サキが用意されたのは、以前カンザキやメイを交えた五人で邂逅したコガネタワーの高級レストランだった。フジシロが知っていたのか知らずの内なのか、サキは可笑しな因果を感じずにいられないもの。特に案内されたのが前と同じく、だだっ広い部屋だったが故に、特に顕著に感じるばかりだった。
そんな部屋で、手持ち無沙汰に時間を潰すのもどうかと思っては、サキはシャノンを出しては毛繕いをして暇を潰す。気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らす彼女に、サキも普段はそうそう見せない穏やかな表情を浮かべた。
「最近あんま構ってやれなくてごめんな」
そう零しつつ、サキはシャノンの肩を軽く揉んでやる。気持ち良さそうに鳴いては、彼女は少年の言い分を然程気にしていない様子だった。
この毛繕いが中々に久々なのは確かだ。オノンドとオーダイルに関しては、体躯が大きくなってしまったせいもあり、もうサキの手で毛繕いをしてやる事は叶わないだろう。ヒトカゲがまだ出会って日も浅く、特に気に掛けてはいるせいもあって、シャノン達をおざなりにしてしまう事を詫びるばかり。
そんな主の気苦労を察しているのか、シャノンはそれでも主に従順だった。もう何年と付き合いがある彼女だからこそ、主の気苦労を察して余りあるのかもしれない。
「よし、出来た。どうだシャノン?」
「フシャー」
シャノンは大きな欠伸をした。まるで今に気持ち良くて寝そうだったと言うように、彼女は四肢を軽く動かしては朗らかに笑う。サキは彼女の頭を撫でてやってから、モンスターボールに戻した。
さて、父はまだだろうか……。ふうと息をついてサキは天井を仰ぐ。
扉が開いたのは、そんな頃合いだった。
「……随分待たせてすまないな」
「ああ。むしろ忙しいのにごめんな」
シルバーは最近の畏まった装いとは一転。黒いスラックスに、同色の薄手のパーカーと言う出で立ちだった。初夏だと言うのに、しかしその格好は暑苦しくは見えない。彼は円卓のサキの隣の椅子を引くと、ふうと天井を見上げて息を溢す。
「雨に降られてな。風呂を済ませてから来たからか、やけに冷える」
「風邪引いたんじゃねえの? 大丈夫か?」
「そんなやわな鍛え方はしてないつもりだ」
シルバーはにやりと笑って見せてきた。長く畏まった場での邂逅を重ねては、そういやこんな表情を見るのは久しぶりだとサキは肩を竦める。畏まる必要はないとフジシロに言ったものの、どうして感謝せずにはいられなかった。
「とりあえずなんか頼むか」
「俺サラダ」
「……相変わらずだな」
「肉は嫌いだ。なんか受け付けねえ」
少年の心とは対照的に、シルバーは呆れた様子で肩を竦めた。どうもこの息子は肉を避ければ、魚や卵と言った命を食す感性を良しとしない。必要な分は食べるようだが、どうにも昔母親を失った境から、肉を毛嫌いするようになっている。
あくまでもトラウマではないようだが、潜在意識下で『命』と言う犠牲を嫌っているのかもしれない。そう思う。
「あ、ここの注文はそこのコールで出来んだよ」
「ほう。来た事があるのか」
「前にコガネ来た時にな」
注文に際してはサキが得意気に受話器を指して、そう言って教えてくるものだから、シルバーはらしくもなく微笑んだ。こういう彼のちょっとした成長には、どうにも親心がバカになっていくように思う。無論、嬉しいのだが。
注文を終え、二人はほとんど同時に息を吐く。無駄にだだっ広い部屋のせいもあって、声がよく通る。何故か気さくな会話が弾むと言うよりは、少しばかりの言葉を噛み締めるような雰囲気。
やがてシルバーがゆっくりと口を開いた。
「そういやお前、サクラに手を出したそうだが……」
――ガタン。
サキが椅子を鳴らしてはびくりと肩を跳ねさせる。その相貌は真っ赤に染め上がり、「て、手は出してない!」と異常な早さで否定した。
一瞬呆気にとられては、シルバーは再びにやりと笑う。
「なんだ、情けねえ」
「な、情けねえって何だよ。べ、別に俺の勝手だろ!?」
口をぱくぱくと無沙汰にさせながら、その端々で必死に照れを隠す少年。シルバーは少しばかり意地悪く嗜虐心を表に出してみせた。
「勝手は結構。しかしサクラが自分に魅力が無いのかと俯いていたぞ」
「な、な、なっ……」
少年はあんぐり口を開く。
クスリとシルバーは笑った。
「バーカ。嘘だよ嘘。俺とサクラが改まって話す機会なんてねえだろ」
「――っ!!」
サキはどうも弄ばれたらしいとすぐに理解した。理解してはさぞ憤慨そうに肩を揺らし、地団駄をひとつ打つ。あーもう! と、少年はそれっぽく唸ってみせた。
シルバーは気にした様子もなく、タバコを取り出しては火をつける。ふうと紫煙を吐き出せば、顔を真っ赤にして俯く少年に、小さく零した。
「お前は頭が良い。しかしお前のそれは冷静さを欠くと途端に失われる……。命取りにするんじゃないぞ?」
その言葉は至って真面目で、少年は言われるなり怪訝そうに見つめ返しては、しかし素直に頷いた。
「うん。分かってる」
ことサクラが絡めば少年は照れを隠せない。今父に弄ばれたように、どうにも普段通りの感性が働かない。それは年齢や少年の身の上からして、仕方のない事なのだが、それを敢えて求めてくれるあたり、父は息子をきちんと信用していると言える。
むしろシルバーはサキの稀有な頭の切れを、それでも普通の人間と同じなんだと言って育てて来た。今になって少年は自覚したものの、つまるところ普通の人間には備わる筈の絶対的な感性が無いからこそ、少年は差し引きゼロと言う他はなかった。
異常に切れる頭。そして社会慣れしていない感性。時に会議の時に見せたような武器とはなれど、今父が弄んだように命取りになる事もある。
その原因は父が産み出した環境ではあれ、少しばかり社会を見た少年からすれば、その環境はシルバーではなくサキを守る為だったのではとさえ思わせた。
「なあ親父……」
「なんだバカ息子」
タバコを燻らせる父に、少年は未だ熱を持って冷めない頬を撫でながら呟いた。
「親父はコトネさんが好きだったんだろ?」
「……さあな。愛情か信頼か、はたまた敵対心か。言葉に帰結させるのは好きじゃないな」
「……うん。ごめん」
そこで食事が運ばれてきた。サキの前にサラダが山盛りで置かれ、シルバーの前にはステーキとバケットが並べられた。最後に赤いスープが二人の前に置かれ、丁寧な会釈と共に店員は下がっていく。
スープを一口掬っては、サキは改めて言葉を続ける。
「……俺はサクラの事が好きだよ。どんな言葉を並べても、この言葉に行き着くんだ」
シルバーはタバコを灰皿で揉んで、サキをチラリと見ながら「そうか」と溢す。
「親父が母さんの事をあまり話してくれない理由は分かってる。それこそ俺は気にしちゃいないんだけど……」
サキの母にして、シルバーの妻であった女性。男は決して息子のトラウマになっていておかしくはない彼女の事を、易々と口にしたりはせず。息子もその父の気兼ねを察しては普段口にしない事のひとつだった。
今、それを口にする理由は、必要な事だからだろうか……。シルバーは少しばかり大きくなったように見える息子に、「それで?」と続きを促した。
サキは掬ったスープを呑み、トマトベースのそれに朗らかな笑みを浮かべると、父に向かっても薄く笑って見せた。
「俺にとって親父は誇りだよ……。誰が何と言おうと、犯罪者だって親父を罵る奴が居ても、今の俺は親父を誇りに思う」
サキはスープに目を落とし、今一度スプーンで掬ってから、小さく頷いた。
少年の脳裏に宿るのは、以前メイが指摘した事。キキョウのポケモンセンターで、フジシロを犯罪者と罵った自分に、「じゃあ貴方はお父さんを罵るのか」と言ってきたメイの顔。その時は言葉をつぐんでしまったが、サキはその答えを今になって用意した。
少年の頭に予想がつかない訳がない。きっとメイなりフジシロなりが、大人しくアカネ宅で待っている訳は無いだろう。薄く笑う顔付きの裏で、にやりと笑うような心持ちを残し、少年はぼやく。
「俺は母さんを殺した奴を許さない。守れなかった親父も許さない。だけど、それでも、それはその時だけの事。親父は親父で、親父自身は俺の誇りで……それはどんな事があっても揺るがない」
言葉を受けて、シルバーは眼鏡を外した。乾いた音をたてて眼鏡を畳むと、彼は改まって息子に向き直り、少年の頭を撫でた。その動作で振り向く彼に、微笑と共に小さく頭を下げる。
「気苦労をかけた。すまなかった……」
「済んだ話だろ? それに、罪と発端を揶揄しただけで……俺は親父を責めるつもりはないって」
罪を憎んで人を憎まず。少年は暗にそう言って見せた。父として、シルバーは改めて息子を誇らしく撫でるばかり。
「コトネさんも同じ。俺はサクラをあんな目に合わせた事を、憎みはするけど……。人として憎んだりはしないって事」
「……そうか」
ほら、冷めちまうぜ? と、少年は食事を促す。シルバーはああと溢しては、やはり微笑と共に正面へ向き直った。
「なんだかんだ成長したか」
「……まあ、少しくらいは成長してねえと、サクラに置いてきぼりくらうからな」
少年は笑う。
父として不甲斐ない筈の自分だったが、漸くにして許せそうだ……。こと今回の件が終わり、息子がリーグの制覇を終えるような事があれば、罪滅ぼしの会長職もそろそろ終えて良いかもしれない。
シルバーは少しばかり穏やかに。
そして安らかに笑う。
良い息子を持った事を、今は亡き妻と、ここまで導いてくれた友に、感謝しながら……。
やがて手渡されたロケット付きのネックレスには、息子は母の写真をと零す。しかしそこに収めるべきは、三人でとった今はもう色褪せた家族の写真だろう。……とは口には出さず仕舞いだったが、シルバーは息子を撫でて照れくさそうに微笑むのだった。
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