サキがフジシロからバッジを受けとると、サクラはベンチから立ち上がった。サキはベンチへ、サクラはトレーナーゾーンへ歩を進める。すれ違い様に二人の左手が『コツン』と、恒例の形で音を立てた。
――頑張れよ。
――うん。お疲れ様。
暗黙の内に会話をし、二人はすれ違って背を向けあう。一度として振り返らず、サクラはトレーナーゾーンに辿り着いた。広めにとられた四角い枠に入れば、彼女は大きく息を吸い込んだ。
先程の観戦の時に感じた、心臓を掴まれたような感覚はもう無い。恐怖心はサキのバトルを見てきちんと拭い去る事が出来た。
準備は万端。あとは勝つだけだ。
目前でにやりと微笑む、相対するフジシロ。彼のお陰で今、サクラとサキは不自由無く旅をする事が出来ている。その彼が今、彼の望む形で、サクラの前に立ち塞がっているのだ。ならば彼女だって、彼から受けた恩に報いるが如く、彼の望む全力を見せねばいけない。
おそらくフジシロは勝たせてくれるだろう。むしろここに来てサクラが敗北してしまえば、折角立てた予定が頓挫してしまう。つまり出来レースなのだ。
だが、それがどうした。
出来レースに甘えて手を抜くなんて事は、彼が今までサクラ達を気にかけてきてくれたへの恩を、全て仇成す事になる。そんな振る舞いが許されようか? いや、許される筈がない。
だからサクラは、身に纏う偽りを捨てた。伊達眼鏡、帽子を足元に置き、加えてMの烙印が捺された紫のボールを帽子の上に鎮座させる。
「ルギア……。ごめんね。そこで見てて」
そう言って、海鳴りの鈴も、マスターボールの横に置く。鈴は淡く光って、しかし何も語らずにいた。
化粧落としを使っては顔に施した偽りを払う。使い終わったシートは帽子の横に置いておいた。
――さあ、準備は整った。
サクラはフジシロを臨む。何も言わずに待ってくれた彼は、ちゃんと意図を理解してくれたように、満足げに頷いた。
「私はシロガネサクじゃありません」
彼に向かって礼儀正しい言葉で、しかし真っ向から挑む視線を向けて言い放つ。
「ワカバタウンの『サクラ』として。一人のポケモントレーナーとして。全力を尽くします」
そして一礼。
フジシロは未だ先程から抜けやらぬ声色で返した。
「あア、サクらちャん。言いタい事は解ったヨ。ありがトう、嬉しイよ」
真っ向から挑む少女は『サクラ』。フジシロが目をかけて、勝たせようとした『シロガネサク』ではない。つまりは、既に出来レースとなるシチュエーションは揃ってしまっているものの、フジシロは全力を出してサクラと戦っていい。むしろ彼女自身がそう望んでいる。
それは逆説的に、サクラもきちんと甘えを捨てて本気で戦うと言う宣言でもあった。
普段見る顔より、幾分幼い顔をした少女に、フジシロはにやりと笑う。
「じゃア……」
――君ノ不幸ヲ始メヨウカ。
アカネが振り上げた手旗に、二人は『同時』にボールを交わす。当然だ。相手を『対等』として戦いを挑んだのだから。
二つの閃光。
サクラが繰り出したポケモンはレオン。四本の尾をほどいた状態で出てきた彼は、地に着くなり半身の体勢で構えをとる。そして不敵に一鳴きした。
チラチーノとサクラの相貌が捉えたフジシロのポケモン。その姿は一重に『魔女』のようだった。
鍔広の帽子を被るような頭部。帽子の下に臨む相貌には深紅の瞳。怪しく歪む口角から臨める色も深紅。胸に宿る宝飾も同じ色合いだった。そしてそれ以外は紫の肢体。朧気に揺れる二本の腕。掛けられたドレス衣装のようにヒラヒラと浮いては、脚は見当たらなかった。
ムウマージ。ゴーストポケモンの内でもジョウト地方に起源を持ち、その魔女のような見た目から遜色の無く、魔法のように様々なタイプの技を使えるポケモンだ。
場は整った。後はサクラがルギアを除く四匹を倒されるか、フジシロの出したムウマージを倒すかで決着する。
「ムウマージ対チラチーノ。試合開始!」
アカネの手旗が降り下ろされた。
「レオン、耳を塞いで守って!」
「……鳴け」
言葉は同時に交わされた。
レオンは四本の尾の内、二本の尾で大きな耳を前に倒す。小さな手で更に覆っては残る尾で構えを維持し、『守る』の体勢をとる。対するムウマージは笑み浮かべる口角を更に歪ませ、まるで呪文を唱えるが如く大きな鳴き声をあげる。
電磁波、鬼火、悪巧み、瞑想、マジックコート。サクラの脳裏に流れるのは、研究所の手伝いをしていた時に得た知識の羅列。ムウマージが金切り声をあげると同時に嵌め込んでくると予想された『封殺』する為の技。
――悪巧みや瞑想をされるのはレオンのアンコールで敬遠出来てる。でも、マジックコートでアンコールを跳ね返せるから、こっちも敬遠されてる。……なら何が来る!?
考えろ。瞬間的に思考をフル回転させ、少女は早くない筈の頭の回転を、それでも瞬時に活路へと向けた。同時にムウマージの金切り声が止む。
――今しかない。
「動キを止メろ……」
「レオン、アンコール!」
指示はやはり同時。
ムウマージは金切り声と共に『電磁波』を放つ。その波が届いてレオンの身体を止めるより早く、彼は彼女の『電磁波』を絶賛する。
アンコールは依然オノンドに対して使った時より、磨きがかかっていた。まさしく、相対する『ムウマージ』の技をその名が示す通り拘束してしまう程にーー。
膝を着いて動きを止めるレオン。サクラはその時既にボールを出しており、即座に彼を光に戻した。そして繰り出すはロロ。
肌色の肢体に、我を忘れたムウマージの『電磁波』が襲い掛かった。
「――っ!」
ロロはしかし、苦悶しながらも相貌を険しくして一鳴き。
「ごめんロロ! でもいけるよね!?」
その相貌に、かつての怯えはない。臆病ながらも、彼女は『耐久』に特化したポケモンだ。彼女の肢体は、レオンを崩した『麻痺』を受けて尚、淡く光るように輝きを増す――。
「水の波動!」
徐々に。本当に徐々にだが、ロロは勇気を出せるようになった。そして今、その彼女の勇ましさは『麻痺』の拘束さえものともせずに、気高く鳴き声を挙げさせた。
そして放たれる水鉄砲。それが波紋に変化し、ムウマージの肢体へ直撃する。
そこでフジシロは声をあげた。
「そロソろ動けルね……。痛ミ分けにシヨうか」
瞬間、それまで混乱したかのように『電磁波』を繰り返していたムウマージが、ロロの肢体へ見つめ直す。身体に浴びた水撃をこちらもものともせず、その深紅の双眸を輝かせた。
ロロが苦悶の声をあげた。
痛み分け……。つまり与えたダメージが多ければ多いほど、ロロへ返ってくるダメージも多い。瞳術による錯覚ではあれど、その錯覚は確かにロロの体力を奪う――。
だが、それでも尚ロロは横たえる事はなかった。まだまだいけると一鳴きし、鱗を激しく発光させ、相貌の脇から流れる触腕を大きく振るっては『麻痺』を『リフレッシュ』する。
――ナイスロロ!
心の中で呟く。しかし――。
「十万ボルト」
フジシロの声を聞いて、サクラは咄嗟に指示を切り替えた。
「神秘の守りで繋いで!」
電気タイプの技だ。高レベルのムウマージのその技は水タイプのロロにとって、一撃での致命傷が約束される。つまりその瞬間、サクラはロロを『切り捨て』なければいけなかった。
心の中でごめん! と呟く。
ロロはそれでも臆した様子なく、一鳴きすると、状態異常を無効化する『ベール』を辺りに解き放った。
「――!!」
声にならない悲鳴。聞き終わるより早く、アカネの手旗よりも早く、彼女をボールに帰す。僅かに震えるボールに向かって、ごめんと呟くと、素早く別のボールに持ち換えた。
――この手順、決まっているじゃない。貴女しかいないよね!
「ルーちゃん! 蝶の舞でひたすら集中!」
現れたルーシーは閃光も止まぬ内に華麗なターンを決めていた。優雅に、美しく、可憐に、その舞は――。
「ムウまージ、まじカルフレいム」
決して小さくはない炎を、ムウマージは吐き出した。その中心部だけは避け、ルーシーは葉を少し焼かれる。しかし、彼女の相貌に宿るは更なる集中をする為の穏やかさ。
ロロを目前で倒されていようが、彼女はロロが残した『神秘の守り』を勝ちに繋げる事を優先する。きっとリンディやレオンならば激昂さえしかねない状況でも、『彼女』ならば冷静かつ、その怒りを後に回す判断が出来る。
マジカルフレイムで炙られながらも、ルーシーの蝶の舞は続いた。まるでロロが生み出したベールの中を、舞台にしてしまったかのように踊り尽くす。その度に彼女は速くなり、踊りのキレも、相貌に宿す静けさも増した。
そして遂には、ベールが消え去るのと同時に彼女は優雅な礼をする。
「……仕留メ切れナかったカ。これハ不味イね」
フジシロがその笑みに僅かな悟りを見せる。
――ううん。違うよフジシロさん。ルーちゃんなら、絶対に耐えれるって分かってたんだよ。
そう、ルーシーはきっと、サクラの持つどのポケモンよりも、仲間の力と心を知っている。だからこそ、レオンが崩れ間際にアンコールをかまし、攻撃を出来ずにボールに戻った悔しさ。ロロが本当は怖かったろう十万ボルトをその身に浴びながら作り上げたステージ。
――無駄にしないわ、レオちゃんとロロが作り上げてくれた私の『舞台』よ? 無駄にするはずないじゃない!
さあと、彼女はその身を翻す。
――いくわよサーちゃん。
「ルーちゃん、いくよ!」
花びらの舞!
ぶわりと、一陣の風が『春』を運ぶかの如く。ルーシーの両腕が、その風を抱くかの如く。
一陣、凪いではムウマージの肢体を宙へ。
元より浮遊する紫の魔女は、それでも空中で体勢を整えようとする。
そこへルーシーの両腕に合わせ、猛烈な花吹雪が『落ちて』くる。最初の一陣で巻き上がった花びらの乱舞が、まだ体勢を立て直せていないその肢体を襲った。
猛烈な花びらの波は空中で列を成し、まるで『華』の如く咲き誇る。
――リンちゃん。トリの出番は無さそうよ?
クスリと笑う声が聞こえた。
ズドン。
およそ花びらが打ち鳴らす音にしては、似つかわしくない音が、バトルフィールドのど真ん中で響いた。
頷くフジシロ。
微笑むサクラ。
優雅に礼をするルーシー。
そして、舞台の観客たる紫の魔女は、花びらの中でその双眸を閉じていた。
んー。本来ならこれは蛇足です。書きたかったので書きましたが、サキ戦で切って次のシナリオに移りたかった……。番外編用に書いてみたら、「まあいっか」的な考えに至り、そのまま入れる事にしました(笑)
完全にフジシロとサクラの世界なのはその為ですね。マジカルフレイムで特攻落ちてる筈じゃねえの? って解説はミニコーナーまでお待ちをっ。