天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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才能の自覚

 朝日が見えて暫く。

 ルギアは未だ飛行を続けている。

 

 その背中で、サキとアキラはそれまでの疲れか、瞼を閉じて横になってしまった。苦しげだったウィルも、鎮静剤が含まれた薬を投与されたおかげか、今は安らかな寝息をたてている。

 

 ルギアの背中自体はそんなに広くない。だが、彼のサイコキネシスの効果か、はたまた単純な神通力か、どうあっても落ちるような位置へは出られないようになっているらしい。虚空に手を伸ばせば、柔らかな感触と共に反発されて、一定の位置から先へは伸ばせなかった。

 

 飛行による浮遊感なども感じないし、相変わらず降り続いている雨だってルギアの背には掛かってこない。むしろ水面を打つ音が心地良い。疲れた二人からすれば、程好い寝心地になっているのかもしれない。

 

 サクラはじっと二人を見詰めた。

 

 長い桃色の髪をした少女。普段起きている時は尊大な態度がそうは思わせてくれないが、眠っている姿は正しくお人形のようだった。長い睫毛に、整った眉。ほっそりとした輪郭に、疲れていても陰る事を知らない色合いの唇。パッと見た限りでは絶対に自分と同じ一四の少女とは思えないだろう。精々一二歳か、そこらにしか見えない。……って、言っても二歳の違いってそんなに大きいだろうか? サクラ自身と比べたら中々に差があるように見えるけども……いや、サクラは老けている方じゃない。アキラが童顔すぎるだけだ。お世辞込みで一二歳に見える。そういう事にしておこう。

 

――私の、親友。

 

 赤く長い髪をした少年。頼りない一面が多いようにも思えるが、挑発的にさえ見える切れ長の目が格好良い。最近になってふと気がつけば、何だか目線の高さが近くなってきてるようにも思えた。男の子の成長期は遅いらしいし、大人になってみればもしかしたらサキの方が身長が高くなるのかもしれない。……そう言えばシルバーはサクラより随分大きい。資質としては間違いないだろう。聡明さも合わさって、白衣を着せてみたら似合うのではないだろうか。何となくだが、彼の実家の本棚を思い出せば、研究者とかにもなれるような気がする。……あくまでも、父親の資質的に、だが。

 

――私の、恋人。

 

 

 サクラは一つ頷いて立ち上がった。

 

 手には先ほどアキラから分けてもらったラスクのような携帯食料。中から一つ取って口へ放り込むと、自分の鞄から海鳴りの鈴を取り出して、パウチと一緒に抱える。ワンピースに着けたベルトのボールの数も五つある事を確認。踵を返してゆっくりと歩きだす。

 

 数度の咀嚼。きちんと飲み込んだ後、唇を開いた。

 

「ルギア。()()()に行っていい? ちょっとみんなでお話しない?」

『ああ。丁度私も主達と話がしたかった』

 

 ポケモンとお話――なんて不思議な言い草だ。自分でもそう思う。

 

 だけど此処に来てサクラは、色々と思い起こす事があった。

 

 一歩踏み出す。

 ルギアの白銀の毛並みを靴で踏む事を申し訳なく思う事もない。この海の神は汚れる事さえなかった。

 

 

――あれはそう。鈴の塔か。

 二匹のルギアの声を聞いた時は、何とも思わなかった。だって海鳴りの鈴が二色に分かれていて、どう見ても鈴に『私』と『我』がいたから。

 

 

 今一歩踏み出す。

 ルギアの背を越え、首に差し掛かって、足下にも何かの壁があるんだと気付いた。丸い首を踏んだにしては、随分と平たい感触だったからだ。

 

 

――だけどあの塔での決着の時、今にして思えば私は聞こえない筈の声を聞いていた。

 僕の事はいい。早く行け。そう言った『僕』とは誰だったのか。

 

 

 ゆっくりと歩を進め、丁度ルギアの後頭部にあたる位置で腰を降ろす。

 

 

――そしていよいよ看過出来なくなったのはフジシロさんと戦った時。

 いくわよ、サーちゃん。そう声を掛けてきたのは誰だったのか。

 

 

 サクラは前を向いて、思わず目を細めた。

 水平線から完全に出ている太陽が、思ったよりも眩しかった。

 

 今居る空は巨大な雨雲に覆われて暗いと言うのに、実に不思議な感覚だった。

 

 

――そして、バトルフロンティアで捕縛された時と、出る直前の声。

 あれはサキに聞こえていなかった。改めて確認はとってないが、出る直前の声では『フジシロ』さんの名前が挙がっていたのに、彼が反応しないのは可笑しい。……と、思う。

 

 

 つまり――。

 

 サクラはベルトからモンスターボールを四つとも外して、目の前に置く。海鳴りの鈴をその横に。

 

 そして改めて向き直って、ごくりと生唾を呑む。姿勢を正して、数度深呼吸を挟めば、真面目な顔つきでゆっくりと唇を開いた。

 

「みんな……。私の声が聞こえる? 理解出来る?」

 

 すると……。

 

『今更かよ、サク』

 

 少年のような声が生意気そうな声色で。

 レオン。

 

『ふふ。やっと気付いた』

 

 少女のような声が穏やかな声色で。

 ルーシー。

 

『サクラちゃん! やっとお話出来るんだぁ』

 

 少女のような声が無邪気そうな声色で。

 ロロ。

 

『……やれやれですね』

 

 少年のような声がやや呆れたような声色で。

 リンディー。

 

――ああ、私はずっとこの子達の声に助けられてきてたのに、なんで気付かないでいたんだろう。

 

 心のどこかで気のせいだと思っていた。聞こえた()()()()と言う思いだけで、処理してきていた。

 

 そうじゃない。

 

 大切な家族はみんな、サクラに向かってずっと声を掛けてきてくれていた。

 

 現に、ほら――。

 

『正に、其れが主の才であろう』

 

 鈴を『我』に渡している筈の『私』のルギアが、サクラに声を届かせている。

 

「……ごめんね。今まで気付かなくて、ごめんね」

 

 思わず涙ぐむ。

 

『……あーあ、泣かせた』

 

 呆れた風なレオンの声。

 

『サクラちゃん泣かないで』

 

 焦ったようなロロの声が続く。

 

『……む、此れにおいてはまさか私の所為か?』

『ルギアさんの所為で良いのでは?』

 

 僅かにこちらを振り向こうとして思い止まったと言うように、頭をびくりとさせるルギアへ、辛辣に返すリンディーの声。

 

『もう、そんな事はいいじゃない。サーちゃんが泣いてる事を心配なさいよ。馬鹿雄ども』

 

 そこへリンディーの倍は辛辣な口調で返すルーシーの声。

 

 

 後ろでサキとアキラが眠っていなければ、きっとサクラは声を上げて泣いただろう。それ程までに嬉しくて、切なくて、申し訳なくて、胸が張り裂けそうだった。

 

『……で。それはともかく。今更どうしたんだよ。コンディションチェックならPSSで済むし、士気を高めようたって僕らはもういつでもいけるよ?』

『もう、レオちゃんって本当野暮。サーちゃんが泣き止むまでも待てないの? そんなんだからモテないのよ』

『ああ? なんだとルー。やんのかコラ』

 

――…………。

 

『エナボ一発で沈める自信あるわよ? 私』

『ちょ、二人共止めましょ――』

『上等だコラァ。明日の朝起こしてやんねえからな!』

『うぇーん。喧嘩しないでよぉー!』

 

 どうやら声が聞こえると自覚したらしたで、早速後悔しそうだ。そう思った。

 

 尚も続くレオンとルーシーの言い合いに、サクラは思わず溜め息混じりに、モンスターボールへ軽い手刀を一回ずつくれてやる。どうやら衝撃は伝わっているらしく、『うわぁ!?』と、『キャッ!』という反応があった。

 

「喧嘩はやめなさい」

『ちぇっ』

『……はーい』

 

 つんつんした風なレオンの声と、割と素直なルーシーの声。

 

 サクラは思わず相好を崩す。

 

「……もう、緊張感ないんだから。士気が必要ないって、どの口が言うのよ」

『この口ぃー』

『レオンが懲りてません。サクラさん、もう一発くれてやってください』

『あ、リン、おまっ!』

 

 成る程。

 サクラの家族はやっぱり仲良しだった。

 

 そう思うと破顔したまま、思わず小さく笑い声もあげてしまう。

 

「もぉー。本題に入らせてよぉー」

『はいはい。ほらレオちゃん、静かに』

『ああん? 何で僕だけなんだよ』

『レオくん。しーっだよ。しーっ』

『……けっ』

 

 そういえば母がこの子達を観察した時に、性格を揶揄していたか。こうして見てみれば、その判別も確かだったように思う。……ああ、あの時も彼らの声を聞いた気がした。

 

――もう、本当に何度も何度も気付く機会はあったじゃない。

 

 控えめな笑い声を沈めながら、サクラは柔和に微笑み直す。

 

「それじゃ、そろそろ本題ね」

 

 そして改めて居住まいを正した。

 

 息を吸い、吐く。

 

 ゆっくりとサクラは頭を下げた。

 

「みんなの手を汚したくない……。だけど一生に一度だけだから、お願い」

 

 それまでの賑やかさが嘘のように、一同は誰も喋らず、サクラを見守る風だった。

 

 サクラは生唾を飲んで、更に続ける。

 

 

「サキとアキラが傷つけられるくらいなら、相手がお父さんでも誰でもいい。……トレーナーを攻撃してでも、止めて。……お願い」

 

 

 そして、コガネシティで自らに禁忌として心得た事を、破るように言った。


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