天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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LUGIA

 ワカバタウンの被害は、シルバーの予想以上に深刻だった。

 『Lを狙って』と言っていたが、襲撃者は下劣にも民家を余す事なく焼き尽くしていた。……いや、民家だけではない。公的な役所や、ポケモンセンター、トレーナーズショップと言った建物も含め、ワカバタウン全域が焼き払われていた。

 

 それはつまり、単純に考えると『Lの確保』と言うより、『Lの死滅』を目的としているように見えた。

 かのポケモンがMの字が刻まれた最高強度のモンスターボールに入っているとは、Lを捕獲したヒビキとコトネや、二人に極々親しい人ぐらいしか知らないのだから。

 もしも死滅を目的とする場合、これしきの攻撃で、モンスターボールごとポケモンを死滅させる事が叶わないのは、解らなくて当然だ。

 

 先導するマニューラが、先程攻撃してきていたらしいスピアーを蹴散らす。

 その様子を尻目に、「いや……」と、シルバーは自身の思案に首を振った。

 

 Lの存在自体、ヒビキとコトネ、シルバーとウツギ博士以外には、空想上を抜け出ない。自分が持つかのポケモンの写真も、都市伝説を裏付けようと記録されていたものだ。

 ましてや、その安置場所がワカバタウンだと言う事は、この四人以外知り得ない。

 

 とするならば、()()()Lを直接守っていたウツギ博士と、自分を除き、ヒビキとコトネのどちらかが……。

 

「……何故だ」

 

 シルバーは町の中央広場にて足を止めた。

 彼の横にマニューラが片膝をついて、周囲を強く警戒する。シルバーは言葉を漏らしつつも鋭く前方を睨み、音が鳴る程にきつく歯噛みする。

 

 町一つを炎に包めるポケモンなんてそうはいない。

 そのポケモンを考えた時に、シルバーは思考をやめた。一番最初に浮かんだポケモンは、絶対的信頼をおく友しか持っていない筈のポケモンだったからだ。

 

 そう、その考えは、やはり確かだった。

 サクラを置いてきて、正解だったろう。

 

 ()は見知らぬ顔を二人従え、背後に一匹の霊鳥を従えていた。

 

「何故だ、()()()!!」

 

 スーツ姿のサクラの父、『ヒビキ』は真っ直ぐこちらを見ていた。

 シルバーは激昂を顕にすることしか出来なかった。

 

 

 

――リーン。

 

 鈴の音に、サクラは肩を震わせた。

 

 自分を庇うように、頭上でバンギラスが攻防を繰り広げており、彼の放つ騒音に負けじと耳を塞いでいたのだが、その音は直接脳に響くようにして、彼女へ届いた。

 

 薄く目を開く。

 すると目を開いて、笑顔を浮かべたままのウツギ博士の姿が映る。

 その顔に心を引き裂かれるような恐怖心を抱き、やはり動く気力は出なかった。

 

 頭上で繰り広げられている戦闘にさえ興味は無く、例え自分が攻撃を受けたとさえ、サクラは構わなかった。

 死を直視しなくて済むのなら、何も目と耳を塞がなくても、死んでしまうだけでも良いとさえ、思えていた。

 

 近親者が死ぬ。

 そんな事はいずれ訪れる当たり前な事かもしれない。おそらくこの世界で、殆んどの人が味わう辛さだろう。しかしサクラに訪れたその辛さは、やはり唐突すぎた。

 思考の整理が追い付かないのなんて当たり前で、無理矢理奪われた事に対する憤りや、何でこんな事になってしまったのかという答えの無い疑問が、脳を支配する。

 その行き着く果ては、当然ながら思考の停止だった。

 

 ぐずるように鼻水をすすり、徐々に熱を失っていく博士の体を暖めようと必死だった。それぐらいしか、考えられなかった。

 そんな彼女だからこそ、やはり鈴の音は煩わしくてたまらなかった。

 

 そう、先程金髪の男が言っていたじゃないか。

 

 『Lを狙っている』と。

 そしてシルバーは、鈴を『Lの鍵』だと言ったじゃないか。

 

――リーン。

 

 鈴は変わらず、今まで鳴らなかったのが嘘のように、綺麗な音色を奏でる。

 

「――っ!!」

 

 思わずサクラはリュックサックを降ろした。

 そしておもむろに立ち上がると、そのポケットから鈴を取り上げて、腕を振りかぶる。

 

「あなたの……あなたの、せいでっ!」

 

 しかしその腕は、振り降ろされない。

 いや、不意にその鈴が何かと考えれば、振り降ろせなかった。

 

 博士の命を奪う理由であったのと同時に、それは両親が残したたった一つの御守りだった。

 博士自身からも大切にするよう言われていた上、今では家も燃えてしまった。もう両親が残したものは、この鈴を除いて他に無いだろう。

 

 それを思い出せば、振り降ろせる筈がない腕は、項垂れるのと同じくして、ゆっくりと降ろされた。

 がくりと膝をついて、サクラは表情を歪める。

 

「おとうさん。おかあさん。助けてよぉぉぉ……」

 

 頭上でバンギラスが破壊光線を放つ。

 少し離れた所で、甲高い悲鳴と鈍い破壊音が響いた。

 

 また、何かが死んだ。

 

――リーン。

 

 変わらず鈴は鳴る。

 その音を聞きながら、サクラは目を瞑って、虚空を仰いだ。

 

「誰か、助けてよぉぉ……」

 

 そして、唇が何かに促されるように動く。

 

 

――LUGIA。

 

 

 刹那、轟音と共に研究所が爆ぜた。

 大地をも揺るがす音が、風と共にサクラへ届く。

 

「ダァイル!!」

 

 ハッとすれば、研究所へ水を吹き掛けていたオーダイルが、傍らに吹き飛ばされて来た。

 続いて頭上のバンギラスが何かしたのかと、振り向いてみれば、彼は挙動を止め、一歩、二歩と後ずさっていた。その表情は驚愕しているようで、どうにも彼が何かをした様子ではない。

 

「……え?」

 

 一瞬ばかり意識を失くしたように、記憶が定かではなかった。

 ハッとすれば、傍らで呻いているオーダイルの姿に驚く。

 

――え? 何?

 

 瞼を閉じている間に、気配も無く状況が動いた。

 まるでそんな感覚を覚えて、辺りを見渡す。

 するとオーダイルがむくりと起き上がった。そして彼は、空を見上げ重い声色で鳴く。

 

――空……?

 

 と、見上げて、手に持った鈴が僅かに動いたような感覚を覚えた。

 しかし、空を認めたサクラは、手の感触を改めることさえ忘れる程の驚きを覚えて、息を呑んだ。

 

――リーン。

 

 空が、明るい。

 黒煙によって覆われていた空に、太陽と見間違う程の輝きが一つ。その光源体はゆっくりとした動作で翼を羽ばたかせていた。その動作に合わせ、光を帯びた羽根が散る。

 

 白銀のような煌めきに照らされ、サクラは目を瞬かせた。

 

 何だろう。

 凄く、懐かしい。

 

 胸に宿る熱が、どこからか答えを連れてくるようだった。

 

「……るぎ、あ?」

 

 天空に両の羽を広げるポケモン。

 サクラはその名を知っていた。

 

 シルバーの家でその写真を見た時、Lという文字に覚えが無かった筈なのに、正しく知っていた。

 

 そしてそれを自覚しても尚、自分で不思議に思う心さえ無い。

 ただただ天空で気高い咆哮を上げるその姿を、享受するかの如く、見詰め続けた。

 

 轟と音を上げて、空が唸る。

 光に覆われた体躯の後ろで、黒煙に代わるどす黒い何かが現れたようだった。

 それが稲光を放って、どこからかパラパラと音が聞こえてくる。

 

「ルギア……」

 

 その名に確信を抱き、サクラは名を呼ぶ。

 

 両の翼を広げ、その先端はやはり人の指に似た五本の手に分かれていた。それがゆっくりと動く度、光り輝く羽根が散る。

 シャープな黒いフレームに覆われている双眸は優しげで、真っ直ぐこちらを見ていた。

 白銀の体躯に鮮やかな蒼を宿すその体は、とても柔らかそう。唯一硬そうに見える背中のヒレらしき黒い突起は、まるで黒曜石の如く輝いており、翼に合わせて動いているようだ。

 

 その姿は、シルバーの家で見た写真より、ずっと鮮明だった。

 目で見ているから当然ではあれ、背景の稲光を逆光にしないのは……あのポケモンが自ら輝いているからだろうか。

 

 そのポケモンは悠々と空を旋回する。

 羽を広げ、空を翔る様は……まるで何かを呼ぶように見えた。

 やがて一鳴きすれば、空が大きな雷鳴を轟かせた。

 

 サクラは不意に悟る。

 それは、『雨乞い』だ。

 

 空は黒煙が覆っていて、視界でこそ定かではないが、辺りの空気が一転したと、サクラは確かに感じた。

 胸に宿る熱を冷ますように、ひんやりとした空気が身体を撫でるような気もする。

 

 やがて、翼竜のようなそのポケモンは、ゆっくりとサクラの前へ降りてきた。

 バンギラスよりも遥かに巨大な体躯だが、地面を揺らすことも、サクラを吹き飛ばすことも無く、とても静かに着地。そして頭を垂れた。

 

(ようや)く逢えた……我が主よ』

 

 そのポケモンは太く、静かな声で、そう零す。

 

 彼の言葉に呼応するかの如く、空から大粒の雨が降り注いだ。


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