――時刻は丑三つ時。
それは初夏の訪れを知らしめるように、むしむしと暑い夜の事だった。
闇夜に静けさを過ごす筈のバトルフロンティアを、突如轟音が襲った。それは大地を地響きと言う形で駆け、大気を轟音と言う形で駆け、正しくバトルフロンティアを
ズドン。
言葉にすれば正しくそれだけの音だった。だが、大地は地面を突き上げるように動き、闇夜に相応しくない灼熱の凶悪な橙が輝くように瞬く。それはその実一人の男によってもたらされた『人災』なのだが、果たしてどれ程の人間がそれを瞬時に『人災』だと理解出来ただろうか。
赤い緊急時用のサイレンが光り、次いでバトルフロンティアを震わせたのは深夜にあるまじきけたたましい警報の音だった。
『緊急事態発生。主電源システムに甚大な被害が発生。職員はただちに原因を調査、及び対処して下さい。お客様は職員の指示に従い、迅速な避難を願います』
誰が、どうして、その警報を正しく理解出来たか。
バトルフロンティアを最後に震撼させたのは――悲鳴だった。
それは後のバトルフロンティアの正史において、こう記されている。
『
と……。
※
「……なんだ、あれは」
男、ミヤベは震えた。
視界が捉えるのは、闇夜を更にドス黒く染める黒煙。それは炎自らが光源となって夜空と言うスクリーンに映す破壊の光景。緋色が大気を焼き、変わり果てた姿で天へ昇る様だった。あれは何を燃やしている? そう考えれば、思わず男は言い知れぬ衝動を覚え、手に持って燻らせていた煙草を取り落とす。しかしそれさえもどうでも良かった。
陽炎のように揺らめいて見える闇夜の景色は、場所こそ離れていると言うのに、何故か炎に今尚灰燼へ変えられようとしているバトルフロンティアの建物が目に見えるようだった。いや、違う。男にはまるでこの地の歴史そのものが焼かれているように見えていた。
思わず手を握る。拳を作り、それを今正に爆発音を聞いて飛び出してきた宿舎の壁に打ち付ける。そしてすぐに大口を開けた。
「お前達! アレを消火してこい。今すぐにだ!!」
その声に、ミヤベの後ろで何人かの男達が揃って返事をする。
そして男達が怒声を上げながら駆けて行く。その背を見送りながら、男は今一度拳を作って震わせた。
あの炎。原因は何だ? そう考えれば最も嫌な可能性が彷彿された。
先日提携組織である『Nの協定』から要請を貰い、十二分な見返りを用意された事案だ。
内容は極秘と釘をさされたが既に聞かされていた。
無論、やるべき事も把握し、着手している。
洗脳されたゴールドが、娘であり、『L』の守護者であるサクラを殺害しに来る事への対策。及び『勝利の申し子』がゴールドと対峙する為の場所の確保だった。洗脳を受けている為か、相手には見境が無く、巻き添えでアサギの地が灰燼に変えられる可能性が極めて高い。言い換えれば、アサギの地を空っぽにしろと言う話だった。
アサギ全住民の避難。
航海事業の営業停止。
万が一に備えて牧場の閉鎖。
など、あまりに無茶な要求に対して、その前準備は多岐に渡った。今日も昼間からポケモン協会直轄のアサギジムと会談をし、これらの対処を明日――いや、既に日が変わっているから本日か――から実行に移す手筈だった。
直接自分が対峙する訳ではないとはいえ、敵は
他地方のバトルフロンティアに一時客人として招かれた事のあるリビングレジェンドに勝利したとされ、伝説級のポケモンであるホウオウに愛されていると言う。その実力はジョウト最強のレジェンド……いや、ポケモンマスターだ。
そんな猛者がどうして洗脳などと言う状態に陥っているのか、そしてそんな情報を前提にしているのに、何故にワカバ、エンジュに続いてこのアサギまでも危機に晒されようとしているのか、等と疑問こそは多かった。だが、それらの事情を欲するよりも、対策を整えておく事が優先されよう。
いや、違う。それよりも重要な事もあった。
――ルギア。
その名はこのアサギの地において特別な意味を持つ。一般的には知られていない情報だが、このポケモンは十余年前にこの地を一度は破滅させようとしたポケモンだ。
そのポケモンが既に目覚め、その力をゴールドを操る黒幕が利用しようとしているらしい事。
看過出来る訳が無い。
万全を期す必要があった。
先ずはLの守護者たるサクラと邂逅。しかし彼女の力量ではまだLの力を扱うには至らない。制御こそは出来ているだろうが、
バトルフロンティアには伝説級を扱うトレーナーさえ多く在籍している。そういう人物を見てきたミヤベはそう結論付けた。
どういうわけかあの少女が持っていれば暴走こそしないようだが、それでも一四の少女とは若すぎる。そうも思った。
故に少々強引な方法ではあったが『保護』するに至る。同時に協会の会長の息子も彼女に同行していたのでこちらも保護した。どうやら協会の会長は息子に執心だという噂は昔からあったし、ならば仮にその少年が殺されでもしたら協会にとって過去類を見ないとされる傑物が腑抜けになってしまう可能性もあった為だ。
その際ヒワダでは二人に同行していた筈の『リトルフェアリー』が居なかった事は想定外だった。彼女が居た場合を想定して猛者を何人も連れて行ったが、杞憂に終わった。……まあ、保護の
――これだけの仕込みをしたと言うのに……。
ミヤベは舌打ちをする。「クソッ」と悪態を吐き、踵を返した。
「……早すぎだろう!! しかも何故にここへ攻めてくる。話が違うぞ『勝利の申し子』!!」
思わず心情を叫びながら、宿舎の中を歩く。
先程の園内アナウンスで報告された通り、宿舎の電気は落ちている。目視でも確認したので間違いは無い。まだゴールドが攻めてきたと判断するには早い気もするが、何せ襲撃を受けたのは『動力炉』だ。電気が通らなければバトルフロンティアの優秀な防衛システムの作動はしないし、元より厳重に警備されている場所なので予備電源もすぐには作動しない。唯一稼働している電力も、客人の避難の為の警報装置を作動させ続けているだけだろう。
となれば、これは一大事だ。
もしも仮にゴールドが攻めてきているのならば、この宿舎に保管している保護した二人の手持ちが……いや、Lが反応する可能性がある。そうなれば十余年前の災厄が再び起こってしまう可能性があった。
宿舎をドスドスと足音をたてながら進む。
やがて宿舎の二階、安置場所であるミヤベの自室に辿り着いた。
「クソ。こんな事ならさっさと『勝利の申し子』に渡しておくべきだった。もしも暴走すりゃあ……はは、死んじまう。笑えねえぞおい」
そしてぼやきながら扉を開け――。
「……チッ」
「……なっ」
出くわす。
桃色のウェーブがかかった髪。こちらに気がついて翻る桃色のワンピース。
成長が止まったと言われ、決して年齢相応には見えない幼いその姿。
窓から差し込む月光を浴び、その少女はミヤベのデスクから今正にボールベルトを二つ取り上げていた。
その姿を見て、ミヤベは漸く気がついた。
――違う。
この騒々しい事態はゴールドの襲撃などではなかった。
「……リトルフェアリー」
思わずミヤベはその少女の異名を口にする。
するとその桃色の髪をした少女は肩を震わせ、こちらを毅然とした表情で睨んできた。
「この騒ぎはお前の仕業かい? ちょいとおいたがすぎるぞ」
そして問い掛ける。
すると少女は首を横へ。
「いいえ。あくまでもわたくしは便乗したまでですの……。言っておきますが犯人はゴールドでもありませんわ」
「……おいおい、冗談はきついぜ? どういうこったい。説明しやがれ」
「お断りしますの」
その少女はそう言って、ベルトに次いで回収しておいた二人の荷物を鷲掴みし、空いたままの窓へ身を投げた。