天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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第八話
ロジック


 コトネ達に気を遣って邸宅に戻ったサクラは、そう言えばと柏手を打つ。振り向く一同へ先に行ってて下さいと告げ、彼女はサキの手を引いた。促されるまま、訝しむ表情を浮かべつつ、彼は後ろを着いてくる。どうしたんだと聞かれれば、良いからと答える。返答らしい返答はせず、少女は成されるがままの少年を引いていった。

 

 そして辿り着いたのは、アカネ宅でサクラが間借りしている自室。サクラが扉を開き、先に入ってはサキにもどうぞと促す。短期間の貸与なのも相まって、間取りが変わらない少年の貸し与えられた自室と大差無い風景だった。

 

 扉の向かいの窓の下にベッド。その手前の左手側の壁伝いに腕回りサイズの机。備え付けの小さな椅子。机とは逆の壁にはクローゼット。そこまでは全く一緒で、違うと言えばサクラの洋服が、開きっぱなしのクローゼットから数枚覗ける事。半身に引かれた椅子の上に、彼女が旅をする際に担ぐリュックサックが置かれている事。そしてベッドの枕元に彼女エンジュの一件で燃えた後、買い直す程愛用らしい『チルット目覚まし時計』が置いてある事ぐらいだ。

 

 あまり怠惰の様子が見られないサクラの部屋だが、それでもサキは一頻り視線を泳がせると、所在無さげにサクラの背に視線を留めた。未だ気恥ずかしさ抜けやらぬ少年の目には、少しばかり刺激的なのだ。少女の部屋と言うのは。しかし彼女はサキのそんな様子を気にした風もなく、リュックサックを漁っていた。

 

 サクラはすぐに目的のものを見つけたらしい。

 

「あったあった」

 

 少女は呟きながら背を起こし、サキを振り返る。その手には白い簡素なケース。はいと差し出され、受け取りながら彼は首を傾げた。

 

「……なんだこれ」

「エンジュで買ったんだけど、渡そうとして喧嘩になっちゃって、バタバタしてたから……」

 

 白いケースは開く事が出来た。サキは少女に断りを入れてから、パカッと乾いた音を立ててケースを開く。中に臨めるのは黒いエアークッション。それぞれ形の違う八つの窪みがあった。『バッジケース』だ。

 

 バッジケースと言えばキキョウジムで最初のウイングバッジを獲得した際に、きちんと購入していた。サキは訝しみながら、説明を求めてサクラを見直す。すると彼女はエアークッションが入っていない上蓋を指差した。

 

「……ん?」

 

 上蓋を臨界点ギリギリまで開き、キラリと光るものを認めては照明に照らす。プラスチック製のその上蓋の内側には文字が彫られていた。

 

『S&S』

 

 その文字は如何にも少女らしい独占欲の表れだった。なるほど、『カップル』の生業らしい。二つのSが示すものがサクラとサキの名前だと言う事は言わずもがなだろうし、あまり目立ちはしないが肌身離さないバッジケースに彫るあたりはちゃっかりしているようにも思える。

 

 聞けばエンジュの一件の際にはポーチに入っており、燃えずに済んだそうだ。

 

 サキは頬を僅かに染め、サクラから目を逸らして小さくありがとうと零した。サクラはそんな彼に笑顔で応える。

 

「私はもうちゃんと使ってるんだ」

 

 そう言って、ほらとサキへ見せる。

 

 サクラの見せたケースはサキとお揃いながらも、刻まれた文字が違った。大きく『SA』と書かれ、二つに分かれて『kura』と『ki』が続く。そしてその右に矢印が向かい合うような形で続いた。

 

「……この矢印は?」

 

 サキは少し照れながらもそう聞く。サクラはケースを畳んで頬に当てながら零した。

 

「ほら、サキと私って二歳離れてるから、『ひとつずつ』近付けたらいいなって思って」

 

 頬を両手で覆いながらうねうねと身体をくねらせ、デレデレとするサクラに半ば呆れそうなサキだったが、そこで不意にひとつ「あれ?」と思い至る。

 

 『ki』と、『kura』。

 

 『ひとつずつ』。

 

 漠然としたロジック。不意に気付いた事だった。

 

 いや、しかし……。と、少年は双眸を細めると、自らの発見を瞬時に値踏みする。そして出た結論としては、『偶然』やら、『こじつけ』だと自らの発見を発見ですらないと揶揄する回答。

 

――まさか、な……。

 

 サキは頭を振って疑念を振り払った。うん? と、彼の動作に首を傾げる少女へ「なんでも」と零し、ありがとうと告げてバッジケースをポケットに仕舞う。

 

「どこに行ったかと思えばこんな所でいちゃついてましたの……」

 

 そこで呆れたような声で二人は声を掛けられる。開けっ放しの扉から、腕を組んだ少女が入ってきた。その表情はどこか不満があるように唇を尖らせている。

 

「……いちゃつくのは結構ですけど、あまりわたくしをハブにしていると泣かせますわよ?」

 

 と、桃色の髪の少女はにやり。一口に冗談だと続けそうな雰囲気ではあるが、少し寂しげに見えた。

 

「は、ハブになんかしてないよ!?」

「い、いちゃついてないぞ!?」

 

 二者二様にそれぞれ断りを入れる。えっ? と声を漏らしてサクラはサキへ視線を向け、少年は『イチャイチャ』を否定した事がマズかったと悟っては、今度は彼女へ弁明を並べた。しかしサクラはその頃には既に拗ねており、「情けない」とアキラからも責めるような視線を受けとった。

 

 二人の少女に責められた少年は、彼女らへの弁明に負われる。その言葉の端で、『イチャつく』と言う言葉から先程の疑念が戻ってきた。

 

「べ、別に深い意味では……なく……って――」

 

 そう、深い意味じゃないんだ。普通はそこに深い意味がある筈なんだ。だから、そんなのはおかしい。少なくとも『俺』ならそうしない。……けど。

 

 サキは言葉を失くし、目の前の金髪の少女を呆然と見つめる。

 

――サクラ……なら?

 

 偶然だろう。自分の発見はこじつけに過ぎない。それこそ『三日前の推察』とは違い、根拠が少なすぎる。そうは思えど、言葉を零しながら、徐々に徐々にと思慮の深みに嵌まっていく自分を知覚した。

 

「……ごめん、ちょい真面目に」

 

 そして完全に言葉を濁す。差し出した左手で少女を制し、少年は右手を顎に添えてひとつ唸る。

 

 目の前の少女達が怪訝そうな顔をし、サクラが「どうかした?」と少年の顔を覗きこんで来るが、普段ならば照れ隠しに大慌てする筈の相貌は静かに視線を伏せ続けた。

 

 考える。様々なパターンと状況を加味し、それに基づいた結果までをシミュレートする。コトネが語った一〇年前の出来事。父がワカバで相対した時の話。そして『ki』、『kura』、『ひとつずつ』と言う言葉のロジック。

 

 少年の脳裏にはどうにも姿が浮かばない謎の女。

 

――二人のヒビキさん。一人はこっちのヒビキさん。もう一人はどこか別の未来から来たヒビキさん。これでシミュレートするならば……。

 

「……サキ?」

 

 サクラは目の前の考え込む少年の背を撫でた。アキラに視線をやれば、彼女は僅かに顔をしかめて首を傾げている。しかし、二人はもう既に良く知っている。彼が『無駄な事』を考えたりはしない事を。

 

 やがて少年は面を上げた。その相貌にはしかし、落胆の様子が見受けられた。

 

「……悪ぃ、多分単なる思い過ごしだ」

「大丈夫?」

 

 少年は心配そうに背を労ってくれる少女にこくりと頷く。もう一人の少女は一歩近付いて、声を掛けた。

 

「……悩むより話す方が良いですわよ?」

 

 アキラの相貌は険しく、心配と言うよりは不安そうに揺れていた。彼が導き出す答えが今までピンポイントな正論ばかりだった為に、彼がこうまでして悩む姿は相応に危機感があった。

 

 暗に『言え』と言わんばかりに詰めよってみるも、少年は首を横に振る。

 

「……ただの言葉遊びだよ。答えを出した所で何の答えにも繋がらないし、悪戯に不安が積もるだけだ。正直言って、我ながら頭狂ってる」

 

 サキはそう言うと、今度こそと柏手を打って、二人へリビングに行こうと進言する。そして二人の間を割って、一人先に部屋を出ていった。

 

 少年の背を心配そうに見つめるサクラと、どこか煮え切らないアキラ。しかしやがて仕方ないと肩を竦め、数歩先で振り返る少年の後に続いた。

 

 

 少年は歩きながらも片手をポケットに突っ込み、サクラからのプレゼントを握りしめる。

 

 

――有り得ねえ。単なる言葉遊びだ。

 

 もしも俺とサクラが順当にこの先も肩を並べていて、結婚したとする。子供が出来たら、当然ながら名前をつけるだろう。

 

 その名前は俺がつけるなら、何も問題はない。『×××』なんて名前は付けないからだ。

 

 ただ、もし俺じゃなくサクラが名付けるなら。もし俺を尊んで名付けるなら……。

 

 その名前は『×××』じゃないだろうか。

 

 

 

 漠然とした謎は、実に前提条件が多すぎる話だった。そして、あまりに突拍子もない話だった。

 

 ただ、少年がこの時この悩みを誰にも話さなかった事を、後に『犠牲者』を見て、初めて後悔する……。話していれば、おそらく未来は変わっていたからだ。


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