漠然的に見えた回答。しかしながらそれが『解答』であるとは、アキラからすれば断言出来ないものではあった。普通に考えてみればサクラのスポンサーであり、彼女にとって絶対的な味方だとは思う。それを裏付けるようにメイはサクラの師匠だったし、この組織のサポートなくして彼女の手持ちポケモンであるロロは命を救われなかっただろう。そんな組織が彼女を拉致するだなんて、あまりに突拍子が無い考えだ。
だが、馬鹿馬鹿しいと切って捨てるには見逃せない要素が多々ある。何よりも先ず、サクラが人に知られないようにと、ある程度警戒して見せるルギアの存在は、ポケモン協会とNの協定くらいしか知らない筈なのだから……。
「チィーノ!」
レオンが鳴き声をあげる。どうしたんだと問いかけてくるように小首を傾げていて、次いで膝を崩したままのアキラのワンピースの裾を引っ張ってくる。まるで手当たり次第捜すしかないだろうと急かしてきているようにも見えたが、アキラは彼に向かって首を横に振って返した。もう少し考えさせてくれないかと、そう告げる。
ただ、時間が無いのも事実。急がなければいけない理由さえも漠然的なのだが、それでもサクラ達に何かがあったのは最早考察する必要さえない。考えるにしてもすぐに行動すべき事を見つけないといけない。
思考する度に焦燥感は増す。
ドクンドクンと高鳴る胸の音も、急がないと手遅れになるかもしれないと震える手も、嫌な予感で凍えたように冷える背筋も、全部が全部アキラに『何故分からない』と責め立てるようだった。
何か、何か方法は……。
何でも良い。兎に角今はサクラの居場所を……。
と、した瞬間にアキラはハッとする。
『発信機、つけさせてね』
彷彿した声は、サクラのもの。
浮かんだ映像は……コガネの『ウツギ第二研究所』のカンザキの部屋。
「あ、ありましたわ。サクラの居場所が分かる方法」
「チィ!?」
思わずぼやいた言葉に、レオンは本当かと問いかけてくるように迫ってくる。彼へ視線をやり、すぐにアキラは頷いた。
「少々お待ちを」
そしてすぐに鞄を開く。中を弄れば、日焼け止めの時と同じようにすんなりと目的の品は見つかった。
取り出したPSSをすぐに操作。開くのは通話アプリ。そして電話帳を開いて――。
はて、誰にかけよう?
そう思ってアキラは固まった。
Nの協定がルギアに発信機を着けさせた事は思い出した。メイの依頼でカンザキが目の前で装着していたから間違いない。むしろアキラにとってはサクラと再会した初日の出来事だ。そして日取りが珍しいものなら、ルギアが喋った事にとんでもなくびっくりした直後の事。そんな特大インパクトな出来事だ。彼女の記憶に違いがある訳がない。
しかしならばそれを使おうとして、Nの協定の知り合いと言えばアキラにとってはメイだけなのだ。フジシロもそのうちにあたるかもしれないが、彼は純粋なメンバーではない。そしてそのメイは今、シロガネ山に居る筈なのだから……ものの見事に宝の持ち腐れだ。
――いや、待って?
アキラは思い直す。
自分が今疑っている組織はNの協定そのものだ。だが、協定のトップたるメイが不在の今、彼女の息がかかっていると言えるサクラに手を出したりするのだろうか? 仮にもしもそうだとしたら、彼女が不在の今、サクラの居場所を聞いて素直に教えてくれるのだろうか?
分からない。
思わずアキラはPSSを持ったまま硬直する。
誰を、何を、信じたら良いのかさっぱりだ。
状況的にサクラの一大事なのは確かだし、Nの協定が怪しいのも何となくしっくりくるものがある。……となればNの協定に連絡するのはまずい。……いや、違う、その前にメイは今連絡が取れないのだからどの道使えない。……じゃあ、どうやって? 分からない。っていうか、サクラに何かあったとするなら協定はもう動いてるものじゃ……いや、エンジュで後手後手だったじゃないか。期待出来ない。いや、だからそもそもそのNの協定自体が怪しいんだ。いや、でも……。いや、だから――。
「ぁぁあああ、もうっ!! 面倒くさい!!」
「チィッ!?」
アキラはパニックになって迷走する思考をついに放棄して、思わず叫んだ。驚いたレオンが肩を跳ねさせてどうしたんだと言う様な視線を向けてくるが、彼女は構わずに首を横に何度も振った。
サクラよりは頭が良いとは思えど、自分はサキのように思考だけで正解へ辿り着くスキルなんて持ってないのだ。小難しい事を重ねて考えてしまうと、どん詰まりで迷子になってしまうだけ。
ならばどうするか?
簡単だ。レオンが先程提案してきたと思われるように、片っ端から試すだけだ。
どうにでもなれ。どのみち何処にいるか手がかり無いんですし! なんて心地で、アキラは電話帳から『フジシロ』を選んで通話ボタンを押した。どのみちNの協定がサクラを拉致したと仮定した話においては、サクラとサキの無事は間違いがない。いつ暴走するかわからないルギアを解き放つ筈もなければ、協力関係にあるポケモン協会の会長の息子に危害を加えるだなんて有り得ない筈だ。
もうそうなれば知ってるか知らないかなんてどうでも良いし、さっさと事情を話してしまう方が良い。
少し。ほんの少し。
電話をかけたくない相手だと思ったのは、アキラの気の迷いだろう。
発信したから端末を耳に寄せろと液晶に丁寧な言葉で並ぶのを見てから、アキラはゆっくりと深呼吸。その後レオンに静かにするように言ってから、端末を耳に添えた。
――プルルル。
コール音が鳴る。アキラはその間に手元の荷物をまとめ直し、レオンを連れて路地の最奥の壁へと向かった。そこで荷物を椅子代わりにして腰掛け、音が途切れるのを待つ。
――プルルル。
尚もコールが続く。
不意に顔を上げれば、既に日が落ちたようだった。いつの間にか辺りは暗くなっており、通ってきた路地の先にはほのかに映る町明かり。路地のここにはあまり光が差してこないが、僅かに入ってきている光だけで、足元がおごそかになったりする程では無いだろう。ただ、本来ならばもうこの時間には出発の最終確認をしていただろうにと思えば、今の自分の立場はこのような薄暗い路地の中、足元さえも見えていないのではないかと不安になってくる……。
『やあ、どうしたんだい? アキラちゃん』
やがてフジシロが電話に出た。アキラはハッとする心地で唇を開く。
「サクラとサキの身に何かあったようですの……」
『……何だって?』
返ってきた言葉は、正に男が何も知らなかったという風だった。
良かった。
Nの協定が関わっていないだけか、それともこの男が知らないだけか、それはともかくとしてアキラはこの男が敵ではない様子に、素直に安堵する。脱力するように頭を下げ、状況を説明した。
約束していた頃合に二人が帰って来ず、連絡も取れない。しかし街は穏やかで、どうにもゴールドが襲ってきたような様子ではない。だが二人の足取りは朝から途絶えていて、やっと見つけた痕跡の場所にも手がかりひとつない。有り体に言えば、Nの協定が二人を拉致したんじゃないかとさえ疑ってしまっている。
全てをアキラは話す。
『……すまない。初耳だよ。うん、初耳だ。ボクに知らされてない可能性は否めないけどね』
するとフジシロは淡々とした口調でそう返してきた。
「……では、サクラの……いえ、正しくはLの居場所をそちらの発信機で調べて欲しいのですが、貴方の立場でも可能ですか?」
アキラはならばと思い、そう返す。すると――。
『その必要はないね。ないよ』
と、返された。
思わず「え?」と返しそうになったところで、アキラの背筋がゾクりと音をたてた。
足元に落ちた影。……いや、もう日は落ちている。
だけどアキラが見詰めていたアスファルトが、まるで黒の絵の具でも塗られたかのようにドス黒く染まっていた。ハッとして顔を上げれば、そこには大きな影。しかし街明かりが逆行になっていて、その影が何なのか分からない。
と、したところで気付く。違う、街明かりの逆行で見えないのではない。
『空間』そのものを切り裂いたかのような紫色のカーテンのようなものがあった。それが怪しく光る光源となって、その影を暗く染めていた。ケタケタと聞こえる笑い声に、アキラの背筋を舐めまわすかのような寒気。不意に身体全体から鳥肌が立つような感覚を覚えて、息をするのさえ忘れそうになった。
右手でPSSを持ち、左手で紫色のカーテンから今に出て来たカボチャの体躯を持つポケモンを撫で、その影はにやりと笑う。
「……ボクが直接くれば、話は早いだろう?」
『……ボクが直接くれば、話は早いだろう?』
目の前の影と、アキラの持つ端末から同時に声が漏れた。
思わずアキラはPSSを手から取りこぼす。端末がアスファルトを跳ねてガチャンと音をたてるのと同時に、レオンも声をあげてアキラの前に立ち、まるで彼女を庇うような体勢をとった。その姿に思うところがあるのだろう。目の前のドス黒い影は小さなポケモンに向かって「大丈夫」と小さく言葉を零す。
「ボクは何があろうと君達の味方さ」
そこで目の前の影が『色』を持った。背にしている紫色のカーテンが閉じて、カボチャのポケモンも顕になる。
アキラはその姿を見て、震えた唇を必死の思いで動かした。
「……貴方、まさか、ゴーストダイブで……」
問いかけながら、否と自分で自分の疑問に答える。
この男が何処に居たのかは分からないが、正確な居場所さえ伝えていなかった筈なのに、目の前に突然現れたこの現状。まさに幽霊のお得意技じゃないか。問いかけるのさえ、野暮だろう。
「うん。死にぞこないだからね。普通は自殺行為だけど大して関係ないさ」
そしてその影、フジシロはにやりと笑ってみせてきた。
やがて目の前で起こった全てを理解して、少女は唇を震わせた。思わず拳を作り、震わせた。そして立ち上がるや否や、男の胸に向かって凭れ掛かるようにしてその震えたままの小さな拳をぶつける。
「貴方は……貴方は、何をしたか分かっているのですか……」
大柄なフジシロの胸に向かって頭を垂れ、納得がいかないと拳を何度も彼の胸にぶつける。
男の命を案ずるが故に、粗末に扱う彼自身が許せなかった。
友人として、恩を受けた人間として、ただただやる瀬なかった。
「……まあ、ボクに連絡した時点で分かってたろ? 分かってた筈だ」
「そんなわけないでしょう! わたくし一人で何とでもしましたのよ!!」
飄々と返す男に、アキラは思わず怒鳴る。
連絡をしたのはNの協定が関わっているのかを確かめたかっただけだし、ルギアの所在を調べて欲しかっただけだ。それが本音だ。ただの、早とちりだ……。
――でも、本当にそうなのか?
そう問われたら分からない。
もしかしたら本当に、男が言う通り、アキラは彼が何らかのアクションをすると分かっていたかもしれない。じゃなければ電話を掛ける時に、僅かながらも逡巡したりはしなかった。何かしら理由をつけて彼へ連絡する事の優先度を下げたりしなかった。
思わずアキラの視界が揺らめく。
男から逸らして、アスファルトを見詰める視界に、ぽつりぽつりと雫が落ちていった。
「命を……粗末にしないで下さい。少しでも長く生きて下さい……」
「……変わらないね、キミも。変わらない。……もう無理だって知ってるくせに」
ぽんと言う感触。
無骨で硬い、でも温かくて大きな手が、アキラの頭に乗せられたらしい。
ゆっくりとした動作で撫でて来るその手に、喉が焼け付く程に熱くなる感覚を覚えた。
「……でも、これが確かにキミを助けてあげられる最後の機会だろう。ダカラ――」
ゾクリ。
アキラの背筋を凍りつかせる寒気。心臓を鷲掴みにするような、恐怖の感覚。何処から来たのか生温かい風が肌を撫で、それに応じるように全身の肌がざわつくような気がした。
でも、この恐怖の感覚でさえ、心地好かった。
「キミの不幸ヲ終わらセよう」
男が零す。
アキラは胸の内でじんわりと温かみが増していくのを感じる。
――確かな、安心感。
全部、全部終わらせよう。
早く、成る丈早く……。
涙を拭い、顔を上げる。首が痛む程に見上げた顔は、夜の影を纏ったかのように暗いもので、まるで嗜虐心を顕にするかのような笑みを浮かべていた。だけどそんな姿さえ、アキラからすれば脳に刻み付けておかなければいけない男の大事な姿。
泣き寝入りするな。
決めたでしょう。
この人の恩に報いると……。
その恩が増えただけの事だ。命懸けで返すだけの話。
アキラは真っ直ぐにフジシロを見上げ、そして改めて唇を開いた。
「……お願いします。フジシロ。助けて下さいまし」
「勿論ダヨ」
返ってきた言葉に、先ほどまで錯乱していた自分がどこかに去っていったような感覚を感じた。