『オヤジ、サクラがやべえ! 場所は多分鈴の塔だ。エンジュが襲われた』
セキエイ高原に本拠地を置くポケモン協会セキエイ本部。その最も奥地にある執務室。特に家財は置かれておらず、デスクと椅子、あとは本棚が並ぶだけの部屋だ。
そこでシルバーは息子『サキ』から連絡を受けた。普段は父親の仕事に気を使う態度を見せる彼が、冒頭に『今忙しいか』と聞かなかった為、シルバーはすぐに察して椅子を立った。
「解った。状況を違えていた場合は連絡を寄越せ。兎に角サクラとL、そしてお前の命を最優先にしろ」
そう伝え、即座にPSSを消す。シルバーはデスクの引き出しを開け、中からハイパーボールが四つ着いたベルトと鍵を取り出した。
その施設はシェルターとも言うべき地中に奥深くにある。要人が多く在籍する為に、已むを得ず安全面を重視した場所にあった。普通に外へ出ようものなら、それだけで一時間近く時間を使う。それでは間に合わない。
シルバーはデスクの上の受話器を取り、ボタンを三回押した。
「エンジュにて非常事態だ。状況の確認を行え。俺はMで出る」
告げるだけ告げ、乱暴に受話器を置いた。彼は椅子の背凭れにかけたカーディガンを羽織ると、早足に扉へと向かう。潜って抜ければ、無機質さを感じさせる鈍色の廊下がやけに明るい照明で、白銀のようにも輝いていた。
その通りを早足に歩く。
十字路へ差し掛かっては左へ。そこで後ろから声をかけられた。
「会長、エンジュにて……」
「もう把握している。俺はLの保護を優先する。実動隊を即座に向かわせ、事態の鎮圧に勤めろ」
シルバーの横に並んだ男は歯切れよく返事をし、敬礼をしてから即座に無線で連絡をとっていた。その様子を尻目に、彼は歩を早める。
僅かに歩を進めては左右がガラス張りの区画へ着く。右手には大型のレーダーを用いて、慌ただしい姿で三人の若者が『エンジュに近いトレーナー』を探しているだろう。勿論、ポケモンリーグの制覇を成し得る程の者の中からだが。左手には普段からあまり使われていない実験区画が広がっている。ガラスの向こうにはやはり誰もいない。
シルバーはその全てに目もくれず歩を進めた。時折声をかけられては、的確かつ端的に指示を出す。食い下がって彼の足を止める者はいなかった。
やがて彼はエレベーターに辿り着く。地上へはこのエレベーターから少し上層階へあがり、また別の区画にあるエレベーターへ乗り継ぎ、更にまた別のエレベーターへ……と、なるわけだが、シルバーはエレベーターのコンソールに空いた鍵穴へ、先程デスクから取り出した鍵を差し込み、捻った。加えて『一五〇』と、ボタンを順に押す。
一五〇階を指示したわけではない。現にエレベーターは急速に下降した。そして急速に停止しては、グラスをスプーンで叩いたような音をたてて扉が開く。
シルバーはやはり早足にエレベーターを降りた。
明るい照明の下、様々な機材が何重にも半円を描くように並び、その中央には巨大なディスプレイがあった。そのほとんど全てのコンソールが画面を黒く染め、中央のディスプレイですら沈黙をしていた。長く使われた様子がないのか、一部のコンソールには埃さえ積もっている。
数十人は収用出来るように見えるその場所は、しかし一人の男の城であった。
「なんや珍しい。シルバーやないか」
その男は茶色い癖のある髪を肩まで伸ばした姿だった。丈の長い白衣を、可愛らしいポケモンがプリントされたシャツの上に着込むセンスの無さで、その口には一本のタバコ。彼はタバコを躊躇いも無く地面へ捨てると、踏み潰した。よくよくと辺りを見渡せば、彼が吸ったらしいタバコの吸殻がそこいら中に転がっていた。
普段のシルバーなら、そこに苦言のひとつでも漏らすだろう。
しかしその日は違った。
「マサキ、Mを出す。鎮静化の解除をしろ」
そう言って、シルバーはマサキが「はぁ?」と漏らすのを気にせずに歩いた。中央のディスプレイへ向かってコンソールの狭間、更に下る階段を進んで行く。中央のディスプレイの麓にいる彼はめんどくさそうに髪を掻いた。
「えらいまた急な話やん。どないしたん?」
「お喋りする暇はない」
抑揚の無い声で、マサキを一喝。
しかし彼は肩を竦めては「無理や」と宣った。
「戦闘は暫く無理や。テレポートぐらいにしか役にたたんで?」
その彼へ、シルバーは真顔ながら肩を竦めて返す。
「それでいい。あいつのトレーナーは俺じゃねえ」
なるほど。転送機として使いたいんか。そう答える彼に、シルバーは頷いて返す。マサキとすれ違っては、ディスプレイの下にある扉へと向かった。
マサキはしゃあないなぁと頭を掻き、やがて唯一電気の点る、巨大なディスプレイの真下のコンソールを叩いた。
「シルバー。解ってる思うけど、Mは気が短いさかいに注意したってな? この前サカキはんもやっぱり吹っ飛ばされたんを――」
忘れたらあかん、で? と、言葉に合わせてパスワードを入力しきる。
ピー。と、電子音が鳴り、巨大なディスプレイが『Unlock』と文字を並べ、全てのコンソールに一気に光が宿る。扉の向こうへ消えた彼から短い返事を受け、マサキは『二〇人分』の機材を、メインコンピューターひとつで動かし始めた。
マサキがパソコンの起動を終え、シルバーが踏み入った通路に光が灯る。そこはポケモン協会の中でも、要人や会長たるシルバーの身よりも重要視され、封印されている場所。剥き出しのパイプが並び、幾多の管の波を作っては、その全てが最奥にある円柱へ向かっていた。
円柱の中は緑色の水で満たされ、その中には人の形をしたポケモンがいた。
白銀の体躯。長い紫の尾。閉じた瞳の下、犬のように僅かに出張った口元には呼吸器がつけられ、僅かにちょこんとついた耳の裏には幾多ものコードが張り付いていた。三本の指、二本の腕。三本の指、二本の足。その全てがこの世に存在するポケモンの中、『完全体』と呼べる形をしていた。
この世に現存する最強にして、唯一の個体。
人が産み出したポケモン。
シルバーは彼の目が開いていないのにも関わらず、目前まで行けば小さな声で話しかけた。
「ミュウツー。使って悪いが少し助けが欲しい。頼めるか?」
その声に見える反応は無い。しかし、シルバーはそれ以上の言葉を並べたりはしなかった。
『エンジュに翔ばせば良いのだな? 一つ条件を呑んで欲しい』
その声に抑揚は無く。身体の一部さえも動かしてはいない。
それでもマサキの苦言を思わせぬ程、シルバーへ従順な姿だった。
「言ってみろ」
『あのポケモンオタクが少し喧しい。ゲームをするのは構わないが、もう少し静かにしろと伝えてくれ』
シルバーは後ろを振り返った。ミュウツーは扉の向こうにいるマサキの日常を揶揄していた。
シルバーはクスリと笑って答えた。
「訳もねえ。今度旨いもん食わせてやるから、注意は戻ってからで構わんか?」
そう告げるシルバーの姿が、それでいて言葉だけを残し、スッと消えた。
ミュウツーは呟く。
『私はポフィンよりポフレ派だぞ』
と。
※
シルバーは鈴の塔の真ん前に翔ばされた。一度は不確かになった足元ながらも両足だけで軽やかに着地すると、彼はハイパーボールを後ろに投げた。
緑色の装甲を持つバンギラスがシルバーの後ろに立つ。
シルバーは全てを理解していた。ミュウツーがその圧倒的知力とエスパー能力を持って転写してくれた記憶が、即座に彼へ理解をさせている。
――迷うことはない。スイクンはコトネを庇うだろう。
「バンギラス、破壊光線」
そう告げて、鈴の塔の壁に遮られて見えない筈の『コトネ』へ向けて指示を出した。
閃光が、事態を終息へと導いた。