さて……。こんなもんかなぁ。と、土砂降りの雨の中、コトネは髪の一糸に渡るまでをビショビショに濡らしながらも、飄々と述べてみせた。んー、と背伸びをする様は、まるで雨に降られている事など御構い無しだった。ブラウスが透けて下着が丸見えであれば、オーバーオールは水分を吸ってぴったりと身体に貼り付いて身体のラインが浮き出ている。まるで気にした様子が無いのは、果たして見ている異性がシルバーだけだからか、はたまた女性としての恥じらいがさっぱり無いのか。
そんなコトネの前で四肢を折って、地に項垂れて疲労を臆面もなく見せるメガニウム。その双眸はどこか虚ろで、恐ろしい経験をしたと言わんばかりの表情。そしてバトルフィールドのコトネ側で彼女がそんな様子なら、反対側ではマニューラが方膝を着いて苦悶の息遣いをしていた。しかしながらこちらは、やりきったと言わんばかりに満足げな愉悦の表情を浮かべる。
更にその後ろではシルバーが眼鏡を取り、水滴を払うように軽く振って、ポケットに閉まっていた。
「全く……服がビショビショだ」
「いやぁ、付き合わせて悪いね」
「もう悪態さえ出てきやしねえ」
ふうと息を吐く。その横に傘をさしたメイが、バスタオルを持って駆け寄った。タオルを受け取っては、メイの傘に半身を預ける。
今一度コトネを見据えれば、彼女はどこかはにかむように笑っていた。純真な姿に、昔の旅の姿がどこかダブるように思えて、シルバーは目を瞑る。
「まあ、悪くねえんじゃねえか」
「上から目線でどーも」
コトネはそう言って、顎を突き出してはふんと顔を反らす。クスリと笑い、シルバーは横で傘をさしてくれるメイに向き直る。
「お疲れ様です。流石協会の会長って所ですね」
先に声を挙げたのは彼女の方だった。にっこりと笑う彼女に、傘とタオルの礼を言いそびれ、シルバーは相貌を少し強張らせる。そして不意にいや、と呟いた。
「どうだかな……。協会でお前の戦歴を見たが、お前も相当なんだろ?」
敢えて言葉を濁しつつ、バスタオルで顔を拭って、同じようにアカネの傘に半身を預けるコトネを見据えた。遠目の彼女と同じタイミングでマニューラをボールに戻せば、シルバーはちらりと横に立つ女性を臨む。
穏やかにメイは微笑んでいた。
「まあ、否定はしませんよ。少なくとも私は『伝説級』を専門にしてますから、相応の実力がないとやってけませんし」
「……そうか」
言わんとする事は解らなくもない。メイが抱える『Nの協定』は、おそらくメイ以外に当主を務められる者はいない。シルバーはそれを良く解っていた。
伝説級ポケモンを二匹所持するのは、世界広しと言えど彼女を含めて数える程の人数だろう。一重に伝説級ポケモンの扱いの難しさと言えば、シルバーも知っている事だ。特に今回、メイの参戦にあたっては彼女の事を調べていくうち、敵勢で無い事にはシルバーでさえ安堵が募る思いだった。
イッシュが誇る最強のレジェンドホルダー。その名は調べれば調べる程、シルバーにとって『脅威』だと言う他は無かった。利害の一致から今回こうして共闘するに至るが、もしも別な機会で彼女と争うとなればゾッとしない。
現に彼女は、シルバーとコトネの『レジェンドホルダー』らしいバトルを見ても、顔色ひとつとして変えずにいたのだ。それは余裕か、単なる傍観なのか、興味がないのか……シルバーの聡明な頭からは、アッサリと答えが出る問題だった。
まあ、一先ず今、彼女が味方である内は安堵出来るものだ。実際サクラが協定に参入した以上、その近親者たるシルバーが運営する協会に一々仇成しては、Lを持つサクラの不安定さに拍車をかける真似はしないだろう。棚からぼた餅とは言えずも、怪我の功名とは良く言ったものだ。
「シルバー。とりあえずお風呂行こー」
と、物思いに更けっていれば、コトネが遠目にそう叫んできた。まるで自然な誘いだが、メイとアカネは「はあ?」と声を漏らす。アカネ宅には大浴場がひとつしかない。つまりは『そう言う事』で、不倫でもしているのかと疑惑の視線を浴びる。勿論そんな事実はない。
「一緒に入ろ?」
うふんと、コトネは呆けるシルバーに更なる挑発。水が滴る良い女とは言うが、彼女の気性を良く知る彼にとっては
双眸を細め、彼は「はあ……」と溜め息を零す。
「なーんちゃって。お先に頂きまーす!」
と、シルバーの反応が予想外につまらなかったからか、そう叫んでは駆けていくコトネ。昔にもこんな挑発を受けては、その時は若かった自分は照れて大慌てしたか……と、その背を感慨深く見送る。
何ともおかしな冗談を、昔と変わらぬ姿でぬかすあたりは、彼女はこのバトルに少しばかり手応えを感じたのだろう。シルバーの目にもコトネはたった数時間で、全盛期に近い実力を取り戻したとは言える。
元より記憶を無くしただけで、メガニウムは育てられていれば、コトネ自身の『感覚』は誤差こそあれ、鈍ってなどはいなかったようだ。実際に「鈍っている」と述べる彼女ながらも、その鈍りと言えば心の問題かもしれない。現にメガニウムは不遜な態度を見せながらも良く指示を聞いていた。その最中で徐々に徐々に、全盛期に近いだけの信頼を見せ始めたあたり、関係の修復もそんなに時間は掛からないかとさえ思えたからだ。
「……まあ、なんだかんだ天才か」
「コトネさんですか?」
「お前の目にはそう映らなかったか?」
邸宅へ歩む最中、呟くシルバーに目敏く質問するメイに、彼は更に質問で切り返した。彼女は首を横に振るう。
「いえ、流石はサクラちゃんのお母さんですね」
そう言ってメイは薄く笑う。
「サクラちゃんは稀に見る天才型です。普段はお世辞にも頭が良いとは言えませんが、バトルになると途端に頭の回転が速くなる。おまけに直近のバトルまでも即座に自分の戦術として使える……典型的な才能型のトレーナーですね」
言葉を締めて、彼女は同意を求めるようにシルバーへ向き直ってきた。彼は肩を竦めて、ふんと鼻で笑う。
「全盛期のコトネはまさしく前者のそれだったな。サクラの父親にあたるヒビキは、バカだがきちんと物事を考えられる奴だった。バトルにおいてはヒビキは前例を比較して戦うタイプで、コトネ程のセンスはなかった。……つまりサクラは良いとこ取りだ」
シルバーはそう零した。成る程とメイは返す。父親の普段の姿を受け継ぎ、バトルにおいてはコトネの才能を発揮する。惜しむらくは彼女が普段、思慮が浅い事だろうが、それでもサキがそこを補っているかと行き着く。
メイはふと、シルバーを臨む。
「サキ君は?」
「……あいつはまあ、何でもかんでも頭でっかちに考えすぎだ。いつか頭を打たなきゃ良いんだが……」
これまた成る程と、今度はメイが笑った。
この男はつんけんしているように見えて、中々子供達を見て楽しんでいる様子だ。自分よりいくらか年上で、その上メイには解らない親としての立場な訳だが、中々どうして彼も一人の人間らしさがある。
心配してはいるものの、口に出すのは恥ずかしいのだろうか……。メイは傘を閉じながら、溜め息混じりに男へ改めて「お疲れ様です」と零した。
時刻はもう夜の七時に近い。
途中少しのスパンはあれど、何時間も雨に打たれながらバトルをし続けた二人には、本当にそう思うばかりだった。
いつしかこの二人のように、強者としての威厳を持つことが出来るだろうか。メイは二人の弟子を脳裏に浮かべながら、穏やかに微笑むばかり。