天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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裸の付き合いは悔し涙を肴にして

 母に背を圧され、サクラは抗う事さえ億劫になって、されるがままだった。

 いや、億劫と言うよりは、どうして良いのかが、どうしたら良かったのかが未だ解らず、思考に殆んどの感覚が寄っていたとでも言うべきか。

 

「ほら、脱ぎなよサクラ」

 

 そう声をかけられて、サクラはようやく意識を取り戻した。

 

 うん? と、言葉の意味を取りあぐねる。

 脱げとはどういう事なのかと改まって、コトネが歳を感じさせない白い肌を露出させていたので、サクラは目を丸くした。

 右を見れば綺麗に畳まれたバスタオルが詰め込まれた棚。左を見ればコトネの赤いシャツとオーバーオールが乱雑に投げ込まれた棚。足下はひんやりとした石造り。

 

 ここが脱衣場と理解したのは、コトネの後ろの曇りガラスに気付いてからだった。

 

「バトルの後はお風呂ってね」

 

 そう言って肩を竦ませるコトネ。

 その表情はどこか寂しそうに映る。

 

 サクラは呆然と、母の身体を見つめた。

 

 華奢な身体付き相応の肢体はそれでも柔らかそうで、丸みを帯びていた。僅かに腹に残る線が無ければ、子供を生んだ経験があると思えない程に細い腰元。それでも長く旅をしてきたと言わんばかりに、腿はスラッと伸びながらもガッチリとした肉付き。

 

 そのどれをとっても、記憶にあまり覚えが無い。

 一〇年間会わなかった母の身体つきは、懐かしさの欠片もなかった。

 

「……サクラ?」

 

 おーい、と目の前で手を振られてハッとする。

 

「ん、お風呂?」

 

 そこでやっとサクラは口に出して返事をした。コトネは呆れたような笑みを浮かべ、少女の肩に手を置く。

 

「たまにゃあ親子水入らず……って、お風呂だけど」

 

 分かりづらいギャグを述べて、クックックと含み笑いをし、ずいと顔をサクラに寄せてくる。その口角が斜め上の方向に歪んでいるのを見て、サクラはハッとした。

 

――あ、ヤバい。

 

 正しく極悪の笑みを認めて、サクラの脳裏に数秒後の世界が鮮明に描き出された。

 そして、それはコトネの言葉で肯定される。

 

「サクラぁ。その身体がどんだけ成長したか……確かめさせなさーい!」

「わ、ちょ、いやぁッ!?」

 

 肩に置かれた手でガッチリと掴み、背を向けようとするサクラを羽交い締めにして、片手で押さえつけ、余った手で先ずはスカートを勢いよく下ろされた。悲鳴を上げる彼女にコトネのテンションは比例して上がり、更に極悪な顔付きに変わる。

 

 結果から言おう。

 サクラは下の真っ白な下着以外を全部脱がされた。

 その間色んな所を揉みまくられた事は言うまでもない。

 因みに何故下の下着だけが残ったかといえば、胸の下着を剥いだ途端に、コトネの顔がしゅんとしたからだ。

 

 何故かは言うまでもない。

 サクラのナイチチはコトネからの遺伝なのだから。

 

 先程の悔しさを、羞恥で上塗りされたサクラは、そりゃもうとんでもなく怒った。

 背は父譲りなのか、母のそれを既に越えており、加えて身体つきはサクラも旅をしているのでガッチリしている。そこに例の『ナイチチ』を守らんとする彼女の本能が爆発した。

 逆襲と言わんばかりにコトネの身体を担ぎ上げ、曇りガラスの前へ。

 暴れる彼女を意にも介さず扉を開け放つと、入ってすぐ脇にあるかけ湯用の熱いお湯にぶちこんだ。ぶちこんだと言うより、投げ入れた。

 

 ふん、と鼻を鳴らしては後ろを振り返って、扉を音を鳴らして閉める。

 

『ちょ、サクラ! ごめんって悪ふざけがすぎげほごほごほごほ……』

 

 扉越しに焦ったような声色を聞く。

 湯が鼻なり口なりに入ったのか、彼女の咳が言葉を切った。

 

 はあと溜め息を一つ。

 

「すぐ入るから待っててよ。もう……」

 

 そう言ってから、先程母に散らかされた服を拾いにいった。

 丁寧に畳んで、下の下着も脱いで、もう尽く見られたのは承知ながらもバスタオルを巻いて身体を隠した。

 

 悔しさと羞恥が混じりながら、サクラは母の胸元を思い起こして、『恨むべき事』が増えたと溜め息を漏らし、ゆっくりと曇りガラスの扉を開けた。

 

 なんだかんだ胸元が乏しいサクラではあるが、身長は一四歳にしては随分と大きい。

 長く続けたフィールドワークと旅のおかげか肢体も引き締まっており、高い身長と相まっては、中々整った身体付きをしている。加えて、ナイチチと言う要らない遺伝をしてくれた身体ながら、日に焼けない体質も遺伝したのは救いだろう。端的に言ってしまえば、スラッとした色白のモデル体型ではあった。

 

 コトネはバスタオルの下に隠されたそんなサクラの体型をも見破ったと言わんばかりに、シャワーの前で第二ラウンドを始めようとした。サクラのカウンターキックが腹に炸裂して未遂に終わったが。

 

 しかしながら、コトネが悪ふざけが過ぎると言えば、サクラは突っ込みに容赦がない。まさかの『キック』と言う暴力に崩れ落ちながら、コトネはやはりこの子は私の娘だったと再確認する心持ちだったろう。

 

 そんな二人が漸くにして落ち着いたのは、一〇人はゆったりと浸かれるかという浴場に浸かってからだ。肩まで浸かってみれば、先程のもどかしさを無理矢理癒されるような感覚。

 

 ふうと息をつくサクラへ、コトネが薄く微笑んで、問い掛けてきた。

 

「昔さ……覚えてないかな? あんた、お風呂場で……どこで覚えたか私に『バアサン』つってきてさ。あったまにきて、ぐっちゃぐちゃにしてやったの!」

 

 懐かしそうに含み笑いをするコトネ。

 湯槽の端に陣取って、両腕を淵の裏に回して膝を組んでいた。

 

 サクラは彼女から一人分離れて、鎮座する人形のように腰かける。

 彼女の首は横に振られた。

 

「覚えてないや」

「そっか……」

 

 寂しそうな声を漏らし、コトネは天井を仰ぐ。

 先程までの騒々しさが嘘のように、浴場へ流れ出てくる追加の湯ばかりが音をたてた。

 

 サクラはコトネへ顔だけで向き直り、口を開く。

 

「さっきの……バトル。教えてくれる?」

 

 おそるおそる。

 先程のバトルのことを聞いた。

 

 何故初見と言っても過言ではないロロとルーシーで、指示もなくレオンとリンディーを倒せたのか。端的に言ってしまえば、サクラの対応が悪かったと言えるが、それだけじゃない。と、どこか確信染みたものが感じ取れた。

 

 此処に至るまでに考えられる事は考えた。

 それでも答えは出ていない。

 

 薄く笑って返すコトネに、サクラは聞いておきながらも、言葉を続ける。

 

「私……あの時すんごく勝たなきゃって肩に力入った。お母さんが最初にあんな態度とった理由が解らなくて……すんごくもどかしかった」

 

 うん。と返してくるコトネ。

 

 サクラは続けようとしたが、そこでコトネが腕を回して自分の顔へ湯をかける。プハッと漏らす彼女に、言葉を止められた気がした。

 

「……最初にああ言ったのは、あんたの冷静な対応を奪う為。それは間違いじゃない」

 

 コトネは再度腕を淵の裏に回して、天井を仰ぐ。

 

「でもね、あんた……。端っから考えすぎなのよ」

「考えすぎ?」

「そ。考えすぎ」

 

 そこで彼女は視線を下ろし、サクラに向かって笑いかけた。

 

「例えば……私。腐ってもあんたより経験あるよね?」

「……うん」

 

 見せつけられたものだが、それは元よりコトネの肩書きが表している。

 頷いて返すと、コトネはじゃあ……と繋ぐ。

 

「そんな人間相手に、端からあれやこれやと作戦考えて、果たしてそれが完璧に通用すると思えるのかね。キミは……」

 

 気取るような口調で笑って、そう続ける。

 事実、コトネは指示無くではあれど、サクラが危惧した通りの方法へ誘導したと言える。サクラがやりたかった戦法を、完全に封殺していた。

 言われてみればと言う話ではあるものの、結果論として間違ってはいなかった。

 

「そりゃあ考える事は必要さ。だけどあんたはごちゃごちゃ自分一人で考えすぎ」

 

 そこでコトネはサクラの元へ距離を詰めてくる。

 彼女はサクラの腕をとると、自らの胸に当てさせた。

 

「ほら……私だって生きてる。あんたと同じように生きてる。機械やらシミュレーションと違って、あんたとおんなじように考え、動く……」

 

 こくりと頷く。

 するとコトネは、満足したように、にっこりと笑った。

 

「あんたのポケモンだって、あんたと同じように考えるんだ……。なまじあのバトルの前に私はそれぞれの個性を述べてみせた」

 

 目を瞑り、先程の不遜甚だしい態度からは想像もつかない程、安らかな表情を浮かべる。

 

「あの時、選出自体はどっちでも良かったよ……。それはほんと。だけど――」

 

 目を薄く開けてはサクラの胸へ、指をトンと突き立てた。

 

「あんたはあのイーブイの心が理解出来てなかった……。少なくともその前の談話があって、あの子は自分がトリを務めるつもりでいた。そこに出すんだから……」

 

 そして指はサクラの唇へ。

 彼女の指を伝う雫が、照明の光を浴びてキラリと光った。

 

「言葉。かけてあげるべきじゃなかったかな? あの時……」

 

 そう言って、コトネは微笑みながら首を傾ける。

 

 言われてみれば、確かにその通りだった。

 ポケモン達がいかにサクラを信用していたとしても、あの時のあの状況ならば、普通に考えて特効思考のレオンから出してあげるべきだったろう。しかしサクラ自身が危惧した考えは、それはそれで正解でもある。ただ、それはあまりにも独断的で、リンディーからすらば悪手だと感じても不思議ではない。

 素振りはなかった。強いて言えば、何時もより返事が僅かに遅かった。たったそれだけだった。ただ、コトネの言わんとする事は、その微妙な彼らの仕草に気付いてあげ、声をかけてあげるべきではなかったかという事。

 

「あの時点であんたが凄く気負ってるのはわかった。……だからまあ、あんな挑発にあんたは力が入ってしまった」

 

 コトネはそう言って、濡れてボリュームがないサクラの金髪を優しく撫でた。

 にっこりと笑うその顔には、サクラが初めて感じる母性が、溢れているようだった。

 

 コトネはサクラの頭を撫でながら続ける。

 

「あのドレディアは随分姉御肌に見えた。加えてミロカロスは妹気質。……妹がやられて黙ってる姉はいないでしょ? 加えてあんたの理性が飛んでしまえば、指示がなくたって頭の良いあの子なら、勝手に勝ち筋を見つけられると踏んだのさ」

「……うん」

 

 さて、と言って、コトネは火照る身体でサクラを優しく抱き締めた。あまり豊満ではないながらも、彼女の顔を胸へ抱き留める。

 

「泣くな、サクラ……。良い子達に恵まれてるんだから」

 

 とめどなく溢れる涙を堪えも出来ず、それでも彼女はグッと嗚咽を堪えていた。

 ただ、それも母の胸に抱かれて、「うん」と泣き声を返せばもう我慢出来なくなった。

 

 白く華奢な背を撫で、母は薄く笑う。

 

 

――悔しいって思えるなら、あんたがそれだけ努力してきたって事よ。

 

 そう零しては母は娘の嗚咽をのぼせるまで慰め続けた。

 娘はこの時初めて、母を実感したと言う。


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