天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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プロジェクト・オブ・水入らず【サクラ】

 サクラに用意された店は、コガネと言う都会においては珍しい企業の上層部ではなく、働く庶民に向けられたようなお店だった。割とリーズナブルな値で、しっかりとした食事が取れる事もあって、家族連れの姿もちらほらと見込める。分相応と言うべきか、店内の雰囲気はサクラの年齢でもそぐえる程に穏やかな喧騒だった。

 

 丁度夕食の頃合いな為か、何処からか子供が駆けては母親に叱り付けられる声さえ聞こえてくる。受付で予約の旨を伝えれば、それこそサクラは穏やかな気持ちで辺りの喧騒を目で見て微笑ましく思った。しかしそれもすぐに終わる。サクラはボックス席が立ち並ぶ店内で、店内奥の個室へと通された。

 

 申し訳程度の暖簾を潜り、座敷の席へと案内される。暖簾を隔てた個室とは言え、吹き抜けの天井や、それこそ暖簾の向こうからは滞りなく喧騒が響いた。決して不快な程に煩くはないその声は、どこかサクラにとって落ち着けるような雰囲気だった。久しぶりにこういう雰囲気のお店に来たなと、少女は微笑を零すばかり。目では追えなくなった団欒する家族の姿は、それでも声だけで十分に想像が出来た。

 

 なんかこういうのって、良いなぁ。素直にそう思う。

 

 お色直し宜しく、サキとアキラはとても規律良い服装をしていた。対するサクラは化粧こそすれば、服装は普段着と言わんばかりのブラウスとジーンズ。喧騒に耳を傾けながら、下手に気取らなくて良かったと薄く笑うばかりだ。もしもこれで奇抜な衣装でも着ていたら、自分だけハブにされている心地になるだろう。

 

 果たしてしかし、物事とは巧くいかないものである。少なくともサクラは、現れたコトネの姿を見て「うわぁ……」と零した。

 

 これまでコトネは基本的に赤いシャツとオーバーオールと言う出で立ちが多かった。それは彼女が他に服を持っていない為なのだが、特にお洒落に興味が無いらしい事が大きい。つまるところアカネ宅では一着を着まわし、その一着を毎日洗濯しては、その間サクラだったりアカネだったりから服を借りていたりした。

 

 この日、コトネは一張羅を雨に降られては、それこそ水浸しと言う他無い様にしてしまった。彼女はその後風呂に入っては休むだけだと思っており、それ故の振る舞いだったと言えよう。しかし戻ってみればどうだ。

 

『親御様方へ。子供達の意向により、ささやかながらディナーのセッティングを用意させて頂きました。強いてはお色直しを済ませ、急ぎ下記の場所へ向かって頂きたく。フジシロ』

 

 と言うメモ書きが残されていた。そしてそれを見るなりアカネは美しいチャイナドレスを取り出しては化粧をするし、アカネのもう一人の娘らしい快活な少女が「母さん、スーツ出してくれ」と言って態々帰ってきた。更にはシルバーも普段着にしているスーツとは違い、一張羅と言うべきトレーニングスーツを持って風呂に駆け込む様。

 

 この時コトネは呆然としていた。目前で繰り広げられる物々しい様に、泣きそうになった。

 

 何故ならコトネは服がない。加えて言えば金もない。更にはいつも服を借りるサクラは既に居らず、アカネは忙しなく化粧を始めて声を掛けづらい。

 

「おお……。これが崖っぷちと言うやつか」

 

 なんて、コトネは零したそうな。

 

 しかし救いの手はあった。コトネと同じくレジェンドホルダーにして、我が娘を導いてくれた女性。そう、メイが彼女の肩に手を置いたのだ。

 

 この時コトネは叫ぶようにしてメイに頼んだ。

 

お洒落(おされ)なドレス貸して下さい!!」

 

 と……。

 

 言わずもがなだが、コトネは一〇年の時をどぶに捨てている。その間コガネは様変わりしていれば、フジシロが残したメモ書きに記される店が、『高級』なお店だと、アカネとシルバーの様子を見ては『勘違い』した。

 

 不敵な笑みを浮かべ、メイはこくりと頷く。彼女はコトネの行くべき店が『ファミリーレストラン』だと知っていたが、態々コトネに断られては指摘する程野暮な真似はしなかった。いや、その方が面白そうだと思った。

 

 そんなメイの腹の内を知ってか知らずか、コトネは目を輝かせては彼女にドレスを借りた。胸元が余るからとパッドまで用意してくれる準備の良さには、もう彼女を『神』とさえ崇め奉る勢いだった。

 

 因みにその胸パッドは『機会があったらサクラちゃんに着せよう』と用意していたドレスの為であり、決して神がかった偶然等ではなかった。彼女の本業たる女優としての生業故の、僅かながらの遊び心だった。

 

 はてさて、奇遇を重ねたコトネは今、化粧を重ねて色っぽくなった顔にダラダラと冷や汗を流していた。

 

 美しい桃色のドレス。右肩が露呈したアシンメトリー調で、モチーフは文字通り『サクラの為に用意された』ようなもので、とても鮮やかだった。左肩から下がる布は増強に増強を重ねた胸元でコサージュと出会い、細い括れに至っては、ぶわりと裾へ花開く。大地に向かって咲き誇る『桜』の如く、そのドレスの名前は『チェリーブロッサム』。

 

 そして同じ名前を持つ少女は、そのドレスを纏っている明らかに場違いな母親に向かって、泣きそうな顔をした。

 

「さ、サクラ……。こ、これには深い訳が……」

 

 ダラダラと冷や汗を垂れ流す顔は、場違いな暖簾を開けたままの所でいよいよサクラの普段着姿を見て固まっている。対する少女はどこか煤けたように乾いた笑い声を挙げてから、ソッと目を逸らした。

 

「……とりあえず、座れば?」

「……うん。そうする」

 

 何と言うタイミングの悪さなんだと、呪わずにはいられない。久々の化粧に手間取っては、結局アカネ宅を出るのも一番遅かった訳で――アカネが鍵を閉める為に付き合ってくれたが――。待たせた上に盛大な空振り。

 

 コトネは席につくと平たく頭を下げた。

 

「いやもうほんっと申し訳ない」

「うん。でもお母さん。私もお母さんもお金無いのに、そんな畏まる訳無いじゃん?」

「返す言葉もございません」

「……まあ、うん。仕方ないよ。うん。ははは……」

 

 どこか現実逃避をするように、サクラはそっぽを向いて笑った。この間、コトネは頭を上げるどころか、机に頭を擦り付けんばかりの勢いだった。仮にどこに食事に行ったとて、ぶっちゃけた話コトネは娘に支払いを任せなければいけないと、ここに至って気がついた。お金が無いのだと、気がついた。

 

 故にその頭を挙げられる筈はなかった。金欠とは、実に世知辛いものである。

 

 対するサクラは分相応を弁えた出来た娘に成長したが、それでもコトネの心情を察するには至らない。結局、夕食は重苦しい雰囲気で取る羽目になり、加えて会話のほとんどはどこか煤けたようなものだった。

 

 心地良い喧騒なんて、もうどこにもなかった。あるのはその端々で奇特な格好の母を揶揄する言葉が無いかといった、被害妄想染みた警戒心を発揮するばかりだった。

 

 やがては皿も空になってしまい、折角の水入らずと言うのに二人は大した会話も出来なかった。更にはサクラが用意した『プレゼント』さえ、渡す機会を逸してしまう様。

 

 会計をしながら、先に店を出た母に、サクラは唇を尖らせるばかり。

 

 解ってはいる。多分この店を高級レストランだと勘違いしたのだろうと。むしろ娘に恥をかかせまいと頑張ったのだろうと、解ってはいる。それでもサクラは不幸を呪わずにはいられない。

 

 フジシロの不幸が回り回って自分に至ったのではないかとさえ、思う程だった。

 

 

 因みに彼女らを見守るコガネタワーからの視線は、非常に重苦しい雰囲気になっていたそうな。まさか悪のりがここまで惨い現状を生み出してしまうと予想出来なかった二人は、必死に画面の向こうでサクラを「今だ、声をかけるんだサクラちゃん!」と、「サーちゃんなんでそこで黙っちゃうの!?」と、叱咤激励していたのだが、誰も知るよしは無い。

 

 

 そして舞台は、夜の散歩へ移る。


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