天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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第三話
燃え堕ちた命


 何が起きているのかと理解するには、一分一秒と言う単位では足りる筈が無かった。

 故郷『ワカバタウン』から黒煙が上がっていた。

 言葉にすればそれで済むが、そこはサクラにとって一四の歳を迎えるまでを過ごした町なのだ。その町が燃えていると、目で見て理解はしても、心が追いつかなかった。

 ただただシルバーの腰にしがみ付く事しか、出来なかった。

 

「急げオンバーン!」

 

 シルバーの荒々しい指示を受け、オンバーンは猿か蝙蝠に近い高い声色を漏らして、一際強く羽ばたいた。

 体への抵抗がぐんと増し、飛行速度がずっと速くなったことを悟る。

 

 思わず腕を震わせれば、シルバーが素早く振り返ってきた。

 

「サクラ! 自分をしっかり持て。ただの火事なら俺が行けばそれで済む。絶対に手を離すんじゃねえぞ!!」

「は、はいっ!」

 

 荒っぽい口調は、余裕の無さの表れだろうか。

 先程と人が変わったかのような厳しい口調は、まるでサクラを咎めるようにも聞こえた。表情も厳しく、強面の印象を惜しげ無く曝け出しているようだった。

 しかし、サクラも理解している。

 おそらく距離にして五〇キロ以上は離れている所から、その煙が見えると言う異常事態。只の火事な訳がない。近隣の森に引火しているか、はたまたワカバタウン全土が火に包まれているか……どちらにせよ、間違いなく小火ではないだろう。

 そして、そんな状況になるまで火災が放置されていることも腑に落ちない。ただの火事なら、水タイプのポケモンが一匹居れば、すぐに鎮火している筈なのだ。

 

 つまり……それは……。

 

 

――リーン。

 

 

 その時になって、漸くだった。

 

「……鈴の音?」

 

 混乱するサクラの脳に、その音が割って入ってきた。

 不意に気がつけば……ここは空中。何気なく聞こえる物音としては、随分と不自然なものだった。

 とすれば、先程は聞き流したそれだが、ここに至って初めて自分が『鈴』を持っている事を思い出す。

 

 ふと、リュックサックを振り返って、少女は息を呑んだ。

 

――リーン。

 

「し、シルバーさん!!」

 

 リュックサックのポケットから漏れ出る光。

 そこに収めているのは、これまで一度として鳴った事がない、水色の御守り。両親が残して行った『海鳴りの鈴』。

 それが今、淡く、強く、蒼く輝いていた。

 

「鈴が、鈴が光って……」

「何!? オンバーン、速度を落とせ」

 

 指示を受け、オンバーンは短く鳴いて、緩やかな軌道を描く。二度、三度、翼を羽ばたかせ、空中で停止した。

 バランスが安定すると、シルバーはゆっくり振り返ってくる。

 サクラは後ろ手でリュックサックから鈴を取り出して、彼へ見せた。

 

――リーン。

 

 水色の透き通った鈴が、澄んだ音を漏らす。

 透過している部分を見透かしても、中で何かが動いている様子はなく、何を以って音を鳴らしているのかは分からない。それでもその鈴が鳴っていると思えるのは、決して反射している訳ではないような光量で瞬いているからだ。

 言わずもがなだが、こんな風に輝いていた例は無い。少なくとも、サクラは知らない。

 だが、その輝きを一瞥したシルバーは目を細める。

 

「……笑えねえ冗談だ」

 

 えっ、と聞き返すサクラに、シルバーは落とすなと告げてくる。

 今一度オンバーンの背を叩いて、急げと指示を出した。

 

 一目には全く同じような指示を受けるオンバーン。しかし、主の焦りを受けてか、先程の加速とは全く別の……そう、疾走と言う言葉が似合う急激な加速を果たす。

 

 その最中、シルバーは肩越しに振り返ってきた。

 風を切る音と共に、微かに彼の言葉が聞こえてくる。

 

「サクラ、お前がそれを持ってきていて助かった」

「え? ど、どういうことですか!?」

 

 風の音に聴覚が支配されるような速度の中、後ろに居るサクラの声がシルバーに届くかは分からなかった。しかし、彼は聞き取ったのかそうでないのか、今一度続ける。

 

「それはLを目覚めさせる鍵だ。そいつが反応してるって事は、ウツギ研究所に封印されてる本体に何らかのアクシデントがあったって事だ!」

「ウツギ博士に!?」

「違う。Lに、だ!」

 

 あまり利口ではないサクラは、彼が何を言っているのか分からなかった。

 記憶のどこかに引っかかっている『L』という単語が警鐘を鳴らすような気がしたが、それよりもずっと見逃せない単語が転がっている。

 

 ウツギ研究所に封印されている本体。

 それが何たるかは分からないし、態々否定されたが……サクラの心配はおよそ当たっているのではないだろうか。

 ウツギ研究所にある本体とやらにアクシデントがあったのなら、それはウツギ博士に何らかのアクシデントがあったと言う事にも近いじゃないか。

 

 何を以って、博士の身よりもそれを優先しているのか。

 そう問い質そうとしたサクラだが、それより早くシルバーが振り返ってきた。

 

「研究所に近い所に降りるスペースはあるか!?」

 

 険しい顔付きで問い掛けられ、思わずサクラは肩を震わせる。

 何も牽制された訳ではないのに、悠長な事を尋ねている暇はないと言われた気がした。

 

 疑念を払う。

 サクラは一つ頷いて唇を開いた。

 

「目の前はウツギ博士の家です。その奥の私の家の前の方が開けてます」

「目印はあるか?」

 

 サクラは自分の家のシンボルと言えば一つしか無い。

 何よりも確かなシンボルだ。

 

 即座に言葉を返した。

 

「サクラの樹が、桃色の花をつける樹が咲いてます!」

 

 

 

 ワカバタウンの上空まで一時間も掛からず。

 オンバーンは一息に飛びきった。

 

 ポケモン協会が制定している安全飛行速度は明らかに越えていた。そんな速度で一時間も飛行出来たのは、一重に彼がシルバーに育てられたポケモンだからだろうか。

 育成の過程を抜け出ていないとは彼の弁だが、普通のポケモンなら、半時間も全力飛行を続ける事は叶わないだろう。

 

 丁度ワカバタウンの上空で、オンバーンは力尽きたようだった。

 少女が震える指で差したスペースへ、殆んど垂直に墜落した。

 

 それでも主と少女を落とす訳にはいかないと、彼は足と羽で地面を抉って……そのお蔭か、サクラが背中から投げ出されたのは、きちんと減速されてからだった。

 同時に投げ出されたシルバーに腕を掴まれ、地面へ着く前に身体を抱き締められる。

 

 何が起きたか分からなくなったが、シルバーに庇われている事だけは分かった。

 そのままどちらが上で、どちらが下か、分からなくなるような衝撃を受けて……やがて落ち着く。

 

 ハッとして身体を起こせば、目の前には緋色に染まった町並み。

 大地に身体を投げ出して、横たわるオンバーンを認めた。

 

 不意に手元を改めれば、地面には苔が生い茂っている。

 隣で身体を起こしたシルバーは、黒いスーツを泥と緑色の液体で汚していた……おそらく、サクラを庇ってくれたのだろう。

 

「良く働いた。ゆっくり休め」

 

 そう言ってオンバーンを戻すシルバー。

 その後怪我は無いかと聞かれた。

 

 しかし、サクラは応えられない。

 首を縦に振ろうと思っても、身体が震えて動かなかった。

 

 決して無茶な着陸が怖かった訳じゃない。

 

 ただただ、目に見える景色が信じ難くて……あまりに衝撃的で……耳で聞こえる言葉や音が、脳で理解するまでに及ばなかった。

 まるで、身体と心が真っ二つに裂かれてしまったような、そんな感覚だった。

 

「ああ……。あぁぁ……」

 

 口元に手を当てて、サクラは喉を震わせる。

 ふとすれば涙が溢れそうで、今に叫び出したい感覚を覚えた。

 

 町が……燃えていた。

 上空から確認したので確かめるまでもない。

 その火は、ワカバタウン全体に拡がっていた。

 

 それは勿論、サクラの家も例外ではない……そう、オンバーンが堕ちる時、咄嗟に指を差したのは、サクラの家のシンボルが既に無かったからだ。

 

 燃えていた。

 

 見慣れていた自分と同じ名前の樹が、何年も過ごしてきた自分の家が、両親を待つべき場所が……緋色の炎に包まれ、黒煙を上げていた。

 

 じりじりと肌で感じる熱量は、今に生き物のように動き出して、サクラまでも呑み込んでくるのではないかと思わせる。

 それが純粋に怖かった。

 そして、脳裏に過ぎる両親の写真や、数々の記憶までもが焼かれていくようで、胸が痛い。

 

 不条理な現実に、怒りさえ無かった。

 

「なんで……。どうして……」

 

 ぽつりと零す。

 シルバーが傍らへ歩いて来て、頭を撫でてきた。

 

 視線を向ければ、切なげな表情が映る。

 とても悲しそうな顔で、彼は首を横に振った。

 

「すまない。酷だと思うが……すぐに研究所を見に行きたい。一緒に来てくれ」

 

 正に言葉通りの酷な申し出だった。

 しかし、このままここでぐずる訳にはいかないだろう。

 震える身体でこくりと頷いて、目尻から溢れた涙をぎこちない手付きで拭う。案内は要らないかもしれないが、こっちですと指差して先導した。

 

 サクラの樹が折れても、家を無くしても、育ての親まで失いたくはない。

 故に、辛さ、悲しさを噛み殺す勢いで、彼女は足を投げるように動かした。

 

『後でたっぷり泣けばいい。後でたっぷり悔やめばいい。今しか出来ない事に全力を出すのは、若者の仕事だからね』

 

 サクラの頭の中に、昔ウツギ博士から受けた説教が過ぎる。

 あれは……確か、クラスメイトに虐められて、喧嘩した時の事だった。

 相手がサクラを『英雄の子供のくせに、馬鹿だ』と言って、挙句『お前の親なら両親も大した事無いな』なんて言ったものだから、思わず跳びかかってしまったのだ。

 おまけにサクラの親友までもが便乗して跳びかかったものだから、酷い乱闘が起こって、保護者会議になってしまった。

 その説教は、それに出席させてしまった事をウツギ博士に詫びたサクラへ、彼が微笑みながら何とも無いと言った言葉だった。

 

 ああ、何でこんな事を思い返すのか……。

 

 サクラは首を横に振って、足を進める。

 両腕を振って、足をもつれさせても踏ん張って、必死に前へ進む。

 

 そして、息が出来なくなった頃……研究所の前、倒れ伏した一人の人影を見付けた。

 

 その顔を見て、堪えた涙が決壊した。

 ドクンと音が鳴って、息が詰まった。

 目の前の景色が、色を失ったような気がした。

 

「はか、せ……。博士ぇぇ!!」

 

 見間違う筈がない。

 一目に解らなければこれまで過ごした十数年は全て嘘っぱちだ。

 

 うつ伏せに寝ていて、顔だけがこちらを向いていた。

 特徴的な丸眼鏡は掛けておらず、その双眸は力無く閉じられている。

 

 白衣には血を思わせる朱と黒。

 薄い白髪は、煤を被ったようにくすんだ色。

 

 その姿は、まるで――。

 

 服が汚れるのも構わず、サクラは彼の脇へ駆け寄って、腰を降ろした。

 必死に力を籠めて、彼の体を揺さぶる。

 

「博士、博士ぇえ!!」

「…………」

 

 しかし、男は何も答えない。

 揺さぶった身体に力が籠もる様子も無い。

 

 そんな、嘘だ。

 嘘だ……。

 

 頭に過る考えに、消えろと念じて首を横に振る。

 もう一回身体を揺さぶって、声を掛け……反応が無い姿を見ていられなくて、彼の背中に頭を押し付けるように、頭を垂れた。

 

「おとう……さぁんっ……」

 

 思わず出た言葉。

 昔、不意にそう呼んで、妙な気恥ずかしさを覚えて、慌てて否定した事がある。

 生きているのなら、その時と同じように笑って、『どっちかと言えばお爺さんじゃない?』なんて言って欲しい。

 

 とすれば、彼の身体が僅かに動いた。

 ハッとして改まれば、その瞼が僅かに開いている。

 

「……ぁぁ」

 

 漸くの反応は、どこか虚ろな風だった。

 涙を流しながら彼が声を漏らした姿に安堵し、サクラは良かったと告げる。

 

 しかし――。

 

「サクラ……」

 

 シルバーの声を聞き、振り返る。

 彼は、目を伏せていた。

 

 まるで痛みを堪えるような素振りに見えた。

 思わずサクラは目を見開く。

 

 もう一度博士を見た。

 

「ぁぁ……。ぁああっ……」

 

 うつ伏せに寝ている彼の腹部。

 その腹は、大地に着いていない。僅かに浮いていた。

 

 腹と地面の隙間に、石のような何かが見える。

 それは陰っていても分かる程、真っ赤に染まっていた。

 腹を、石に抉られている……疑いようも無く、致命傷だった。

 

「やだ、やだ……。やだ、博士っ!」

 

 思わずサクラは悲鳴のような声を上げる。

 認めた先で、薄く開かれた瞼の下、瞳がこちらをジッと見据えていた。

 彼の口角が、やけにゆっくりと笑みを浮かべる。

 

「サク……ラちゃ……」

「ダメぇ。喋っちゃやだぁ!」

 

 力無く動いた手を、サクラは握る。

 

 もう間に合わない。

 それは確かだろう。

 

 ワカバタウン全土の火は、医療施設をも燃やしていた。

 それに、仮に施設が残っていたとしても、この傷では……。

 

「よく、聞いて……欲しい」

「博士ぇ……」

 

 泣きじゃくるサクラへ、その右手は髪を撫でるように伸ばされた。

 

「たびを、するんだ……いい、ね? おとうさ……と、おかあさん……の、ように」

 

 

 そしていつか、誰にも負けないトレーナーになろう。

 いつか、いつの日か、君のお父さんとお母さんがそうしたように。

 そして子供を産むんだ。

 またその子供はトレーナーになるだろう。

 

 僕もその姿を待って――。

 

 

 言葉は最後まで紡がれなかった。

 サクラが支えていた彼の右腕が力を無くし、目を開いて笑顔を浮かべた表情のまま、動かなくなった。

 

 理解が出来なかった。

 

 数秒後には瞬きをするだろうと思える表情なのに、その顔付きは一切動かず、一秒、また一秒、と過ぎて……。

 

 思考が現実に追い付いた時、少女は震え上がった。

 

「い、いやぁぁああああっ!!!」

 

 喉を裂くかのような悲鳴を上げる。

 双眸から止め処なく涙が溢れ、それに構う事無く彼の名を何度も呼ぶ。

 

 だが、反応は無い。

 死んでしまった者は、喋らない。

 

「……サクラ」

「シルバーさんっ! シルバーさぁぁん!! 助けて、博士を助けてよぉぉ!!」

 

 こちらを静観する男に、這い寄る。

 縋るようにその足にしがみ付けば、腰を降ろした彼に抱き留められた。

 

「やだぁ! やだよぉ!! 助けて、助けてぇぇぇ」

「すまない。すまない……」

 

 思いのままに叫ぶ。

 だが、返って来るのは的を得ない謝罪だけ。

 その意味が分からなくて……分かりたくなくて、サクラは必死に叫び続けた。

 

 しかし、そんな一時は、破廉恥な輩の参入で終わる。

 

「おい! 居たぞ。まだ生き残りがいやがった!」

 

 シルバーが肩を動かした。

 

 彼の雰囲気が一転したのを、気が動転しているサクラでさえも、確かに悟った。




加筆修正したら文字数偉い事になった。
ページ分けするのもどうかと思いますし、そのままにしておきます。
これが三〇〇〇文字だったんだから、初め書いた頃の自分がどれ程描写出来てなかったか良く分かるよね。

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