天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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第四話
アキラは目覚ましビンタをおぼえた


 時は少し遡る。

 コトネ達がシロガネ山へ繋がるセキエイゲートに着くより少し前。

 

 舞台はアサギシティへと移る――。

 

 

 朝日を映し、キラキラと光りながらたゆたう大海。

 寄せては返すさざ波の音が響く浜辺。

 

 そこへ降り立つ影が一人分。

 

 不安定な筈の砂浜へ、軽やかに着地。その者を背に乗せてきたらしいポケモンは、しかしそこで力尽きたと言わんばかりに脱力し、身体が砂まみれになるのも気にせずに砂浜へ墜ちた。巻き上げられた砂を僅かに被り、それを気にした風もなく少女は切な気に微笑む。

 

「苦労かけましたわね。ゆっくりお休みなさい」

 

 墜落したトゲキッスの背を撫で、返してくる小さな鳴き声に頷いてからボールに戻す。そこで彼女は、桃色のワンピースに包んだ身を僅かに上下させ、ふうと息を吐いた。朝日が照らす彼女の相貌には隈がうっすらと映り、髪もボサボサ。いつかヒワダタウンで見せたように、やつれた姿をしていた。

 

「……ただいまですの」

 

 少女はしかし、しっかりと砂浜を両の足で踏む。見掛けばかりはやつれていようと、件の時とは違い、毅然とした表情を浮かべる。

 

 その澄んだ視線の先には、今正に駆け付けてきたらしい二人の少年少女。昨日にはアサギジムを突破しただろうに、これっぽっちも嬉しそうな姿がない。どこか緊張したように、表情を曇らせてるようにさえ見えた。

 

「おかえり、アキラ」

「無事で何よりだ……」

 

 まるで打ち合わせでもしたかのようにテンポ良く述べる二人。しかしながら二人の格好はちぐはぐしているように見えた。

 

 サキはしっかりと普段の姿をしているが、サクラは寝坊でもしたのか、化粧は出来ておらず、服装も最近のものから考えれば珍しいワンピース姿。それが一番手っ取り早かったのだろうが、アキラからすれば何処か懐かしく感じる。

 

 そう言えば、サクラは身分を偽る為にシックな服装をしていたのでしたっけ。

 そんな風に思う。今となってはどちらでも良い事なのだし、いっそやりたい姿をすれば良いんじゃないかなんて、緊張感の無い感想さえ覚えた。

 

「しかし早かったな……」

 

 と、サキ。

 

 サクラとサキはつい先程、彼女からもうすぐ到着するとの連絡を受け、この場にやって来た。本来ならばこの日の夜に帰還する予定だったのだが、彼女は随分急いで帰ってきたらしい。風貌も正しく、そう物語っている。

 

 アキラはクスリと笑った。

 

「少しトゲちゃんに無理をさせてしまいましたわ。……おそらく数日は動きたがらないでしょうね」

 

 まあ、トゲちゃんには戦闘は望めませんし、どのみちですの。

 そんな風に言葉を締め括る。片手で掻き揚げ、やれやれと言わんばかりな姿だった。

 

 サクラはどこか寝惚け眼が残るような姿で、申し訳なさそうに謝った。サキまでもが続いて無理させてすまんと述べるものだから、アキラはそこで小さく唇を尖らせる。

 

「大袈裟ですの。トゲちゃんに無理をさせたのは確かですが、この程度普段の訓練より少し辛いぐらい……。謝られるとむしろ腹立たしく思いますのよ?」

 

 言葉とは裏腹に少しばかり呆れたような表情を浮かべ、饒舌に語るアキラ。その悠々とした姿には疲れなんて全く感じていないようにさえ感じる。思わずサクラはフッと笑い、サキもアキラらしいと零す。

 

 正に尊大。人を見下した態度ながらも、しかし彼女のその姿はなんと頼りになる事か。いや、むしろそんな態度こそ、サクラ達の尻を叩くかのようだった。

 

 サクラはサキと視線を交わす。彼女の顔付きは眠気が残るような姿だが、安堵したような笑みを浮かべていた。

 

「うん。私、大丈夫な気がしてきた」

 

 対する彼は、おいおいと苦笑いを浮かべながら肩を落とす。

 

「大丈夫じゃなかったらダメだろ」

「……話が半分くらいしか見えませんが、へたれているのなら気合い入れて差し上げましょうか?」

 

 そこへ二人が渦巻き島へ攻めこもうと言う算段をしているとは知らないアキラ。キョトンとした風ながら、拳を胸の前で平手に合わして小首を傾げる姿と言えば、無垢そうに見えてなんと物騒なものか。

 

「そ、それは勘弁して欲しいな……」

 

 思わずサクラは苦笑を浮かべながら返した。

 

 普段なら慌てて返して来ているだろう彼女の惚けた様子に、どこか肩透かしでも食らった気分になるのか、「あら」と零すアキラ。しかし間を取るようにサキが歩を進めて来て、話は無理矢理進められた。

 

「ほのぼのすんのは無しだ。急ぎポケセン行くぞ。アキラもさっさと休まねえとダメだ。時間がねえ」

 

 そう告げる少年。顔付きは稀に見せる頼りがいを感じさせるもので、その姿にアキラはこくりと頷いた。サクラはやはり惚けているのか、えっ? と聞き返してから、すぐに納得した風にうんと頷く。

 

 サクラのそんな様子に僅かに小首を傾げるアキラだが、ハッとして「いえ」とサキに告げた。

 

「時間が無いならこのまま行動しても宜しくてよ? トゲちゃんさえ預けてしまえば、わたくしの心配は不要です。話は道中に――」

「いや、無理」

 

 以前電話でサキから問われた事で、アキラなりにある程度の事は予測していたのだろう。毅然と返してくる姿は、もしかするとその口が大言壮語を吐く通り、このまま不眠不休で暴れるんじゃないかとさえ思わせるが、サキは彼女の言葉を遮って否める。

 

 そして親指を立て、サクラの方へ向けてその姿を見ろとアキラへ促した。

 

 うん? と、アキラは小首を傾げた。何かあったのだろうか……。

 

 視線を向けて見れば、何となく可笑しい事は感じる。サクラとアキラ、その身長差は頭ひとつ半ぐらいあるのだが……。なんだろう、視線がうまく重ならない。と言うか、サクラの目の焦点が合っていない気がする。そして何故か、無性に懐かしくて、腹立たしい。アキラはそんな風に思う。

 

「……ねむい」

 

 呑気にそんな言葉を零すサクラ。

 

 何を呑気な……。と、そう言おうとして、そこでアキラはふと疑問を持つ。サクラが朝に弱い事は周知の事実なのだが、こうして寝惚けた姿を見るのは遠く久しい。それこそ、レオンの目覚ましビンタを食らって起きていれば、基本的に爽快な目覚めなんだと、あまり真似したく無い事を教えてくれた気がする。

 

 つまり? アキラの思案はそこまで至ったが、パッとする答えが出ない内に、サキが大きな溜め息を吐いた。

 

「……昨日のジム戦でレオンが少しダメージ負って、今日の夕方まで入院って訳」

「あら、だらしない……」

 

 成る程。目覚ましビンタを食らって無いからこんなに眠たそうなのか。アキラは納得した。ちらりと横を見て、サキの溜め息がいつもより多い理由も何となく納得した。

 

 サクラの寝起きは悪い。彼女を人力で起こそうとするなら、中々大変な筈だ。横から声をかけるくらいじゃ絶対に起きないし、ふと目を開けてもすぐに二度寝してしまう。つまり、サキ少年は朝っぱらから中々な苦労したのだろう。サクラの部屋に入ったとまでは予想しないものの、扉の前で周りの部屋に気を遣いながらノックを繰り返し、途方に暮れていた姿が何となく予想出来た。

 

「……ぐー」

 

 そんな最中、ついに眠気の限界か、立ったまま舟を漕ぎ始めるサクラ。サキが深々と溜め息を吐き、アキラは盛大に肩を落として見せた。

 

 さっきまで普通に喋ってたじゃないか。

 そうは思うものの、幼少期に何度となく彼女の寝覚めの悪さは思い知っているアキラ。仕方無いと首を横に振るう。

 

――はあ、やるか。

 

 心の中でそんな風にごちた。

 

「サキ、お任せなさい」

 

 そう言って間を取っていた少年を横に退かす。アキラより身長が高いサキながらも、まるで「これはやべぇ」と言った風に、僅かに怯えた様子で後ずさった。

 

 こめかみがひくひくと動く。疲れを映す顔ながらも思いきり皺を寄せて、凶悪な笑顔を浮かべるアキラ。そんな恐ろしい相手が目の前に立ったというのに、サクラは呑気に舟を漕ぎ続けていた。

 

 くかー、と気持ちの良い寝息さえも聞こえて来そうな顔。その顔を見ているだけで、アキラの笑顔は更に倍の凶悪さを孕む。

 

 私怨ではない。

 これは決して私怨ではない。

 

 この二日間、不眠不休で空を飛び続けたアキラだったが、これは決して、天地が引っくり返ろうと私怨ではない。

 

 単純に友達の目覚めを手伝うだけだ。

 恨み言なんて有るわけが無いじゃないか。

 

 それでもアキラは言わずにはいられない。

 

「……人が超頑張ってるって言うのに、貴女って人はァッ!!」

 

 そう言って振り上げられた華奢な腕。細い筈なのに、その手はびゅんと風を切るかのような音を鳴らす。

 

 舟を漕いでいた少女の目がそこで半開きになる。なんとも憎たらしいくらい、幸せそうな寝惚け眼。

 

 この二日間の苦労を思い知りやがれ!

 

 そんな心持ちで、アキラは思い切り腕を降り下ろした。

 

「さっさと目ぇ覚ませゴラァ!!」

 

――ばちーん。

 

 筆舌に尽くしがたい程、それはそれは爽快な音だった。早朝の波の音に、とても良く合う素晴らしいスパイスだった。

 

 見ていた少年は後に語る。

 

――後にも先にも人間が『目覚ましビンタ』を使ってるのを見たのはこの時だけだ。

 

 と。


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