天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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若葉燃ゆる黒煙

 食卓へ着いてすぐ。

 豪勢とは言わないまでも、決して質素ではない料理が並んだ。

 

 野菜がメインのパスタと、匂いを嗅ぐだけで唾液が溢れてくるようなスープ。おまけに一口サイズに切り分けられたサンドイッチ。

 そのどれもがお店で出てくるような見た目をしているのだから、思わずサクラは「これ、シルバーさんが?」等と失礼なことを聞いたものだ。当然ながら、それはシルバーとサキの二人が作ったものだった。

 

「サクラは料理しねえのか?」

 

 何とも無いように聞いてくるサキ。

 彼がメインのパスタを作ったらしい。

 

 サクラは苦笑いで誤魔化して、スッと目を逸らした。

 言えなかった……バケットのアテになるようなものだけ作って、「よし、今日は料理をした!」と考えている人間だとは、絶対に言えなかった。

 

――いや、出来ない訳じゃないの。やらないだけだよ!

 

 出来る人間は決してしない言い訳だ。

 だからサクラは居た堪れない顔をしたサキと、目を合わせずに食事をした。

 

 悔しいことに、そこらのレストランよりよっぽど美味しかった。

 

 

「まあ、俺もお前等の年までは料理なんざしたこと無かったんだがな」

 

 食卓の皿も幾らか空いた頃、シルバーは微笑みながらそう言った。

 

「そうなんですか? でも、凄く美味しいです……」

「第二の趣味ってやつさ。……ほら、携帯食料とか、有り得ない程不味いだろ?」

「そう……ですね」

 

 さも当然な風に問われて、サクラは苦笑いで返した。

 

 携帯食料常習犯が、無様な姿だ。

 我ながら。

 

 そんなことを考えつつ、決して口に出すまいと思った。

 

 とはいえ、シルバーが作ったというスープとサンドイッチは、味付けこそ少し濃い口ではあったが、とても美味だった。これと比べれば彼の言わんとすることも分からなくはない。

 聞けばポケモンフードも全て自作しているそうだ。

 旅をしていた頃は携帯食糧ばかりの食生活だったからこそ、落ち着いてみれば、料理はそれでいて楽しい第二の趣味になったそうだが……些か趣味の領域を超えていると思うのは、果たしてサクラの女子力が低いからだろうか……。

 

「さて、片付けはサキがやるから終わったら支度するといい」

 

 そう言って、一足先に食べ終えたシルバーは食器を流し台まで運んで行った。

 流石にご馳走になるだけでは申し訳ないと、食い下がりかけたサクラだが、横から今度はサキが「いいよ、いつもやってるし」と、彼の申し出を後押しする。

 勝手もあるし。

 と、言われれば、それ以上は要らぬお節介かもしれないと思い直す。サクラは素直にありがとうと返した。

 

 最後のサンドイッチを口に入れて、呑み込んだ。

 そして食器を流し台まで運び、シルバーに倣って水へ浸ける。

 そこでくどいとは思いつつもサキに一声お礼を告げてから、ソファーへと戻った。

 

「あまり急がなくていいぞ? ゆっくり支度するといい」

 

 そう言い残して家を出て行くシルバー。

 はいと声を出して返事しつつ、ふとサキへ視線を向ければ……彼は肩を竦ませて、「俺は留守番だよ」と零していた。

 少しばかり残念だが、三人も乗れるポケモンなんて限られている。駄々を捏ねてシルバーを困らせる訳にはいかないだろう。

 サクラは頷いて返した。

 

 ソファーに置いていたリュックサックを担ぐ。

 改めて、未だ食事中のサキへ向き直り、深くお辞儀をした。

 

「それじゃ、さっきは本当にごめんね。色々聞かせてくれてありがとう」

「いいよ。俺もヒビキさんから聞いてて、会ってみたかったから」

 

 サキは少し照れくさそうに零して、目線を逸らした。

 しかしいよいよ歩を出せば、「あ、ちょい待ち」と、引き止めてきた。

 

「これ……俺のPSSのコード」

 

 振り向いてみれば、そっぽを向いたサキが片手で紙を差し出してきていた。

 注視すれば、そこには雑に書き殴られた番号。

 

「あ、ありがとう。帰ったら連絡いれとくよ」

 

 PSSとは携帯型の連絡端末。

 これを用いれば通話は勿論、ポケモンセンター等にある専用の端末に繋げば、ポケモンのトレード等も行える優れものだ。

 

 旅に出たら先ず寄れよと言われ、勿論と返しつつ、扉を開ける。

 肩越しに振り返って、またねと挨拶を交わした。

 少年は食卓に着いて、片手を挙げて返してきた。

 

 僅か数時間の付き合いだが、サクラは少年に好意を抱いた。

 それは恋愛的な意味ではなく、親愛に近い。

 例えるなら……そう、まるで弟がいれば……と、思えた。

 

 外へ出れば、巨大な耳と羽を持ったポケモンがいた。

 蝙蝠と竜がハイブリッドになったような体躯。焦げ茶色を基調にして、くるくると喉を鳴らしている。オンバーンというカロス地方で稀に見られる珍しい種だった。

 その身の丈は普通一五〇センチ程と言われているが……パッと見ただけでもサクラより大きく映る。サクラの身長から考えて、一七〇センチはありそうだ……随分と大きい。

 そんな稀有なポケモンの背を撫でて、シルバーはサクラを振り向いてくる。

 

「サキは?」

「挨拶してきました。お待たせしてすみません」

 

 問い掛けにゆっくりと返せば、彼は呆れたように溜め息を吐いた。

 

「全く、見送り一つ満足に出来ないのか……すまないな」

 

 辛辣に零す彼へ、サクラは首を横に振る。

 

「PSSコードを貰ったのでいつでも話せます」

「そうか」

 

 シルバーは及第点だなと言うように肩を竦め、薄く笑った。

 オンバーンの背を撫でる手を止めて、サクラへ忘れ物は無いかと問い掛けてくる。

 特に何かを出した覚えは無い。

 頷いて返した。

 

 シルバーは了解すると、オンバーンの喉下を撫でる。

 そして思い出したかのように肩越しに振り返ってきて、「ああ、そうだ」と零した。

 

「このオンバーンはまだ育ててる最中だからな。乗り心地は保証出来ないから、振り落とされそうなもんはしまっておけ」

「んー……大丈夫です」

「そうか」

 

 ぺしんと軽くオンバーンの背を叩く。

 小さく鳴いて、オンバーンは羽をたたんで頭を垂れた。

 よしと頷いたシルバーがその背に跨がり、更に後ろへ跨るよう促された。

 

 あまり慣れていない事だ。

 高鳴る心音を息を吐いて鎮め、オンバーンの背へ跨る。

 ワンピースの裾を腿の下に挟んで、下着が顕にならないように気をつけ、シルバーの腰に手を回した。

 

「空を飛ぶの経験は?」

 

 肩越しに振り返ってくるシルバーに、サクラは首を横に振って返す。

 

「……あまり無いです」

「じゃあ一つだけ覚えておけ。……ポケモンを信じることだ。お前がこいつの力を疑うと、こいつも不安になる。そうなると振り落とされることもあり得るだろう」

 

 サクラはシルバーの腰に回した手に力を籠める。

 彼の忠告へ切れの良い返事をした。

 

 シルバーはよしと頷き、もう一度オンバーンの背を叩く。

 

「飛べ。オンバーン」

 

 くるくると喉を鳴らし、オンバーンは首を震わせる。

 思ったよりも大きな震動にサクラは身を震わせるが、シルバーの忠告を思い出して首を振る。どうしても拭いきれない不安感は、腕に力を籠めて押し殺した。

 

 やがて開かれるオンバーンの翼。

 大きく上へかぶってから、大地へ一薙ぎ。

 それを何度か高速で繰り返し、その度に揺れる体に思わず目を瞑るサクラだったが……やがて震動が消える。

 おそるおそる目を開けば――。

 

「わあ!」

 

 大地は遠く、既に大空。

 

 ふわりと香る嗅いだことの無い匂い。

 聞き慣れた音が全て遠くに感じる。

 

 あまりの高度に思わず驚くが、不思議と恐怖心は無かった。

 空を飛ぶという新鮮な状況に、ただ純粋にわくわくした。

 

 それは僅か十数秒の出来事。

 空へ上がれば挙動は静かなもので、オンバーンは方向を定めると、緩やかな軌道を描いた。その頃にはサクラもシルバーの言葉をきちんと実行出来るのだった。

 

 

 だが、飛翔から間も無く、シルバーが舌打ちをした。

 これまで善良な保護者という姿に似合わない動作に、サクラは小さく肩を跳ねさせた。何かあったのかと聞こうとして、彼の肩越しに覗きこもうと身を(よじ)った時、彼女の視界は大変なものを見た。

 

「……何の冗談だ。クソッ」

「うそ……なに、あれ……」

 

 抱いた期待感が一瞬で凍り付いた。

 開いた目が風に吹かれても閉じられず、即座に唇が震えだした。ふとすれば手から力が抜けてしまいそうになるが、ハッとして手を組み直す。

 ただ、どれ程力を籠めても、身体は震え上がっていくばかりだった。

 

 遠目にも間違いはない。

 ワカバタウンの方角から黒煙が立ち上っていた。

 そして、それはどうして、一ヶ所二ヶ所の火事ではない。正しく大きな黒煙が天へ立ち昇っていた。

 

 

――リーン。

 

 

 そこに至って、サクラはまたもあの音を聞く。

 しかしその音へ割く思考は持たず、「急ぐぞ、捕まれ」とのシルバーの声に、彼の腰を掴む手に力を籠めるばかりだった。

 

 

 鈴の音は少女に告げる。

 

 それは『来るな』と言う意味で。

 

 しかし少女には伝わらない。

 

 

 残酷にも、時は鈴の音と共に動き出した。

 


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