久しぶりの再会と言う事もあって、アゲハは食事でもいかがですかと三人を誘った。あまり許された時間は多くなかったが、どのみちジムに予約を入れた後は無沙汰にする時間も多い。互いに頷き合えば、彼女の誘いに乗ることにした。
宿舎とジム戦の予約だけを行い、彼女の促すままに海沿いのレストランへ向かう。少し前に着いたと言う彼女は、端々で自分が観光した感想を語りながら先導したものだが、サクラ達が始めに感じた違和感の通り、どこか快活さを失った雰囲気を思わせた。
とは言え、サクラ達に人の心情を窺う程のゆとりは無い。例え話を聞いたとして、協力出来る時間はあまり多くない。彼女らはこれからの事を考える時間が必要であれば、もしサキが提案した通りに行動するならば一週間以上は早くこの地を去りたいと思っていた。故に敢えて聞かずにしておいたのだが、レストランで食事を済ませ、口直しのドリンクを囲った頃、唐突な形でアゲハは申し出た。
「本当にお三方がご無事で何よりです」
そう切られた口火だが、それはあくまでも布石だった。何を以って三人の身を案じたのか、その話へと動く事をサキだけは察した。
夏の海沿いは賑わいを見せる。浜辺であれば特にだ。その海を臨め、海側へ解放されたテラスにおいては、喧騒に撒かれるような雰囲気。昼食時と言うのもあって、喧騒はまるで声をかき消すようだった。しかしアゲハの声はよく通った。少なくとも、三人の耳には確かに聞こえた。
「お三方の旅路の邪魔になるかもしれませんが、どうしてもやらなきゃいけない事があって、強いてはアキラ様にお力添えを頂きたいんです」
あまりに不躾且つ、唐突な発言だった。
当のアキラはへ? と言葉を漏らせば、サクラは何事かと見目を開く。相談に乗る時間が無いと懸念していた二人ではあるが、『警戒』まではしていなかった。唯一それをしていたサキは、どこか諦めた様子で目を伏せ、青いソーダ水をストローで啜る。
聞いてしまっては協力せざるを得なくなる。だが、言葉を切るには彼女の形相は切羽詰まっている様子で、どこか牽制されたようになって言葉を挟む事は叶わなかった。特にそういった事へ根回しが出来るサキが、まるで「口は挟まない」と言わんばかりに飲み物を啜っているのだから、二人が口を開けよう筈もなかった。
アゲハはそんな三人の心境を察してか察せずか、捲し立てるように二の句を吐き出す。
「エンジュで私は見てしまったんです」
そして、やはりその言葉を聞いては、彼女の次の句を聞かざるを得なくなった。もとい、サキからすれば「ご無事で」の言葉を聞いた時から、聞かざるを得ない話だろうとは察する事も出来ていた。無事が示す言葉と言えば、今の時世でエンジュの事を外して考える方が不自然だ。そして普段の印象よりもやつれたように見える雰囲気のアゲハ。そこまで来ればサキにとって、全て予想が付く。
そしてサクラとアキラはと言えば、事がエンジュ絡みだと言われた瞬間に固唾を飲んでしまった。ちらりと横目で彼女らの様子を確認し、サキはやはりストローをくわえたままだった。
「私は幼い頃からあるトレーナーに憧れていました。私のトレーナー人生の目標と言っても過言ではありません」
アゲハは黒のボブカットを潮風に靡かせながら俯く。たわわな二つの実りを挟む腕から伸びた華奢な手は、コップを挟んだまま小刻みに震えた。
そこでサクラはハッとしたように目を開く。
サクラの視線の先で、アゲハの双眸が溢れんばかりの雫を浮かべている。今にも零れそうなそれは、陽射しに煌めくように彼女を儚く見せた。
「ごー……るど……」
息が詰まり、ついには嗚咽を漏らしながら、彼女は零す。
「エンジュを、あんなにしたのは……ゴールドなんです……伝説の、トレーナー、ゴールドなんです」
静かに。
サクラ達にしか聞こえない程の大きさで、彼女はそう言った。
――ガタンッ。
サクラは思わず椅子を打ち鳴らして立ち上がった。アゲハ以上に両の腕を震わし、薄く開いた唇をわなわなと震わせた。
言わずもがなだ。
アゲハは先の騒動で、ポケモンセンターを焼き払うヒビキを目撃した人間だった。
彼女はサクラの様子を見て、訝しげに視線を落とす。何かを聞こうとする素振りを見せたが、そこサキが彼女の動作を遮るように言葉を漏らした。
「それで?」
ハッとしてアゲハは姿勢を正す。横でサクラがサキに睨むような視線を向けられ、手持ち無沙汰に椅子へ座り直って、互いに俯いた。
アゲハは両の手で双眸を拭い、深く深呼吸する。その横でサクラはカタカタと膝を震わせていた。
「……エンジュの件は言わずもがなですよね。あの犯人がゴールドなんです。私はその時ポケセンに帰ろうとして、遠目に見えた憧れの姿に物陰に隠れました。まさかと、もし当人ならどうやって話し掛けようかなと、そう思って――」
アゲハは熱狂的なゴールドのファンだった。彼の旅の装いが一目に判別出来、そして彼の伝説が残る二五年前の資料から幾らか年老いていたとしても、その姿形で見分けが付く程に。
ただ、それでも不安があった。
人違いなら恥ずかしいと思い、物陰から様子を窺ってみた。
すると彼はマスターボールらしきものをポケモンセンターへ投げ入れた。
刹那、閃光。
そして轟音。悲鳴。燃え盛る炎熱。
たけびを挙げるかのような炎が爆散して、辺り一面へ広がる。そこで見目を開いて腰を抜かせば、彼はアゲハとは別方向に居た目撃者へ指を差した。
炎が渡る。
悲鳴、断末魔、轟音。
あまりの恐怖だった。
アゲハはそこからあまり覚えが無いが、気が付けばエンジュをアサギシティの方面へ抜けていたらしい。そこで自らに追手が無い事を確認したものの、目に焼き付いた光景が脳裏から離れなかった。
まさか自分の憧れたトレーナーがあんな事を――。
「ち、違う! お父さんはそんな人じゃない!!」
アゲハの語りがゴールドを揶揄する発言へ移ろおうかとした時、レストラン中に響き渡るかの音量で声が響いた。
机を打つ音が響き、跳ねたコップがひとつバシャリとジュースを撒き散らす。
目を見開いて、肩を震わせる少女。叫んだのは明らかに黒髪短髪の少女だった。そして向かい合う少年は肩を落とし、少女は立ち上がる。
「バカ……」
「サクラ!!」
次いで挙がった二つの声。その内桃色の髪の少女は、己の唇をハッとして塞ぐ。その横でサキが盛大に溜め息を吐いた。
やってしまったと思うには遅すぎた。
唯一席を立っていないアゲハは、みるみるうちに理解を進めたようで、やがて目を見開いてサクラを臨む。わなわなを震わせた唇をゆっくりと動かして、確認するように溢した。
「……さく、ら?」
ぽつりと呟く言葉は、アキラの失態を目敏く指摘し、次いで一歩二歩と後ずさっては顔を青く染めるサクラへ再度唇を動かす。
「今、なんて言ったの?」
普段の恭しい態度を失い、アゲハは睨むような双眸で少女をすくませた。
「お父さんて、言ったのよね」
「ち、ちが――」
「あんたあの男の子供なの!?」
バンと机を打ち、アゲハは否定でその場を繕おうとするサクラに向かっていきり立つ。腰を抜かして尻餅をつく彼女に、酷く強張った形相で睨み付けた。
「ち、違いますのよこれは――」
「アキラ!」
そこで今一度机が打たれた。
打ったのはサキ。先程までほとんど喋らなかった彼が、再び盛大に溜め息を吐きながら立ち上がる。
弁明を否められたアキラはサキに向き直り、アゲハは強張った形相のまま横目に彼を見据えた。サクラは目尻に涙を溜め、彼に助けを求めるような視線を送る。
少年はゆっくりと唇を開く。
「下手な弁明は誤解を招く。場所を移そう。人目を引きすぎた」
サキはその場で最も冷静だった。
全ての懸念要素と可能性を加味し、この事態までもまるで予想済みだったと言わんばかりに落ち着いた表情を浮かべている。その年齢に不相応な両の瞳は、激昂しつつあったアゲハさえ、視線ひとつで御してしまうよう。
彼は今一度口を開いた。
「そいつの正体が公になると、ここがエンジュの二の舞になる。それはお前の望むところじゃあないよな?」
アゲハはサクラに向いた身体をサキの方へ正した。その相貌はあくまでも強張っており、まるで裏切り者とサキを揶揄するかのような表情だった。
「巻き込む訳にいかなかった。巻き込まれる覚悟があるなら、話を最後まで聞け。少なくともお前の憧れたトレーナーは、『あの男』とお前に揶揄されるに至った経緯がある」
落ち着いた表情。落ち着いた声。
サキの姿は、まるでシルバーがそこに立っているようだった。
「弁明はしねえ。説明はしてやる。それを圧してサクラを責め立てるなら、俺は例えお前がなんと言おうと真っ向から対立する」
そこで小さくサキは佇まいを正した。
「サクラは悪くねえ。俺が保証する」