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声を上げた男は、黒いスーツ姿だった。
とは言え、シルバーにとって馴染み深い昔のテロリスト集団のような服装ではなく、礼装たる普通のスーツだ。
金髪をオールバックで纏めたその男は、シルバーと同じ年頃か。
こちらを指差して、明後日の方に向けて声を上げている。他に仲間が居るのだろう。その彼を追ってか、大型のポケモンが一匹、二匹と現れる。
「サクラ」
シルバーは明らかに敵勢である一人と二匹へ視線を向けたまま、重く響く威圧的な声を出す。……少し配慮が足りないかもしれないが、自分にとってもウツギは懇意にしていた相手だ。その仇を前にして、流石に抑制しきれない感情があった。
「お前はウツギ博士の傍にいろ」
そう言いつけて、黒地に黄色くHの烙印が捺されたハイパーボールを展開する。
一瞬ばかりの閃光。
シルバーの傍らへ巨大な体躯が堕ちた。
緑の装甲を持ち、体に幾本の棘を持ったポケモン。
ジョウト地方にて伝説級のポケモンに及ぶとして名高いポケモン、『バンギラス』。
「バンギラス、サクラを護れ。傷一つも許さん」
そう言って念を押す。
すると彼は、轟と咆哮を上げて、如何にも任せろと言わんばかり。
バンギラスは本来、その力量故、ドラゴンタイプのポケモンと並んで躾が難しいと言われる。
だが、彼は長年連れ添っている相棒の一匹だ。
今更躾が出来ているか等、確かめるまでもない。
人語による指示を正しく理解し、シルバー以外の誰が相手であろうと、躊躇う事は無い。
ならば後に残るのは、生半可な相手には決して遅れを取らぬ強靭な力を誇るポケモンという事実のみ。
サクラ一人を守り通す事等、簡単だろう。
未だ泣きじゃくるサクラを引き離し、目線を向けさせる。
この状況で彼女を一人にするのは酷だと思うが、防戦一方になるよりは、元を断ちに行った方が、彼女の安全にも繋がる。
シルバーは目線で隣のバンギラスを促し、唇を開いた。
「何かあればバンギラスに言え。良いな?」
不安と絶望に揺れるだろうに、それでも彼女は黙って頷いた。
その姿にこくりと頷き、「良い子だ」と言って泥塗れな頭を撫でてやる。
その瞬間、シルバーの命令も無く、バンギラスが咆哮と共に閃光を放った。
肩越しに背後を振り返れば、今に襲い掛かろうとしていたらしいポケモンが、その閃光に足場を崩され、爆風によって吹き飛んでいた。
――あまり悠長にはしてられなさそうだ。
今の破壊光線で、男の声が届いていなかった奴等にも気付かれただろう。
そう悟ると、シルバーはゆっくりと立ち上がった。
「頼むぞ」
「グォォオ」
シルバーの一言に、鼓舞されたように身を震わせるバンギラス。
その口が別の方向へ向き、再度『破壊光線』が放たれた。
こちらの隙を狙っていたらしい飛行タイプのポケモンが羽を焼かれ、業火の中へ堕ちる。断末魔は業火の音で全く聞こえなかった。
「こっちだ!」
金髪の男の背後に、わらわらとスーツ姿の者達が集まってくる。
どの者もポケモンを従え、そのポケモン達はどうして、最終進化系の強者ばかりに見えた。まるでワカバの地に似合わない豪勢な顔ぶれだ。
そして、敵勢は炎に墜ちたオニドリル等、誰も気にしちゃいないようだった。
ポケモンの死を悼むことさえ見せない姿を認め、不意に拳を握る。胸に熱い何かがこみ上げてくるのを感じて、目を細めた。
――どうやら戦争をしたいらしい。
上等だ。
シルバーは握り拳をぶるりと震わせた。
「シルバーさん、だめ……。だめだよぉ」
ウツギ博士の死に戸惑っていたサクラが、シルバーの安否を心配するように声を上げた。ここに至って漸く、シルバーが彼等を迎え撃とうとしている事に気が付いたらしい。
シルバーは首を横に振った。
そして改めて敵勢へ向き直って、小さく息を吐く。
「俺はな」
ベルトのハイパーボールを二つ取り上げ、背後に投げる。
「弱い者虐めが嫌いだ。……だが、昔からそれ以上に」
彼は少女を肩越しに振り返って、片頬を吊り上げた醜悪な笑みを見せ付ける。
「弱い癖に徒党を組んで強がる輩が、虫唾が走る程、大嫌いなんだ」
それは――信念。
過去の様々な過ちを改め、自らの間違いを認めてきた自分が、唯一更正されず、自分からも捨てることの無かった想い。
無論、良い行いをする為の『協力』ならば別だ。
それを理解する程には更正されている。
しかし、シルバーの父が率いたマフィアのような輩を、この世における絶対悪だと思う心は、むしろ昔より増している。
正義の看板を背負う今となっては、何よりも確固たる行動指針だった。
前方へ手を出し、一つの指示。
展開されたハイパーボールの閃光が止まない内に、その中から一匹のポケモンが飛び出す。真白のシルエットは、緋色が照らす景色を切り裂くように動いた。
「マニューラ。蹴散らせ」
それは刹那の出来事だった。
最も手前に居たドリュウズの鋼の装甲が易々と切り裂かれ、地に潜る暇すら無く血に沈む。
その隣で、先程バンギラスの破壊光線で吹き飛ばされたバシャーモが、傍らで起きた出来事に驚いた瞬間には、全身に裂傷を刻まれ、双眸から光を失くす。
その後ろで片腕を構えるのはドサイドン。しかしその腕から放たれた岩石砲は、何を捉えるでもなく、地面へぶつかって砕け散る。そしてとてつもなく硬い装甲を持つはずのそのポケモンは、鎧を引き剥がされるようにして断末魔を上げた。
飛び散る赤い飛沫。
もう少しサクラに配慮してやっても良いかもしれないが、仮に生きていて彼女を狙われると困る。……冷酷だが、人が死んでいる以上、命を奪うことを躊躇っては、こちらが守りきれなくなるだろう。
「オーダイル。空の奴等を狩れ」
オーダイルが勇み足でシルバーの前へ出る。
空を舞うドクケイルを圧縮された水の砲撃で貫き、その横で口から青い炎を漏らしてチャージに入っているサザンドラを氷塊に変えた。
明後日の方向から放たれた電撃を片手で受け止め、相性の悪い技を物ともせずに、ジバコイルへ湯気を上げる水砲を放つ。
正しく、蹂躙。
その体躯に深い傷跡を宿す二匹のポケモンは、その場を一瞬にして制圧してみせた。
「マニューラ」
鋭くシルバーがその名を呼ぶ。
意図を言うまでも無く、マニューラは姿を消した。
「ひ、ひぃっ!」
一瞬にして激変した状況に、呆気に取られていた金髪の男が、マニューラに首根っこを掴まれている。ポケモンに力で敵う筈もなく、男はシルバーの元へ勾引されてきた。
マニューラが投げ捨てるように転がしたその男を、今度はシルバーが掴み上げた。
ワイシャツの首元を捻り上げ、睨みつける。
「狙いは何だ? 言え」
「ひ、ひぇ。ば、ばけも――」
「余計な事をほざくな。答えろ!」
余った手で頬ごと顎を鷲掴みにして、シルバーは凄む。
後ろに居るサクラにはあまり見せたい姿ではなかったが、そうも言っていられない。さっさと戦地を動かさねば、彼女に危害が及ぶかもしれない。
故に、『答えないと殺す』と、単純且つ最も効果的なことを言った。
マニューラの手に掛かったポケモンは、良くて瀕死。悪ければ絶命している。脅し文句ではないとは、言うまでも無かった。
正しくそう思ったのか、男は首を縦に振る。
「え、えええ、える……える! えるだ!!」
その言葉はまるで子供のようにたどたどしく、形振りを構っていなかった。
両手を放してやれば、男は力無く地面に転がる。腰を抜かしているのか、そのまま這ってシルバーから数歩分の距離を取って、尻餅を着いた体勢に改まってから、だらしなく悲鳴を上げる。
「Lはどこだ」
シルバーはその男を見下ろし、問い掛けた。
「し、知らない!」
男は首を横に振る。
余程の恐怖のせいか、股間から鼻を突く臭いの液体を漏らしていた。
その姿に舌打ち一つを挟み、シルバーは前方へ目を逸らす。
目の前の男と同じく腰を抜かしていたスーツ姿の二人を睨み、同じ質問をする。
その意図を後押ししようと、マニューラが鉤爪を間近の男の首へ添えた。
――何かしら答えないと殺す。
まるでそう言うようだった。
「ま、まだ俺達も捜してる最中で……」
遠目の男が、上擦ったような声で言った。
手前の男が失禁している様子や、首に爪を当てられての答え……嘘は言っていないだろう。
シルバーはオーダイルの名を呼ぶ。
何をと言わずとも察して、オーダイルはポケモン研究所へ消火活動を始めた。
「誰の指示だ」
失禁した男を睨む。
「上の、上の指示だ!」
「組織の名は」
「お、俺達も知らない。雇われただけだ」
シルバーは舌打ちを挟むと、マニューラが彼の背中を軽く蹴りあげた。
大袈裟な悲鳴を上げて、彼は顔を庇うような動作と共にじりじりと後退する。
その姿を、ひたすら冷酷に、一歩進んで追い詰めた。
「誤魔化そうって魂胆なら、さっさと死んでもらうが?」
「い、いや、本当だ! 信じてくれ! お、俺達もいきなり金と指示書みたいなのが送られてきて……なあ?」
男が離れた所に居る二人に、答えを求める。
すると腰を抜かしたままの体勢で、二人は頷いて肯定した。
目の前の男へ向き直り、続きを促す。
するとそこで、彼はにやりと笑った。
「グォオオオ!」
叫び声にハッとする。
肩越しに一瞥すれば、サクラを庇ったらしいバンギラスが片膝をついていた。
それでも尚、緑色の腕が押さえつけようとしているのは……鋼色の肉体を持ったカイリキー。
相性としてはバンギラスが絶対的に不利。
しかしシルバーは舌打ち一つ挟み、「冗談だろ?」とバンギラスを睨みつけた。
「グオオオ!」
「ガァアア!」
組み合ったカイリキーの顔面へ、至近距離からの閃光が放たれた。
飛び散る赤い飛沫。
光が抜ければ、頭部の大半が欠損しているカイリキーが、千鳥足をしていた。
「いや、いやぁぁぁ!」
サクラが悲鳴を上げる。
視線を向ければ、彼女はウツギの死体に向かって顔を伏せ、首を横に振っていた。
ポケモン同士の殺し合いなんて、見たい筈も無い。
心に癒えない傷を与えるだろう。
だが、今は兎に角状況の終息だけを考えるべきだ。
彼女の命まで奪われては、今は亡き目前の恩人や、生涯の親友達に、何と言われるか分からない。
――いや、
カイリキーの奇襲が失敗して、うろたえていた金髪の男を蹴り飛ばす。
悠々とサクラを振り返り、「そのまま伏せてろ」と告げた。
「ニャッ」
とすれば、マニューラが鳴く。
ハッとすれば、シルバーに向かって飛んできていたらしい『針』を、鉤爪で撃ち落としていた。
小さく舌打ちをする。
「まだ居やがるのか……クソが」
一つ悪態。
腰を降ろして、少女の震えた背を優しく撫でた。
「少しの間、目と耳も塞いでろ。すぐに終わらす……博士の傍に居てやれ。良いな?」
成る丈優しく告げれば、彼女は震えながらも二度、三度と頷いた。
先程と同じく、「良い子だ」と告げて、その頭を優しく撫でてやる。
ゆっくりと立ち上がる。
マニューラに指示を出し、金髪の男の首根っこを掴ませた。共にゆっくりと歩き、離れて同じく腰を抜かす二人の元へ連れていく。
三人を纏めて、そこへオンバーンを出し、「見張ってろ」と告げる。
満身創痍の様相ながらも、彼は甲高く鳴いた。
見張りくらいならば十分だろう。いざとなればバンギラスやオーダイルが近くに居る。
シルバーは良しと頷いて、マニューラと共に駆け出した。
――勘違いであれば良いが……。