天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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地雷と言うよりは爆弾魔の男

「よう、そこの兄弟」

 

 なんて、声を掛けられたのは、二人が目的地である図書館を真正面に見据えた頃だった。辺りは建物が並んでおり、このまま図書館を過ぎ去って行けばアサギの灯台に着こうかと言う場所。浜辺も近く、さざ波の音がよく聞こえた。

 

 不躾なその言葉は、さざ波によってもたらされる穏やかさをぶち壊すような低い男の声。サクラ達の真後ろから掛けられたものだった。

 

 なんだいきなり、とサキは思う。対してサクラは声を掛けられたのが自分達だとさえ思っていなかった。

 

「……げ」

 

 振り返ったサキが固まる。そこでサクラは初めて振り返る必要性を感じて、彼の視線を追った。そしてハッとした。

 

 黒いアフロヘアーとサングラスこそ、全く覚えは無かったが、この港町でも明らかに()()()いるド派手なアロハシャツが兎に角印象的だった。そして、前開きにされたそのシャツに収まりきっていない妊婦顔負けの腹。見覚えがあった。

 

 確かあれはヒワダタウンでの事。サキがツクシに挑戦する時に、彼の様子を伺いに来たスポンサーの……。

 

「なんでこんな所に居るんだよ、ミヤベ……」

 

 そう、『ミヤベ』だ。

 

 サキのスポンサーである『バトルフロンティア』の管理人の一人らしく、あの時も兎に角アロハシャツと腹が印象的だった。

 

「えー。なんでって言われてもー」

「あ、そっか。昨日ジム戦予約したし、バトルフロンティアってアサギにあるんだよ。サキ」

 

 思わずハッとしたサクラはそう言って説明する。するとミヤベは満足したように、サングラスの下に映える大きな口でニヤリと笑って「そうそう」と頷いた。

 

 そんな男を前に、さぞげんなりした風なサキ。まるで今にも「さっさと帰れ」と彼に言いたそうだった。しかし相手は確かな理由を持っているだろう取引先の重役。常識知らずのサキでも、流石にそんな粗相はしなかった。……もう手遅れだとは思われるが。

 

 対してミヤベはサキの機嫌など全く気にして無い様子だった。

 

「いやぁ、兄弟が来たと聞いてつい駆け付けちゃったよー」

「……あっそ」

 

 そんな風にケラケラと笑う彼に、やはりサキは辛辣だ。何をそこまで毛嫌いしているのかはサクラにしても気になる所だが、何よりも先ずはとお辞儀して挨拶を交わす。

 

「サキがお世話になってます。以前お目にかかりましたサクラです」

「ああ、覚えてるよー」

 

 うんうんとミヤベは頷く。

 

 そこまでは良かった。サクラからして、『なんでサキはこの人毛嫌いしてるんだろう』と思う程だった。

 

「身体大きいけど、()()()()()()()女の子だなーって思ったからよく覚えてる」

 

 ミヤベはあっけらかんとサクラの禁忌に触れた。快活に開かれた口が憎らしい。

 

「ちょ、ミヤベ!」

 

 そこでサキは焦って声を上げた。

 

 彼の隣には笑顔のまま表情を凍らせたサクラ。数秒後に彼女から発せられるオーラを察知して、()()が爆発するまでに何としてもこの場をおさめようとした。

 

「ん? なんだい兄弟」

 

 ミヤベは全く悪びれた様子が無かった。

 

()()()()だろう? ありのまんま言って何が悪い?」

 

 それどころか確信犯だった。

 

 サキは開いた口が塞がらなかった。ガタガタと震えだす振動を感じれば、彼の肩からヒトカゲが飛び降りて、彼の足にしがみつきながら後ろへ隠れる。そこでハッとして辺りを見れば、脇に立っていたシャノンは勿論、ルーシーとレオンはいつの間にかサクラから大きく距離を取ってそっぽを向いていた。

 

――これはやべえ。

 

 サキはすぐにヒトカゲを抱き上げた。すぐに逃げなければと踵を返――。

 

「サーキーくーんー?」

 

 返せなかった。踵を半分程返した所で、サクラに肩をガシッと掴まれ、動作を完全に止められる。

 

「は、はい……?」

 

 な、何で俺が……。

 

 そう思いながら、久しく潤滑油を注されていない機械を思わせる動きで彼女を振り返る。両腕で抱いていたヒトカゲがついに逃げ出して……いや、視界の端でシャノンが彼を小脇に抱えていくのを、少年は見逃さなかった。むしろその高速な動きの中で、余った方の腕を握るかのようにして、こちらに合図を出してきてさえいたように見えた。

 

 あれは、きっとグッドサインだ。ヒトカゲは任せろ、サクラの事は任せるみたいな、そんな風にしか見えなかった。

 

――いや、俺も助けろよ!

 

 少年はそう思ったが、既にシャノンは持ち前の身軽さを駆使してルーシー達の元へ。サクラの向こう側に待機する彼らは、ヒトカゲまでも揃ってそっぽを向いて口笛に似た何かをひゅーひゅーと鳴らしていた。

 

 少年の視界が()()で滲む。きっとその()()が頬を伝って口に入れば、海水を薄めたような味がするのだろう。

 

 視界の焦点は肩を掴んで離さない少女の元へ。彼女はミヤベの方を向いたまま、実に満面の笑みと言う他がない表情をしていた。

 

 これはダメだ。ダメなやつだ。

 

 少年はそう思った。

 

「ねえ、サキくん。一〇秒数えてあげるから、あの失礼なお兄さんを、お姉さんの前で土下座させて欲しいな?」

 

 こちらへ向き直り、少女はにっこりと微笑む。

 

 少年は首が飛んでいってしまうんじゃないかと言う程の勢いで上下に何度も振った。任せろ……いや、是非とも……いや、むしろやらせて下さい。と、そう言うかのようだった。

 

 手が離され、少年はすぐにミヤベの元へ駆ける。

 

「み、ミヤベ! 謝れぇえええ!」

 

 少年はそう叫んだ。

 

 本当に本心から殺されると思っていたからこそ、実に震えた声だっただろう。形相と言えば間違いなく必死で、形振りさえも構っちゃいない筈だ。兎に角、与えられた一〇秒の猶予で少女からの指令を完遂する事しか、彼は考えていなかった。

 

 しかし現実とは非情である。そんな彼の様子を見て、ミヤベは口を大きく開いてにんまりとしたご様子。あれは絶対に謝る気が無い。サキはすぐにそう思った。

 

「アッハハハハ。兄弟も女が苦手かあ。なっさけないもんだなあ!」

 

 そして案の定、腹を叩きながら笑って見せたのだ。

 

 少年は死を覚悟した。

 

 と、同時に背後で聞こえる不吉な言葉。

 

「……さんにーいちぜろ」

 

 数える言葉に対し、その間、一秒も無かった。

 

 確かに彼女は『一〇秒』と言った。しかし、『一〇秒間待つ』とは言わなかった。『一〇秒数える』と言った。

 

 しかし、しかし、あんまりだった。

 

 高速でのカウントダウン、サキが動き出してから三秒も待ってはくれなかった。端っから彼女は少年に出した指示を期待していなかったのだろう。

 

 そして、閃光。

 

「ロロ、ハイドロポンプ」

「ロッ!?」

 

 出され、指示を受けたのはロロことミロカロス。しかし彼女は、まだ水タイプの最高クラスたる『ハイドロポンプ』なんて使える筈がない。

 

 ロロは首を横に振ってそれを主張するが――。

 

「出来るよ――」

 

 サクラはそうぼやきながら、彼女をちらり。

 

「ね?」

 

 そして小首を傾げながらにっこり笑って見せた。

 

「ロォォオオオ!!」

 

 次の瞬間、ロロはハイドロポンプとは言わないまでも、物凄く圧縮して爆発的な勢いをつけた水鉄砲をぶちかましてきた。一応、普段は人に当てちゃいけないと言われているからか、狙いはサキの足下の砂浜だった。

 

――やっぱ、俺なんだな……。

 

 なんて、サキは悟った。

 

 いやはや、ミヤベがデリカシーにかける男なのは重々承知だったのだ。故にさっさと帰れと思っていたのだ。しかし何と言う不条理。

 

 なんでミヤベはサクラまでも毒牙にかけたのか、そしてなんで俺が被害を被らなきゃいけないのか、むしろなんでこんな所にミヤベが居たのか。神と呼ばれる存在が居るのなら、腹に蹴りのひとつでも食らわせてやりてえ。

 

 と、思いながらサキ少年は吹っ飛ばされた。

 

 

「いやぁ、アッハハハハ。なんとも面白いお嬢さんだ」

 

 出落ち宜しくと言わんばかりな爆弾を投下した男は、サキが浜辺でこてりと横たえた姿に大きな笑い声を上げる。一〇歩も歩けば手が届く所にいる少女は、にっこりと笑っていた。

 

「黙れ外道」

 

 そして笑顔に似合わない毒を吐き出す。それを受けて、男は尚快活に笑った。

 

「ハハハ。まあまあ落ち着きたまえよ。若いうちに短気を起こすと皺が出てから後悔するよ」

「あなたの腹の脂肪よりは余程マシだと思うよ?」

「アッハハハハ。こりゃあ一本とられた!」

 

 尚も盛大に笑う男。

 

 その姿を見て、サクラは半ば失われた理性の中で、不意に浮かんだ疑問をぽつりと零す。

 

「ていうかヒワダの時とえらい違いますよね?」

 

 端的に言った。ヒワダタウンで接したミヤベは、笑い上戸でも無ければデリカシーに欠ける人間にも思えなかった。むしろその時にこんな風な事を言っていたら、サクラはサキが彼に見せる態度と全く同じ態度をとってみせていた事だろう。

 

 すると男はこくりと頷いた。

 

「当然。あの時は仕事で、今はオフ。切り替えは心得ているよ」

「へえ。じゃあオフのあなたに攻撃しても、サキには迷惑かからない訳ですね?」

「ハッハッハ。遠慮させてもらうよ」

 

 舌打ちひとつ。問答無用でぶっ飛ばしてやりたい相手ながらも、サクラの標的がサキに変更された理由はまさしくそれだった。ムカつくのはムカつくものの、ご法度を冗談の延長上で流してくれる相手かどうかは彼女には分からなかった。故にサキは吹っ飛ばされた訳で。……合掌。

 

「……はあ。もういいです」

「そうだね。人間諦めが肝心だよ」

「もうしゃべんないで下さい」

 

 サクラは盛大な溜め息を吐いた。

 

 遺憾この上無かったが、これ以上その男に何を言っても無駄な気がしたのだ。それこそ、彼がバトルフロンティアの管理人ならば、サクラがロロに懲らしめるよう指示を出した所で、通用するとも思えなかった。

 

 

 そんな風に肩を落としては、待避していたポケモン達の元へ歩いていく少女。その姿を見つつ、ミヤベはニヤリと笑った。

 

「……Lを御するにはまだまだ若いねぇ」

 

 そして()()()()聞こえない程の大きさで声を漏らす。

 

 サングラスの下の瞳が、横たえて先程からピクリとも動かない少年を見据える。と、すれば、その少年がむくりと身体を起こした。

 

「誰の指示だよ」

 

 そして彼もまた、少女には聞こえない音量の声を漏らす。気だるそうなその様子に、男はくくくと含むような笑い方をして見せた。

 

「……ま、提携組織ってやつだね。大人のジジョーってやつさ」

 

 とすれば少年は立ち上がって服に着いた砂を払う。横目でジロリと男を睨み、彼はぽつりと零した。

 

「後で詳しく教えろ」

「オーケー。兄弟の為なら喜んで」

 

 男は愉快だと言わんばかりに笑って見せた。


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