天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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プロジェクト・オブ・水入らず【アキラ】

 フジシロがアキラに用意した店は、まさしくうってつけの装いだった。ほのかに香ばしい香辛料の香りが漂い、それでいてゴシック調の壁紙やウェイターが気品を感じさせた。自宅にもある円卓こそ同じであれ、流石は本職のお店と言うべきか、店内は見事な中華の家具が揃っている。

 

 ここ、コガネにおいては最近出来た店であり、アキラは数える程ながら来た事があった。慣れた様子で受付を済ませ、案内されるも、しかしながら彼女は初めて案内される部屋に通された。一応店内は全席個室の装いではある。しかしながらアキラが通された部屋は、高貴な場に割と場馴れした彼女でも息を呑むような所だった。

 

 世間ではその部屋を『VIPルーム』とでも呼ぶだろうか。美しい漆塗りの脚が臨める円卓が、真白のクロスを掛けられては中央に鎮座。東西南北と銘打たれては、同じく漆塗りの椅子が、しかしそれぞれ違った装いで付属する。龍、虎、亀、鳥とくれば、これが中華伝統の四神である事は一目に解った。加えては円卓から少し距離を置いて灯籠が並び、そこから仄かながらも存在感がある爽やかな香りが漂っていた。

 

 一歩入っては、店員に鳥の席を勧められた。有り体に言えば下座に当たるのだと、店員は決して貶しているのではない言い方で説明してくれる。最も日が当たらず、しかして決して欠けてはならない席。魑魅魍魎の類いが出るならば、最も果敢に立ち向かう席なのだと言われた。

 

 アキラは普段の高圧的な態度さえ憚られる思いで、丁寧に会釈して返すと、残りの席について軽く教えてもらう。店員の勧めでは、アキナは亀の席に、アカネは龍の席に座る事が良いらしい。残る虎の席は、尊ぶべき父の席にあたるとの事。

 

 ここに来てアキラはそう言えばお父様は来ないのでしたかとぼやく。店員は既に退室しており、その言葉は誰に受け止められるでもなかった。

 

 アキラの父は多忙だ。それこそ特別な日でなくば帰って来やしない。その特別な日と言えば基本的に父基準で、アキラやアキナは勿論、アカネの誕生日さえろくに祝いに帰った事がない。それでもアキラは父に対して反発は持っていない。

 

 何故なら――。

 

「まあ、セキエイから駆け付けろと言うのが無理ありますわね……」

 

 と、ぼやくアキラ。そう、そのぼやきがまさしくその答えで、アキラの父はセキエイで職務に就くマスタークラスのトレーナーにあたる。因みにこれはサクラも知らない事だった。

 

 いつかは知られる事だろう。それでもアキラはその事をサクラには決して打ち明けられない。彼女が知れば憤怒を顕にするだろうが、同じくらい理由を理解してくれるだろう。むしろ、サクラとの初対面の時に放った言葉こそ、『同じ立場』のアキラだからこそ言える台詞だった。

 

 いつの世も、伝説の子供と言うのは寂しさが陰る宿命なのだ。とは、アキラの持論だったりする。

 

 つまるところ、彼女にとっての業であり、誇りであり、そして絶対に口にしてはいけない事にあたる。口に出せば、それは『甘え』になるのだから。

 

 アキラが半ば呆けるかのように一人ごちては、ウェルカムドリンクにあたるオレンジジュースに口をつけること三口目。漸くにして扉が開いた。

 

「……よぉ」

「あら、お姉様。来て下さいましたの」

 

 少し疲れた様子でアキナが入ってきた。不遜が祟る普段の姿とは裏腹に、彼女は珍しくスーツを着こんでは、短い髪を括っていた。

 

「本当なら顔を出すつもりはなかったし、店員に身なり指摘されて追い返されたから来るつもりもなかったんだけどな」

「それでそんな珍しい格好を……」

 

 アキナはアキラが向かいの席を顎で示すと、亀の席に上着を乱暴に掛けて、溜め息を交えながら勢い良くドカッと座る。

 

 スカートではなくズボンを履いており、そのポケットからタバコを取り出しては着火する。ふうと紫煙を撒き散らせば、「臭いですの」と、アキラがごちる。それでもアキナは気にした様子さえなかった。

 

「アキラ……とりあえず、なんだ……」

 

 アキナはタバコをくわえながら天井を仰ぎ、言葉を濁しては首を左右へ傾けてボキボキと鳴らした。その様子が照れ隠しらしい事を知るアキラは、急かすでもなくウェルカムドリンクに四口目をつける。

 

「詳しい事情は聞いた。んで、お前が親父の事を気に揉んでるのは知ってる。サクラに対して自分とダブるのも良く解る。強いて言えば、サクラがお前の親友なら、余計にそうなんだろうと思う」

 

 敢えて言葉を悪く選ぶように、一句一句切りながら、アキナは不躾にそう述べた。アキラは黙って聞く。

 

「まあそれでもだ。てめえの身体はてめえのもんだけだ。俺にあいつら恨ませんなって言った事は……。忘れんなよ?」

 

 今一度の問答。アキラはクスリと笑っては、手に持ったドリンクを卓上に戻し、肩を竦めて返す。

 

「野暮ですわよお姉様」

「……はん、知るか」

 

 アキナは鼻で笑い、そっぽを向いて紫煙を吐き出す。そこでアキラが身を起こし、円卓の中央にある灰皿をアキナの方へ進め、今一度椅子に腰かけた。

 

 礼さえなく、アキナはタバコを叩くようにして、灰皿へ灰を落とす。

 

「早く吸ってしまわないとお母様が来たら打たれますわよ?」

「……んだな」

 

 アキラの指摘でもう一息深くタバコを吸い、アキナは紫煙を吐き出しつつタバコを灰皿で揉んで棄てた。

 

 その動作と同時に、扉が開いた。

 

「お待たせ……って、なんややっぱりアキナも居ったんか。てかあんたタバコ吸ったな? 臭ーてかなわんわ」

 

 入ってくるなり饒舌にごちる。一睨みされてはアキナはそっぽを向いて、「別にかまへんやろ」と、母親と似た口調で返した。

 

「ほんま身体に悪いでってゆーてんのに……。まあ家出てる人間に口煩くゆーもんちゃうけど」

 

 アカネはそう零しながら、アキラが指摘するよりも早く、龍の席を引いた。身に纏うチャイナドレスを翻し、彼女は指摘しようと手を差し伸べては無沙汰になるアキラに、首を傾げた。そして思い至ってか、自分の席を見ては「ああ」と溢す。

 

「あんたらのお父ちゃんがあっち方面の趣味嗜好でな。すまんけど知ってたわ」

「……そうですの」

「親父の事なんざなんでもええやん。俺腹減ったわ」

 

 久しく集まらなかったアカネ家の面々。邂逅すればその口振りは時間を感じさせる事もなく、普段他の誰かがいる場所では決して口にしない話題も、自然と交えられた。

 

 アカネは大きな声で店員を呼びつけると、コース料理のひとつを選んで注文する。丁寧なお辞儀に「どーも」と返しては、店員が出ていく頃を見計らって、手持ちのバッグからPSSを取り出した。

 

「アキナは嫌やゆーけど、とりあえずアキラ宛てな?」

 

 そう言ってPSSをアキラに投げて寄越す。ゆるりと軌道を描いたそれを受け取り、「へ?」と言葉を漏らしながら彼女は受け取った。

 

「あんたがこの前コガネを出た後にいきなし送り付けてきよって。まあええ機会やしな」

 

 そう言葉を漏らすアカネに、アキナはひとつ舌打ちを鳴らす。アキラはそこでこのPSSが開くデーターの画面が何を表すかを理解した。

 

「お父様からですの?」

「せやせや。珍しくもあんた宛てってな」

「……あのクソ親父が。んなもん帰って来てから言えっつーの」

 

 不躾に舌打ちを並べるアキナを、アカネがまあまあと諌める。こと父親の件に際しては、アカネ自身も思うところはあるのか、アキナが不遜な態度をとるのも仕方ないと言った様子だった。

 

 そんな二人のやり取りを傍目にして、アキラは息を呑んでからPSSのボタンを押した。

 

 展開するホログラム。自室なのか、映る背景は本棚が並ぶ場所だった。ソファに腰掛けているのか、やや俯き加減で男は厳格そうな相貌を向けてきている。赤いオールバックの髪に、寄り来る年波が深き皺として唇の端に刻まれた相貌。どれをとっても、どこか懐かしく感じた。

 

『アカネ。久しくしている。これをアキラが見るのは、果たしてあの子がここに来るのが早いかどうかは解らないが、旅立ちに際してひとつ俺から伝えて欲しい言葉がある』

 

 それは母宛てだったが故に、まさか父も直接娘が見ているとは思っていなかっただろう。規律良く述べる中で、僅かに緊張したような口振りだったのだが、どこか朗らかに映るその表情はアキラの目には珍しい姿だった。

 

 男はアキナを思わせるように、照れたように言葉を少しばかり濁して、小さく零す。

 

『気を付けろと……。特にワカバのあの子と旅をするならば、無茶無謀は承知なんだろうが、心配している人間を悲しませるような事はするなよと、伝えて欲しい』

 

 彼は少し気恥ずかしそうに頬を掻いた後、ゆっくりとした動作で姿勢を正す。

 

『年の瀬には帰る。手間ばかりかけるが、アキナにも宜しく伝えてくれ』

 

 そしてホログラムは消えた。そこでデーターは終わりだったらしい。

 

 舌打ちがひとつ。

 

「何が宜しくだクソ親父。帰って来たらぶっ飛ばしてやる」

 

 まあまあと諌める声がひとつ。

 

「まあ忙しいさかいになぁ。でも年の瀬に帰って来た際はぶっ飛ばしてやってもええよ」

 

 笑うアカネと、不遜な態度を貫くアキナ。

 

 アキラは穏やかに笑った。

 

「わたくしも、年の瀬には帰って来たいものですの……」

 

 

 その誓いは二人へ差し出した指輪と共に。アキラは同じデザインの指輪を首からネックレス状にして下げては、旅の完遂を今一度誓うのだった。


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