アカネが二人を手で仰いだ。
一匹目の選出をしろと言う事なのは見ればわかる。
レオンとリンディーには相対レベルに差がある。
サクラはどちらから出すべきか迷った。
しかし、同じ条件の筈のコトネは――。
「よし、じゃあロロちゃん? だっけ。ちょっと暴れてこようか……頑張ってね」
迷うことなく、ロロを選出する。
少し怯えながらも、彼女はコトネの微笑みにこくりと頷いて、更に背を軽く叩かれては、おそるおそるバトルフィールドへ出る。その様子にサクラはやはり迷う。
タイプの相性を考えれば、色んな技が使えるレオンに軍配。
しかしレオンがロロに対して手こずってしまえば、中々器用な戦法がとれるルーシーが鬼門になる。リンディーが彼女に対して有効打として打てるのは接近技ばかりで、状態異常を誘発する粉が怖い。
よし。と、サクラは頷いた。
「リンちゃん、行こう」
指示に一拍おいて、リンディーは一声鳴く。
特に臆した様子もなく、バトルフィールドで相対した。
アカネが両者の構えを見て――。
「あー、ごめん。アカネ」
コトネが止めた。
コトネは肩を竦めるアカネに「もう換えられんで?」と、当たり前な事を言われる。
彼女は違う違うと手を振って、サクラへ改まってくる。
「それはサクラに言う事だよ」
サクラは母の視線に、びくりと肩を震わせた。
コトネはにやりと不敵な笑みを浮かべ、オーバーオールの脇下から腕を入れる。
そしてあまり豊満ではない胸を張って、サクラを見据えてきた。
「私、指示無しでいいや。もう勝ったから」
そして、観戦する一同でさえ呆気にとられる事を言い出した。
しかしその顔は自信満々といった様子。
彼女は二匹に向かって「あんた達のやりたいようにやればいいよ」とだけ零す。
そしてあろうことかトレーナーゾーンで座り込んで、欠伸までし始めた。
――は?
サクラはその母の舐めきった態度に、平たく言えば『イラッ』とした。
欠伸した後はさぞ退屈そうに、首を回してはゴキゴキと鳴らし、「んじゃ始めよ」とさえ言う。
「ちょ、ちょっとお母さん!?」
内心はその不躾な態度に何かしら言い知れないもどかしさを感じ、しかしそれをぶつけていいか迷った末に、サクラはそう声をかけた。しかし彼女は気にした風もなく、アカネを急かすように顎で示した。
――何それ。どういう事?
自分の選択が間違っていたのか、はたまた何か気に触る事でもしたのだろうか。
しかし、指示も出さずに勝てるなんて、サクラの実力を舐めすぎている。
母からは見えぬよう後ろに回した拳を震わせ、アカネの声に即座に指示を出した。
舐めきった態度を絶対に掬ってやると言わんばかりに。
その意気込みが適ってか、リンディーはロロを特に苦もなく制した。
肩に力が入っていても、サクラは基本のヒットアンドアウェイをさせ、ロロの水鉄砲をかわしながらつかず離れずに攻撃を繰り返した末に、だった。
コトネは宣言通り一度も指示を出さなかった。
ロロが戻ると、「大丈夫だよ、頑張ったね。もう勝ったから」とコトネは労っている。代わりにルーシーの背を軽く叩いて、「頑張ってね。お姉ちゃん」と言っていた。
もう勝った? いいや、有り得ない。
戦況はサクラの絶対的有利。むしろこの状態から巻き返しが利くと思っているのだろうか。殆んどダメージを負ってないリンディーはまだまだいけると鳴き、その声にサクラは勝ちを確信していた。
しかし数分後、リンディーとレオンはルーシーに成す術なく倒されていた。
速い攻撃を痺れ粉で警戒しつつ、蝶の舞で感性を研ぎ澄ます。
接近されればフラフラダンスでのらりくらりとかわし、サクラが大きな技を指示した時をピンポイントに狙って、エナジーボールで反撃。動きが鈍った頃を見計らって、痺れ粉で封殺。
リンディーもレオンも、殆んど大差ないやられ方をした。
「お疲れ様……。ごめんね……」
目の前で申し訳なさそうに俯く二匹に、労いの言葉をやりながら、サクラは下唇を噛んだ。
展開としてはサクラ自身が警戒していた痺れ粉を撒くパターン。
二匹共痺れ粉で動きを封じられ、逃げ場を失って倒された。
宣言通り一度も指示はなく、ついぞコトネは立つ事すらしなかった。
サキやアキラが心配そうに見守る前。
悔しさを覚え、しかしそれでもサクラは肩を震わせながらも母に会釈した。
「……こうなるって、わかってたの?」
「ん? ああ、そうだよー」
間延びした声色で、事も無げに答えるコトネ。
次いでサクラを指差しては、してやったりとにやりと笑う。
「サクラ、あんたの選出自体はどっちも正解だったんだけどね」
そしてやっとの事で重い腰を上げ、尻に着いた砂をパンパンと払うと、彼女はサクラの元まで歩いてきた。
俯くサクラの頭にぽんと手を置いて……。
「サクラ……。ちょっと話そうか」
そう言って笑い、背を向けて、一同にありがとうと言って、解散を促す。
次いでアカネに向かって話しかけていた。
その間、サクラは俯いて、ぐっと腹に力を籠めていた。
癇癪さえも起こしてしまいそうな程の屈辱的な敗北に、身体が熱を覚えた。
母がアカネに何を話しているのかさえ、耳には入らなかった。
脳裏に宿るは母の不躾な態度。
そしてそれで勝てると言った姿。
更には本当に勝たれてしまった。
引き出すと言った力を、言葉もなく引き出された。
悔しかった。
とてつもなく悔しかった。
お膳立てしかされていないのに、相対したルーシーは恐ろしい程強かった。
申し訳なさそうにルーシーが寄ってくる。
彼女の頭を撫でて、無理矢理笑顔を作って謝りながら、彼女をボールに戻した。
次いで残りの三匹も戻して、そこで彼女は、横からサキとアキラが心配そうに見詰めている事に気が付いた。
二人の目から見ても情けなかっただろう。
指示がないポケモンは、つまるところ適時対処しか出来ない。
作戦も持たない状態で、サクラの積み上げた戦略は足下を掬われた。
「二人は……分かった?」
何故負けたか。
その答えを彼らに聞いてみる。
二人は自信無さげに首を横に。
「おそらく……コトネさんは個性を見抜いて、そしてサクラが勝ちパターンにはまったから手を引いたのだと思いますが……」
「俺も……そう思う」
頷いて返す。
一同を散らしたコトネが、サクラの元にやって来た。
「ごめん、サキ。今日ちょいうちの子貸してね?」
そう言って微笑み、片手を立ててサキへウインクひとつ。
余った手でサクラを促してきた。
残されたサキとアキラは目を合わせ、やがて逸らす。
下唇の色が変わるほど噛み締め、目一杯に涙を溜め、頬を真っ赤にしては奥歯を噛み締める。髪さえも揺れようかと言う程に肩を震わせていたサクラは、二人が今まで見た中で初めて見る表情だったろう。
――悔しい。
悔しくて悔しくて、仕方なかった。