Bad feeling.
――気が付けばもう夏じゃないか。
コトネがそうぼやいたのは、見るに堪えないワカバの跡地を過ぎ、かつてはヒビキと共に歩んだトージョーの滝を過ぎ、ポケモンリーグへ至る最後の試練の地とされるチャンピオンロードを目前にした場所での事だった。
北にはチャンピオンロード、東にはカントー地方のトキワシティ、そして西には――。
「なんやいきなり……まあ確かにもう七月やけど」
セキエイ高原のゲートにて、コトネの呟きにアカネは肩を竦めながら返してくる。いつぞやから変わりない白のチャイナドレスを纏い、髪を中華風のかんざしでひとつに結った彼女は、格式高いような風貌ながらもいつもと変わりない癖が強い口調そのままだ。
コトネはこれまた赤いシャツに紺のオーバーオールと言う馴染み深い格好そのままで、しかしコガネでは見せなかったような哀愁漂うような薄い笑顔を浮かべる。いや、と言って、彼女の首は横に振られた。
「ヒビキとシロガネ山に初めて行った時も、こんな季節だったなーってさ」
「……さよか」
二人して並んでゲートの西を仰ぐ。視界に映る風景はコトネが覚えている風景と大差無く、無骨で簡素なゲートが四方向へ至るどの道にも配置されているだけだ。
今はシルバーが西側のゲートの職員と話を進めており、メイは物珍しそうな面持ちでしきりに辺りを観察している様子。有り体に言って待ちぼうけだった。
「ねえ、アカネ……」
「ん?」
コガネの地下を思わせるような代わり映えの無い風景に目を細めながら、コトネはぽつりと零す。顔だけで振り向いてくるアカネは、いつもと同じ快活な雰囲気を醸し出していた。しかし、声を掛けたコトネは、何処か沈んだ心持ちを表すかのように影を思わせる表情。
「……サクラ達、大丈夫かな」
そして再度ぽつりと零す言葉。まさしくその言葉こそ、彼女の心境を表すかのようだった。
アカネはクスリと笑って肩を竦める。
「なんや、ちっとは親らしぃなったん?」
「……しっつれーな」
率直な感想を臆面もなく述べる彼女に、コトネは唇を尖らせて返す。まあ確かに、目覚めた時よりはずっとサクラと言う少女を自分の子供として大切に思う気持ちは増している。むしろ、目覚めた当初は質の悪いドッキリじゃないかとさえ思ったものだが、今となっては疑う余地すら無い。
怪訝に思っていた分が、まんまサクラを思う心に変わった……。とでも言えば良いのだろうか?
そう考えれば少しは親らしくなったと言われて、まさにその通りだとは思う。特にサクラと過ごした最後の夜の出来事は、それを彼女から全力で問われ、全力で返した……と、思いたい。あれで良かったのかは未だに分からないのが切ない所だ。
「……まあ、サクラもサキも、うちの子も、うちらが思うよりずっとしっかりしてる。そんなもんやって」
「……そういうもん?」
「せやせや。うちも気が付きゃあアキナにジムリーダーの座取られてたもん」
そう零しながらアカネはさぞ愉快そうに笑う。コトネは彼女が大口を開けて豪快に笑う姿に、なにそれと肩を竦めながら微笑んだ。
「若いって事はそれだけで武器……ですよ」
そんな折り、アカネとは逆側に一人の女性がピョコンと顔を出してくる。後ろ手を組み、屈むように腰を曲げた彼女は、長いウェーブがかった茶髪をバレッタで止めていた。服装はコトネからすれば他の姿を知らないとさえ思える程に定着しきったブラウスとジーンズ。いつもと違うのは有名人らしく、茶色い縁のサングラスを掛けている事ぐらいだ。
メイの突然の参入に僅かに肩を跳ねさせつつ、コトネは彼女へ視線を向ける。
「子供だと思って見てると足下を掬われるものです。かつて私も、先輩風吹かせてた師匠とも呼べる人の足を盛大に掬ってやった事があるんですよ」
佇まいを正しながら、彼女は含むように笑った。その表情と言えば本職は女優らしい彼女がして良いのか甚だ疑問な程、悪どい笑みに見えた。
「……何時だってそう。時代を造るのは若者の仕事で、老兵は黙して去るばかりなんですよ」
「老兵って……」
「……うちら婆さん扱いかいな」
気取った風に語る彼女に、コトネは中々なダメージを負った。つい先日まで「もうすぐ三十路かー」とか思っていたのに、気が付けばお婆さん扱いをされている。あんまりだ。
いや、三八歳は婆さんなのか?
そ、そんな訳がない!
「メイちゃん、君は今全国のアラフォーを敵に回したぞ!」
「せやせや。うちらだってまだ若いわ!」
もの悲しくなってきた心にまだいけると言い聞かせ、コトネは反旗を翻す。確かにメイは容姿も年齢も若いし、実力的には申し分無い力を誇る。それを語るだけの資格はあろう。しかしそれがなんだと言うのだ! ここで退いては本当に婆さんにされちまう。
と、コトネはさぞ憤慨だと主張して見せた。しかしメイはそんな彼女の姿に一瞬呆気にとられたような表情をしてから、すぐさまいやいやと腹を抱えて笑いつつ、そうじゃないと告げる。
「敵さんについてですよ。ほら、お爺さんだって言うから……」
「……あ」
「……あ」
コトネとアカネは表情を凍らせながら固まった。……なるほど、老害には早々にご退場頂こうと決起するべきだったと、そういうわけか。
つまりアレか。
コトネは要らぬ被害妄想を発揮して、さながら自分を婆さんだと言ってしまった。と、そういうわけか。
開いた口が塞がらなかった。
「何を三文芝居繰り広げてんだ?」
そこへシルバーが帰ってくる。何時ものスーツ姿に、銀縁の眼鏡の奥に、苦笑を堪えたような表情を浮かべて、彼はこちらへ歩いてきていた。
コトネとアカネはハッとする。
――まさか、聞かれていた?
「婆さんだと自覚すんのは結構だが、シロガネ山でへばってくれるなよ?」
「ちくしょー!」
「シルバーのアホー!」
しっかり聞かれていたようで。
二人して自業自得ながら、メイとシルバーを睨みつける。ここがゴーストタイプのポケモンの聖地ならば、きっと二人はフジシロと同じ身の上になっていた事だろう。
そんな呪いがましい視線等なんのその。シルバーは鼻で笑ってから顎で自らの後ろを指した。
「……バカやってねぇで行くぞ」
男の後ろには長きに渡る登竜門を経て、そこから更なる研鑽を積んだ者のみに許された道がある。その道を前にして三文芝居を打つのだから、この一行とはさぞかし稀有な者達だろう。
シルバーの言葉に溜め息ひとつ。歩を開始しようとする三人を引き止めるように、コトネは肩を落として、げんなりした風な表情を浮かべて見せた。
「あー、途端に面倒臭くなってきた……。サクラ連れて逃避行しとくべきだったかなぁ」
そうぼやく。
はぁ? と、怪訝そうな表情を浮かべたのはアカネ。怒ってはいないようだが、投げ槍な彼女の言い分に呆れたような様子で「んなアホな」と溢す。
「こうゆーたら終いやけど、あんたが言い出したんやろ?」
「そーだけどさぁー」
コトネは唇を尖らせてそっぽを向く。
何が不満かと言われれば何もかもだ。もうそろそろしつこいかもしれないが、こちとらいきなり一〇年の時間を失ったと思ったら、色々面倒臭い事の渦中に居たのだから洒落になってないのだ。
気が付けば婆さん扱いされる事に過敏になってきている自分が嫌なら、サクラとキャッキャウフフな時間がもっと欲しかったのも本音。……まあ、そう主張する事が今の自分に求められていない事は重々承知だが。
はあ、とコトネは溜め息を吐く。
「だってさぁ……」
ただ、態々こう主張したのには意味があると言える。コトネは項垂れた顔を上げ、シルバーの背後に続く通路の先を見据えた。
電光に照らされ、無骨な通路はまるで禍々しくは見えないのだが、なんとなく肌に刺さる威圧感はおそらく勘違いではないだろう。
怪訝そうに見直してくる三人には目も暮れず、コトネはぽつりと零す。
「……ぜってえ外に出たらソッコーでリンチされるよ。あれ」
なんとなく感じた事だが、確信があった。
この先から感じ慣れないポケモン気配がする。ただただ漠然的に、本能的に、コトネはそう感じていた。