天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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Despair.

 話自体は訳が分からなかった。

 

 ククリと名乗るサクラの伝えたい事が、どういう事実なのか全く分からなかった。

 

 だけど、ひとつだけ確かに伝わった。

 

 

――この子は前の世界で子供を亡くしてる。

 

 

 それはシルバーも正しく理解しただろう。彼女がモンスターボールをふたつ投擲する姿に、不意に視線を彼へやれば、彼もコトネへ視線を寄越していた。

 

 交わされた視線。

 言葉も無く頷き合う。

 

 あの位牌に刻んであった『ククリ』は、サクラの娘の名前なんだ。そう悟った。そして今の口ぶりからすれば、彼女はその事に必死に立ち直ろうとしていたんじゃないかとも思う。だけどそれが叶わなくて、見かねたヒビキに『我慢をするな』と暗示をかけられ、この惨状――そう言う事なのだろうか。

 

 あくまでも憶測。だけどあのサクラが命をいとわずに成したいだなんて、普段のあの子とおんなじ存在ならあり得ないとさえ言い切れる。だけどあり得ている。目の前でそれを肯定している彼女がいる。

 

 そう、ひしひしと伝わってくるのは、深い絶望感。

 

――そして、執念。

 

「止めるよ。シルバー!」

「ああ、いくぞコトネ!」

 

 自らの頬を伝う涙にさえ気をやらず、コトネは大声を挙げて叫ぶ。応える相棒の声は、確かに自分の思いが伝わったとさえ感じる程、頼もしく。

 

「レオン! シャノン!」

「メガニウム!」

「マニューラ!」

 

 繰り出される四匹のシルエット。

 

 何がなんでも止めて見せる。己にそう言い聞かせるコトネだが、しかし。

 

 

――ゾクリ。

 

 

 そのシルエットが色を持たない内に、胸に宿る闘争心が、一瞬にして凍りつくような感覚を覚えた。背筋が凍り付いただの、心臓を鷲掴みにされたようだだの、目の前が真っ白になるだの、今の自分に相応しいと思われる錯覚が全身を舐め回すかのように駆け巡る。

 

「……うそ」

 

 震える声で、言葉がぽつりと零れた。

 

 シルエットに色が着き、やがて収まる発光。姿形が纏まるにつれ、我が身を襲う『恐怖』の文字は明確な感情となっていく。

 

 思わずコートごしに自分の身体を抱いた。一瞬でも身体の力を抜けば、胸から込み上げてくる吐き気が、内臓全てを口からさらけ出させるんじゃないかと思う程、凄まじい嫌悪感を覚える。

 

 なんだ、あれ。

 なんだ、あれ。

 なんだ、あれ。

 

 頭の中で同じ単語が繰り返された。

 

 隣で立つシルバーは気が付かないのか、コトネの異変にのみ気付いた様子で、「おい!」と声をかけてくる。しかし、言葉を返す余裕はなかった。

 

 しなやかな体躯。それでいて強靭に見える四肢。悠々と佇むその顔には、左目を塞ぐ眼帯。しかし、隻眼をものともしないと言わんばかりに、そのポケモンは堂々とした出で立ち。雪の上に着いた足は、雪に沈む事がなく。身体中の体毛はコトネのメガニウムやシルバーのマニューラと言う高レベルなポケモンを前にしているのに、逆立つ事すらしていない。そう、余裕があるように見えた。

 

 それもその筈。

 

 コトネは悟った。

 

「シルバー。逃げろ! あのレパルダスは――」

 

 ヤバイ。

 

 コトネがそう言おうとして、言葉を受けたシルバーが表情を驚愕に染めるよりも早く、二人の背後で激しい轟音がドンと言う地鳴りと共に響いた。足元の雪がざわめくように揺れて、不安定な足場に思わず声を上げて膝を崩す。

 

 ハッとして背後に視線をやれば、先程二人が上がってきた洞窟の出口が瓦礫の山と化していた。

 

 その上で片膝を着き、瓦礫に左拳を当てた体勢でこちらを望むマニューラ。その姿は確かな見覚えがあり、すぐにサキのシャノンだと気が付くが……おおよそ『こちらのシャノン』とは相対レベルがかけ離れているとも悟る。

 

 隻眼のレパルダスはコトネが今まで見てきたポケモンの中で、一番ヤバイ奴だと感じた。こんな感覚はルギアと出会した渦巻き島でのあの時以来。そして、そう気が付かせた自分の観察眼が間違いない事を、シャノンと言う名前のマニューラを見た瞬間に確信する。

 

 そのマニューラでさえ、間違いなくシルバーのマニューラよりも――。

 

「流石だね、お母さん。一瞬で気が付くんだもんね」

 

 瓦礫の山からマニューラが跳躍する。瞬時に残像と化したその姿を全く目で追えず、前へ視線を戻せば――。

 

「冗談だろ。おい」

「……そんな」

 

 コトネと同じ風にしていたシルバーと二人して、声を震わせた。

 

 ズシン、ドサリ、と音を立てて崩れるメガニウムとマニューラ。その前で優雅に前足を舐め、ふうと息を吐く紫色の猫。……言葉さえ要らなかった。指示さえ不要。音なんてまるでたたず、気配も当然のように無い。

 

 何があったのか。そう思うのさえ野暮だとコトネは感じた。

 

 一瞬視線を逸らしただけで、二匹はレパルダスに軽くのされてしまっていた。それが事実であり、結果だ。ただ、それだけだ。

 

 高レベルポケモンの一撃は必殺と言っても過言じゃない。分かってはいる。分かってはいた。しかし、悲鳴のひとつさえ上げさせず、一瞬の間で場を制圧するだなんて、有り得ない。そう思った。だけどそんな常識なんて、そのポケモンには通用しない。それだけの話だった。

 

 二匹の目前で先程より少し横へずれた位置に着き、戻ってきたシャノンを悠々と迎えるレパルダスの姿。余韻を感じている風でさえないその飄々とした様子は、正に自分が頂上現象的な何かだと言わんばかりで――。

 

「バカな……ワカバの時のレパルダスではないのか?」

 

 シルバーがぽつりと零した。

 

「あの時の子達はこの世界の子。レオンとシャノンが私達の世界の子……だよ」

 

 レパルダスの向こう、顔を左手で擦るククリは静かな声でそう答える。舌打ちを鳴らすシルバーは、未だこの危機感が分かってないんじゃないかとさえ、コトネは思った。

 

「それと……二人とも、良い事教えてあげる」

 

 唖然とする二人へ、そんな風にサクラの姿をしたククリは改まって告げる。既に涙は拭われ、童顔と揶揄されて然るべき顔には到底似つかわしくない愉悦の表情。クスクスと笑う彼女の肩が僅かに揺れ、その姿が尚、コトネの恐怖心を煽るようでさえあった。

 

 そして、彼女はとんでもない事を言った。

 

「こっちのお父さん。……ゴールドね。もうすぐこっちの私を襲う手筈で、もうここには居ないから」

 

 絶句。

 

 まあ、あの子が私なら、何とか出来ちゃうかもねえ……。

 こっちのホウオウさえ何とか出来れば。

 

 そんな風に彼女は宣う。

 

 だが、コトネの耳にはまるで聞こえてこなかった。

 

――ドクンドクンドクン。

 

 心音が今まで感じた事が無い程の速度で奏でられた。

 

 目の前の彼女は絶望していて、もうこの世界を捨てるつもりでいる事は、よく分かった。その始まりがワカバの崩壊とするなら、完結はコトネやサクラを――。

 

 そこまで思考すれば、おのずと行き着く言葉。

 

 

――死。

 

 

 不意にコトネの脳裏に、緋色の炎に包まれて消えていく影が浮かんだ。

 

『おかあさん』

 

 まるで助けてと言わんばかりに伸ばされる手。その手を取ろうとするコトネはしかし、白銀の頂から彼女へ届く筈も無い。

 

 

 手が震えた。喉が焼け付くように熱い。

 息が吸えない。吐けない。

 

 もう辺りの雪が示すような寒さなんて、何処にも感じない。

 

 心臓を鷲掴みにされたように、苦しく思うこの心。

 鈍器で殴られるように、痛むこの頭。

 

 背筋を撫で回すかのようなゾクリとした感覚。

 

 否、これは寒さじゃない。

 

 

 明確な、怒り。

 

 

「あぁぁああああああ!!!」

 

 コトネは思わず絶叫した。

 

 そして、この場では投げるものかと思っていた紫色のボールを掴み、投げた。

 

 サクラは死なせたくない。何があっても守りたい。絶対に彼女にだけは触れさせてはいけない。それが親としての責務なんだと言われるだろうけど、それだけじゃない。

 

 ただ、無償の愛情をかけてやりたい相手なんだ。あの子は。

 何があっても守ってやりたい子なんだ。あの子は。

 

 その思いを込めて、マスターボールを雪へ叩きつけるように放り投げた。

 

――その為なら、その、為なら……。

 

 そして、コトネは今まで出した事のない指示を出す。

 

 

「殺してでも止めろ。スイクン!」

 

 

 スイクンはシルエットが纏まらない間に動く。レオンと言う名のレパルダスも応じるかのように姿を消した。

 

「良いよ。その顔。その声。あの時の私そっくり」

 

 愉悦に歪むククリと言う()()()()()()()()()は、さぞ愉快そうに笑って見せた。


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