経路をずらしているかもしれないが、それすらも確かめる術は無く……不確かな事ばかりが、気に留まる。

 

 せめて六匹のパーティを組んでいれば……。

 そう思うばかりだが、こんな状況を予期出来る筈も無い。

 伝説級のポケモンの未来予知でさえ、そんなに万能なものではないのだから。

 

 シルバーは舌打ちを一つ鳴らして、サクラが居る方へと向かった。

 

 

 

 

「ルギア……ごめんね、酷い事言った」

『構わない、正しく理由はある』

 

 見上げた先で、翼竜は慈愛深くサクラを認めてくる。

 なけなしの思い遣りで、僅かに微笑んで返すと……サクラはゆっくりと項垂れた。

 

 膝の上には最愛の家族だったウツギ博士の頭。

 生前にはやった例の無い膝枕をしていれば、徐々に冷えていく彼の身体が……もう動かないんだと、教えてくる。

 サクラは心を痛めながらも、開きっ放しだった彼の瞼を、優しく閉じた。

 

 激しい雨に打たれ、冷静さが戻って来た。

 ふとすれば、もう哀しみさえ忘れてしまいそうな程、意気消沈する。

 

 それは確かな……絶望だった。

 

「グォウ」

 

 バンギラスが一鳴きし、サクラに背を向けて、オンバーンが見張る三人の元へ向かって行った。

 ルギアに脅威が無いのを確認したのか、はたまたここまで必死の形相で飛んできた仲間を気遣ってかは分からなかった。

 

 その背を見送り、サクラは今一度膝の上の亡骸を認める。

 これが夢なら、どれ程良いか。

 そんな事を思って、不意に震えだした唇を、キュッと結んだ。

 

『主よ』

 

 首を高く持ち上げ、左右を軽く確認したルギアはそう零す。

 今一度その首を降ろしてきて、サクラの目線に合わせてから、彼は柔らかな声色で続けた。

 

『脅威は去ったようだ』

 

 戦闘の音が聞こえなくなって暫く。

 まるで自然消滅するかのように、それは終わりを迎えたらしい。

 

 サクラは小首を傾げた。

 

「シルバーさんは?」

 

 抑揚の無い声で尋ねる。

 誰とも言わずだったが、ルギアは辺りを二度、三度と見渡して、やがてこくりと頷いた。

 

『おそらく無事だ。(じき)にこちらへ来るだろう』

 

 サクラは小さく安堵の息を吐く。

 

 その後視線を伏せて、震える唇を今一度開こうとする……が、上手く声が出ない。

 ウツギ博士の白衣を強く掴み、開いた唇をそのまま、たっぷり二度、深呼吸をしてから、やっとの事で、一番危惧している事を問い掛けた。

 

「町の……みんなは?」

 

 先程、襲撃者達は、まるで町の人間を皆殺しにした後のような発言をした。

 だから、答えが解るような……だけど決して認めたくないような、そんな確認。

 

 ルギアは目を瞑り、首を横に振った。

 

『一人も……赤子さえも既に在らず』

 

 その言葉に、サクラはきつく瞼を閉じた。

 唇が震える。

 肩が震える。

 自然とウツギ博士の白衣を掴む手に、更なる力が籠もった。心臓が鷲掴みにされたような苦しさを覚えて、息が吸えなくなる。

 

 ルギアは悪くない。

 ここに居ただけだ。

 

 ここに、残されていただけだ。

 

 悪くない。

 ルギアは悪くないんだ……。

 

 頭では理解しているが、それでもあまりに理不尽すぎて……誰を憎んで良いのか分からずに、サクラは涙を流した。身体中が恐怖と絶望、そして怒りに震え、それでも足りなくて、歯噛みしながら嗚咽を漏らした。

 

「なん、で? 何で、あの人達は……」

 

 嗚咽の隙間でそう零す。

 すると、ルギアが首を上げた。

 

「そのポケモンが、渦巻き列島を沈めた神と呼ばれる存在だからだ。復讐、崇拝……そして利用。どんな理由を挙げても、その全てに納得がいく」

 

 振り返れば、そこにはシルバーの姿。

 その平坦な声にこそ、思わず食ってかかりそうになる程の怒りを覚えたが……姿を認めた瞬間、サクラの表情は固まった。

 

 銀縁の眼鏡を外しているシルバーの相貌は、酷く暗い顔付きをしていた。

 その表情は、今サクラがしている表情とよく似ていて――。

 

「ウツギの爺さん……俺も随分と世話になった」

 

 抑揚の無い声を、サクラはただ聞くしかなかった。

 

「今回の一件、俺にとっても大きすぎる……。爺さんにしろ、ワカバにしろ……お前のように涙を流せない事が、自分でも不思議だ……」

 

 シルバーはそう零して、ゆっくりと歩を止める。

 彼は視線を伏せ、静かに俯く。

 

 その姿は、言葉とは裏腹に、確かにサクラと同じ痛みを抱いているように見えた。

 雨に打たれている姿が、やけにちっぽけにも見えた。

 

 何かしらの熱が、サクラの胸の中でボゥと音を立てて燃えた気がした。

 それに促されるまま、サクラは唇を震わせる。

 

「誰が、これをやったんですか?」

 

 少女は問う。

 

「聞いてどうする」

 

 男もまた問いかけてくる。

 

「決まってるっ……。町のみんなをこんなにした人を――」

「お前に何が出来る」

 

 サクラの憤りに、シルバーは静かな言葉を返してきた。

 思わずハッとして睨めば、彼の目もサクラ同様、怒りを顕にしていた。

 しかし、彼は目付きとは裏腹に、落ち着いた雰囲気を崩してはいない。

 

 彼はサクラをジッと見詰めてきて……サクラが目を逸らしてから、改めて唇を開いた。

 

「この一件の始末は俺が預かる。お前は暫く俺の家に居ろ……そこで旅を始めるも良し、俺の帰りを待つも良し、だ」

 

 掛けられた言葉に、サクラは視線を逸らしたまま首を横に振る。

 

「何で……ですか? どうして?」

 

 沸々と滾る何かは静まらない。

 それをぶつけて良い相手じゃないと思えるからこそ、ゆっくりと言葉を吐き出して、問い質した。

 

 だが、シルバーの態度は変わらなかった。

 

「ルギアの事も然り、お前はこの一件に関わらない方がいい」

 

 まるで濁すかのような口ぶりに、サクラは堪えきれずに彼へ改まった。

 意気消沈したような姿の彼をきつく睨んで、唇を大きく開いて問い質す。

 

「だから! 何でですか!?」

 

 シルバーは目を細め、サクラをスッと見つめてくる。

 懐かしいものを見るような目付きだった。

 

「お前はこのポケモンのトレーナーだ。そして英雄の娘だ。お前はワカバの生き残りだ」

 

 彼は淡々と零して、小さく息を吐いた。

 

「まだ、分からないか?」

 

 そしてやはり、濁したような言い方をした。

 

 シルバーの言わんとする事は、疲弊したサクラには到底理解出来なかった。

 しかしそれを察してか、ルギアは首を降ろして来て、尚も食って掛かろうとしたサクラを否めてくる。

 

『主よ……貴女がこのまま、この件に表立って関われば……人々は主を英雄と、唯一無事だった者と称えるだろう。しかしそれは――』

 

 まるで視線を促すように、彼は首を大きく空へ上げた。

 

『これと同じ光景を、この先何度も見なければいけなくなることと同義だ。この男はそれを心配している』

 

 ルギアのテレパシーはシルバーにも届いていたのだろう。

 彼は首を横に振って、それだけじゃないと告げる。

 

「ルギアが表立てば、お前は常に狙われる。お前が生きていると知られれば、お前か俺がルギアを持っていると、敵に教えるようなものだ」

 

 シルバーは溜め息混じりにそう言った。

 

 サクラは違和感を感じながらも、それがどういう事かを漸く理解した。

 

 

 つまり……サクラは生きていちゃいけない。

 

 

 彼はそう言っていた。

 そしてこの非常時、それがどういう風な意味合いか、何となく察せる自分がいた。

 

 大きく空を仰ぐ。

 ルギアはサクラを見つめてきていた。

 小首を傾げて、問い掛ける。

 

「あなたは、ウツギ博士が守ってて、私をずっと待ってたんだよね?」

『如何にも』

 

 サクラは次にシルバーを見やり、改めて唇を開く。

 

「ウツギ博士、最後に旅に出ろって……言ってましたよね」

 

 確認する。

 シルバーは深く頷いた。

 

 なら、とサクラは視線を降ろす。

 改めて認めたウツギ博士は、もう言葉を出さない。

 最後に告げられた言葉が、訂正される事は、二度と無い。

 

 サクラはもう一度シルバーと目を合わせて、涙の奥に強く決意をしながら――

 

「分かりました。……私、暫くしたら旅に出ます」

 

 そう言った。

 

 

 そこには、敵が誰だったか、ルギアの力がどんなものかということ等、知りえないままの、正しく宙ぶらりんな土台しか、出来上がってはいなかった。

 

 ただ、少女にはもう帰る家は無かった。

 それに、このままこの案件に関われば、行く先々でこの一件のような悲劇を起こしてしまうことだけは、理解出来た。

 

 少女が昼過ぎに決意した事は、しかし已むを得なかったと言う形で始まる。

 

 

 ただ一つ、ウツギ博士の遺言だけが、彼女にとっての正義だった。


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