サクラは目前の光景と、耳に留まるフジシロの声に自分の正気を疑った。
自らの胸に手を当て、心臓の鼓動を確かめるように息を殺す。
「……見事な呑まれっぷりですわね」
サクラの座るベンチの脇、つまりメイを挟んで隣に立つアキラは、そう零した。その表情は険しく、嬉々とした表情のフジシロを睨むかのようだ。腕を組むその手はどこか力が籠っていた。彼女のぼやきにメイが頷く。
「フジシロは
ドクン、ドクン。心臓の音に合わせて深呼吸をしながら、サクラはメイに視線を送った。彼女はすぐに気がついて、サクラの頭へ手を伸ばすと、優しく撫でた。
「簡単に言えばトランスね。フジシロは今完全にあのパンプジンと同調してる……。五感の共有は勿論、その気になれば指示無しでもパンプジンはフジシロの考えを汲むわ」
普通、ポケモントレーナーとはポケモンを使役する。言い方は宜しくないが、端的に言えば屈伏させては命令をすると言う事にあたる。しかし、フジシロは違った。ポケモンと同調する事により、『とり憑かれ』てはそのポケモンの本来の力を発揮させる。つまりはポケモンが主体となって、フジシロの才を引き出す役目も担っているのだ。メイは敢えて説明してくれたが、サクラはちゃんとその知識があった。
ゴーストタイプのポケモンは一律して『魂』の存在。存在的に不確かとも言えるその立場であり、肉体と精神の丁度間に存在するとされる。それを利用して、フジシロは『トランス』している。ただ、それはつまり……。
サクラの思案を割くように、隣でシルバーが足を組んだ。彼の相貌は険しく、しかし口元はにやりと笑っていた。
「サクラ……フジシロが不幸な奴だと思えた事は無かったか?」
記憶を辿らずとも言える。答えは是だ。
ヒワダタウンでの事だけじゃない。その前からフジシロはやる事なす事が様々な形で裏目に出ている。加えて言えば、彼が望むジム戦でさえ、こんなにも遅くなってしまった。
サクラが頷いて返せば、シルバーもひとつ頷く。
「あいつは普段から手持ちポケモンに呪われている。……それはあいつが手持ちポケモンに好かれているからと言えるが、肉体を持つフジシロはその命を手持ちポケモンから最も狙われる不思議な状態だ」
そう、ゴーストタイプのポケモンならではの愛情表現だった。不便な肉体を持つフジシロに、肉体等無くても幸せなんだと訴えるポケモン。果ては共に魂の存在へと移ろおうと誘う。それは回り回って『呪い』と言う形で彼を祟り、その命を狩ろうとする。勿論ねじ曲がった愛情と言えるが、フジシロはそれを享受しているのだ。
ただ、そう簡単に死ぬ事も出来ない。それ故に彼は手持ちポケモンを置いて旅をする。行く先々で見舞われる『不運』や『不幸』に負けじと身体を鍛え、その体躯を持って生き延びる。ポケモンと素手でやり合うと言っていたが、それこそその『不運』に抗う為に彼が身に付けた生き延び方のひとつなのだろう。
歪んだ愛情表現に、命懸けで答える男。
そしてその姿は今、あんなにも歓喜に満ちていた。まるで嬉しそうに片言の言葉を並べながら、サキの指示で機敏に立ち回る『オノンド』へ、何度目かの攻撃を指示する。
何が『不幸』かとは、まさしく愛するパートナーと共に旅が出来ない事が最もだ。だからこそ、今がこんなにも愉しい……。そう言わんばかりにパンプジンは嬉々とした表情でオノンドを蹴散らした。
「フジシロは手持ちポケモンの呪いに対抗として、逃げる事しか出来ない自分を恥じているの……。だけど、見れば解ると思うけど彼はまさしくゴーストタイプを扱う『天才』だよ」
メイはその相貌をしかめながら、言葉をもらした。「でも」と繋いでは、ニューラを繰り出すサキの笑みにひとつ頷く。
「この勝負はサキの勝ちだね。闘争心で不得手な雌が相手だったからオノンドで仕留めきれなかったけど、パンプジンは平気に見えて満身創痍。サキも気付いてる」
その言葉にサクラはうんと頷く。雌と相対して動きが鈍るオノンドの気性は変わりなかったが、キキョウシティで見せたような戦意喪失はもう克服していた。本領は発揮できないまでも、ある程度きちんと動くようになっている。彼が竜の怒りを主軸に立ち回って、パンプジンのゴーストダイブにきちんと耐えていた様はフジシロも驚いていた。『成長しタね』と片言の言葉で労う彼は、どこか慈愛顔を見せたものだ。
物思いに更けっていると、後ろから頭を抱かれる。見上げればコトネが笑ってサクラを覗き込んできていた。
「サクラも負けちゃダメよ?」
「……うん。負けない」
命懸けで愛に答える男は確かに強敵だ。命を削るかのように儚い戦い方は、まさしく恐ろしさをも覚える。その姿を今、初めて見て一瞬は不安にとり憑かれそうになった。しかし、サキが示してくれているじゃないか――。
「シャノン、後手で構えろ。捕まるんじゃねえぞ!」
了解と言わんばかりに鳴き、ニューラは半身で相対し、独特の構えをとる。フジシロのパンプジンは既に消えていた。
「愉シいねェ、パんプじんモこんなニ喜んデる……。もっト遊びタいケド、そろソロ肉体ガ滅ブ頃アいかなァ」
ケタケタ。と、笑い声が響く。
「フジシロ……やっぱお前はほんと良い奴だ」
にやり、サキも不敵に微笑む。シャノンもすました顔でにやりと笑う。
「ハハは……。不甲斐ナい。夜ナらモっと愉しメるンだけド……」
「お断りだ。夜なら洒落じゃすまねえだろ」
両者は笑い合い、相対する二匹のポケモンも笑った。微笑み方は違えど、楽しいのは同じ。サキはここに来て、フジシロが何故バトルをしようと拘ったかを察した。
誰だって手持ちポケモンと一緒に居たい。共に笑い、共に戦いたいだろう。フジシロがそれをしない理由は、パンプジンがこのバトルでずっと笑い続ける事がその意味。今、バトル出来ないと、きっとフジシロは暫くまたこの手持ちポケモンとは一緒に戦えない。そう語るような切ない鳴き声。笑い声。
それでも詫びがてら、フジシロはサキに勝たせる試合をさせた。聡明な彼なら気付くだろうと察し、続けてバトルするサクラにとっても参考にさせたいと思ったのだろう。文字通り『トランス』してしまうので、手加減は『苦手』な彼らしい采配。
決してマツバに実力が劣る訳でも、ジムリーダーとしての手腕が及ばない訳でも無いのだろう。サキはそう感じた。以前彼が『マツバに挑戦者を取られる』と言うのは、マツバがフジシロを大事に思うが故、『命懸け』の彼の戦いを代わっているのだ。おそらくは間違いなく。
フジシロの相貌は狂喜に満ち、そして慈愛に満ち、果ては散り逝く花を思わせる程に切ない。
フジシロが何故、サクラとサキに手を差し伸べたのか。何故二人とバトルする事を渇望したのか。
きっとその理由は――。
「シャノン、決めろ!!」
霧から現れたパンプジンの手腕をかわし、返し刃でシャノンは大きく片腕を引く。鉤爪が映えるその右手にありったけの冷気を集め、左腕を引きながら大きく右足を踏み込んだ。
撃ち込まれる冷凍パンチ。
鎧のようなカボチャがバラバラに砕け、霧に溶けては笑い声を失うパンプジン。そのまま霊魂の如く溶け、青白い玉へと変貌した。
残心を残すシャノンがたたらを踏んで、小さく鳴く。
手旗が挙げられた。
「パンプジン戦闘不能。勝者サキ!」
――ああ、俺は勿論。サクもぜってえおんなじさ。コイツらは大事なパートナーだ。当然じゃねえか。
サキの微笑みに、フジシロはありったけの笑顔を浮かべた。
「うン、やハり間違っテなかっタね」