母親
会議が終わり、一同はそのまま食事を取りつつ、これからの予定をたてた。
サキの見立ては敵勢がシロガネ山にいる可能性が高い事をきちんと証明しており、試す価値は非常に高かった。但し、言ってすぐに行動とはいかない。
コトネの怪我が完治していなければ、もしもの時を考えて、サクラ達を先に旅立たせる必要があった。もしも仮にサキの想定が外れていた場合、彼女らをアカネの居ないコガネに留まらせておく事は、あまりにリスキーだった。
普通にジムバッジを集め、ルギアを御する為の研鑽を積ませる事が無駄は無いだろう。しかし、無駄は無くも、エンジュジムは崩壊してしまっている。ポケモンセンターまで倒壊してしまった事から、エンジュジムは暫くの休業は余儀なくされた。
しかし、波乗りのライセンスに代わるファントムバッジは、これからの彼女らの旅に絶対的に必要性が高い。暫定バッジを渡す事も思案したが、フジシロは良しとしなかった。
辿り着いた結論は、コガネから発つ前にやり合おう。と言うもの。
ジムポケモンが居ない為、フジシロが会議の為に珍しく連れていたベストパーティが相手になる。ハンディキャップは苦手だけどと零すフジシロの提案だったが、サクラとサキはその提案を受け入れた。
ただし、それさえもすぐと言うわけにはいかなかった。
場所はアカネの邸宅のバトルフィールドを使う事にしたが、なにせジムが燃えてしまったので、肝心の『ファントムバッジ』がない。急拵えで作るとしても、大都会コガネながらも三日はかかるとアカネの談。已むを得ず、三日後にジム戦を約束。
それまでフジシロは一度エンジュに戻って、復興業務に着く事にしようと至る。勿論この際、ゴルーグは使うなと子供達から苦言が呈されたのは言うまでもない。実に三度目の足留めであったが、それは仕方ないので誰も突っ込まなかった。
次いでシルバーは先のワカバタウンの襲撃者達が『洗脳』を受けていたのか確認する為と、シロガネ山への侵攻を踏まえて手持ちを整えに一度協会に帰ると言う。
後の面々は、どうせなら子供達の訓練に手を貸して待つことにした。
昼食が終わると、フジシロはすぐに発った。
ゴルーグの肩に乗ってバカでかい音を上げながら飛翔していく姿を見て、子供達は自分達の苦言が全くもって彼に通じていなかった事を知った。強いて言うなれば、ヒワダでもっとぶん殴っておけば良かったと感じた。
次いでシルバーが発つと言う頃、彼はサキを呼びつける。
男は仏頂面平常運行と言わんばかりに、表情の読めない何時もの顔付きだった。
「甘やかすつもりは無いが……」
そう言って、彼はモンスターボールを差し出した。
サキはシルバーの行動に肩を竦めながら、「俺にポケモン預けるとか珍しいじゃん」と、受け取った。息子の言葉がやけに可笑しかったのか、シルバーはふっと笑い、彼にモンスターボールを開けさせた。
中から現れたのはシルバーが持ってきたボールにしては、訝しく思えるポケモンだった。
「カゲッ」
愛らしく鳴く声。
ぱちぱちと瞬く双眸。
名前が表す通りトカゲのような見た目で、二足歩行。
伸びる尾の先には小さな炎が宿り、赤い艶やかな体躯を自ら照らす。
カントーの初心者向けポケモンと名高い『ヒトカゲ』だった。
預けられたとばかり思うサキは、そこでハッとする。シルバーが護身用にと『預ける』ならば中々に強力なポケモンが出てくると思っていたのだ。しかし現れたのはまだ戦闘をあまり知らなさそうなヒトカゲで……。
「まあなんだ……バッジ三つ取っておきながら、お前の手持ちが旅立った時と変わって無いのが不甲斐ない。俺のリザードンの子供だから、まあ悪くない筈だ」
シルバーはそう言って、そっぽを向いた。
サキの表情が驚愕に変わり、彼はすぐにヒトカゲを『託された』のだと気付く。
彼はすぐに満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう。大事にする!」
そう言ってサキはシルバーに向かって会釈をした。
彼が下げた頭を、そっぽを向いたまま撫でるシルバー。
「サクラ。あいつ、あれで照れてるのよ?」
見送りの名目でそんな二人を見守っていたコトネは、隣に立つサクラにシルバーを指差してはにやにやと笑って言ってみせた。
指を差された彼はすぐに気付いたらしく、コトネを睨む。
「何だ、文句あんのか?」
俺の勝手だろうと言いたげに、恨めしそうに睨むシルバー。
コトネはそれでも飄々として返した。
「べっつにー? 丸くなったなーと思っただけよー」
にやにやと笑うコトネ。
シルバーは頬を引き吊らせて「ほう?」と、挑発的に笑う。
「上等だ……。戻ったらウォームアップがてら揉んでやらぁ」
「ヤダ卑猥。揉むとかなにそれ卑猥ですねおにーさん」
口元に手を当ててクスクスと挑発を返すコトネ。
そこに至ってサクラとサキは、視線を交わして、呆れたように苦笑を浮かべた。
お互いの親ながら、まるで自分達とは信頼の形が違うようだ。何となく、サクラはそう思った。
「てめぇ……」
「まあまあ早く行って早く戻りなさいよー。そして私にむしろ揉まれるといいさー」
ハッハッハと笑うコトネ。
この人物、これでも先程まで半泣きで謝罪の言葉を並べていた人物である。
そろそろキレそうだと、父親の限界を悟ったサキがまあまあと口を挟む。
サクラも母親の悪のりを諫めて、代わってシルバーに会釈した。
「三日で戻る。チビどものジム戦が終わったら泣き面晒させてやる」
「晒されるのは下着だけで十分よ」
尚も挑発し合い、しかしシルバーがオンバーンの背に跨がると、コトネは真面目な顔つきをしてみせた。
「気を付けて」
「……ふん」
シルバーは鼻で笑って、オンバーンの背を叩いて飛翔した。
空へ上がったオンバーンは速く、すぐにその姿は見えなくなる。
「お母さん」
シルバーが去るなり、サクラはコトネを横目で睨んだ。彼女はそっぽを向いて口笛を吹いている。
「……クソババアって呼ぶよ?」
にっこり。サクラは笑って毒を吐いた。
コトネの頬をダラダラと冷や汗が何本も筋を作った。
この数日で彼女も悟っている。
サクラは怒らせると怖い。
次いでへそを曲げると中々収まらない。
加えて頑固。
「すんませんした」
コトネは仰々しくお辞儀して謝った。
ふん、とサクラはそっぽを向く。
そしてサキに声かけて走っていき、母の事など忘れたかのように、恋人らしく彼の腕に手を回して、ヒトカゲに挨拶をしていた。
その様子を見送ったコトネは、唾を吐くような仕草をした。……唾は吐いていない。家の庭でそんなことをしたら、家主にどやされる。
それでも拭い切れない鬱憤を、言葉にした。
「……けっ、薄情娘が」
「まあ、あんなもんやろ……」
と、横につくアカネが、コトネに肩を竦めながら笑いかけてきた。
横目で旧友を認めて、肩を落とす。
そんなもんかねぇ。
と、年寄り臭い口調で返した。
「うちの娘も……って、一〇年間記憶ないんやったらあん時のコトネはあんたちゃうんか」
「……どうも面倒で」
げんなりとしながら返す。
一〇年、一〇年、一〇年、一〇年……。
不意に感じるジェネレーションギャップに似た感覚のせいで、一〇年どころか二〇年も年をとりそうだとコトネは思う。
すまん、すまんと笑いながら、アカネは続けた。
目の前でヒトカゲを囲う二人に寄っていく桃色の髪の少女を指差して続ける。
「あそこのアキラの上に、アキナ言うのがもう一人おってな?」
「あー、そういや二人目が少し前に産まれたーっていつか言ってたね」
頭に残っている記憶を辿りながら零す。
アカネが固まった。
「……覚えとらんわ、すまん」
「三年……。いや、一三年前に電話した時の話」
「覚えとるかい。アホな……」
デスヨネーと返しつつ、コトネはアカネの言葉を促す。
そう言えばアカネも随分年をとったなあと、横目ながら感じつつ、自分もか、と肩を落とした。コトネの懲りない様子に苦笑しながら、アカネは続ける。
「まあアキナは男勝りで、アキラはあんなやからな」
「アキラちゃんはあんたの子供に見えないわ」
「やろ? めっちゃ苦労してんもん。あの言葉遣い気持ち悪ぅて、何回も辞めろ言ーてんけど、結局あれやん……」
ああ、とコトネは苦笑する。
それと同時に寂しくも感じた。
普通の親子が一〇年で積み上げられる思い出の量は、一体どれ程になるのだろう……。果たしてそれは今から埋めていって、今わの際に至った時、悔いが残らないものなのだろうか。
そう考えていると、肩をぽんと叩かれた。手を置かれたまま、アカネを振り返ると、友人はどうして随分年上に見えた。
アカネは薄く笑った。
「……一〇年間埋めれんかった分、あんたがこれから埋める時間はちゃんと濃いくなる。心配するもんちゃうて……むしろ心配してる暇なんかあらへんやろ」
うん。頷いて返した。
随分と離されたものだ。
アカネにも。
サクラにも。
取り返すのは容易じゃないだろうが、それでもコトネに俯く時間等は無い。
そんな時間があるならさっさと前を向いて進まねば。
さしあたっては恋路の邪魔でもしてやるか。
人の恋路を邪魔する者はケンタロスにでもなんとやら。しかしコトネはケンタロスなんざ怖くねえと、三人の子供の元へ走り出した。