食卓へ着いてすぐ。
豪勢とは言わないまでも、決して質素ではない料理が並んだ。
野菜がメインのパスタと、匂いを嗅ぐだけで唾液が溢れてくるようなスープ。おまけに一口サイズに切り分けられたサンドイッチ。
そのどれもがお店で出てくるような見た目をしているのだから、思わずサクラは「これ、シルバーさんが?」等と失礼なことを聞いたものだ。当然ながら、それはシルバーとサキの二人が作ったものだった。
「サクラは料理しねえのか?」
何とも無いように聞いてくるサキ。
彼がメインのパスタを作ったらしい。
サクラは苦笑いで誤魔化して、スッと目を逸らした。
言えなかった……バケットのアテになるようなものだけ作って、「よし、今日は料理をした!」と考えている人間だとは、絶対に言えなかった。
――いや、出来ない訳じゃないの。やらないだけだよ!
出来る人間は決してしない言い訳だ。
だからサクラは居た堪れない顔をしたサキと、目を合わせずに食事をした。
悔しいことに、そこらのレストランよりよっぽど美味しかった。
「まあ、俺もお前等の年までは料理なんざしたこと無かったんだがな」
食卓の皿も幾らか空いた頃、シルバーは微笑みながらそう言った。
「そうなんですか? でも、凄く美味しいです……」
「第二の趣味ってやつさ。……ほら、携帯食料とか、有り得ない程不味いだろ?」
「そう……ですね」
さも当然な風に問われて、サクラは苦笑いで返した。
携帯食料常習犯が、無様な姿だ。
我ながら。
そんなことを考えつつ、決して口に出すまいと思った。
とはいえ、シルバーが作ったというスープとサンドイッチは、味付けこそ少し濃い口ではあったが、とても美味だった。これと比べれば彼の言わんとすることも分からなくはない。
聞けばポケモンフードも全て自作しているそうだ。
旅をしていた頃は携帯食糧ばかりの食生活だったからこそ、落ち着いてみれば、料理はそれでいて楽しい第二の趣味になったそうだが……些か趣味の領域を超えていると思うのは、果たしてサクラの女子力が低いからだろうか……。
「さて、片付けはサキがやるから終わったら支度するといい」
そう言って、一足先に食べ終えたシルバーは食器を流し台まで運んで行った。
流石にご馳走になるだけでは申し訳ないと、食い下がりかけたサクラだが、横から今度はサキが「いいよ、いつもやってるし」と、彼の申し出を後押しする。
勝手もあるし。
と、言われれば、それ以上は要らぬお節介かもしれないと思い直す。サクラは素直にありがとうと返した。
最後のサンドイッチを口に入れて、呑み込んだ。
そして食器を流し台まで運び、シルバーに倣って水へ浸ける。
そこでくどいとは思いつつもサキに一声お礼を告げてから、ソファーへと戻った。
「あまり急がなくていいぞ? ゆっくり支度するといい」
そう言い残して家を出て行くシルバー。
はいと声を出して返事しつつ、ふとサキへ視線を向ければ……彼は肩を竦ませて、「俺は留守番だよ」と零していた。
少しばかり残念だが、三人も乗れるポケモンなんて限られている。駄々を捏ねてシルバーを困らせる訳にはいかないだろう。
サクラは頷いて返した。
ソファーに置いていたリュックサックを担ぐ。
改めて、未だ食事中のサキへ向き直り、深くお辞儀をした。
「それじゃ、さっきは本当にごめんね。色々聞かせてくれてありがとう」
「いいよ。俺もヒビキさんから聞いてて、会ってみたかったから」
サキは少し照れくさそうに零して、目線を逸らした。
しかしいよいよ歩を出せば、「あ、ちょい待ち」と、引き止めてきた。
「これ……俺のPSSのコード」
振り向いてみれば、そっぽを向いたサキが片手で紙を差し出してきていた。
注視すれば、そこには雑に書き殴られた番号。
「あ、ありがとう。帰ったら連絡いれとくよ」
PSSとは携帯型の連絡端末。
これを用いれば通話は勿論、ポケモンセンター等にある専用の端末に繋げば、ポケモンのトレード等も行える優れものだ。
旅に出たら先ず寄れよと言われ、勿論と返しつつ、扉を開ける。
肩越しに振り返って、またねと挨拶を交わした。
少年は食卓に着いて、片手を挙げて返してきた。
僅か数時間の付き合いだが、サクラは少年に好意を抱いた。
それは恋愛的な意味ではなく、親愛に近い。
例えるなら……そう、まるで弟がいれば……と、思えた。
外へ出れば、巨大な耳と羽を持ったポケモンがいた。
蝙蝠と竜がハイブリッドになったような体躯。焦げ茶色を基調にして、くるくると喉を鳴らしている。オンバーンというカロス地方で稀に見られる珍しい種だった。
その身の丈は普通一五〇センチ程と言われているが……パッと見ただけでもサクラより大きく映る。サクラの身長から考えて、一七〇センチはありそうだ……随分と大きい。
そんな稀有なポケモンの背を撫でて、シルバーはサクラを振り向いてくる。
「サキは?」
「挨拶してきました。お待たせしてすみません」
問い掛けにゆっくりと返せば、彼は呆れたように溜め息を吐いた。
「全く、見送り一つ満足に出来ないのか……すまないな」
辛辣に零す彼へ、サクラは首を横に振る。
「PSSコードを貰ったのでいつでも話せます」
「そうか」
シルバーは及第点だなと言うように肩を竦め、薄く笑った。
オンバーンの背を撫でる手を止めて、サクラへ忘れ物は無いかと問い掛けてくる。
特に何かを出した覚えは無い。
頷いて返した。
シルバーは了解すると、オンバーンの喉下を撫でる。
そして思い出したかのように肩越しに振り返ってきて、「ああ、そうだ」と零した。
「このオンバーンはまだ育ててる最中だからな。乗り心地は保証出来ないから、振り落とされそうなもんはしまっておけ」
「んー……大丈夫です」
「そうか」
ぺしんと軽くオンバーンの背を叩く。
小さく鳴いて、オンバーンは羽をたたんで頭を垂れた。
よしと頷いたシルバーがその背に跨がり、更に後ろへ跨るよう促された。
あまり慣れていない事だ。
高鳴る心音を息を吐いて鎮め、オンバーンの背へ跨る。
ワンピースの裾を腿の下に挟んで、下着が顕にならないように気をつけ、シルバーの腰に手を回した。
「空を飛ぶの経験は?」
肩越しに振り返ってくるシルバーに、サクラは首を横に振って返す。
「……あまり無いです」
「じゃあ一つだけ覚えておけ。……ポケモンを信じることだ。お前がこいつの力を疑うと、こいつも不安になる。そうなると振り落とされることもあり得るだろう」
サクラはシルバーの腰に回した手に力を籠める。
彼の忠告へ切れの良い返事をした。
シルバーはよしと頷き、もう一度オンバーンの背を叩く。
「飛べ。オンバーン」
くるくると喉を鳴らし、オンバーンは首を震わせる。
思ったよりも大きな震動にサクラは身を震わせるが、シルバーの忠告を思い出して首を振る。どうしても拭いきれない不安感は、腕に力を籠めて押し殺した。
やがて開かれるオンバーンの翼。
大きく上へかぶってから、大地へ一薙ぎ。
それを何度か高速で繰り返し、その度に揺れる体に思わず目を瞑るサクラだったが……やがて震動が消える。
おそるおそる目を開けば――。
「わあ!」
大地は遠く、既に大空。
ふわりと香る嗅いだことの無い匂い。
聞き慣れた音が全て遠くに感じる。
あまりの高度に思わず驚くが、不思議と恐怖心は無かった。
空を飛ぶという新鮮な状況に、ただ純粋にわくわくした。
それは僅か十数秒の出来事。
空へ上がれば挙動は静かなもので、オンバーンは方向を定めると、緩やかな軌道を描いた。その頃にはサクラもシルバーの言葉をきちんと実行出来るのだった。
だが、飛翔から間も無く、シルバーが舌打ちをした。
これまで善良な保護者という姿に似合わない動作に、サクラは小さく肩を跳ねさせた。何かあったのかと聞こうとして、彼の肩越しに覗きこもうと身を
「……何の冗談だ。クソッ」
「うそ……なに、あれ……」
抱いた期待感が一瞬で凍り付いた。
開いた目が風に吹かれても閉じられず、即座に唇が震えだした。ふとすれば手から力が抜けてしまいそうになるが、ハッとして手を組み直す。
ただ、どれ程力を籠めても、身体は震え上がっていくばかりだった。
遠目にも間違いはない。
ワカバタウンの方角から黒煙が立ち上っていた。
そして、それはどうして、一ヶ所二ヶ所の火事ではない。正しく大きな黒煙が天へ立ち昇っていた。
――リーン。
そこに至って、サクラはまたもあの音を聞く。
しかしその音へ割く思考は持たず、「急ぐぞ、捕まれ」とのシルバーの声に、彼の腰を掴む手に力を籠めるばかりだった。
鈴の音は少女に告げる。
それは『来るな』と言う意味で。
しかし少女には伝わらない。
残酷にも、時は鈴の音と共に動き出した。