天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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少女は面を上げて

 アゲハの怒り具合たるや、相当なものだったと言える。少なくともポケモンセンターでサキが予約した部屋にて、事情を聞くまでの間、彼女は明確な敵意を三人へ向けていた。ベッドの上に腰かけるサクラは、黙って話を聞く彼女の一挙動に逐一身体を跳ねさせ、アキラはそんなサクラを庇うように横に腰かけて背を撫でていた。壁に背を預けて、不敵に腕を組み、強張った表情でざっくりとした説明を並べるサキ。対するアゲハは、ベッドの脇で備え付けのテーブルに腰を預けて立っている。

 

 話は前提から結果へ。サクラの命を狙う謎の第三者が、彼女の両親を利用して彼女を殺害しようと試みていると言う形に少しばかり脚色をされて話された。尤も、狙われる理由たる第一種危険認定ポケモンをサクラが持っているのが原因で、またそのポケモンを彼女が野放しにしてしまえば甚大な自然被害があると言う話へ帰結する。嘘は混じっていない。サクラがルギアを野放しにすれば渦巻き列島の二の舞が起こるやも知れず、そのポケモンを狙った謎の第三者がいると言うところも嘘ではない。

 

 ただ、敢えてサキが自らの予想や現状を伏せたのは、彼女を完全な『シロ』にする為だった。

 

 案の定、ほだされたアゲハは、サキの話が「以上だ」と締め括りを受けると小さな溜め息を零す。その表情からは激昂した様子はもう見てとれなかった。

 

「……サクラさん」

 

 彼女は僅かに伏せた視線でサクラを臨む。ごくりと息を呑む彼女に向かい直っては、テーブルから腰を上げて、恭しく頭を垂れた。

 

「すみません。早とちりで酷く怯えさせてごめんなさい」

 

 対するサクラは首を横に振る。その様子を見てか見ずか、アゲハは彼女の二の句を待たずに続けた。

 

「ただ、貴女が居たからエンジュが壊滅的被害を被ったのも事実。ゴールドの娘だからと詰った事については謝罪しますが、私はあの時に一歩間違えたら死んでました。……すみませんがこれについて赦せる気持ちはありません」

 

 そして、堂々と言い切った。

 

「ちょっと、貧弱娘?」

 

 サクラの横で少しばかり声を低くしたアキラが声を挙げた。その相貌は強張り、まるで責め立てるような口振りだった。サクラは再度俯いて言葉を無くし、サキが盛大に溜め息を吐いた。

 

「第一種危険認定ポケモンがサクラさんの管理下にあるが故に、サクラさんはフスベまでのジムを踏破しなくてはいけない。サクラさんの身を狙う第三者が加害者で、サクラさんを始めゴールドや街を襲った暴漢はむしろ被害者。それは理解出来ました」

 

 つらつらと、アゲハは並べていく。しかし言い終えては頭を振って、表情を強張らせた。

 

「だから何?」

 

 その表情には、普段の幼いばかりな仕草など微塵も無く。サクラより年上の女性だと見て分かるような雰囲気さえあった。

 

 あくまでも敵対的な視線で、アゲハはサクラを臨む。その様子はエンジュにおいて生き残った人々がフジシロへ向けていた視線とそっくりで、サクラは少し見上げて彼女の双眸を臨めば、再度俯いて降りかかるだろう罵詈雑言に身を強張らせて構えた。

 

「……そんなの、私やエンジュで死んだ人に関係ないじゃん。『こう言う事だから納得してね』って言われて、ハイそうですかって納得出来る事ですか?」

「貧弱娘! よしなさい。貴女にこの子の何が解るのですか!?」

 

 アゲハの辛辣な言葉がサクラの胸を穿つようだった。アキラが彼女の沸々と煮える心の黒い部分を代わるように捲し立てれば、残された彼女の純粋な良心は鋭い痛みを覚えた。

 

 エンジュで言われていたフジシロへの言葉がサクラへ矛先を変えただけの話。ただしそれが本来あるべき姿であれば、エンジュに居た人々からすれば、サクラこそが間違いもない『加害者』だったのかもしれないと思わせた。

 

――サクラは何も悪くない。

 

 以前カンザキがかけてくれた言葉が蘇る。しかしそれは今回、サクラがサクラの意思でエンジュに居た事が、そうは思わせてくれなかった。

 

 まるで「サクラ(お前)が悪い」とでも言うかのように、アゲハは舌打ちをひとつ。すぐにサクラを庇うアキラへ真っ向から対立して見せた。

 

「アキラ様もおかしいですよ。確かにサクラさんを庇うのは確かに正義かもしれませんが、はっきり言って依怙贔屓以外の何物でもないですよね」

「はあ? 貴女何を言って――」

「だってそうでしょう? その子は身形と身分を変えて、安全な圏外に逃げてるだけじゃないですか。その解決だって、協会の会長やアカネ様方が出張ってるんでしょう?」

 

 アキラが跳ねるようにしてサクラの隣で立ち上がった。顔を伏せたサクラには、彼女がどんな表情を浮かべているのかは皆目見当もつかない。

 

「だから貴女に何が解るのですか!?」

「わたしは!! 私は……私はさっき、アキラ様にご協力頂きたいと申し出ましたよね?」

「それがなんだと――」

「私はゴールドが敵ならば、憧れの人が敵ならば、私こそが止めて見せようと思い至ったんです! 証拠にほら!」

 

 ガシャンと音を立てる。アゲハの足元に、開かれたケースが転がった。サクラは僅かに面を挙げて、彼女が叩き付けた何かを確認する。おそらくアキラも確認しているのか、彼女の言葉はそこで一旦切れた。

 

 転がったのは装飾品の類いではないかと思わせるものだった。羽根の形をしたものや、虫の形をしたものもある。その中に、斜めにカットが入れられた鈍い色のものがあった。

 

 それはトレーナーの力量を示すジムを制した証。鈍色のそれは、この地、アサギシティのジムを踏破したと言う証。

 

「私は海を越える術が無い。船を待つ時間も惜しい。だから助けて貰えませんかと頼もうかと思っていたんです」

 

 そう、それがどういう意味か、サクラはここに至って理解した。フジシロだって、投げ掛けられた罵詈雑言に対し、真摯な態度で自分に出来る事をやったじゃないか。

 

 面を上げる。

 

 いつか見た軽薄そうなアゲハの顔つきは、まるで別人のように真っ直ぐ不敵な表情を浮かべて、アキラを臨んでいた。

 

「私は被害を受けたからと言って泣き寝入りしたりしません。私こそがゴールドを越えて、あの人を止めてやるんだと、腹を据えました」

 

 アゲハの顔がサクラに向く。

 

 合わせた視線を、サクラは逸らさずにじっと見つめ返した。滲んだ視界が、おそらく自分の顔は酷い有り様だとは思わせても、それでも真っ向から見返して、アゲハの言わんとする言葉に真摯に向き合おうとした。

 

「私は……サクラさん。貴女が逃げてる事が許せません。どうしようも無かったとしても、貴女が立ち向かえば、もしかしたらエンジュの悲劇は起こらなかったかもしれない。相手が強敵だから、貴女は一人で旅をしていないんじゃ無いんですか?」

 

 サクラは唇を噛み締めた。

 

 深く頷く。

 

 そして喉から腹にかけてぐっと力を籠めると、今一度上げた頭を再度降ろした。

 

「ごめんなさい。アゲハさんの言う通りだと思います。私は逃げてばっかです」

「……サクラ」

 

 アキラがサクラの言葉に二の句を失った。アゲハの言わんとする言葉も然り、その言葉を受けて、サクラの感性がひとつ感化された姿に舌を巻く。

 

 逃げているだけだ。その言葉は、酷く無責任にも聞こえる。例えばサクラが立ち向かったとして、相対したコトネに手も足も出なかったのは事実だ。しかし話はそんな野暮な事ではなく、サクラの態度や、サクラの姿勢を言い表していたのだ。

 

 敵わないから逃げる。それは正しく自己防衛においての正解。しかし例えば今回、コトネ達が事態の終息に向けて動いていなければ、果たしてサクラはずっと逃げ続けていたのだろうか。……そうなれば、ジョウト中の街が火の海に包まれるだろう。それで良い筈が無かった。アゲハの言わんとする言葉はそこに行き着いていた。

 

 そう気付けば、サクラの心にかかるモヤがひとつ晴れるようだった。

 

「もう逃げません。ごめんなさい。ありがとうございます」

 

 サクラは堂々と面を上げて言い切った。

 

 サクラの言葉に、アキラは二の句を挟めよう筈も無い。依怙贔屓だと揶揄されたアキラ達の彼女への保身も、こうなればその通りとさえ言える。サクラを叱咤して、ルギアを扱えるまでの極致へ誘い、襲い来る仇敵を返り討ちにする。それぐらいの感性で彼女を叱咤激励しなければ、いけなかった筈だったのだ。

 

 何の為の旅をしていたのだろう。

 

 アキラはここに至ってそう考える。ルギアの危機を無くし、世界危機に対する安寧を求める。そんな漠然とした話で、果たして彼女はそれを成せたのだろうか。アキラの目から見てもサクラは才能があるし、実力的には今でさえ申し分なしと言えよう。しかしそれは、心の強さにまで結び付いていたのだろうか。果たして……果たして……。

 

「……アゲハ。言った通りだろ?」

 

 そんな中、喧騒に対しては無言を貫いたサキが言葉を吐き出す。一同が臨めば、彼は不敵に笑っていた。

 

「サクラは悪くねえ」

 

 対するアゲハが肩をすくませた。呆れた表情を浮かべる彼女は、「怖いなぁ」なんて呟いてから、彼の遠まわしな主張にクスリと微笑んだ。

 

「遠回しですね、サキくん。サクラさんが顔を伏せたままなら、私今度こそキレて暴れだしてましたよ」

「サクラはそんな柔じゃねえよ。俺は信じてるからな」

「これだから頭の良い人は……」

 

 一人全てを想定していたらしい少年は、まるでこうなるのが必然的だったと言わんばかりの様子。悔しげに唇を尖らせたアゲハは、しかしサクラに再び向き直った。

 

「不躾な物言いすみませんでした。サクラさんが挫けないと言うなら、私は先の件を許せないまでも、協力は惜しみません」

 

 そう言って頭を垂れた。

 

 そこに至ってサクラはハッとして、こちらこそすみませんと相成った。


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