天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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ゴールド

 唐突に振り出した雨は、瞬く間に大雨となった。

 炎が建物を焼き、灰へと変えていく音が、雫の地を打つ音に替わる。

 と同時に、辺りの気温がぐんと下がる。

 黒煙が天へ昇れば、地上には真白の霧がどこからともなく立ち込めてきた。

 

 サクラの前で頭を垂れた翼竜は、彼女に頭部の片側を向けて、ゆっくりと目を瞑る。

 

『主……幾久しく。この身に宿し災いに、その涙を流させる事、申し訳無い限りだ』

 

 サクラは自分に向けられた彼の左目を見返して、その後不意に隣で横たえるウツギ博士へ視線を向ける。このポケモンは今、彼の死を『自分の所為だ』と言ったのだろう……小難しい口調だったが、何となくそう理解する。

 とすれば、このポケモンこそが、『L』と呼称されるポケモンで、この騒動の原因だという確信を得る。

 

 サクラは胸の内で高鳴る音を聞きながら、唇を震わせた。

 俯いて、痛みを覚える胸に両手を当てる。

 身体を打つ雨粒と、下がった気温で、徐々に冷めていた熱が、また沸々と燃え出した気がした。

 

「あなたの……所為、なの?」

 

 零すように問い掛ける。

 

 するとそのポケモンは、頭を寄せてきた。

 不意に目を開いて改まると、閉じていた双眸が開いている。

 その目に宿る黒い瞳に見据えられて、サクラは胸の痛みが増したような感覚を覚えた。

 

『歴然たる事実。私が居たが為、この地は灰塵と化した……』

 

 その声はテレパシーのようだった。

 ふと手に持った鈴が光るのを見て、どうもそれを通じて話しているようだと理解する。

 

 脳に直接届く言葉は、決して粗暴ではない。

 むしろ情に溢れていると思わせる程、サクラへの配慮に満ちた優しげな声色だった。

 

 だが……この現状を詫びの一つで許せる程、サクラは大人じゃない。いや、仮にどれだけ大人であっても、命が関わっているのだから、許しようが無かった。

 

 翼竜を見上げて、小さく息を吸えば、口に雨粒が入る。

 焦げ臭い匂いが混じっていて、口の中が苦い味で染まった。

 それに構わず、サクラは首を振って訴える。

 

「やだよ……。こんなの、酷いよぉ……」

 

 目から溢れた雫が、汚れた雨に混ざる。

 顔を煤で汚しながら、サクラは尚も構わずに首を横に。

 

「こんなの、可笑しいよ。なんで……何でっ……」

 

 腹の底から声を振り絞って、体を震わせながら、白銀の翼竜へ改まる。

 口を大きく開いて、目を閉じ、絶叫した。

 

「何で博士が死ななくちゃいけないのぉっ!!」

 

 形振り構わず、そのポケモンの配慮も全て蔑ろにして、サクラは叫んだ。

 

 分かってる……。

 分かってはいる……。

 このポケモンはここに居ただけで、悪いのは彼を捕らえにやって来た輩だ。

 だけど……納得しきれなかった。

 

 酷い、可笑しい、何故、と、サクラはそのポケモンを罵り続けた。

 自分を主と呼ぶ理由も聞かず、何故こうなってしまったかも聞かず、ただただ罵倒し続けた。そうしないと、やりきれなかった。

 

 不条理なサクラの言い分を、翼竜は黙って聞いた。

 その双眸を悲しげに揺らし、ただただジッと聞いていた。

 

「何でっ。何でよぉっ!!」

 

 しかし、不意に……。

 

『――っ!?』

 

 白銀のポケモンがサクラの身体を抱いた。

 そして、唐突に天を仰ぐと、悲痛な叫び声を上げる。

 

 ハッとすれば、彼の羽の隙間から、凍り付いていた筈の三つの頭を持ったポケモンが攻撃してきている姿を認めた。溶けた部分から中央の顔を出して、尚も極太の火炎を撃ってきている。

 それをさらに庇って、体躯に火炎放射を浴びる翼竜。

 

 驚愕の眼を頭上高くにある彼の相貌へ向けると、彼は更に身を縮こまらせて、尚も続く追撃を庇い続けていた。

 

 瞬間、サクラは冷や水をぶっ掛けられたような感覚を覚えた。

 

「ルギア!!」

 

 叫ぶや否や、短い悲鳴が上がった。

 そちらへ視線を向ければ、攻撃してきていたサザンドラを殴り飛ばしているオーダイルの姿。……どうやらとどめを刺したらしい。

 その後こちらをちらりと振り返ってきたオーダイルは、サクラの無事を確認出来たと言うように頷き、どこかへ駆けて行く。

 

『済まなく思う……』

 

 すると、その時を話の転機と思ったのか、翼竜が短く零した。

 ハッとして向き直ると、彼は切なげに表情を歪ませていた。

 

『力を失っていた私には、どうする事も出来なかった。主へ言葉を掛けるも、全てが無為であった……済まない』

 

 危機が去って、翼竜はその身を解く。

 攻撃を受けた箇所か、白銀の体躯に黒い焼け跡が出来ていた。

 それはどうして、サクラをどうしようもなく責め立てるようだった。

 

 ルギアは悪くない。

 分かっているのに、誰かに責任を求めてしまう……。

 ふと気が付けば、とても汚らしく、歪んだ感情だった。

 

 ただの、八つ当たりじゃないか……。

 

 サクラは膝を折って、(うずくま)る。

 双眸から止め処なく溢れる涙ごと、顔を手で覆った。

 

「私が、いけなかったのかなぁ……。もっと、もっと急いでれば……みんな、助けられたのかなぁ……」

 

 いつの間にか、大雨は完全に大地を染め、町の火を消していた。

 そして同時に、サクラを責め立てるように、身体を冷たく打った。

 

『詮無い事だ……。おそらくそこの人間は主がこの町に居たのなら、命を賭して主を護っただろう』

 

 翼竜は首を傾け、短い舌でサクラの頬を舐めてきた。

 涙を拭われて、改めて向き直ると……慈愛に満ちたような顔で、彼は首を縦に振った。

 

『貴女は私の主だ。そうあるべく、貴女の両親やそこの人間によって、定められていたのだから……』

 

 

 

 

 大きなポケモンの鳴き声が聞こえた。

 

 ワカバタウンの上空は既に黒煙で満ちている。

 しかし轟と唸ったかと思えば、その空の色合いが更に濃く染まった。

 ふとすれば、稲光が一度、二度。

 間も無くして大粒の雨が降り始めた。

 

 それは間違うはずもなく、ポケモンによる『雨乞い』。

 しかし……それは明らかに常軌を逸したものだろう。

 シルバーは思考の片隅で、「これは……」と、気に留める。

 

 仮に小雨程度のものや、極々小規模の雷雨ならば、それを扱えるポケモンがいれば珍しくもない。ただ、その雨は嵐にも近く、雷を伴う程。それが町全体を覆うような広範囲に広がっているようだった。

 これを出来るとすれば……研究所の鎮火を命じた筈のオーダイル。

 しかしこんな規模の雨乞いを、彼がシルバーの指示無く使う筈が無い。

 出した後の体力が懸念される程の、大技に近いものであるが故だ。

 

 しかし、ならばこの広範囲且つ、嵐のような『雨乞い』は一体誰が――。

 

 として、シルバーはすぐに回答を見付ける。

 不意に「まさか」と見目を開けば、目の前で馴染みの顔も同じく悟ったようだった。彼は表情を歪めて、研究所の方を一瞥した。

 

「Lが目覚めたようだ……」

 

 彼はどこか物憂げにそう零す。

 

 倣って研究所の方を振り返りたい気持ちを堪え、シルバーは舌打ちを一つ。

 佇まいを改めて、目の前の三人を不敵に睨みつけた。

 

「お前の目も、さっさと覚まさせてやろう」

 

 憎々しげに零す。

 何があったのか、事情を汲む前に一発ぶん殴らせろと、拳を震わせた。

 

 しかし、状況は絶対的に不利だった。

 事態を静観している冷静な自分が、『事を荒げるべきではない』と言っていた。

 それは目の前の三人の内、真ん中に立つ男にバトルで勝った例が無いからではない。

 その背後で佇む、紅と黄金を携えたポケモンが、絶対的な強者だからだ。

 

 むしろ、そのポケモンがそこに出されていなければ、目の前の馴染みの顔にも「お前は誰だ」と、「何でヒビキと同じ顔をしている」と、そう問い掛けただろう。それ程に、現状は信じ難い。

 しかしそこにいるポケモンは、覇者にして唯一無二の存在。

 ヒビキ以外にマスターたり得ないポケモン。

 

 霊鳥、ホウオウ。

 

 歴戦の傷跡を勲章として体躯に刻むマニューラでさえ、その姿には臆している。

 それは勝てるか勝てないかではなく、絶対的な本能による怯え。

 

 現にそのポケモンは土砂降りの雨の中、金色の光を放ち、雨粒に身を濡らす事は無い様子。何の仕草さえなく、物理法則を捻じ曲げられるような、遥か高位の存在だった。

 神とさえ、言えよう。

 

「ゴールド……。Lが目覚めてしまったのなら、この地に用はないぞ」

 

 向かってヒビキの左側、老齢に見える男がそう呟いた。

 しゃがれた声でそう告げると、彼はヒビキが頷く姿も見ずに、(きびす)を返す。

 ヒビキも倣うように踵を返した。

 

「後は私が……」

 

 そう言って反対側に佇んでいた女が一歩前に出てくる。

 妖艶な雰囲気を思わせる紫の髪をした女性だった。

 

 彼女を一瞥し、シルバーは舌打ちを一つ。

 ホウオウを撫でる友人の背を睨み、口を大きく開く。

 

「待てよ。ヒビキ!」

「シルバー……」

 

 返って来た声は、とても静かなものだった。

 ふとすれば、雨音に掻き消されそうな程、小さな声。

 しかし、その声色には確かな覚えがあった。

 

 その呼び方にも、抑揚にも、数え切れない程の覚えがあった。

 数多の場所で、数多の機会に、掛けられてきた声。

 

 懐かしい、友の声だった筈が――。

 

「さよならだ」

 

 そう言って、彼はホウオウと老齢の男と共に、姿を消す。

 ホウオウがテレポートのような何かを使ったのだろう。その気配は即座に消えた。

 

 後に残るのは雨音と、紫の女。

 胸に拭い切れない憤りを抱きながらも、ふうと息を吐いて押し殺す。

 改めて視線を上げて、彼女を睨んだ。

 

「……お前が足止めか」

「ええ。まさかこんな辺境で、協会のトップと相まみえるとは思いませんでしたが」

 

 女はそう言って、腰のベルトからハイパーボールを取り出す。

 構えた彼女へ、シルバーは苦虫を潰したかのような形相で問い掛ける。

 

「お前の名前は?」

「ククリと申します」

 

 不躾な問い掛けに、女は薄く微笑みながら、用意していたような返答をする。

 シルバーは自嘲気味に笑った。

 

「知らねえ名だ」

「勿論、偽名ですので」

 

 当然過ぎる程の回答。

 シルバーも端からまともな答えを期待してはいない。

 こんなはぐらかし方をする以上……気がかりなもう一人の友人、コトネについては、聞くだけ無駄なようだ。

 

 そして、彼女はボールを投げた。

 閃光と共に現れたのは、マニューラと原種は同じの猫型ポケモン。

 紫色のしなやかな体躯に、鋭い目付きと狡猾らしい牙が印象的だ。大地についた四本の足は、速さを懸念させるような引き締まったものだった。

 

 その姿を認め、シルバーは肩を竦める。

 首を傾けて女を睨みつけると、呆れ顔で唇を開いた。

 

「レパルダスか……。良く鍛えられてはいるようだが、敵うとでも思ってるのか?」

 

 すると女は、事も無げに首を横へ。

 

「あくまでも足止めですので」

 

 開き直ったかのような言い種に、シルバーはまた一つ舌打ちを挟む。

 悪態を吐いて、マニューラにただ一言、「蹴散らせ」とだけ告げた。

 

 

 レパルダスが地に伏す頃には、女は一匹のポケモンに跨って、空へ上がっており、そこからレパルダスを回収すると東の空へ発っていく。

 その姿を見送って、シルバーは忌々しげに舌打ちを鳴らす。

 

「……クソが」

 

 また一つ悪態を零す彼の元へ、オーダイルがやって来たのは、殆んど同じ頃合いだった。


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