シロガネ山の内部はコトネの記憶と殆んど変わらない景色を見せた。シルバーが調査隊を率いて何度か訪れたらしいが、まさしく調査だけをしたようなものらしく、一〇年以上経っても開発等はされちゃいない。
この山の裾で取れる美味しい水や、ポケモンバトルを極めた者が訪れる聖地として、ジョウト地方の象徴たるこの山。しかしシルバー曰くはオーキド博士から渡航を許可された人間は数える程しか居らず、彼がかつて率いた調査隊も一〇人に満たない頭数だったのだとか。かつては伝説のポケモン『ファイヤー』の発見例もあったそうだが、過去のそれを態々確認しようという奇特なレジェンドホルダーなんて早々いない。
歴戦を越えてきたからこそ、この山がどれ程恐ろしいかは、生ける伝説が帰らなかったとされる事だけで十二分に理解が出来よう。もっともそれは一〇年前の話で、それから彼の存命が知れ渡ってはいるようだが……。まあ、要するに態々莫大なリスクを払って訪れるような場所ではないと言う事だ。
それこそ、かつては前人未踏の地なんて呼ばれて、挑戦者が幾らかいたそうだが、コトネとヒビキが踏破してしまったが故に、踏破する価値が著しく下がったのだろう。
そんな与太話をしながら、一行は歩を進める。ただ、歩を進める度に前後左右への警戒は、与太話をしている姿と反して強くなっていく。
「……明らかに異常だな」
「やっぱそうなんか」
与太話を止め、シルバーが不意に零した言葉にアカネが納得するかのように返した。彼女から確認するような視線を受け、コトネも頷いて同意する。
「これだけ進んで野生ポケモンが襲ってこないとか有り得ないね……」
そう言葉を沿えた。
一行は歩を止め、辺りを見渡してみる。襲われたら対処すると言うメイが、感知に優れたゴチルゼルとか言う人形のようなポケモンを出しているが、そのポケモンが目立った反応を見せる事はここまで一切無かった。外での激戦を考えれば、明らかに異常。
白銀にも見えようかと言う岩肌。シルバー曰くはここいらでしか採れない鉱石らしいが、その一切に争ったような形跡は無い。野生ポケモンが駆逐されたとするなら、あって然るべき『死体』も無い。それどころか血痕さえも無い。
「ホウオウって、ポケモンも操れるんですよね?」
そんな光景を見て、メイは零す。コトネはうーんと唸った。
「……ピンキリだと思う。漠然的には出来るけど、細かく指示するのは難しい。そんな事が出来るなら、ホウオウ一匹いれば世界征服とかも出来ちゃうし」
「俺が調べた限りでも、完全な洗脳が出来るのは、やはり波長が近い人間ぐらいじゃないか?」
つまるところ昨日待ち構えていたポケモン達のように、縄張り意識を錯覚させるぐらいならば出来る。しかし、右足を挙げろと言ってハイと言わせるような細かな芸当は難しい。それ自体はむしろ、コトネが経験した洗脳も近いかもしれない。
「では何故……」
コトネとシルバーの答えに、メイは俯くようにして思案した。ゴチルゼルが全く反応を示さない理由が一抹の不安を与えてくるかのよう。彼女の力ならば例え気配を殺し、肉眼で捉えられない岩影に隠れていたとしても察知できる。
その彼女に察知できないとすれば、即ち――。
「……話は後や。とりあえず急ぐんが先決ととちゃうか?」
思い悩む三人へ、アカネはそう述べた。態々足を止めずとも、理由は全てを完遂してから考察すればいい。そう言うかのようだった。
シロガネ山に入って、まだ一〇分と経っていない。歩調は早かったので、もうすぐ上のフロアへ上がる事が出来るだろうが、こんな所で足を止めていれば頂上までどれ程の時間がかかるか分からない。
確かに不気味だ。まるで嵐の前の静けさと言わんばかりな様子は、一同に不安をもたらす。……だが、アカネの言う通り、足を止めている場合でも無い。
シルバーが仕方ないと肩を落とし、それを合図に一行は歩を再開した。
コツンコツンと言う足音が四人分響く。何処からか水の流れるような音が聞こえるが、それ以外は殆んど音がない。メイが出しているゴチルゼルは音もたてない様子だったから、余計に音が気になった。
「なあ、シルバー」
やがて耐えられなくなったのか、そうでないのか、アカネがぽつりと零した。視界の先には上のフロアへ上がる為の穴があり、依然として辺りを警戒するメイ以外は、彼女の声に耳を立てるが、向き直りはしない。
シルバーが何だと返せば、彼女はチラリと辺りを見渡す素振りを見せた。
「……応援って、誰を呼んだんや?」
ここに至って彼女はそんな事を聞いた。その声に彼は歩を進めながらも、ゆっくりと息を吐いて応える。
「カントーのジムリーダー勢と、セキエイリーグの重鎮だ……」
その言葉を受け、アカネはピタリと足を止める。
促されるようにして、他の三人も足を止めた。今度はどうしたと、急ぐんじゃないのかと、疑惑の視線を向けた。
「……ウチの旦那も来るんやな?」
アカネは短く聞いた。
シルバーはこくりと頷く。
そんな様子に、アカネの旦那って誰だったっけとコトネは小首を傾げ、そもそも知らないらしいメイは訝し気に顔をしかめた。
「なら」
そう彼女は零す。
さっと踵を返し、三人に背を向けた。
「後で追いかけるさかい、
その言葉に三人はびくりと肩を震わす。コトネとシルバーは驚いた風だったが、メイはやはりと得心いった風な声を漏らす。
「あ、アカネ?」
「……おい、どうしたんだ」
思わずかけた疑惑の声に、背を向けたままアカネはフッと笑ったような音を出した。
「分かるやろ。何で野生の気配が無いんか、何でウチらがこんなサクサク進めてるんか」
そしてそんな風に彼女は零した。
「挟み撃ちされたら、面倒ですもんね。人慣れしたゴチルゼルは
すると横からメイがそう言及する。
コトネとシルバーはそこで察した。いや、しかしそんな気配は全く感じないのだ。昨日、襲い来るポケモンの気配を察知したコトネですら、全くもって何も感じなかった。
まさかと、コトネは呟く。
「……女の勘はよう当たんねん。特に嫌な予感っちゅうもんは的中率一〇〇パーや」
肩越しに振り返ってきて、アカネはにやりと笑う。
――その頃になって、漸くだった。
ザッ、ザザッと無骨な足音が響き、コトネ達が今しがた通ってきた道を塞ぐようにして、物陰から何人ものスーツ姿の輩が現れた。
そして何も言わずに、彼らはポケモンを出してくる。鼻が長い小柄な象のようなポケモン、巨大な岩石が連なって丸い形になったポケモン、四つの翼を忙しなく羽ばたかせて牙を剥き出しにするポケモン、シルバーも持っている緑の装甲に覆われた体躯を持つポケモン。
「……ウチらで気配が悟れへんって事は相当な面子集めたんやろーなー」
明らかに敵。そして繰り出されたポケモンは皆、一様にこのシロガネ山に生息するポケモンの最終進化形。
その数、五〇を越えようかと言う程だ。
「……まあ、どのみちウチは伝説連れてへんし――」
そんな風にごちて、アカネはベルトからモンスターボールをひとつ取り上げ、即座に投げる。繰り出されたシルエットは直ぐ様コトネの前に走って来て、転がって迫ってきていたドンファンを抱き締めるように受け止めた。
モンスターボールに手をかけ、今まさにそのドンファンに対応しようとしていたコトネはハッとする。彼女を庇ったポケモンは巨大な体躯を持っていた。見上げて初めて『カビゴン』だと気が付いた。
「ノーマルポケモンは堅いんや。足止めはウチの専売特許やで?」
なんて、得意そうに振り返ってくるアカネ。
彼女は更にモンスターボールを展開した。甲高い鳴き声を上げて現れるのは、ピクシーとプクリン。
敵のバンギラスが指示も無く撃ってきた破壊光線をプクリンが体躯を持って受け止め、しかし平然と着地。その横でピクシーがゴローニャのロックブラストを吹雪で相殺した。
「ま、そういう事やから。ウチはここで足止めするわ。挟み撃ちされたら、厄介やろ? それこそマサラの英雄がおったら洒落にならへんやん」
彼女の申し出に、コトネは目を伏せた。
「大丈夫……なの?」
相手は気配を殺し、今の今までコトネ達に存在感を感じさせなかった輩。アカネの言う通り、相当な強さを誇るだろうし、少なくともレジェンドホルダーでもあるだろう。
しかし、心配そうに零すコトネへ、アカネはけらけらと笑って返した。
「早よ行きーな。ていうかそこに留まられたら――」
肩越しに振り返り、笑いながら零すアカネ。彼女の手はモンスターボールを更に三つ、敵陣のど真ん中へ投げていた。
「むしろ邪魔やねんて!」
現れたるはアカネの相棒として名高いミルタンク。そして、そのミルタンクの相方として名高いケンタロス。更にその二匹と良く似た体つきをしている、頭部がアフロになっている猛牛のようなポケモン。
「ミルタンク、ケンタロス、バッフロン。全部とっちめたりぃ!」
アカネは叫ぶ。
コトネの横で、閃光。ハッとして振り向けば、メイがゴチルゼルをボールに戻していた。毅然とした表情を浮かべて、彼女はコトネとシルバーを臨んでくる。
「行きましょう」
「……ああ」
そうしてメイとシルバーはかわす。踵を返す二人に対し、コトネだけは今一度アカネへ大きな叫び声を上げた。
「死んだら承知しないからね!」
そんな叫び。
アカネは今一度肩越しに振り返ってきて、にやりと笑った。
「はん。言われるまでもあらへんわ!」
そう返してくる言葉を、踵を返しながらコトネは聞く。先立って上のフロアへ行こうとするシルバー達に続いた。
「無個性、故に最強。その力見せたるわ!」
そんな叫び声が背中を押してくれた。