天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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 さて、と零して、サクラは席を立つ。

 足許に降ろしていたリュックサックを持ち上げ、二歩前へ進んで振り返る。二人へお辞儀をして、改めて礼を述べた。

 

「長くお邪魔してすみません。そろそろお(いとま)しますね」

 

 サクラがここへ来た理由は、極秘の書類を届けに来たに他ならない。

 望んでいたとは言え、サキに促されるままお宅へお邪魔し、この状況に至った訳だが、本来ならば書類に不備がないかの確認さえ必要はないだろう。

 中身を知ってはいけないから極秘と銘打たれているのだし、渡したら渡したですぐに帰ってしまっても良かったわけだ。

 現にシルバーは書類については一切触れていない。

 

 元々急いでいた理由もあれば、新たに急ぐ理由も出来た。

 熱意は熱を失わないうちに話してしまいたいのだ。でなければ元の安穏とした日々に甘んじて、落ち着いてしまいそうになる。

 

 だからそろそろ帰ろう。

 今から出れば、深夜にはなるだろうが、ワカバタウンへ一気に帰れるかもしれない。

 

「まあ待て、サクラ」

 

 そんなサクラを、シルバーは薄く微笑みながら否めた。

 

 キョトンとする彼女へ、「徒歩なんだろ?」と彼は尋ねてくる。二つ返事で頷くと、彼は「なら」と、自分の腰に着けているモンスターボールを指差して肩を竦めて見せてきた。

 

「29番道路のはずれまで送って行ってやる」

「えっ? い、いいんですか?」

 

 口に手を当てて驚きつつ、サクラは逆に問い返す。

 嬉しい申し出ではあるが、多忙な身では……と、思ってしまう。

 するとシルバーは「散歩がてらだ」と、何とも無いように微笑んだ。

 そして、ならば早く準備をしようとする彼女を、更に制してくる。

 

「飯くらい食ってから行こう。何、お前が思っている以上に俺のポケモンは速いぞ?」

 

 そう言ってシルバーは片目を閉じてにやりと笑う。

 そのすまし顔にサクラが呆気にとられれば、そこで神の悪戯が起こった。

 なんとも絶妙かつ、奇遇なタイミングでサクラの腹の虫が『クーッ』と可愛らしい音を立てたのだ。そう言えば、朝御飯は携帯食糧だった為、小腹を満たす程度のものだった。

 

 思わず赤面して腹を押さえ、サクラは自分の腹の虫を呪う。

 彼女を指差してきたサキが、「だっせぇの」と、声を上げて笑った。そんな彼をサクラが呪わしげに睨めば、横から割って入ったシルバーによって、彼へ拳骨がプレゼントされた。そして更にその首根っこが掴まれて、「手伝え」と、サキはキッチンへと連行されて行く。

 

「サクラはそこで待ってな。本棚のものを適当に読んでいて構わない」

「……はい」

 

 恥ずかしくて逃げ出したい衝動に駆られながら、虫の鳴き声のような小さな声で返事をする。激しい自己嫌悪をしながらも、言われた通り本棚へ向かった。

 

「……わぁ、すごい」

 

 その本棚を見上げて、サクラは思わず羞恥心を忘れて感動を覚える。

 先程遠目に見た時に幾らか目を見張ったが、間近にしてみると、それはやはり驚きを隠せないものだった。

 

 背表紙に『マニューラ』と銘を打たれているファイルは、どれも膨れ上がっており、明らかに一冊のファイルの許容量を越えた紙が挟まれていた。それが一冊で済まず、五冊も並んでいるのだから、どれ程彼がマニューラと言うポケモンの為に時間を割いたかと、雄弁に語るより確かだろう。

 パッと見ただけでも、他の育成記録も同じような数を用意されている。

 壮観にさえ思える光景だった。

 

 その『マニューラ』の中でも一番新しそうなものを取り出し、開く。

 

 先ずは図鑑等で見られるような写真があった。

 そして、その次のページを捲って、サクラは目を見開く。不意に息を呑んでしまう程の衝撃に襲われた。

 

『氷の(つぶて)。氷タイプ、相対的な威力は低いが、その性質上絶対的な牽制力がある。ニューラの時には取得出来るが、進化後は体表の細胞組織が変化、進化前に取得していない場合は、技に適した氷を作り出す為の水泡を挟む毛並みが腕のみに収束してしまい、全身から礫を作り出す行為そのものが取得出来ない。これは技の忘却、及び思い出し行為にも影響を及ぼし――』

 

 小難しい言葉の隣には、技を取得しているマニューラと、取得していないマニューラの、毛並みを拡大したらしい写真がクリップで留めてあった。

 

 研究所でもここまでの資料は早々お目に掛かれない。

 思わずサクラは手を震わせた。

 次々にページを送って、ザラ読みするかのように目を通していく。

 

「すごい……すごい……こんなの見たことない」

 

 一つ一つが、学会の論文に引けを取らない程の考察をしていた。

 それはポケモンの生態系や、技だけに留まらず、育成環境による相違、個性、性格、戦ったポケモンの種類や、戦った土地によって起こる肉体的変化等、一個人で調べられる域を大きく越えていた。

 そしてそれを踏まえた上で、筋力値、筋力分布、知能、速度、耐久力を最も活かす育成論も書かれている。

 最強のトレーナーを目指していたとは、口だけではないという証明だった。

 いや、その記録は真新しいものもある……シルバーはまだ現役なのだ。

 

 そして、その調査の為に育成されたマニューラが今、誰の手元にあり、何の役割を負っているかもきちんと書かれていた。

 実験と言えば聞こえは良くないが、中には育成するだけ育成して棄ててしまう研究者だっている。彼の場合はどうやら育成したポケモンは協会の任に当て、活躍の場をしかと用意しているようだった。

 

 どこかホッとしたような気分になって、ファイルを閉じる。

 改めてシルバーと言う人間が傑物と呼ばれる由縁を知った気がした。

 

 『マニューラ』を棚へ戻し、その隣を認める。

 背表紙に『バンギラス』と銘を打たれたファイルは、マニューラよりも二冊分多くあった。その更に隣には、『オーダイル』、『オンバーン』等と続く。

 先程書類を読み飛ばした時のように、下の段へ目線を移していくと、一番下の段に『H』と銘を打たれた細いファイルがあった。

 

 何だろうと思って、それを取り出す

 そして何気なく開いた。

 

 写真は無かった。

 

『便宜上Hと称する』

 

 言葉はそう始まり、『天を司る伝説級ポケモンの一体』と書かれていた。

 サクラはその言葉にどことない既視感を覚え、次のページを捲る。

 

 そこには一人の少年の写真があった。

 

『現在のHのトレーナー、ヒビキ。Hが強く好む志を持ち、Hとの関係も良好。この度の調査に協力を要請、限られた時間しか用意出来なかったものの、Hの生態調査に協力を得る』

 

 その写真には確かな見覚えがあった。

 そう……サクラの父、ヒビキの写真だ。

 

 不意に焦燥感に駆られて、再度ページを捲った。

 するとそこには、そのポケモンのデータベースが記入されていた。

 

 タイプは炎と飛行。

 大きさは三・八メートル。

 体重は一九九キロ。

 

 その他にどのような技を扱うかも書いてあったが、そこは読み飛ばして次のページへ目を移す。

 そこには『姿形は写真に撮らないでおく』と書かれ、その代わりに石盤に彫られた絵の写真があった。注釈によると『アルフ遺跡にて記録あり』との事。

 それは昔、学校の教科書で見た事があるものだった。

 

 更に次のページを捲る。

 

 すると少し古びた一枚の写真があった。

 

 一言で言えば、『翼竜』を思わせる形をしていた。

 胴体と同じぐらい大きな一対の翼を持っており、その翼の先が指のように分かれているからか、手と思わしきものはない。対して、足は鳥のように退化している訳ではなく、しっかりとしたものが二本あるようだ。あとは長い首と尾もあるが、特徴らしい特徴は突起物があるぐらいだろう。

 

 胴は白が貴重で、腹部だけが青い。

 所々にある黒い突起物は硬そうだが、全体的な印象はとても柔らかに見えた。

 それでいて輪郭はシャープで、今に羽ばたきそうな躍動感を感じさせる。

 

 先程認めた写真は遺跡の石碑だったが、こちらはかなりの遠方から撮られた写真のようだ。ピントが合っていないのか、まるでモザイクがかかった風にも見え、相貌等はきちんと確認出来ない。

 背景は嵐を思わせるどす黒い雲が写っているが、稲光が照らしているのか、そのポケモン自体が光っているのか、色や輪郭ばかりが確かだった。

 

『Lとの関連性は強く、LとHはジョウト地方において生態系の頂点に君臨。対立していると示す文献も確認出来る。尚、Lは現在――』

 

「サクラ」

 

 思わず読み耽っていれば、シルバーに呼ばれた。

 ハッとしたサクラは、即座にファイルを閉じて、本棚へ戻す。

 返事をすれば、食卓へ着くように促す声が続いた。

 

 了解を得ているにも関わらず、サクラは何故か「見てはいけないものを見てしまった」という罪悪感を抱く。しかし同時に、確かな疑問も持った。

 

 『H』……幼い頃、その名を聞いたような気もするし、データベースに載っていた情報もどこかで覚えがある。

 父が所持しているのなら、それそのものには納得がいくが……。

 

 そして、『L』と呼ばれるポケモン。

 

 何故かは分からないが、やはりサクラはそのポケモンも知っているような気がした。

 

 

――リーン。

 

 

 食卓へ着こうとして、不意にそんな音を聞く。

 一瞬ばかり立ち止まるサクラだったが、そんな音を出すものは見当たらず、気の所為かと小首を傾げながら席へ着いた。


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