天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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シックスセンス

「先ずはフレンドリィショップへ向かいましょう。二人はそこへ行った筈ですし、わたくしも補給が必要ですの」

 

 ポケモンセンターを飛び出すと、アキラは両腕でレオンを胸に抱え、そう提案した。彼は二つ返事で頷く。

 

 時刻は夕暮れ時を少し過ぎている。今に日が沈むと言いたげな緋色が、街を包んでいた。二人が無事で居るのならそれで問題は無く、心配をかけるんじゃないと説教の一つをすれば済む話なのだが、出立を間近にしてこれは明らかに可笑しい。外へ出て時刻を改めて確認したアキラはそう思った。普段から緊張感に欠ける一行だが、サクラは常識を心得ているし、サキも頭が良い。無闇に心配をかけてくるような人物ではないだろう。

 

 しかし、街を走れば疑問を抱かずにはいられない。

 

 仮にサクラ達の身に何かあったとするなら、ヒビキが彼女を殺害、もしくは拉致したと考えられる訳だが、そう思えばエンジュの時と状況が違い過ぎている。辺りの喧騒は相変わらず穏やかで、人気も多い。もしも件の人物が襲ってきたのだとすると、サクラだけじゃなく街全体がこんな穏やかな緋色ではなく、もっと凶悪な緋色に包まれているだろう。

 

 ならば無理をしてきたアキラを残し、先に旅立ってしまったか? そうも考えるが、その可能性は多分無い。ポケモンを大事にするサクラが、レオン一匹をポケモンセンターに残して行くなど、有り得ないだろう。

 

「失礼しますの! 通してくださいまし!」

 

 そんな言葉を並べながら、アキラは街を駆ける。行き交う街の人々から奇異なものを見るような視線を貰うが、気にしちゃいられない。

 

 兎に角二人の足取りを追わなければ。

 

 そして、今手元に殆んどの道具を持たないアキラだ。最低限はその補給もしなければ、もしも立て続けに有事となった場合、ろくに戦えないかもしれない。

 

 それに何より――。

 

「無事で……。兎に角無事で……」

 

 二人を心配する心が少女の足をひたすらに急がせた。

 

 

 やがて駆け込むように入ったフレンドリィショップ。

 

 すぐにレオンに二人の痕跡を探らせつつ、アキラはカウンターに向かった。

 

「回復の薬を三〇。何でも治しを二〇。元気の欠片を二〇。エフェクトガードとプラスパワーを五個ずつ。あとはトレーナー用の携帯食料を三人分と、サイズ不問のポケモンフードを一二匹分、それぞれ三日分用意してくださいまし。お会計はカードでお願いしますわ!」

 

 店員は目を丸くした。年配の男性店員だったが、あまりに唐突な大人買いに対して、いらっしゃいませと口にするのさえ忘れた様子。慌しい動作で「あ、はい」と改まってから、注文を確認するような素振りをする。

 

「お、お荷物はいかがしましょう?」

「バッグに詰め込みます。袋に小分けしておいてくれればうれしいですの」

 

 アキラはそう言って、下着が入っているのも構わずにバッグを開く。店員が男だとか、気にしちゃいられなかった。捲くし立てるように「急ぎですの、成る丈早く願います!」と告げれば、やはり慌しく用意された。

 

 おそらくサクラが来たかどうかは聞いても分からないだろう。当時は朝で、今は夜も近い。普通は交代制だ。だからこんなところで潰す時間は惜しい。

 

「レオン、どうですの?」

「……チィノ」

 

 それに加えて、店員が用意をしている最中に尋ねてみれば、レオンはここにサクラの痕跡は感じ取れないと言う様子だった。首を横に振る姿に、思わず焦燥感が増していく。

 

――わたくしと別れた直後ではありませんか……。なんという事……。

 

 チラチーノの鼻がどこまで利くのかはわからない。だが、鼠は目よりも鼻や耳が利く生き物だ。チラチーノは耳が特徴的だが、きっと鼻も良く利くだろう。自信満々に匂いを辿ろうとした様子だけで、おそらく信用は出来る。……と、すれば朝からここへ来てないとなる。つまりこれは、面倒ごとに巻き込まれた可能性が極めて高いと言う事だ。

 

 店員が品物を揃えると、アキラは素早くカードで支払いを済ませ、膨れ上がった鞄を抱えて外へ飛び出した。

 

 ドクン、ドクンと胸が喧しく音を鳴らす。

 背筋が震えそうになるぐらい冷たく凍える感覚を覚えた。

 

 面倒ごとが何かなんて想像したくもない。だけどもう何かがあったのは間違いが無いと思う。でもアサギは襲われていない。だが街が襲われていないだけで、サクラ達が襲われていない証明はどこにもない。

 

 どうしよう。

 どうしよう。どうしよう。

 

 パニックをおこしそうになる頭に落ち着けと言い聞かせる。右手で髪の毛を掻き揚げながら、アキラは俯いた。こんな時、エンジュの時のようにサキがいれば……そう思うが、当然ながら今ここに少年はいない。

 

――と、その瞬間だった。

 

「チィッ!?」

 

 アキラの腕の中、レオンがピクリと震え、左に向けて顔を動かす。

 

「……レオン?」

「チーノ!」

 

 もがいて腕から飛び出していく白い小さな身体。綺麗好きだと聞いていたが、砂利混じりなアスファルトへ何の躊躇いも無く着地すると、彼はアキラを振り返ってから再び鳴き声をあげた。そして数歩駆けて、再度アキラを振り返ってくる。まるで『着いて来い』とでも言うかのようなその様子に、彼女はハッとした。

 

 すぐに大荷物を肩に掛け直して駆け出す。アキラの足が動きだせば、レオンは素早く走り出した。

 

 フレンドリィショップの隣にある民家との隙間へ、その姿は入っていく。

 

 建物に挟まれた薄暗い路地だった。二人分くらいの幅の通路があり、行き止まりにはおそらくショップの搬入口になっていると思わしき勝手口。レオンはその勝手口の前まで走って行って、再度アキラを振り返ってきた。

 

「チーノ。チィチーノ!」

 

 そこで何かを訴える。

 

 アキラを指差して、地面を指差して、尾を使って丸印。

 

「……わたくし?」

「チィ!!」

 

 レオンは首を縦に振る。そして再度同じ動作を繰り返すが、今度は長い尾で空虚な空間に縦長の丸印を二個描いた後に、今度は綺麗な丸印。

 

「……わたくしと似た匂いがここに居た。ということでしょうか?」

「チィノ」

 

 レオンは頷く。

 

 匂い……匂い……。

 と、考えれば、すぐにアキラはハッとした。

 

 鞄をアスファルトに下ろし、中をまさぐる。適当に放り込ませた薬が邪魔になったが、それでもすぐに目的の品は見つかる。取り上げたのは『日焼け止め』。

 

「レオン、この匂いでしょうか?」

 

 蓋を開ける。するとすぐにレオンは鳴き声と共に頷いた。

 

 次いでレオンは膝を折ったアキラの姿に『待った』と言うように前足を差し出して、彼女の横へ回り込んでくる。そして少女のワンピースの腰元に着けられたベルトのホルダーを指差して、『四つ目』を示す。その後、『ここに居た』と言うように地面を指差した。

 

「……リンディーの事でしょうか?」

「チィノ!」

 

 続いて彼は同じ動作で三つ目を指差す。

 

「……ロロ? いえ、場所的に考えて、サキのオノンドでしょうか?」

「チィノ」

 

 オノンドが正解らしい。レオンは頷いて見せた。

 

 アキラは頷いて返す。

 成る程、これは確かな収穫だ。

 しかし明らかなマイナス要因だった。

 

 アキラが今正に手で持っている『日焼け止め』は、彼女が愛用している品。コガネデパートで売られているものであり、別段高価なものではない。サクラでも使えるだろうと彼女にプレゼントした事があるが、こんな時に限って使っていたらしい。

 

 ここはアサギとはいえ、こういう品を態々コガネまで買いに行く人物は少なからずいるだろう。となれば、『匂いで追いかける』と言う事は不確定要素が混じる事になり、確実性に欠ける。サクラのポケモン達の痕跡が残っている以上、ここに彼女が居たのは確からしいが、同時に彼女を確実に追いかける術が失われてしまった。

 

 と、なるとサキの匂いを辿れば良いのでは?

 と思うものの、問い掛けてみればやはりレオンは首を横に振る。

 

 別段匂いを追いかける特殊な訓練をしていないレオンからすれば、おそらくこの『日焼け止め』の匂いに乱されて、サキの匂いを確実に辿る事は出来ないのだろう。

 

「……なんでわたくしこんなものをサクラに渡してしまったのでしょう」

 

 思わず後悔してしまう。

 

 いや、単純な厚意だったのだ。サクラは色白だし、日に焼けて肌が荒れると、これから先海を渡る際に痛むだろうと思っての事だった。だが、だが、後悔せずにいられようか。

 

「チィーノ……」

 

 そんなアキラの前で、しょげた風にレオンが俯く。

 

 ハッとしてアキラはその小さなポケモンの頭に手を乗せて、優しく撫でた。

 

「貴方の所為ではございませんの。……大丈夫、何とかしてみせますわ」

 

 そう。しょげている場合ではない。何とかしなくては……。

 

 

 その時、不意にアキラはハッとした。

 

 脳内で浮かぶ第三者の声が、まるで教えてくれるようだった。

 

――なんで。

 

 と、そんな風に聞き慣れた言葉が過ぎる。それはサキが話を勿体ぶる時に使う常套句で、『何故、どうして、そうなった』と考えさせるような言い回しをする際に使う言葉。いつも遠回しなのでアキラからすれば女々しく思えて仕方なかったが、しかし後に必ず彼は答えを口にする。

 

――なんで、どうして。

 

 まるで洗脳でもされるかのように、アキラは漠然的に『目に見えている』のに『見えていない』謎に手をつけた。

 

 

 そうだ。

 

 アキラはレオンを撫でる手を止め、先ほど彼が示したアスファルトを見やる。

 何の痕跡も残されちゃいなかったが、ここに確かにサクラが居たとしたら……可笑しい。

 

「……敵はサクラを殺そうとしてますの」

 

 そう、その筈だ。

 アキラは自問自答しながら疑問を並べる。

 

 ルギアを狙う敵からすれば、サクラを殺して奪い取ると言う手段を使ってくるのが最も手っ取り早いらしい。

 

 なのに――。

 

「何故、血の一滴さえ残っていないのですか?」

 

 アキラは目の前のアスファルトが綺麗なままの状態である事に疑問を持った。

 

 そう、サクラ達が襲われたならば抵抗のひとつはするだろうし、ならば争った跡がある筈だ。そしてその果てに彼女らが殺されたりしたのならば、ここには血痕や死体、彼女らの荷物が落ちていて然るべき。敵が証拠隠滅などに気を遣っていないのなんて、ワカバやエンジュを見ていれば考える要素に数える必要性さえ感じない。

 

 確かな違和感。

 

 それはポケモンセンターを出た頃から感じていたじゃないか。

 

 それが示すのは――。

 

「まさか、全く関係の無い方に……」

 

――いや、それは違う。

 

 それなら抵抗していないらしい理由になりはしない。ここでポケモンを出したとするなら、ここで何かがあったのだろう。なのに抵抗さえしていないとなると……犯人は二人が抗う事を得策としない相手。

 

 

「Nの協定……」

 

 

 そしてアキラは最もそれっぽい答えに辿り着いた。


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