天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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し×××な日々。

――何が起こったの……?

 

 私はレパルダスに連れ出され、大嵐で一面が水溜まりとなってしまっている大地に下ろされました。レインコートが庇いきれない足首や手が汚れるのも構わず、私は大地に膝を折って、手を着いたまま動けませんでした。

 

 目の前で崩れた我が家。そして、レパルダスが飛び越して来たらしい大地に深々と空いた大穴。

 

「ああ、ああああ……」

 

 私を庇って、命を賭した、家族。

 

『サクラ! しゃんとなさい!!』

「……ルーシーが、ルーシーが」

『嘆くのは後にしなさい! 逃げないと全てが無駄よ』

 

 叱咤する声はレパルダスのものです。しかし、その声が、今まさに目の前で失われた声とどこかダブって聞こえました。

 

 私が出してしまったからいけなかったのでしょうか。私が身重だったからいけなかったのでしょうか。……私がいけなかったのでしょうか。

 

――何で、ルーシーが死ななくちゃいけなかったの……?

 

『サクラ! 危ない!!』

 

 その時、レパルダスが叫び声を上げます。私が着ているレインコートのフードを噛み、力任せに引っ張られました。

 

 当然の如く私は首を絞められたような形になり、喉の奥に激痛を覚えます。しかし、そんな事は言ってられないようでした。引き摺られるようにして連れられた先で、レパルダスが私を庇うように前に立ちます。

 

 先程私が呆けていた場所へ、家の中から見た閃光が降り注いできます。その閃光と時を同じくして暴風が巻き起こり、私を庇っていたレパルダスが苦悶の声を上げました。

 

『――っ!』

 

 閃光は大地を穿ち、細かい石や砂を巻き上げます。暴風に煽られてそれらが私を庇うレパルダスへ降りかかりました。その瞬間、彼女はギャアと悲鳴を上げて、膝を折ります。

 

「レオン!?」

 

 呆けていた私は、その頃になって漸く理解しました。

 

 ()()()と呼ばれた驚異が、既にワカバの空に居る事を。

 

 辺りは雨雲のせいで薄暗くなり、降り注ぐ雨粒のせいで視界も悪い。空を素早く一瞥した限りでは、そのポケモンの影すら見えませんでした。

 

『大丈夫……』

 

 敵の姿が見えないのは不安ですが、私は痛むお腹を片手で庇いながら、膝を折ったレオンの元へ這いずる形で寄ります。振り向いてくる彼女の顔に、私は息をする事も忘れそうでした。

 

 左目へ深々と刺さった鋭い石。流れる赤黒い液体は、どう見ても彼女が言うような『大丈夫』とは思えません。

 

「レオン。ごめんね、レオン」

 

――私が呆けていたせいだ。

 

 彼女は気丈に振る舞いますが、どう見ても痛々しいその姿。背へ腕を回し、私は彼女の体を抱き締めます。

 

『何か刺さってるなら抜いて頂戴』

「……石が、石が刺さってるの」

『構わないわ。抜いて』

 

 気丈に言い放つ彼女。私が震える手で彼女の左目に刺さる石へ触れると、苦悶の声を漏らしました。

 

 それでも抜けと言われ、私は思わず目を瞑り、下唇を思いきり噛み締めながら、引き抜きました。

 

「――っ!!」

『ああっ!!』

 

 悲鳴と鳴き声を同時に上げ、彼女は踞ります。私は引き抜いた石を放り投げ、レインコートの裾をたくしあげて、その下に履いていたスカートを思いきり引き裂きます。

 

 破れた布を円周上に引きちぎり、それを呻く彼女の顔に巻き付けました。がらんどうになった左目だけを塞ぐように、たすき掛けのような形に。犬歯を剥き出しにして痛みをふうと堪えた彼女は、私が布の端を結ぶなり顔を上げました。

 

『いい? サクラ……。今は嘆いている暇はないの。貴女と貴女のお腹の中の子の命が何より大事。その為なら私達は命すら惜しまないわ』

 

 そして早口にそう捲し立てられます。

 

 胃が縮こまるような圧迫感を感じ、喉元が震え、唇から力が抜けるようでした。それでも、私はこくりと頷きます。

 

『皆を出して。貴女を絶対に守り通すわ』

「……うん」

 

 私は頷きます。

 

 レオンの首に提げられているベルトから、ボールを三つ取り上げます。何れも荒い傷がいくつも残るような、古びたモンスターボール達。その傷が示す長い時間を共にしてきた家族達です。

 

 豪雨で暗い中、閃光が三つ。

 

『……ルーのやつ、逝っちまったかよ』

 

 長い体躯をうねらせ、愛らしい顔付きからはあまり想像がつかない荒っぽい言葉遣いのオオタチ。ロロと言う名前の彼は、どこか寂しげな表情をしていました。

 

『言うな。ボクだって寂しい……』

 

 白い体に桃色の触腕、リボンを着けた愛らしい見た目のニンフィア。悲しげに視線を落とす彼の名前はリンディー。

 

『サーちゃん。サーちゃん……』

 

 泣きながら出てきたのは、緑色の体を持つ可愛らしいキレイハナ。私の腰元へすがるように抱き付いて来て、嫌だ嫌だと言うように首を横に振る彼女は、ラヴィと言う名前です。

 

『……ロロはお父様を捜してきて。リンディーはサキかお母様が近くに居るだろうからそちらを。ラヴィは私と一緒にサクラを避難させるわよ』

『おう』

『了解したよ』

『任せて』

 

 私の前でレパルダスが一同を見据え、そう告げます。四匹は互いを確認し合い、頷きました。

 

「……待って」

 

 その家族達を、私は向き直らせます。

 

 レパルダスの鋭くも毅然とした眼差し。

 オオタチの怒りを秘めた眼差し。

 ニンフィアの寂しげに揺れる眼差し。

 キレイハナの痛みを圧し殺すかのような眼差し。

 

 ゆっくりと一匹一匹を見据えていき、私は頷きました。

 

「皆、死なないで……」

 

『無茶を言うわね』

『レオの言う通りだ』

『サクラらしいです』

『サーちゃんこそだよ』

 

 私の言葉に、思い思いの返事がきます。その言葉に私の目から涙が溢れ出しました。震える唇をゆっくりと開き、言葉を吐き出します。

 

 

「レオン、()()()()、ロロ、リンディー、ラヴィ……。宜しくね」

 

 

 そこに居る四匹は、私の言葉に頷きます。目に見えているのは四匹だけですが、何処かから『任せろ』と聞こえ、先立った彼の遅すぎる返事が聞こえたような気がしました。

 

 駆け出すオオタチは崩れた我が家の方へ。ニンフィアは辺りを見渡してからひとつ頷いて研究所がある方へ。キレイハナは私の背を押して私を立たせ。レパルダスは苦痛を堪えながら私を背に負いました。

 

『ラヴィも乗りなさい。何か飛んできたら任せるわ』

『うん。ラヴィ頑張る!』

 

 レパルダスの背に馬乗りになった体勢で、お腹を庇いながら彼女の首にしがみつきます。キレイハナは私の肩に乗って、『重たい? 大丈夫?』と聞いてきます。大丈夫と返せば、彼女がレパルダスに行こうと告げました。

 

 即座に疾走するレパルダス。

 

 流れる景色を横目に、お父さんは大丈夫かなと視線をやり――。

 

『サク、わりぃ……』

 

 言葉と共に、降り注ぐ閃光の先から動かないお父さんの身体をくわえ、投げるオオタチの姿。心臓が止まったように感じ、視界が歪みました。

 

『約束守れねえわ。許せ』

 

 そして轟音。

 

 バカみたいに極太の閃光が彼の身体を飲み込み、一瞬にして蒸発させてしまいます。身体が震え上がり、すぐにでも駆け出したい衝動に駆られますが――。

 

『サーちゃん。ダメよ』

 

 キレイハナの震える声にそう告げられました。彼女が花吹雪を閃光の方へ放ち、襲い来る暴風を止めて、飛んでくる破片を撃ち落とします。

 

『……レオン、ごめんなさい』

 

 そう零し、キレイハナは私の肩にしがみつく手に力を込めました。

 

『ロロが逝っちゃったから、ラヴィ、パパ助けてくるよ。いい?』

『ええ。お願い……』

 

 もう、分かっているのでしょう。

 

 皆、分かっているのでしょう。

 

 襲い来る未曾有の恐怖から、生き残れる可能性はとても低いと。私を生き延びさせる事と、私のお腹の中の命を繋ぐ事だけが、皆の正義だったのです。

 

 私の肩から飛び降りたキレイハナは、短い足でとてとてと駆けて行きます。気絶したらしいお父さんを抱きしめ、その後彼女は彼から離れて行きました。

 

『やーい、こっちだよー』

 

 なんて、歳に似合わない子供っぽい挑発をするのです。私は後ろ手になる彼女の姿を、最後の最後まで、歪む視界で見続けていました。

 

「ラヴィ……」

 

 私がそう呟くのを、まるで待っていたかのように、白銀の光が落ちてきます。きちんと計らったのか、その閃光はお父さんに被害が出ず、キレイハナだけを飲み込んでいきます。

 

『サーちゃん。大好き……』

 

 私の口に、鉄を舐めたかのような味が広がりました。歯噛みした口内が、もう痛みさえ忘れさせてくれます。

 

 疾走と共に遠くなる景色。伸ばしても届かないと分かっていながら、私はレパルダスに掴まっていない手を後ろに伸ばしていました。

 

 もう、届かないのに。もう、助けられないのに。もう、死んでしまったのに。

 

 声にならない嗚咽が、私の息さえも止めてしまうかのようでした。

 

『……くっ』

 

 その時、私の視界に光が射します。ハッとして正面に向き直れば、目の前が光に包まれていました。

 

『させるか!!』

 

 そこへ飛び込んでくる白い影。

 

『シャノンに伝えたよ! もうすぐ来る!!』

 

 正面に絶叫と言う他がない音波をぶちかますニンフィア。その背をレパルダスが踏み、彼が生み出した反動を活かして、体躯を反転させます。

 

『サクラ、元気な子供を……』

 

 レパルダスの踏み台になった彼は、まるで満足したかのような笑顔を浮かべていました。その姿は、相殺しきれなかった閃光に飲まれ、消えていきます。

 

 もう、心が麻痺したかのようでした。

 

 何も……もう何も、感じる事が出来ません。

 

『……サクラ。ごめんなさい。森に逃げるのは難しいわ』

 

 反転した体躯を再び疾走させ、レパルダスはそう告げます。正面には横たえたまま動かないお父さんの姿。駆け寄りがてらに一度首を下げた彼女は、地面に転がっていたらしいボールを上へ投げて寄越します。

 

 Mの烙印。紫色のボール。

 

『これを……持って、て……私が……つけ……』

 

 レパルダスの声を、どこか遠くに感じながら、受け取った私は()()()()()()()を、何も考えずに投げました。

 

 眼下でレパルダスが驚愕の色に染めた顔を向けてきます。そんな彼女に私が目を向ける事はありませんでした。何かを叫んでいるようですが、何も理解出来ませんでした。

 

 心を染めるどす黒い何かに、支配されてしまったようです。

 

「……ごめんね。ホウオウ」

 

 現れた巨大なシルエットに、私は呟くように指示を出します。このポケモンのマスターは私ではありませんが、長い付き合いです。聞いてくれるでしょう。

 

「……ルギアを、()()()

 

 私は、今まで一度も出した事がない指示を出しました。


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