エンジュシティの襲撃は一時間一七分と言う異例の早さで鎮圧された。
死者は五〇人を越え、負傷者はゆうに一〇〇人を越えたという。エンジュシティ南部はほぼ全ての主要施設が焼き払われ、犯行グループとして捕縛された一五人は、一様に『記憶がなかった』。襲撃中の意識はあったものの、その間の記憶がすっぽりと抜け落ちている事から、事件は第三者による『洗脳』を用いたテロだとされた。
駆け付けたシルバーにより鎮圧された鈴の塔。
シルバーはすぐに一行をコガネシティへ搬送した。三人とコトネの身体には異常は見られなかったが、サクラとコトネに限っては『洗脳』を受けた形跡があるとして病院へ。マツバはあまりに酷い重症だった為、その場から動かせなかった。
当時状況は切迫しており、コガネシティへ降り立ってからの判断は全てサキが行った。町の進入審査をアキラに任せて、ポケモンセンターにポケモンを預けては、サクラと意識が無いコトネは病院に搬送。
サクラは一番最初に問題がないとされた。
次いでコトネには肋骨の数本にヒビが入っており、その為の入院が必要とあったが、『洗脳』に関する事柄は問題がないとされた。
最も重傷だったのはルギアだった。
已むを得ずポケモンセンターに預けられたが、命に別状は無くも全治一週間と言う、回復力が高いポケモンにしては酷い惨状だった。
アキラのウィルは傷こそすぐに治ると言われたが、『メガシンカ』の弊害で酷く衰弱し、サクラのレオンとルーシーと合わせて全治三日の入院を余儀なくされた。
ここにきてNの協定の名前は強かった。
PSSを通じてメイからサクラに連絡があり、ポケモンセンターにルギアの事を内密とするよう指示を出しただけではなく、鈴の塔はその激しい戦闘により酷い損傷だったというが、重要参考人として呼び出される筈の彼女らの代理をたてては、『当たり障り無く丸く収めた』と言われた。
ついぞサクラの記憶は戻らなかった。
サキがシルバーに確認をとり、事態の翌日に駆け付けたメイも交えて話合われたが、結局の所は『ポケモンセンターで宛先不明のPSSを開いた』所から、あの邂逅までの時間を、完全に失ったままだった。
結局、謎が多いままだった。
フジシロはマツバが入院したエンジュの大病院へ向かい、一行はコガネシティのアカネの家に戻る形となった。
コトネの意識が戻れば何か解るかもしれない。
第三者たるアカネからの助言が、唯一的を得ていた。
そしてエンジュシティ大規模テロ事件とされたその日から二日後。
コトネの意識が戻ったと聞いて、サクラは彼女のもとを訪ねた。先の前例がある為、不安になる彼女だったが、先にシルバーが話を聞いて『洗脳』は確実に解けているから大丈夫だと促してくれた。
シルバーはサキとアキラ、アカネとメイと言う、サクラを除いた面々に、状況の説明をしようと連れて行く。暗に二人で話せと言われ、それでもサクラは怯えながら、おそるおそる彼女の病室を訪れた。
※
コンコンと、二度のノック。
短い返事を受けて、サクラは小さく深呼吸をしてから、ガラリと音をたてて扉を引いた。
一人部屋の病室で、サクラの母コトネは静かに佇んでいた。茶色の髪を揺らし、水色の入院服を着て、ベッドに座った体勢のまま、首だけでサクラを認めてきて、小首を傾げている。
会釈してから近付いて、シルバーが残したらしいパイプ椅子に腰かけた。
「えっと……」
サクラは口を開く。
感慨深いものは不思議と無かった。
むしろ何から話そうかと思い悩む。
先のセレビィの事は話しても意味がないのは解っているし、かといって何を話せばいいのかが解らない。
とすれば――。
「ごめん。ちょっと待って」
悩むサクラへ、コトネは手で制してきた。
口火の切り方が解らなかったサクラは、とりあえず頷いて彼女の言葉を聞こうとする。彼女は非常に言いづらいように顎を掻き、暫く唸ってから、意を決したように短く言った。
「私、二八歳の頃から記憶無いんだわ」
へ? と、サクラが声を漏らす。
待った待ったと左手を差し出してきて、彼女は続ける。
「今は三八歳
「は、はい?」と、返して、サクラも小首を傾げた。
初耳どころの話ではない。
何を言っているんだこの
「えっと……貴女、私の娘のサクラ?」
「う、うん。……そうだよ?」
思わずサクラは首を傾げて返す。
するとコトネはがっくりと項垂れて、大きな溜め息を一つ。「嘘だろおい」と零していた。サクラも「嘘だろおい」と返してやりたいのは山々として、とりあえず大丈夫なのかと聞いてみる。
げんなりとした表情でコトネは面を上げて、三八歳らしからぬ皺の少ない口をゆっくりと開いた。
「とりあえずごめん。酷い母親だ。なーんも覚えちゃいねえわ……」
「あ、うん。何かもう、私も訳分かんないから、いいよ?」
やはり首を傾げたまま、そう返した。
コトネは目を瞑り、溜め息を一つ。疲れたような顔付きで、改まった。
「何かね。シルバー……って判るよね?」
「うん。大丈夫」
「あいつが言うには、相当長い間操られてたらしくって……でも何か、その間にもあいつに会いに行った事があるらしくって……」
そうだ。サクラはそこでハッとする。
操られていた時間と記憶が無い時間がイコールならば、つまるところシルバーやサキと邂逅していた時間は操られていた事になる。その時にシルバーからして違和感は無かったのか?
漠然的な謎が、目の前にあった。
思わず目を見開いて硬直していれば、コトネはこくりと頷いた。
「とりあえず、解ってる事だけ教えるよ」
頷き返す。
コトネは目を細め、小さく唇を動かした。
「私は四歳の貴女をワカバに残して発った。その後、私達を呼び出した一組の男女に会ったわ」
男は老人。女は私より若かった。
二人はね、私とヒビキに『娘の命が惜しければ来い』って呼びつけたの。
来るんなら来い。とっちめてやるからと思ったけど、その手紙には『ホウオウがこちらにいる』ってあったの。おかしいよね? ヒビキがホウオウ持ってるのは周知の事実だし、ホウオウはこの世に一匹しかいないポケモンよ。
訝しく思いながらも、とりあえず私達は会いに行く事にしたわ。手紙にはホウオウの羽が入っていて、つまりはワカバで戦争を起こしたくなければーって感じな脅しも兼ねているのは間違い無かったしね。
男はヒビキ。女はククリ。
って名乗ったわ。……そう、ヒビキ。あんたのお父さんとおんなじ。
自己紹介が終わるなりあのくそじじいはホウオウをけしかけてきた。同じ名前ってのと、いる筈のないホウオウの姿に戸惑った私は……恥ずかしいかな狼狽えちゃって、あいつのホウオウに意識を奪われた。
断片的過ぎて意味は解らないと思う。でもホウオウは伝説級のポケモン。遥かに人間より高位の存在で、人の意識を操るぐらい訳無いのよ。これについてはヒビキが……うちのヒビキがホウオウ持ってたし、そう言う力があるのは解ってた。
まあ、ここまでが前提ね?
問題はその後なのよ。
私がシルバー達と会ったって話。
私自身、さっぱり覚えが無い。でも、シルバーの話によれば、私達は当たり障りの無い会話の中で『ライコウ』、『エンテイ』、『ルギア』についての話を求めていたって言うのよ。
ねえ、サクラ。
あんたルギア連れてるんでしょ?
シルバーから聞いた。
ここで言っとくわ。
ルギアを手放すか、私に返しなさい。
むっ……。
嫌って、あんた解ってる?
ルギアがあんたになついてるって言うのは、多分ルギアの記憶が覚醒していないから――ああ、覚えあるのね。
うん、そう。
その鈴の塔で聞いた『我』の方が、多分本性だと思う。
ねえ、サクラ。
ホウオウ、エンテイ、スイクン、ライコウ、ルギアが一同に介すると何が起こるか知ってる?
お、知ってるのか……なんだ、つまんないの……。
ルギアのその話の通りよ。
そう。『セレビィ』が現れる。
くそじじいの狙いはそれよ。
あんたセレビィと会ったって聞いたけど、良かったわね。
ん? 何が良かったって、決まってるじゃない。
『時わたり』に巻き込まれなくて、よ。
そ。時わたり。
むかーしヒビキと一緒に巻き込まれた事があんだけど、あん時ばっかりは発狂しそうになったもの。まあ、セレビィもすぐに消えちゃったしね。
結論を言うわね。
相手の狙いは私の『スイクン』と、貴女の『ルギア』。言うまでも無いわよね? 殺す気で奪いに来るんだから、持ってない方が安全なの。
あんたのマスターボールは元々ヒビキのもの。
但し、ルギアに対して投げたのは実を言うと私。
ポケモンの所有権って持ち主が死ぬか、完全な譲渡によってポケモンも認めるか……に当たるわけだけど、つまるところ私が捕まえたんだから、私はルギアを制する事が出来る。操られていた時はどうか知らなかったし、多分出来ないから殺して奪おうとしたんだろうけど……。
うん。解った?
つまりはあんた、これから先ルギア持ってる限り、うちのヒビキと戦わなくちゃいけないの。私が持ってる方が、安全よね?
ってコラ! なんで泣くかなぁ……。
嫌だ。って、もぉー。
はぁ……。
それについてはまあ、私が退院してからもっかい話すか……。
うん。おいで。
ああもう、小さい頃は泣き虫だったけど、大きくなっても泣き虫なんだね。サクラ。
はは、まさか昨日まで四歳だった筈なのに、いきなし一四歳のあんた抱き締める事になるとは……。笑えねえなぁちくしょー。
もう、何時の間に年取ったんだよ私。
こんな涙脆く無かったんだけど……はぁ。