天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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第一〇話
潮風に靡く感傷を抱きながら


 緑豊かな高原は歩き疲れるぐらいの急な傾斜だった。しかし一面に渡る芝生が適しているのか、そこにはジョウト中に名の知れた牧場がある。道もきちんと整備されており、特に観光地としての機能のし易さが窺えた。

 

 高所から一望に収められる景色には、広大とも言える水平線。行き交う船は多く、夕陽を落とす頃合いは『ジョウト百景』に必ず選ばれる程の美しさもあった。そしてその海は、比較的穏やかな事でも知られ、交易や旅客の窓口にもあたる。最近は専らコガネシティのリニアが利便に富んでいるものの、安価かつ風情溢れる船旅を用意出来る港は、ジョウトにおいて他には在らず。

 

 北には高原。そして南には豊かな大海を臨む。

 

 港街『アサギシティ』。

 

 

 タンバシティとを繋ぐ唯一の街に、サクラ達三人が着いたのは、実にコガネを出てから一月後の事だった。

 

 過去に渦巻き列島の沈下により甚大な被害を被ったとされるアサギシティだが、それも随分と昔の話だ。街並みはとても綺麗で、コガネ程では無いが栄えてはいるし、エンジュとはまた違った風情があった。行き交う人々の影もなかなかに多く、情緒豊かな喧騒と言えば、何処かコガネの慌ただしい喧騒と似て非なるもの。

 

 そしてその喧騒を他所に、サクラ達一行はポケモンセンターへの歩を進める。

 

 しかしここに至って、サクラは歩が遅く、影を落としたかのように俯いていた。彼女の姿を横目で気にかけつつ三歩前をサキが歩き、更にその三歩前を険しい顔付きのアキラが歩む。どこか重苦しいその雰囲気は、決して少女らが喧嘩をした訳ではなかった。

 

『フジシロさん! なんであんたは居なかったんだ!!』

『あんたが居ればあの子は守られていたのに!』

『なんだ戻ってきたのか名前だけのジムリーダーさんよぉ』

 

 少女らの表情の所以は、ここに来るまでに経由したエンジュで、決して彼女らが目を反らしてはいけないと思わせる光景を見た事だった。

 

 瓦礫と化したポケモンセンターの前に並ぶ華。ポケモンジムの残骸から運び出されていく命だったもの。そして、責務を果たせなかったフジシロに浴びせられる罵声。

 

 果たしてフジシロは決して目を背けず、陳謝しながら様々な人の罵詈雑言を受け止め、要望を聞いて回っていた。そこまで彼と同行していたサクラ達も、許される猶予の限りを彼の手伝いに費やしてきた。故に一月。普通ならばゆっくり歩いても半月の行程を、一同は半月をエンジュの復興作業の手伝いに費やして、今に至る。

 

 目を逸らして良い筈がない。

 

 サクラからすれば、犯人が誰であれ、自分がエンジュに居たが為の結果なのだから。

 

 復興の手伝いを心を磨り潰す思いで、かつワカバの時は出来なかった分の想いを込め、サクラは必死に働いた。例えばここを見てみぬフリをして行くのが正しかったとしても、彼女にはそんな正しさは無い。仮にあったとしても、もう二度とそんな正しさは使いたくなかった。それこそ、ワカバの時のように。

 

 フジシロに罵詈雑言を浴びせる人にも、サクラ達の援助を恨めしげな被害妄想で突っぱねる人さえも居た。そこはまさしく、『地獄絵図』と言う他は無く、真の窮地に人の醜さと言うものが露になっているようでさえあった。手や足ばかりではなく、心にどっとした疲れを残すような、そんな日々が続いた。

 

 

 やがて一同は二週間という時間をその地獄絵図で過ごし、僅かばかりながらも所持金を寄付しては街を出る。その時までずっと駆け回っていた彼女らは、街を出る際に心優しい一部の人から暖かい言葉と、もう売り物にはならないショップの物品を譲渡され、これからの無事を祈る言葉と、復興の約束を貰えた。

 

『八つ当たりして悪かった。お嬢ちゃんが妻の写真を見付けてくれなかったら、わしは希望さえ失っていた』

 

 その心優しい一部の人の中に、フジシロやサクラに罵詈雑言を投げた人が居た事は、サクラにとって唯一救われんばかりの話。当たり障り無く返し、その老人には旅の折り返しにまた訪れますと告げた。

 

――心の中で、次の被災に当たる『アサギシティ』のそれを絶対に阻止してみせると、誓いながら。

 

 

 さしあたっては残り一月あまり。期限は近い。

 

 アサギシティに着いてはどうするかと思案し、しかしそこに答えを見出だせない姿が、今の俯いた姿だった。

 

 おそらく一番核心をついているのはサキの提案。下手に留まるよりも、期日にサクラ達がアサギシティを離れている事が最も危険を遠ざけるのではないかと言うもの。しかしそれに明確な保証は無く、以前コガネシティの会議でサキが開示した『敵は千里眼を無くした』と言う発言で思い悩む。実際に彼の思案は当たっていたのか、コガネの病院で意識を取り戻したらしいマツバは、ここ三ヶ月ほどの記憶がなかったらしいと、フジシロから聞かされた。

 

 もしもサキの予想が確実に正しいと言えるのなら、きっとサクラ達がアサギに居なくたって、セレビィの中で見た『あの光景』は現実のものとなってしまう。

 

 果たして何が一番正しいのか……。

 

 コガネシティにて母と過ごした最後の一日を思い起こし、サクラは「お母さんは今頃どうしてるだろう」とぼやきながら、難しい問題から目を反らしたい衝動に駆られた。

 

 頭を使うのは苦手なんだ。知識を並べるならば得意な部類だけど、考えて答えを出すのは苦手なんだと、少女は頭の中でごちた。ただでも、そうやって目を反らして、ワカバとエンジュのような光景を生み出して良いのかと言えば否で。特に今回、ワカバで唯一生き残った自分と同じ立場の姿を見ては、生きる希望を無くした老人の姿がなんとも視界から離れない。

 

 不意に溜め息。アサギに着いてからまだ一〇分も経っていないのに、少女は物憂げな視線で空を見上げる。風情溢れる町並みの上空を、ポッポとピジョンの群れが飛んでいた。

 

――生きる希望、かぁ……。

 

 漠然的な苦しみ。一度はサクラも味わった絶望観。そこからサクラを救い出して、サキが与えてくれた生きる希望(その言葉)は、とても暖かいものだった。今は恋心と形を変えて彼女の心の大部分を占めるものだが、果たしてそういうものは、この先エンジュに残る人々に平たく平等に与えられるものなのだろうか……。

 

 胸が締め付けられるように痛みを覚え、サクラは大きなため息を吐いた。五秒と見上げていないのに、首が疲れてしまったように感じる。

 

「……サク」

 

 と、そこで前を歩く少年が言葉をかけてきた。

 

 少女はハッとして、薄く微笑んでから首を横に振って返した。

 

「……大丈夫。ごめんね。何度も何度も」

「いや……」

 

 サキは否定で括りつつも、言葉尻を濁す。サクラを気にかける少年のこの姿はエンジュを出てからこちら、度々見られたものだ。申し訳ないとサクラは薄く儚い笑みを浮かべ、少年に向かって再度首を振った。

 

「なーんも思い付かないや。どうすればいいかわかんない」

「……うん。しゃあない」

 

 サキは一度立ち止まり、サクラを待ってから、歩調を合わせて歩き出す。彼の相貌は穏やかで、しかしどこか遠くを見据えるように、所在なさげな目線を前に向けていた。

 

「二人とも」

 

 その視線の先で、眉を寄せて強張った顔付きのアキラが振り返っていた。

 

「とりあえず話はポケセン行ってからですの。ジムの予約も忘れてはなりませんわ」

 

 怒ったように見える顔付きだが、声色ばかりは穏やかだった。まるで諭すように言われ、サクラは浅く頷いて返す。

 

「アキラも……ごめんね」

「バカサク。貴女が陰鬱に浸りがちなのは周知の事でしょう?」

 

 肩を竦める彼女に、サクラは薄く笑った。

 

「なにそれ。酷い話だね」

「なら、そのバカな頭で何かを考えるような素振りはやめなさいな。似合いませんのよ」

 

 尚もアキラは挑発的に零す。しかしその言葉は暖かく、サクラはそうだねと返した。

 

 道中において何度目かわからないやり取りをしながら、やがてはポケモンセンターにたどり着く。エンジュでは瓦礫と化してしまったその見慣れた装いを見て、どこかサクラは懐かしく感じながら、扉を潜った。

 

 そこで三人は懐かしい声を聞く。

 

「……あれ? アキラ様達じゃないですか」

 

 その顔はポケモンセンターの受付から聞こえた。ハッとしてサクラが顔を挙げれば、その声は受付の前、丁度ジョーイにボールを渡そうとしている女性が肩越しに振り返ってきている姿だった。

 

 背中の半ばまで伸びた艶やかな黒色の髪。くりっとした瞳に、彫りが浅くて儚げに見える顔。成長期を過ぎたと言うような高い声に、女性らしい胸の膨らみ。

 

 三人は声の主に気がつくと、目をぱちぱちと瞬かせた。

 

「あら、貧弱娘」

「アゲハ? なんでこんなとこに」

「アゲハさん?」

 

 と、三者三様に零す。

 

 驚いた顔つきに加え、疑問符が尾を引くのは、失礼ながらアキナに勝たなければここに居ないだろうと思うが故なだけではなく。

 

「サクさん、サキくんも……。御無事で何よりです」

 

 以前は快活で仕草にあどけなさが残っていたアゲハが、酷く沈痛な面持ちで、且つ抑揚の無い声をしていたからだった。


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