Blank criminal record.
日が明けるより少し早く、コトネ達はシルバーの別荘を出た。明け方に行動するポケモンが少ない事もあり、大した戦闘もなく麓のポケモンセンターへ着く。
中はシルバーが予想した通りの惨状だった。せめて遺体を弔ってやりたいとメイが進言するも、昨日のうちに応援を要請したから彼らに任せようとシルバーは諭す。いつの間に……とコトネが思えば、まるで心を読んだかのようにアカネが「そういや電話しとったなぁ」なんて零したものだから、彼にそれを問う事は無かった。
昨日は襲い来るポケモンが多く、大した事を考える余裕は無かった。殆んどメイが撃退したようなものながらも、しかし襲われる事が無いとその分緊張感が欠けて、思慮に耽ってしまう。特にジョーイなんて非戦闘員で当たり前な一般人が殺されたと知れば、余計に雰囲気は重たいし、考えも暗くなる。
「……はぁ」
そんな道中。漸くシロガネ山の入口が見えた所で、コトネは歩きながらも肩を落とす。
不躾なのは分かっている。命が奪われたならば、和気あいあいとした雰囲気でいるのは不謹慎だし、仕方ないとさえ思う。ただ、逆に重たすぎる雰囲気は活力を奪っていくように思えて仕方なかった。
「……察するに、面倒臭いとか考えとるんか?」
そんな思考をしていれば、アカネが話し掛けてくる。俯きながら横目に見れば、彼女は呆れたような表情をしていた。
コトネは首を横に振って返す。
「違ーう……」
「じゃあどないしたん。あんたが考え込むなんて珍しいやん」
「人が死んでりゃそら考えもするだろ」
「……まあ、せやけど」
ダメだ。コトネは我ながらそう思った。
アカネは溜め息を吐いて言葉尻を濁せば、そのまま仕方ないと言う風に前へ向き直ってしまう。
重苦しい雰囲気が良くないと思いつつも、自分で更に重くしてしまうのは何故だろう? 分からない。……勿論、はしゃぐつもりは無いのだ。ただ、鼓舞しあえるぐらいには前向きな思考でいたい。
コトネは何度目になるか分からない溜め息を吐いた。……だって、仕方ないじゃない。なんて、心の中でぼやく。
血塗れでラッキーを庇ったまま冷たくなっていたジョーイ。……そんな光景は、コトネの意識が操られていた頃に、手に余る程生み出してきたのだろう。そう思えば、心にぶっとい針が突き刺さるような痛みを覚えた。
端的に言って、辛かった。
一行はシロガネ山の入口前で立ち止まる。シルバーが各自最終チェックをしようと提案し、PSSに内蔵されたアプリケーションを使って、手持ちポケモンのコンディションを確認するように促される。
一〇年間の記憶が抜け落ちたせいで、未だに仕様が良く理解出来ない液晶端末を、前にアカネから教わった方法で操作した。仕組みは良く分からないが、便利な世の中になったものだと思う。
メガニウム。状態異常無し。バイタル良好。
スイクン。状態異常無し。バイタル良好。
そりゃそうだ。昨日は殆んどメイが戦ったし、今日は今日でこれっぽっちも戦闘になってない。
ただ、もしもここにコトネ自身のステータスがあれば、『メンタル不調』なんて表示されていたりするのだろうか……? コトネはそんな風に思った。
一〇年。
言葉にすれば長い年月だとは思っても、その長さはじっくり考えてみても中々実感が沸かない。一〇年前に何をしていたと問われて、即座に答えられる人間なんてあまりいないだろう。それを即座に答えられるコトネは、抜け落ちた時間の大きさを実感する度に吐き気がする。
手持ちポケモン二匹。この一〇年の間に自分に愛想を尽かしたのだろう四匹のポケモン達は、今、どこで、何をしているのか……。いや、もしかすると――。
ここまで
――死んでる可能性だって、あるんだよね……。
そう思うと、コトネの心がきつく締め上げられるように感じた。
もしも愛想を尽かして出ていったと言うのなら、寂しいけど仕方ないとは思う。むしろ自分の娘を前にして平然と攻撃したらしい自分に、愛想を尽かしていないなんて有り得ないと思う。だけどメガニウムやスイクンは自分の手持ちに居て、それがどういう事かを考えた時、コトネは申し訳なくて仕方なかった。
今尚こうしてこの二匹のポケモンに頼っている事は、本当は良くない事だとさえ思う。確かな罪悪感があった。
はあ。と、コトネは溜め息を吐く。
「……ごめんな。悪いマスターで」
いつでも戦闘可能だと教えてくれる端末の液晶を見ながら、コトネはぽつりと零した。
その時、頭に僅かな重み。
「そう言う事かいな……」
ハッとして頭上を見上げ、そこに伸びてきている手を辿る。とすれば、横で幼児をあやすかのような慈愛染みた表情のアカネが居た。
コトネの身長はあまり高くない。アカネは女性にしてはそこそこ高い。何ともやり易そうに、彼女は撫でて来ていた。
「……何? コトネ観察?」
と、コトネは肩を竦めて、薄く笑いながら返す。我ながら可笑しな言い方だが、アカネに茶化された様子は無い。彼女は首を横に振って、余った手をコトネの肩に伸ばしてきた。
ゆっくり抱き留められて、そこでアカネは暖かいなぁなんて思う。
「まあ、どない言うたらええんかはわからんけど……。今考えても戦うの辛なるだけや。酷やけどしゃんとしぃ」
辛辣に諭すくせに、抱擁とは……。なんともあまっちょろい叱咤激励だな。
そんな風に心の中で茶化しながら、しかしコトネはうんと頷くばかりだった。
「……ほんと、あれもこれもヒビキの馬鹿のせいだわ」
「せやせや。そう思っとき」
抱き留められながら、そう交わす。
心が落ち着いていくような、暗い負の感情がゆっくりと箱にしまわれていくような、そんな感覚。
ふっとコトネは薄く笑った。
「もうアカネと浮気しよーかな」
「……ウチ可愛い女の子は好きやけど、旦那おるからなぁ」
「はは、そりゃ残念でございます」
今度こそ茶化して、ふうと息を吐きながら離れる。不意に周りを見れば、呆れたような表情で黙って見ているシルバーと、何かを悟ったように薄く笑っているメイ。視線が合って、漸くと言わんばかりにシルバーが口を開いた。
「……変わらないなお前は」
そう言って、両手を宙に浮かせて呆れた奴だと言わんばかりに肩を竦めて見せてくる。不躾な彼の物言いに、コトネはぶうと唇を尖らせた。
「何よぉ……。妬いてんの?」
「んな訳あるか」
ハッと失笑しながら彼は竦めた肩を今度は落とす。
「昔から勝手に落ち込んで、勝手に立ち直って、勝手に暴走する奴だっからな、お前」
「そういえばサッちゃんもそんなタイプですよ? すぐに落ち込んで、すぐに立ち直って、すぐに暴走するし」
そこに至ってメイが人差し指を立てながら、あははと笑う。暗に遺伝だと言われて、似ている事を褒められたとは思いがたい状況にコトネはぐうと唸る。
「ま、サクラがコトネの娘なんは乳見たら分かるやろ」
「おいコラ」
アカネがぼやいた言葉に、コトネは素早くそう返す。
「そうですね。キレると何しでかすかわからない所も同じです」
「まてコラ」
メイの追撃に更に素早く返した。
落ち込んでみたかと思えば、今度は貶されて凹みそうだ。コトネはそんな風に思いつつも、しかしまあ、落ち込んでいるよりは万倍マシかと自問自答をする。
「ま、今はそんな事より――」
柏手を打って場を締めたシルバーの声で、一同は佇まいを正す。向き直れば、そこにコトネを茶化した笑みは無い。
「手持ちの最終チェックが済んだなら、さっさと行くぞ。遊んでる暇はねえんだ」
――いや、茶化したのお前だけどな。
なんて事を思いつつも、コトネはふうと息を吐いてから腹に力を込めた。そして頷く。アカネやメイも、いつの間にか真面目な表情に戻っていた。
そして、一行は朝焼けに照らされ、がらんどうな暗闇に見える入口へ、歩を進めるのだった。