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日暮れも近いかと言う頃、チャンピオンロードとシロガネ山を繋ぐセキエイゲートに五人の影があった。ゲートの管理人たる嬢は揃って頭を垂れ、まるで伏せるかのようにして微動だにしない。そんな様子を尻目に、五人の中央に立つ男はPSSを耳に当てて激怒したような声を漏らしていた。
「冗談も大概にしろ。あの子らがゴールドに勝てる訳がないだろう!? 何故行かせた!!」
まるで一房一房が天へ伸びるかのように逆立った橙色の髪。漆黒のマントを羽織る男は、堀の深い顔立ちだった。
鋭い目付きは厳格そうに見え、目尻と口の端に深く刻まれた皺がどうにもその印象を更に引き立てる。とは言え、本来ならば滅多に怒鳴りはしない人物なのか、周りに立つ四人は周囲を警戒する素振りを見せながらも、何処か橙色の髪の彼を気にかけている風だった。
『……行かせたんじゃない。行っちまったんだよ。後を追おうにも渦巻き列島は水の中。ダイビングが使えれば後を追えるが、ジョウトじゃあライセンスさえ無いじゃないか』
返ってきた声は女性のもの。低い声に怒気を孕み、憤怒を露にする男とは対照的に、その声は重みこそあれ、とてももの静かな印象を持たせる。
「だから冗談も大概にしろと言っているだろう。お前のレシラムなら行く前に止められただろう!?」
男はこめかみに血管を浮き立たせ、ゲート中に響き渡るかのような声で怒鳴り散らす。その端々に含まれる単語は、決して声を大にして叫んで良い言葉ではないが、男は『我慢の限界』だった。
何も電話の主に対してではない。
この男は今、大役を任されてここに居る。出来る事ならゲートをさっさと抜けて、シロガネ山の洞窟へ急ぎたい気持ちが強かった。しかしここに来て電話で失態の報告を受け、尚且つそれが『はいそうですか』なんて言えた話では無かったのだ。
急いでいる所に納得がいかない話を聞けば、誰だって苛つきはするだろう。特に知った人間の命に関わるとあれば、激昂したってさして可笑しな話ではない。
しかしそんな男の心境を加味しているのかしていないのか、そもそもこれを彼に報告して来ている時点で今がどういう状況かは知っている筈の電話の主は、尊大とさえ思えるような態度を貫く。
挙げ句――。
『おいおいチャンピオン。あんたの所の娘のせいだぜ? こっちはこっちで一度は引き止めたって言ってるだろ。だけどあんたの娘のアキラが見張りにつけていた奴等をのしちまったんだっての』
そんな風に宣う。
そしてそれは先程も受けた説明だった。
――済まない。Lのトレーナーとその仲間達が協定の監視下から抜け出して、渦巻き島へ向かった。その筋の話だと、おそらく渦巻き島にゴールドがいる。
それが最初の説明。聞いた瞬間、セキエイの頂点に立つ男――ワタルの脳裏が冷や水でもかけられた風に真っ白になった。それだけならまだしも、原因はワタルとアカネの娘、アキラにあると言われ、更に思考回路はショートするかのようにぐちゃぐちゃになる。しかしそこで思考を放棄するなら、彼はセキエイの覇者なんて呼ばれていないだろう。
ワタルは単純に疑問を持った。
――何故、この女はそんな状況下でのうのうと電話なんてしてきているんだ。何故、止めないんだ。何故、止めようと動いてないんだ。
「違う。そうじゃない。お前は何故あの子らをそのまま放置しているんだと聞いている。何故後を追って止めようとしてないんだ!?」
そして今に至る。
すると女は溜め息混じりに答えた。
『ビクティニが笑ってる。あの子らは渦巻き島で死ぬ運命じゃない。それに、いかなレシラムとは言え、あの子らはルギア出してまで飛んでったんだ。無理に追いかけたらそれこそ十数年前の災害がまた起こるぞ?』
クソッ! 男はらしくもなく悪態を吐き、その相貌に宿る怒りを更にヒートアップさせる。
しかし、脳裏から失われつつある冷静な部分は、この女を無理に敵に回している場合ではない事を告げる。加えて勝利を司るとされるビクティニが笑っていると言うのなら、敢えて追わない彼女の判断だって理解は出来る。ビクティニの機嫌はNの協定の行動指針にさえなりうると、そう聞いた。しかし、しかし――。
思わずにはいられない。
――
と。
勿論立場上口に出す事は無いし、娘自身がワタルの権力を煙たがっている事も知っている。しかしまだ一四の娘だ。ワカバの少女も彼女と同じ一四。シルバーの息子に限ってはまだ一二だ。
ジョウトのレジェンドと戦わせるにはあまりに幼い子供達じゃないか。
そう、思う。
しかし言ったところで暖簾に腕押し。この女がそんな事で堪えやしないと言う事は、僅か数分の電話でよく分かった。つまり話すだけ無駄だ。
胸に宿る怒りを身体から拭い去るように、男は無理矢理深呼吸をする。口を突いて出そうな言葉は大気と共に飲み込んだ。
「……分かった。やむを得ん」
そしてそう零す。
「事態が終息した際には、必ず迅速に助けてやって欲しい。頼む」
『そいつは任せてくれ』
二つ返事で了解を得る。そこで男は不躾だとは思いながらも、自分からさっさとPSSの通話を切った。
ふうと溜め息を吐く。
「……へっ。ワタルもやっぱ人の子だな」
そこで唐突にかけられた言葉。気だるげに視線で答えてみれば、茶色い髪を爽やかにセットした男がにやりと笑っていた。その横に立つ、青い髪をして袴を履いた青年が「まあまあ」と声を挙げて彼を諌めようとしている。彼は落ち着いた風な声色でワタルの心境を代弁するかのようだった。
「……グリーン。君も息子が居るんだろう? 危険な目に合うのをむざむざ許す親が何処にいるんだい?」
「悪いが俺は放任主義でね……。信用してるさ。その辺は」
如何にもキザっぽく両手を肩の高さに挙げて、やれやれと言わんばかりな風で答えるグリーン。しかし横に立つ青髪の男は首を横に振って食い下がる。
「君が言う事は分かるが、ボクはワタルさんの気持ちが分かるよ。信用していても心配は心配、違うかい?」
「……けっ、えらそーに」
青髪の青年、ハヤトの言う言葉にグリーンはジト目で見返して答える。確かにハヤトも親の立場だ。息子はキキョウのジムを継いでいる。
溜め息混じりになりそうな会話を聞きつつ、ワタルはPSSを懐に仕舞う。丁度その頃を見計らったように、後ろから声がかけられた。
「……ワタルさん。今は茶番を鑑賞している暇は無いのではなくって?」
「ああ、ボクもそう思うよ」
声を掛けてきた二人を振り返る。呆れ混じりな様子の、白い髪に紫のタイトなドレスを着た姿が特徴的な女性、カリン。これから舞踏会でも行こうかという程奇抜な仮面を着けた赤髪の男、イツキ。
ワタルはこくりと頷き返す。
娘の事は心配だ。だが、その事よりも先ず、白銀山を強襲した四人の援護に行かなくてはいけない。……ジョウトが誇るレジェンド三人に、イッシュ最強とまで謳われた協定のトップ。その四人に援護等必要なのかと疑いたくなるが、途中で連絡を寄越したシルバー曰く、相当な激戦が予想されるとの事。
与えられた時間は短かった。
集められた人員はセキエイ四天王のハヤト、イツキ、カリンの三名と、セキエイから程近いトキワシティのジムリーダーであり、グリーンの二つ名で知られたオオキド シゲル。援護とすればこれだけの火力があれば十分だと言えるが、果たして――。
「……そうだな、行こう」
何処か虫の知らせ染みた一抹の不安に見てみぬフリを決め込み、ワタルは頷いた。そしてセキエイのゲートを抜け、シロガネ山へ向かう。
妻と娘の無事を願いながら。