アキラは元居たサクラの隣へ腰掛けると、ふうと息を吐く。首を横に振っては「それにしても」と口火を切った。
「戻る最中に傍目ながら見てしまいましたが、あれは夜までやってるかもしれませんの……」
何の事を言っているかは言わずもがなだろう。僅かに影を落とすかのような視線で告げる彼女に、サクラは「そっか……」と肩を落として答える。あまり危機感のようなものは感じないが、あくまでもサクラにとってコトネは一〇年越しに再会した母であり、出来る事なら先程のジム戦がどうだったとか、声を掛けて欲しい気持ちはあった。
むしろ、徐々に徐々にと言う形で、サクラには『母親』と言う存在が感じられるようになっている。コガネでまともに再会した時から今まで、感慨深いものはあまりなかったが、こうして再度別れを前にした空虚な時間をもて余すと、どこか勿体無く感じてしまう。
勿論、今はそう見えないだけで、十二分な非常時だ。サクラの横で未だ顎を撫でて考えているサキの方が、よっぽど正しい姿かもしれない。
ただ、何故だろうか……。
サクラからすれば、父も母も、燃えたエンジュも、それこそワカバでさえ、こうして考えてみればどこか御伽のようにも感じなくはない。ウツギ博士の死は間違いなく絶対的で、そしてサクラは四つのバッジを得て、ここに居るわけだが……。
そう。言ってしまえば先程フジシロを疑った事さえも、どこか自分がズレているように感じてしまうのだ。
「……サクラ?」
物思いに耽っていると、アキラが声を掛けてくる。ハッとしてごめんと返した。思考を隅に追いやっては、そう言えばと言葉を返す。
サクラはアキラが握るハイパーボールを指差した。
「その子は?」
「……まだ育成中のわたくしの三匹目のパートナーですの。まあ戦闘にはまだまだ出しませんわ」
そう言って、以前コトネがスイクンを出したスペースへボールを投げる。閃光の後に現れたのは、白い柔らかそうな身体に幾何学的な模様を宿すポケモン。つぶらな瞳が愛らしく、二枚の翼を閉じては、小さな足で床に鎮座した。
「わぁ……可愛い!」
そこでサクラは陰鬱に浸っていた思考を忘れる。目の前の愛らしいポケモン『トゲキッス』の姿に、少女らしく目を輝かせた。
サクラの横で、アキラは得意気に胸を張る。
「空を飛べるこの子に乗る方が、海を渡るには余程無難に思えましたの。本当ならばアサギに着いた頃にお母様に通信して送ってもらおうかと思っていたのですが……」
サクラは耳半分で聞き流し、椅子を発っては愛らしいトゲキッスへ駆け寄る。見上げてくるつぶらな瞳に「わあ」と感嘆して、頬を染めた。
なんでこんな可愛い子を残して旅立とうとしたのだろう。そんな事を思いながら、サクラはトゲキッスへ手を差し伸べ――。
「あ、サクラ。その子に触れるのはダメですわよ?」
言うが遅かった。
「――っ!」
「え!? わぁっ!!」
と、トゲキッスに軽く突進されて、サクラは盛大にひっくり返っては尻餅を着く。ガタンと音を立てて、それまで思慮に耽っていた筈のサキが「サクラ!?」と声を挙げ、その更に後ろでフジシロも「うん?」と訝しげに声を挙げた。
「トゲちゃん。落ち着きなさいな……」
瞬間的に息を荒げ、先程のつぶらな瞳こそ残しつつも、口を開いては威嚇するように翼を開くトゲキッス。アキラが呆れたように声を出しては、彼女へ一度視線を寄せ、やがてゆっくりと羽根を畳む。
「サクラ、怪我はありませんか?」
「う、うん……。大丈夫、柔らかかったし」
ごめんなさいと呟きながら、アキラはサクラに歩み寄って、彼女を立たせた。サキが少し荒れたような口調で、おいとアキラを叱責する。
「ごめんごめん。大丈夫だよサキ。私が不用意過ぎたんだしアキラは悪くないよ」
そう言ってサクラは早口に弁明する。サキは珍しく怒ったような様子を見せたが、彼女に言われては肩を竦めてはあと溜め息を吐く。
アキラはサクラに怪我が無い事を確認すると、トゲキッスへ歩み寄ってはその相貌に軽く手刀を降り下ろした。
「もう! いつも言ってるでしょうに。いくら怖くても人に攻撃してはなりませんの!」
言われるや否や、先程サクラに対して威嚇した姿とはうってかわって、俯き加減に小さな鳴き声を零す。その額を撫でつつ、アキラは腰を屈めてはトゲキッスと視線を交わした。
「わたくしに謝っても仕方ありませんの。謝る相手はあなたが突き飛ばした方ではなくって?」
そう言って、アキラはサクラを振り返る。右手でトゲキッスの額を撫でては落ち着かせながら、今一度ごめんなさいと零した。
「この子は貴女のとこのロロちゃんと同じでやけに臆病で……。なまじ私が好戦的に育ててしまったので、威嚇して警戒するようになってしまったの。本当にごめんなさい」
「……ううん。私こそごめんね。」
サクラは怪我もないしと、言ってから、今度はアキラの促しを待ってからトゲキッスへゆっくりと近寄った。
「驚かせてごめんね。私サクラ。あなたのご主人様のお友達だよ」
そう言ってから、アキラが促してくれるのに従って手を顎下へ差し伸べる。するとトゲキッスは不思議な鳴き声をゆっくりと零し、サクラの手に頬を寄せた。
「……おぉ、すんごく柔らかい」
ふにふにとトゲキッスの相貌の感触を確かめるあたり、本当にサクラは大したダメージが無かったらしい。アキラはクスリと小さく笑い、サキにも視線を寄せる。
「……ん、ああ。トゲキッス、宜しくな。俺はサキつって、そこのお前の主人に虐められてる可哀想な奴だ」
そう言ってサキは唇を尖らせた。サクラが突き飛ばされた事に未だ興奮冷めやらぬようで、その言葉にトゲキッスはびくりと身体を震わせ、じろりとアキラを見る。
当のアキラはもう一度クスリと笑った。
「ええ、彼ならいくら吹っ飛ばしても構いませんわ?」
「お、おい、ちょっ……」
「冗談ですの」
意地悪の仕返しだと、アキラは小さく舌を出してサキに「べーっ」と零す。トゲキッスは良くわかっていないのか、つぶらな瞳で主とサキを交互に見てから、今度は助けを求めるようにサクラを見た。サクラは少し困ったように笑い返して、「まあ、仲がいいんだよ」と零す。
「良くねえよ」
「甚だ遺憾ですわ」
と、二人からは大不評だったが。
あははと笑いながら、トゲキッスに優しく抱きつく。今度はそのまま受け止めてくれた柔らかな肢体に頬を埋め、二人の非難を気にした風もなく「やわらかーい」と白く短い体毛に頬擦りした。
「二人が仲悪いなら私は二人ほっといてこの子と仲良くなるもーん」
と零し、どこか困った様子のトゲキッスへ更なる頬擦り……と、トゲキッスは無表情のままてくてくと歩きだし、抱きつくサクラを引き離す形でアキラの背後へ回った。
「え、あれ?」
その動作にサクラがポカンとすれば、アキラは勝ち誇ったように微笑む。
「ごめんなさいね。この子わたくしには絶対的になついているもので」
「そ、そんなぁ……」
もふもふさせろーと、言わんばかりにサクラは名残惜しく手を伸ばすが、トゲキッスはやはりてくてくとアキラの背後を巧みに回っては、サクラの魔手をのらりくらりと回避する。
むー、と、サクラはぶーたれて仕方無くボールをひとつ展開した。閃光と共に、どこか遠い目をしたレオンが現れ――。
「れおーん慰めてー」
と、サクラに抱き付かれては成されるがままにもみくちゃにされた。あ、いいなと溢すのはアキラで、舌打ちを重ねるのはサキ。蚊帳の外を守ったフジシロは、和んだように優しく見守るばかりだった。
寂しい。
サクラが抱く悩みは、その言葉に行き着いた。やっと感じられた母と、また別れねばならない時が迫っている。その事実を、少女は友と家族と戯れながら、黙殺するばかりだった。