ワカバタウンの被害は、シルバーの予想以上に深刻だった。
『Lを狙って』と言っていたが、襲撃者は下劣にも民家を余す事なく焼き尽くしていた。……いや、民家だけではない。公的な役所や、ポケモンセンター、トレーナーズショップと言った建物も含め、ワカバタウン全域が焼き払われていた。
それはつまり、単純に考えると『Lの確保』と言うより、『Lの死滅』を目的としているように見えた。
かのポケモンがMの字が刻まれた最高強度のモンスターボールに入っているとは、Lを捕獲したヒビキとコトネや、二人に極々親しい人ぐらいしか知らないのだから。
もしも死滅を目的とする場合、これしきの攻撃で、モンスターボールごとポケモンを死滅させる事が叶わないのは、解らなくて当然だ。
先導するマニューラが、先程攻撃してきていたらしいスピアーを蹴散らす。
その様子を尻目に、「いや……」と、シルバーは自身の思案に首を振った。
Lの存在自体、ヒビキとコトネ、シルバーとウツギ博士以外には、空想上を抜け出ない。自分が持つかのポケモンの写真も、都市伝説を裏付けようと記録されていたものだ。
ましてや、その安置場所がワカバタウンだと言う事は、この四人以外知り得ない。
とするならば、
「……何故だ」
シルバーは町の中央広場にて足を止めた。
彼の横にマニューラが片膝をついて、周囲を強く警戒する。シルバーは言葉を漏らしつつも鋭く前方を睨み、音が鳴る程にきつく歯噛みする。
町一つを炎に包めるポケモンなんてそうはいない。
そのポケモンを考えた時に、シルバーは思考をやめた。一番最初に浮かんだポケモンは、絶対的信頼をおく友しか持っていない筈のポケモンだったからだ。
そう、その考えは、やはり確かだった。
サクラを置いてきて、正解だったろう。
「何故だ、
スーツ姿のサクラの父、『ヒビキ』は真っ直ぐこちらを見ていた。
シルバーは激昂を顕にすることしか出来なかった。
※
――リーン。
鈴の音に、サクラは肩を震わせた。
自分を庇うように、頭上でバンギラスが攻防を繰り広げており、彼の放つ騒音に負けじと耳を塞いでいたのだが、その音は直接脳に響くようにして、彼女へ届いた。
薄く目を開く。
すると目を開いて、笑顔を浮かべたままのウツギ博士の姿が映る。
その顔に心を引き裂かれるような恐怖心を抱き、やはり動く気力は出なかった。
頭上で繰り広げられている戦闘にさえ興味は無く、例え自分が攻撃を受けたとさえ、サクラは構わなかった。
死を直視しなくて済むのなら、何も目と耳を塞がなくても、死んでしまうだけでも良いとさえ、思えていた。
近親者が死ぬ。
そんな事はいずれ訪れる当たり前な事かもしれない。おそらくこの世界で、殆んどの人が味わう辛さだろう。しかしサクラに訪れたその辛さは、やはり唐突すぎた。
思考の整理が追い付かないのなんて当たり前で、無理矢理奪われた事に対する憤りや、何でこんな事になってしまったのかという答えの無い疑問が、脳を支配する。
その行き着く果ては、当然ながら思考の停止だった。
ぐずるように鼻水をすすり、徐々に熱を失っていく博士の体を暖めようと必死だった。それぐらいしか、考えられなかった。
そんな彼女だからこそ、やはり鈴の音は煩わしくてたまらなかった。
そう、先程金髪の男が言っていたじゃないか。
『Lを狙っている』と。
そしてシルバーは、鈴を『Lの鍵』だと言ったじゃないか。
――リーン。
鈴は変わらず、今まで鳴らなかったのが嘘のように、綺麗な音色を奏でる。
「――っ!!」
思わずサクラはリュックサックを降ろした。
そしておもむろに立ち上がると、そのポケットから鈴を取り上げて、腕を振りかぶる。
「あなたの……あなたの、せいでっ!」
しかしその腕は、振り降ろされない。
いや、不意にその鈴が何かと考えれば、振り降ろせなかった。
博士の命を奪う理由であったのと同時に、それは両親が残したたった一つの御守りだった。
博士自身からも大切にするよう言われていた上、今では家も燃えてしまった。もう両親が残したものは、この鈴を除いて他に無いだろう。
それを思い出せば、振り降ろせる筈がない腕は、項垂れるのと同じくして、ゆっくりと降ろされた。
がくりと膝をついて、サクラは表情を歪める。
「おとうさん。おかあさん。助けてよぉぉぉ……」
頭上でバンギラスが破壊光線を放つ。
少し離れた所で、甲高い悲鳴と鈍い破壊音が響いた。
また、何かが死んだ。
――リーン。
変わらず鈴は鳴る。
その音を聞きながら、サクラは目を瞑って、虚空を仰いだ。
「誰か、助けてよぉぉ……」
そして、唇が何かに促されるように動く。
――LUGIA。
刹那、轟音と共に研究所が爆ぜた。
大地をも揺るがす音が、風と共にサクラへ届く。
「ダァイル!!」
ハッとすれば、研究所へ水を吹き掛けていたオーダイルが、傍らに吹き飛ばされて来た。
続いて頭上のバンギラスが何かしたのかと、振り向いてみれば、彼は挙動を止め、一歩、二歩と後ずさっていた。その表情は驚愕しているようで、どうにも彼が何かをした様子ではない。
「……え?」
一瞬ばかり意識を失くしたように、記憶が定かではなかった。
ハッとすれば、傍らで呻いているオーダイルの姿に驚く。
――え? 何?
瞼を閉じている間に、気配も無く状況が動いた。
まるでそんな感覚を覚えて、辺りを見渡す。
するとオーダイルがむくりと起き上がった。そして彼は、空を見上げ重い声色で鳴く。
――空……?
と、見上げて、手に持った鈴が僅かに動いたような感覚を覚えた。
しかし、空を認めたサクラは、手の感触を改めることさえ忘れる程の驚きを覚えて、息を呑んだ。
――リーン。
空が、明るい。
黒煙によって覆われていた空に、太陽と見間違う程の輝きが一つ。その光源体はゆっくりとした動作で翼を羽ばたかせていた。その動作に合わせ、光を帯びた羽根が散る。
白銀のような煌めきに照らされ、サクラは目を瞬かせた。
何だろう。
凄く、懐かしい。
胸に宿る熱が、どこからか答えを連れてくるようだった。
「……るぎ、あ?」
天空に両の羽を広げるポケモン。
サクラはその名を知っていた。
シルバーの家でその写真を見た時、Lという文字に覚えが無かった筈なのに、正しく知っていた。
そしてそれを自覚しても尚、自分で不思議に思う心さえ無い。
ただただ天空で気高い咆哮を上げるその姿を、享受するかの如く、見詰め続けた。
轟と音を上げて、空が唸る。
光に覆われた体躯の後ろで、黒煙に代わるどす黒い何かが現れたようだった。
それが稲光を放って、どこからかパラパラと音が聞こえてくる。
「ルギア……」
その名に確信を抱き、サクラは名を呼ぶ。
両の翼を広げ、その先端はやはり人の指に似た五本の手に分かれていた。それがゆっくりと動く度、光り輝く羽根が散る。
シャープな黒いフレームに覆われている双眸は優しげで、真っ直ぐこちらを見ていた。
白銀の体躯に鮮やかな蒼を宿すその体は、とても柔らかそう。唯一硬そうに見える背中のヒレらしき黒い突起は、まるで黒曜石の如く輝いており、翼に合わせて動いているようだ。
その姿は、シルバーの家で見た写真より、ずっと鮮明だった。
目で見ているから当然ではあれ、背景の稲光を逆光にしないのは……あのポケモンが自ら輝いているからだろうか。
そのポケモンは悠々と空を旋回する。
羽を広げ、空を翔る様は……まるで何かを呼ぶように見えた。
やがて一鳴きすれば、空が大きな雷鳴を轟かせた。
サクラは不意に悟る。
それは、『雨乞い』だ。
空は黒煙が覆っていて、視界でこそ定かではないが、辺りの空気が一転したと、サクラは確かに感じた。
胸に宿る熱を冷ますように、ひんやりとした空気が身体を撫でるような気もする。
やがて、翼竜のようなそのポケモンは、ゆっくりとサクラの前へ降りてきた。
バンギラスよりも遥かに巨大な体躯だが、地面を揺らすことも、サクラを吹き飛ばすことも無く、とても静かに着地。そして頭を垂れた。
『
そのポケモンは太く、静かな声で、そう零す。
彼の言葉に呼応するかの如く、空から大粒の雨が降り注いだ。