天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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Change things. Those that do not change.

 シロガネ山の入り口からは僅かに南下。小川を渡り、繁る木々を抜けた先にシルバーの家はあった。と言うか、傍目には家と言うよりは『砦』だった。

 

 塀は高く設けられ、鉄製の格子と石造りの壁を何重も重ねて造られていた。外観こそ周りを背の高い木々に囲まれ、屋根も木々でカモフラージュしていて中々豪勢にも見える。しかし、カモフラージュと防壁がかさ張っているとは言え、外から見れば豪邸な壁の向こうは殆んどが庭で、端っこに古民家が一軒あるようなもの。

 

 つまるところ拍子抜けだった。

 

「外は凄いのに、中はなんか残念じゃん」

 

 ぽつりとコトネは零す。

 

 その感想は想定内だったらしく、シルバーは小さく溜め息を吐いてから「当然だろ」と返してきた。

 

 何が当然なのかと問いかければ、彼は肩を竦めて見せる。

 

「中が全部家なら、サキが全く外に出れなくなるからな。殆んどは庭にした。日に一度は太陽を拝ませるようにしていたが、何分俺が出払っている方が多いからな」

 

 目を細め、彼は古民家を懐かしそうに見ながらそう零す。「なら」と疑問の声を挙げたのはアカネだった。

 

「なんでこんなとこに住もう思たん」

「……あ」

 

 コトネも同じ疑問を持っており、丁度良かったアカネの言葉に、メイが声を漏らす。視線を向ければ、彼女はそれを聞いちゃ不味いと言わんばかりに、苦虫を潰したような表情を浮かべている。

 

 はて。と、コトネがシルバーに視線を寄せれば、彼は目を瞑って項垂れていた。

 

「……色々あったからな」

 

 そしてそう零す。

 

 意味ありげな表情とその言葉にハッとしたのはアカネで、彼女は「すまん」と零して俯いた。……自分が知らない一〇年の間に、何があったのだろうか。

 

「ええわ。中埃っぽいやろうし、うちがさっさと掃除してくるわ。かまへんか?」

 

 そう思えばすぐにアカネは柏手を打ってシルバーに問い掛ける。家具はそのまま残しているから適度にな、と彼は返した。

 

「家具がそのままって事は、メディカルマシンもあったりします?」

「ああ、入ってすぐの部屋にある」

 

 それじゃ私もと相成り、二人して古民家の方へ歩き出してしまう。アカネはなんだかんだ家事が得意らしいし、メイは道中でずっとゼクロムを働かせていた。その言い分こそ最もなのだが、何故か二人の様子は『そそくさ』と言う形容が似合うように見える。

 

 なんだろう、意図的に残された気がする。コトネはそう思った。

 

「……はぁ」

 

 こんな辺境の地だ。鍵なんて元から無かったのか、二人がさっさと古民家へ入っていく。その姿を呆然と見ながら、隣で大袈裟に肩を落とすシルバーから、緊張感が消えたのをなんとなく感じた。

 

「疲れた?」

 

 そう聞いてみる。

 

 シルバーは再度深々と溜め息を吐いた。

 

「ったりめえだろ……。こちとら立場があんだよ」

「うわー、なんか懐かしい口調じゃん」

 

 確かに昔は目付きが悪ければ口も悪い奴だった。老けた見た目と共に落ち着いたものだと思っていたが、どうやらある程度取り繕った姿だったようで。

 

 シルバーは膝を折り、地べたに尻を着けずに腰を低くする。まるでコガネシティの路地裏に潜むギャングのような座り方だった。

 

「……あらら」

 

 凛々しいシルバーと言うのはなんとなく悪く感じていなかったのか、彼が子供の頃にしてたような姿になれば、不意にコトネはそう零した。

 

「んだよ。文句あんのか?」

「いや、無いけど、あんたも苦労してんだねーってさ」

 

 言いつつ、コトネも腰を下ろす。地べたは剥き出しの大地だったが、近くに川があると言うのに特に湿気ている風には感じなかった。

 

「……まぁ、今となっちゃ取り繕ってる方が多いんだけどな」

「会長だから?」

「んなもん当たり前だろ。ちげーよ、サキの前でもっつう事だ」

 

 彼は盛大な溜め息を吐いて項垂れる。

 

 息子の前でも取り繕っているとはどういう事だろう……。

 

 コトネは純粋に疑問を持った。

 

「シノを覚えてるか?」

 

 唐突の質問。

 

 顔を伏せたままの彼に、コトネは怪訝な表情を向ける。何言ってんのあんたと思わず言いたい程の質問で、シルバーがボケたのかとさえ思えてしまう。

 

「……覚えてるかって、あんたの嫁さんじゃん」

 

 そしてそう言及する。

 

 コトネの記憶にはハッキリ残っている。とても美しい女性で、シルバーよりも年上でおしとやかな人だった。カントーのナナシマとか言う地方に住んでいたお嬢様で、何処でそんな逆玉の輿を覚えたんだと冷やかした覚えがあった。

 

 そう言えば、目覚めてからこちら、彼女の様子を見ていな――。

 

「死んだよ。……殺された」

「……は?」

 

 抑揚なく告げられた言葉。

 

 聞き返しながらも、理解が及ばなかった。

 

 死んだとは、殺されたとは、どういう事だ……?

 

「え、ちょ、ちょっと待ってよ」

 

 想像もしていなかった事に、コトネは声を震わせた。

 

 確かにサキは旅をしている。シルバーは協会に缶詰になっているかのようにしている。彼の妻の姿は目覚めてから一度として見ていない。……いや、話にすら挙がっていない。

 

「嘘、でしょ……?」

「なんでこんなとこまで来て嘘吐くんだよ。バカかお前」

「え、だって……。だって……」

 

 思わず口ごもる。

 

 すると彼が顔を挙げた。その表情はコトネが狼狽えているのに対して、まるで対極に位置するような穏やかな微笑。

 

「……ウツギのじいさんからポケモン盗んだからな。その償いだと言い聞かせて、俺は協会に入った――」

 

 

 もう躍起だったよ。

 

 今思えば、本当に何を省みちゃいなかった。

 

 シノとの結婚だって、切っ掛けこそ半ば打算めいたものがあったと言える。

 

 ほんと、ろくでもねえ奴だ。

 

 そんな奴が立場どんどん上げてんだ。

 

 当然周りは面白くねえ。

 

 ある日帰れば、俺の家から火が上がっていた。

 

 家の前で、ガキのサキを拐おうとしているポケモンが居た。

 

 血塗れになりながら、サキを拐おうとするポケモンにしがみつくシノが居た。

 

 俺は即座にそのポケモンを倒した。

 

 シノを抱き止めて介抱してやろうとした。

 

 後ろから迫るもう一匹に気付けなかった。

 

 

 シノが、俺を庇って刺された――。

 

 

「全ては俺のせいだ……」

 

 そう零すシルバーの表情は、それでも穏やかで。

 

 コトネは信じられないものを見ている気分だった。思わず胸に宿る熱さを、彼自身にぶちまけてやりたいとさえ思った。

 

「それじゃ、あんた……」

「ああ」

 

 

――ここに来たのは、妻さえ守れなかった俺が、子供を守れるか不安だったからだ。

 

 

 そう零して、彼はふうと息を吐く。

 

「生きてるうちは、大事な家族って思いはそれでも仮初めだったように思える。……なんで死んでから気付くんだか。……ほんと、我ながらバカみてぇだと何度自嘲したかわかんねえな」

 

 思わずコトネは拳を握った。気が付けば下唇から感覚が無くなる程噛み締めていて、自分でもどこへやっていいか分からない怒りが暴発しそうになっていると分かった。

 

 そして、彼はそんなコトネに微笑みかける。

 

「泣いてんじゃねえよ。バカ」

 

 言われてハッとした。

 

 思わず拳を開いて上気した頬を覆えば、手を熱い雫が濡らす。そこで気付いたが、身体中が震えて、上手く息が出来なかった。やり場の無い怒りと同じように、まるで身体中の力が空回りしているように感じる。

 

 こんな感覚、生まれてこの方初めてだった。

 

「……愛情が、信頼が、足りてない」

 

 そんなコトネをそっちのけにするかのように、シルバーは呟く。

 

「いつしかワタルに言われた言葉だ」

 

 ゆっくりと視線を向けてくる彼に、最早コトネは言葉を出せなかった。嗚咽が喉を塞ぐようで、らしくもない泣き顔を彼に晒してしまう。

 

「……教えてくれたのは、シノだった。最後の最後。死ぬ瞬間にな」

 

 そして彼はポツリと呟いた。

 

――サキを、お願いします。

 

「そう言いながら死んだよ……。あいつはサキを自分の命よりもずっと大切にしていたんだ」

 

 

 おそらくもう彼はその傷を乗り越えたのだろう。だから悲しそうな顔をする事はない。決して悔いる姿も見せない。

 

 きっと何度も悔いただろう。

 きっと何度も泣いただろう。

 きっと何度も自分を責めただろう。

 

 それでも歩みを止めず、彼は今の立場に至った。昔馴染みのコトネにしか見せない素顔を隠しながら、ただひたすらに邁進し続けてきた。

 

 並大抵の道じゃなかった筈だ。ポケモン協会の会長とは、本当に高い頂の頂上だ。

 

 でも、違う。

 

 きっとシルバーがここまで来たのは、それさえ単なる副産物だったのだろう。そう、思えた。

 

 

「泣いても胸は貸さねえぞ」

「うっせえ。分かってるわよ、バカ」

 

 そんな言葉を交わしながら、コトネは微笑む彼に泣きながら言葉を返す。先程まで怒りに胸が焼き尽くされるかのようだったと言うのに、彼の微笑みはコトネが彼の言わんとする事を理解する程に、熱を冷ましていく。

 

 愛情が、信頼が、彼を強くしたのだろう。

 

 その答えが、彼の今を生み出した。残された息子を守ると言う約束に、全身全霊をかけたその結果なのだ。

 

 だから彼は、微笑んでいられる。

 

 

「シノとの約束はまだまだ終わりは見えない。……だが、サキはもう守るべきものを見つけた。償いはそろそろ終いらしい」

「……償い?」

 

 言葉の締めだと言うように零す彼は、聞き返してみれば首を横に振る。……答えるつもりはないと、そう言う事だろう。

 

 だが、その言葉はまるでコトネにも言い聞かせるようだった。

 

「……そうだね」

 

 コトネは頷く。要領は得ない返事だろうが、彼は何も言わなかった。

 

 そう、一〇年分の償いはきちんと清算しよう。

 

 せめてサクラが安全に旅を出来るように、露払いはきちんとしなくては……。

 

 そう自分に言い聞かせた。


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