天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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少女の不眠症

 フジシロの寿命はあと僅かだ。その命が燃え尽きるまであとどれくらいの時間が残されているのかは明確に教えてくれなかったが、彼の使命は既にコガネで果たされていた。もう長くないとは、語るまでもない。

 

 何故それをアキラだけに教えてくれたのか。

 

 答えは簡単だった。

 

『アキラちゃんが一番強いからね。それにウィルちゃんが一番お姉さんだ。……血の繋がりはないけれど、弟と妹を守ってやって欲しいからね。守ってあげて欲しいから』

 

 飄々と語ったあのモヒカン男が呪わしい。

 

 サキをけしかけてアルフ遺跡に向かったあの日。繋がりの洞窟で告げられたあの言葉の所為で、何度こうして泣きながら目を覚ました事か。それでも気丈に、かつサクラには知られないようにと平静を装って振舞うのに、どれ程心が痛んでいる事か。あの男程残酷な奴は居ない。アキラはそう思う程に苦しんだ。

 

 コガネでサキとフジシロが戦っている最中、頑張ろうと構えているサクラに事実を伝えたくて仕方なかった。必死に涙を浮かばせないようにしていれば、何処か怒りにも似た感情さえ抱く程だった。

 

 眠れば()()()の夢を見るから、怖くて眠りたくなくなった。ずっと不眠不休で動いていれば、忘れられるような気がして、トゲキッスに無理をさせたりもしてしまった。

 

 姉の恩人であり、自分の恩人でもある。

 何より、親友のウィルを授けてくれた。

 

 敬愛すべき友、フジシロ。

 

 

 やがてアキラは、顔を布団に埋めたまま、右手でやわらかな布をきつく握り締める。力を込めていけば、何かしらの衝動が身体から発散されて、心が落ち着く気がした。

 

――うじうじしてても仕方ないでしょう。あの人が死ぬ前に、わたくし達はこの戦いを乗り越えねばなりません。

 

 そうすれば、きっとサクラ達も彼の最期の時を正しい別れとして受け入れられるのではないだろうか……。

 

「……ふぅ」

 

 一頻り泣いた後、アキラは再度ぐっと堪えるように身体に力を込めて、顔を起こした。

 

 涙の痕こそ残っているが、意識が明瞭になるにつれて、感情の昂ぶりは落ち着いてくる。既にこの話は『納得』こそはしているのだ。そう示すように、表情ばかりはいつもの毅然としたものへ変わっていくと自覚する。

 

 成すべき事が見えている以上、泣き寝入りするのは自分には似合わない。夢で見せられたり、不意に抱く感情が制御しきれないだけだ。きっと、自分がまだ子供な証だろう。

 

 今一度ふうと息を吐いて、アキラは未だ腰にしがみ付いているウィルへ視線を落とした。

 

「ごめんなさい、ウィル。もう大丈夫ですの」

「チィ……」

 

 ウィルは小さく鳴いて返して来る。腰元で見上げてくる彼女の双眸も涙を浮かべていた。その頬に優しく触れ、撫でてやる。とすれば彼女も愛しそうにアキラの手を両手で取って、頬擦りを一回、二回としてきた。

 

「……休むには休めましたか? ウィル」

「チィ」

 

 こくり。手の中で小さく頷くウィル。アキラの手を放し、自ら涙を拭って、キリッとした目付きに変わる。その双眸には、何処か決意のようなものさえ見えるような気がした。

 

 では、と告げて、アキラは膝の上に乗った布団を退ける。

 

「顔でも洗ってきましょうか」

「チィチィ」

 

 そうだ。それがいい。

 なんて言いたそうに、ウィルは笑いかけてくる。アキラの顔を指差してきてから、自らの顔をむにむにと捏ねているのは、アキラの顔が酷い状態だとでも揶揄するようだった。

 まったく、もう。だなんて零しながら、アキラはウィルを抱き上げようと手招きする。

 

 鋼タイプを複合するクチートは小さな見かけに対してそこそこ重たい。

 人間の子供くらいの体重で、尚且つクチートは頭部の角が巨大な顎のように発達している。抱き上げるには少々面倒なポケモンだ。まあ、アキラは慣れているが。

 

 とてとてと寄ってきたウィルの顎と身体を同時に抱えてやり、膝の上に持ち上げる。しかし慣れているとはいえ、少女の膂力では彼女だけで精一杯。

 

 アキラから見てウィルとは反対側に、未だ眠りこけて涎を垂らしているプクリンの姿があった。彼女はそちらを一瞥すると、小さく溜め息を吐いた。

 

「プクリン、起きてくださいまし」

 

 その出っ張ったふくよかな腹を、肘でつんつんと突いてやる。しかし反応はない。

 

 寝ているプクリンをウィルに代わって抱えていく事も考えてみるが、涎は腹までびしょびしょにしているご様子。……起こして歩かせるしかない。少なくともアキラの中ではそうなった。と言うかプクリンの場合は身体がそこそこ大きいので、抱き上げるにしても『担ぎ上げる』という形になる。もうクチートとは勝手からして違うだろう。

 

 先ほどの悪夢と言える夢を忘れる心地でクスリと笑い、アキラは今一度微笑みかけた。

 

「ほら、寝坊介さんにはご飯が……」

 

 と、言いかけてアキラはきょとんとした表情になる。

 

「これはウィル用でしたわ」

 

 そして自らの言葉が誤っていたと、そうぼやいた。腕の中で鳴き声を上げて、ウィルが抗議してくるが、アキラはそんな事を知ったこっちゃないと言った様子で咳払いをひとつ。

 

 改めてプクリンへ向き直ると、小声でぼやくように言った。

 

「あー、カイリキーがビルドアップしてますのー」

「プクッ!?」

 

 そこでプクリンの双眸が見開かれる。

 とても勢い良く、まるで跳ねるような形で文字通り飛び起きた。そしてすぐ様大きな緑色の瞳を瞬かせ、右へ、左へ、と胴が千切れんばかりの勢いで顔を振る。

 

「おはようですの」

「……プゥ」

 

 飛び起きてみたものの、『カイリキー』が『ビルドアップ』している様子はどこにも無い。騙されたと気付いたのか、落胆したように、肩を落とすような仕草――プクリンに肩は無いだろう――をして見せ、力無く声をあげるプクリン。趣向はともかく、良識はあるポケモンなので、おそらく自分が寝坊していた事は察したのだろう。落胆こそすれ、怒ったような様子は無かった。

 

 良識はあるのに、変な趣向をしている。筋肉質なポケモンが大好物らしく、コガネのデパートに行けば『地下倉庫』の見学をしたいと主張する。極めつけは母や姉のケンタロスに向かって涎を垂らして突撃し、驚いた彼らに反撃されて吹っ飛ばされて、()()()()()()()に気絶する。

 尤も、普段はその可笑しな欲求こそ我慢しているようだが、瀕死に近づくにつれて悦楽の表情を浮かべるのだから、姉がアキラに『性格に問題あるけど躾は済んだから受け取れ。いや、受け取ってくんねえと困んねん』なんて告げたエピソードがあったり……。

 アキラのプクリンは、そんなポケモンだった。

 

 しかし躾はきちんとされている。人間の言葉をちゃんと理解し、指示にもとても従順だ。

 

「ほら、顔を洗いにいきますわよ」

 

 と、言ってやれば、プクリンはひとつ頷くと、素直に立ち上がってアキラの後ろを着いて来た。

 

 アキラの手持ちにはもう一匹、『問題児』と言えるトゲキッスがいるのだが、寝る前にポケモンセンターに預けた彼の様子を見てみたら、サクラのレオンと同じく夕方まで治療がかかるとの事。それなら無理に引き取るまいと、そのままにしてきた。

 

 まあ、居たら居たで、『アキラの横』で寝るのは自分だと、プクリンと壮絶な言い争いをするのだ。それこそ最近になって交代制になったものの、それまでは煩くて寝れない程だった。理由については……まあアキラの予想が間違っていなければ、トゲキッスが雄である事と、毎晩ウィルはアキラの左側で寝て、アキラは右側にあるものを抱き枕にする癖がある事が関わっているのかもしれない。事実プクリンは寝ている時に締め上げられて『キモチイイ』と言わんばかりに涎を垂らす。

 

 アキラの不眠症の原因は、何もフジシロだけが理由ではない。

 それは確かだった。

 

 

 そして顔を洗い終えた頃、丁度良かったと言わんばかりに、その問題児の治療が終わったという館内放送が聞こえてきた。どうやら久々にゆっくりと寝ていたらしい、アキラは今が夕方である事に少し驚きながら、着替えを手早く済ませて受付へと向かった。

 

 おそらくサクラ達もそこにいるだろう。

 

 そう思った。


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