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空を穿つ白銀の翼竜。光の玉を二つ地上から引き寄せると、この地にはあまりに残酷すぎる咆哮をあげる。しかし、それを咎める者は何処にも居らず、恐怖に震える者もいなかった。たった一人、私を除いて。
「……これでてめえの目論見は達成ってか。笑えねえなぁ」
私は嫌悪感を顕に、舌打ちをしてそう零す。
「ハハハ。イヤァ、マンマ見セテシマウヨリ余程良イデショウ」
目前でそう零す
辺りは炎に包まれていた。バチバチと音を立てる凶悪な橙色に、時折更なる発熱をしているとばかりに青白い炎までも混じっている。それに応じるかのように私の身体は息苦しく、暑く感じるが、本来は死に直面している筈のこの環境に対して恐怖心は無い。『知っている』と言うだけで、この地獄と言うべき状況はただのまがいものだ。
そしてそのまがいものを生み出した当人は、何十と押し寄せたろう警備員を残らず昏倒させ、尚もこのまがいものを維持し続けている。……けじめのつもりだろうか? くだらねえ。
身体中をどす黒い闇に包み、まるでもやの塊のような姿。その中から覗き見てくる双眸は赤く、今に黒のもやと同化してしまいそうに揺らめいていた。既に『人間』が踏み入れて良い領域をとおに超えているらしく、もう相貌はおろか四肢が残っているのかさえ分からない。
「何人殺した?」
「……ゼロデスヨ」
もやは笑ったような印象がある声で答えた。
「じゃあ聞き直そう。何体殺し、何体死ぬ予定だ?」
私がそう問えば、もやは「ハハハ」と笑って返してくる。
「死ヌノハ私ダケデスヨ……」
「……足元の残骸は?」
「アァ……」
私の視線はもやが地に着いている場所の近くに転がっている二つのものを差した。
粉々に砕け、原型が分からない赤色の宝石。
完全に腐り果てたようなカボチャの破片。
「先ニアノ世デ待ッテクレテルソウデス……」
「そうか……」
私は暖簾に腕押しな風の男に溜め息混じりに返すと、煙草を咥えた。やはり、と言うか、当然の事ながら火は私の煙草を燃やさない。代わりに、何時ともなく振り出した大粒の雨が濡らしてくれやがる。
湿気た煙草は不味くて嫌いだが、まあ良い。私は構わず着火した。案の定、段ボールにでも吸い付いているかのような味気ない煙に思わず顔をしかめるが、構わず吸った。
「なあ、煙草の煙で焼香の代わりになるか……?」
「ウーン。……正直言ッテ臭イデスネ」
もやは笑う。ハハハと乾いた声は、元の人間の時に良く聞いたようなものだった。
私は首を回し、凝り固まったかのような感覚のある身体をほぐす。別段戦闘なんかしちゃいないし、もうする予定も無くなったようだが、何となく居心地が悪い。……まあ、多分この大雨でも消えない『まがいもの』の炎の所為で、身体の感覚がバグってんだろう。まあ、仕方無い。
別に誰を殺したりしておらず、
と、そこで私は思い出した。
「ちょい待て。お前は
そしてもやにそう問い掛ける。
「……理由ナンテ必要デスカ? 親ガ子供ノ旅立チヲ喜ンデヤラナクテ、誰ガ喜ンデヤルンデスカ」
「親つっても、それはてめぇの前のポケモンの子供があいつらの手持ちになってるってだけだろ?」
「エエ。デスガ孫ノ親ガアノ子達ナラ、義理ノ子供ジャナイデスカ」
相変わらずぶっ飛んだ論理だ。
Nもそうだったが、本当にあいつもこいつも極端な論を並べやがる。
まあ、自分のポケモンを子供だと思って育ててる奴は少なからずいるし、それが行き過ぎていたとしても誰に咎める筋合いもねえ……か。
「マア、全部見エタノデ……ッテ言ウ方ガ、トウコサン的ニハ良インデスカネ?」
「……まあビクティニもあのガキどもについてだけに限れば、問題はないっつう風だしな。そこは長い付き合いだ。てめえを信用してるさ」
私がそう零すのを見計らったように、煙草の火種に雨粒が直撃する。ジュワと音を立て、火種が真っ黒に変わって鎮火してしまった。……面倒くせえなぁ、おい。
私は溜め息混じりにポケットからライターを取り出す。
と、その時になって視界が一気に暗くなった。
ハッとして辺りを見れば、今の今まで煌々と橙の光を放っていた炎が、影も形も残っていない。代わりにそこには『無傷』と言えるバトルフロンティアの動力炉が入った建物――。
「トウコさん」
そして私に掛かる声は、まるで憑き物が落ちたように朗らかなものだった。
視線を向ければ、先ほどのもやは晴れ、そこには一人の男の姿。
やたらとがたいが良い印象があった。なのに相貌は暴力的ではなく、優しく、柔和そのもの。元は悪党で研究者だったと言う癖に、随分と様変わりしたもんだ。そう思う。……いや、信念に殉じただけで、元から悪党等と揶揄してはいけない奴だったか。
カーキのズボンが光に溶けるように、粒子の粒へ変わっていく。
だと言うのに、男は急いた表情も無く、朗らかに笑っていた。
「……なんだ?」
「連れていけないポケモン達はマツバに預けてます。たまに様子を見てやってくれると嬉しい。あの子らはまだマツバの扱きには耐えられないでしょう」
「……あぁ」
股下まで粒子に溶け、それでも男は朗らかな表情で続ける。
「あと、一生の願いです。タンバの浜辺にあの子達が帰ってきましょう。その時助けてやらねば、アキラちゃんが死んでしまいます……。どうか助けてやって下さい。あの子は将来、英雄を……いや、これはいいか」
「……任せろ。で、それだけか?」
思わず私は笑う。最期によく喋る奴だ。思い残す事が無いからこんな『オマツリ』をやってくれたんじゃねえのか。そう思う。
男のシャツも胸元まで消えた。未だ消えていない手で顎を撫でる様は、何処か懐かしく見える。
「……あとは、そうですね。ジムはもう後任決めてますし……。あ、そうだ。わたしのこの立場の後任はアキラちゃんでお願いします」
「おい、まだ一四のガキだろ?」
「大丈夫です。あの子はしっかりとやってくれます。すぐにこの立場も必要なくなりますよ」
「へえ……」
ついに手が粒子に。
生首のようになった男は、そこで最期の最期――悔しそうに顔をしかめて見せた。
「怒られるだろうなぁ。もう見てはいるんだけど、待ってなかったって……アキラちゃんに怒られるなあ」
「……あぁ。そうだな」
唇まで消えた。
目が今に消えようとする中、私は今一度笑いかけてやる。
「悔いはなかったか?」
えぇ。もう満足です。
及第点でしょう。ボクらしい人生でした。
本当に、ボクらしい、人生です。
「あぁ……。そうだな」
私は今度こそ雨粒で濡れて葉の色まで透けてしまった煙草に火を点ける。
濡れたと言うのに、最後の煙草はちゃんと点いた。
一息吸って、空気と共に肺へ。
ふうと吐き出す。
「お疲れさん。フジシロ……」
今までで一番、不味い味がした。