「可笑しい? って、何が?」
突然の台詞に、サクラも首を傾げる。
「んと、そのルギア……じゃねえ」
サキは組んでいない手を額に当て、思考する時に良く見せる姿をする。そして彼は組んでいる手を断ってから解いて、サクラの腰元を指差してきた。
「マスターボール……」
「……うん。マスターボールだけど?」
指を差されたのがルギアだと察して、サクラは尚も難しい顔をする彼に訝し気な視線を返す。
するとサキはごくりと喉を鳴らしてから、呟くように言った。
「コトネさん、そのボールの事、ヒビキさんのだって言ってたよな?」
「う、うん……」
サクラは頷く。
コガネで正気に戻ったコトネと初対面した時に言われ、その後会議の時にも言っていた筈だ。ヒビキのボールを借りて、それをルギアへ投擲。捕獲したのは母だった筈。
「可笑しい。数が合わねえ」
「……数?」
記憶を思い起こしながら、サクラは小首を傾げる。
サキはうんと頷いてから、ふうと息を吐き、姿勢を正した。その後彼は遠方を指を差して、そこで話そうと提案してくる。目で示された先を追えば、フレンドリィショップの搬入口だろうか? ちょっとした裏路地になっている所だった。サクラはうんと頷いて返す。
青い屋根が特徴的な建物の脇に逸れ、隣に立つ建物との隙間へと入る。少しばかり薄暗く感じたが、マスターボールの話をするならば、あまり目立たない方が良いだろう。その路地が行き止まりなのを良い事に、一番奥まで行ってから話を再開した。
「数って、どういう事?」
サクラがそう切り出した。
うんと頷いて、サキは人差し指を宙に立てて説明する。
「マスターボールって、一人一つ……だよな?」
「え? う、うん。基本的にはそうだね」
問われて、サクラは少し訝し気な表情をしながら頷いた。
マスターボールは数ある捕獲用のボールの中でも最高峰の性能を誇る。どんなポケモンが相手でもほぼ間違いなく通用する超強力な鎮静作用を内蔵しており、かつカビゴンが踏んでも壊れないと言われる程の耐久力を誇る。つまり、どんなポケモンが相手でも捕獲が出来ると言う謳い文句を持っているボールだ。
惜しむらくはその性能故のコストパフォーマンスの悪さで、当たり前だが全国どのトレーナーズショップにも陳列されていない事。企業によればマスターボール一個を製造するだけで、会社が傾く程の大赤字を生み出すと言われている。それ故に一般的には流通しておらず、基本的には大企業がリーグ開催にあたって進呈するような『記念品』のような扱いを受けている。
尤もそれは昔の話で、今となっては幾分製造ラインが進歩した事もあり、ある程度昔よりは安価に製造は出来るそうだが、ここで問題がもう一つ浮かんでくる。それが絶対的に捕獲出来るからこその、一般に流通させてしまった場合のリスクだ。
普通、確実な捕獲方法ではないからこそ、捕獲する対象のポケモンよりも余程上回った実力を要求される。つまり捕獲した後、当然ながらそのポケモンの制御が可能と言う訳だ。しかしこれがマスターボールの場合、相手を御せようが御せまいが、相手が伝説級でもない限りは、ボールさえ当ててしまえば捕獲出来てしまう。
ルギアのようにマスターボールでさえ自力で脱出出来るポケモンがいる以上、それはあまりに危険だ。
当然の事ながら、そんな危険なアイテムは今でも一般的に広まっていたりはしない。
例えば大企業の超高倍率な抽選だったり、未曾有の危機から町を救った英雄への謝礼だったり、ポケモン協会から稀代の栄誉を称えられた報酬だったりと、トレーナーの手に渡るのはとても限定的だ。最も現実的なのでさえ『各地方のリーグ制覇』なのだから、どれ程希少価値のあるボールか分かる事だろう。それでさえ『殿堂入り』という慣わしがあるので、複数個のマスターボールを持つトレーナーは先ずいない。
でも、なんで態々そんな確認を?
と思うサクラだったが、サキが口を開けばすぐにハッとした。
「ヒビキさんって、ホウオウに使った筈じゃねえのか?」
「あれ? ほんとだ」
そう、コトネの話ではルギアを捕獲したマスターボールは元々ヒビキのものだし、コトネ自身のマスターボールはスイクンに使用されている。ならばヒビキは……とした時点で、彼はホウオウと言う神と名高い伝説級のポケモンを持っているじゃないか。
伝説級を一般的なボールで捕獲するのは至難の技だ。やろうと思えば彼らが死ぬ寸前まで痛め付けないといけない。普通の感性なら、洗脳されていない頃の父がホウオウを捕獲した時に限定するなら、おそらく有り得ない。
いや、アゲハが言っていたじゃないか。
エンジュでゴールドがマスターボールらしきものをポケモンセンターに投げ入れた。……と。
となると、サキが言う通り『数が合わない』。
ホウオウにヒビキのボール。
スイクンにコトネのボール。
として、ルギアは果たして本当に父ヒビキのボールで捕獲されたのだろうか?
「……抽選で当たったとか?」
「親父からヒビキさん達の武勇伝は色々聞かされたけど、そんな話は聞いた事がない。そんな珍しい話があれば真っ先に聞かされてる」
「……コガネシティがロケット団に襲われた時の謝礼とか?」
「そん時は透明な鈴を受け取ったって聞いたぞ」
「研究は……してないよね?」
「むしろ親父達の時代じゃあ、ウツギのじいさんが二人にリーグ制覇の祝いとして進呈したっつう話だな」
――じゃあ、どこで……。
そんな風に疑念がどん詰まりに行き着いた頃だった。
ザッザッという足音にハッとして、二人は路地の出口を見る。
「……よお、お二人さん」
野太い一人分の声。
しかし一人じゃあない。
路地が暗がりな事もあって、逆行で分かり辛いが三人……いや、その後ろにも数人の人影が見えた。
ハッとして二人は同時に腰元をまさぐり、ベルトに手をかける。
風情ある町並みだから荒くれなど居ないとばかり思っていたが、とそんな心持ちだった。
――しかし。
「Lの保持者、サクラ。……と、協会の会長の息子だな?」
先頭に立つ男の台詞が、二人の思案を間違いだと言って見せた。
ハッとするのはサキ。
すぐに口を開いた。
「……敵か、味方か、どっちだてめえら」
「ぽ、ポケモンを出したら攻撃するよ!」
サクラがそう言って続く。
――お父さん達の手先……かな?
サキに聞こえるだけの声量でサクラは零す。
――いや。
サキは否定で答えた。
攻めてくるならば、既に問答無用で攻撃されているだろう。態々確認をするより、さっさと殺してしまう方が相手にとって利が大きい。それに、仮に相手がヒビキ達ならば、既にアサギは火の海だ。
――じゃあ、誰?
そうサクラが疑念を抱いた時、路地を塞ぐ集団が道を譲るように開けて見せた。しかしその道はサクラ達に与えられたものではなく――。
「やあ兄弟。約束通り説明しに来たよ」
奇抜なアロハシャツを着た中年のアフロ男。
ハッとしたサキが「なんだ、お前かよ……」と手を下ろそうとした時。
「まあ少し手荒な歓迎だけど、悪く思わないでくれたまえよ。貧乳のお嬢ちゃんも……ね?」
その声が切っ掛けとなったのか、共に路地を塞ぐ集団が無数のボールを投擲してくる。
「おいおい。物騒じゃねえの」
「……ほんっと失礼な人」
サキは苦笑い。サクラは思いっきりの嫌悪感を込めてボールを投げた。
「オノンド!!」
「リンちゃん!!」
閃光と共に展開される二匹のポケモン。
路地故に、大型のオーダイルやロロは繰り出しても活躍は見込めない。ルーシーも舞うスペースが少なければ戦い辛いだろう。シャノンは……とすれば、仮にここを突破出来たとしても、今夜には発つ予定なのだ。ヒビキと相対する際に、サキは彼女を出すつもりだったが故に、ここで出す訳にはいかなかった。
惜しむらくは今、サクラの手元に小回りの利くレオンが居ない事だ。
「サクラ……」
「分かってる。この人達、バトルフロンティアの人でしょ?」
二人は早い口調でそう交わす。
バトルフロンティア。そこはバトルをメインに据えたポケモントレーナーにとっての聖地と言われている。並みのレジェンドホルダーよりも強い猛者がわんさかいるとは、当たり前すぎる常識だ。
そんな猛者が繰り出して来ているのは、どれもジョウトでは見られないポケモン達。
カエンジシ、ヨノワール、ファイアロー、ドダイトス、ボスゴドラ。
通路を一体一体で塞ぐような布陣で展開されており、数の不利はそこまで酷くは見えないが、しかしどうして、その一体ずつがとてつもなく強く鍛えられてるように見える。
正直に言って、勝てるようには見えない。
事実勝利を確信しているかのように、ミヤベは配下達のポケモンの後ろで嫌らしく笑っていた。
まあ、負けたとして多分拘引されると言う話だろう。命のやり取りではない。ただ黙って負ける訳にもいかないし、一応相手がどういうつもりなのかだけは確かめたいと思っただけである。むしろサキが『苦笑い』なところを見たサクラは、つまるところミヤベは明確な敵ではないのだろうと理解出来た。
いや――違う。
願わくばあの失礼な男に平手の一発でも食らわせてやりたい。
正直なサクラの心境と言えばそれだった。
――その時誰もが活目する事が起きた。
キラリと光る茶色い毛並み。
小柄な体躯はぶるりと震えた。
――サクラさん。今こそ僕が貴女に尽くす時のようです。
「り、リンちゃん!?」
思わずサクラが声を上げた。
「まさか、これ……」
サキも驚きの声を上げる。
そんな二人の前で、小さなイーブイは光に包まれ……。
『勝てないでしょうね。しかしあの破廉恥漢に一発くれてやりましょう』
やがて爆ぜる。
そこに毅然と佇むは紫の肢体。額には赤い宝石のようなものを持ち、そしてイーブイの時と比べて、随分と凛々しくなった切れ長の瞳。つんと尖った耳と、二又に分かれた尾は、正しく彼の品格を表すかのようだった。
悠然と頭を振り、淡い光を解き放つそのポケモンの名は、『エーフィ』。
「おお、まさかこんなタイミングで進化すると――うぉぉ!?」
そして彼は進化するや否や、素早く念力を使ったらしい。
居並ぶポケモン達の向こうでアフロの男が宙へ浮かび、掛けていたサングラスをおとして、脂肪に埋もれているようにも見える細目を顕にしていた。両手両足を振り回すも、何処に付くこともなく、大慌ての様子だった。
その男は唖然と見詰める一同の上をふわりふわりと飛んできて。
『大切なマスターを何度も侮辱されて、黙ってられませんからね……』
サクラがそんな声を聞いた頃、戸惑う彼女の目の前へと降ろされて来た。
「……や、やあ?」
苦笑いのその男。
ハッとするや否や、サクラはとても良い笑顔を浮かべた。
――うん。お父さん絡みじゃないっぽいなら命の危機って訳でもないし、勝てないのも明白なんだから、もう憂さ晴らしにヤっちゃって良いよね?
ばちこーん。
とても良い音が響き渡った。