少女達が向かい合ったレジェンドホルダーは、小さく舌打ちをした。
赤のシャツに腿までしか丈がないオーバーオールと言う軽装。その髪は僅かに癖があるように外側へ跳ね、先程までは二本のツインテールだったと一目に判るバランスで……しかし片方は既にほどけてしまっていた。
彼女は溜め息混じりに残る髪留めをほどき、つまらなさそうに三人と五匹を見た。
「めんどくさ……」
彼女の横でメガニウムが膝を折る。
そのまま崩れ落ちて、目の色を無くした。
生きてはいるだろうが、おそらく暫く身動きがとれないだろう。
横目で確かめた彼女は、再度溜め息を吐いた。
メガニウムは、少女を庇って無防備だったルギアに、ひたすら攻撃を繰り返していた。が、返し刃の水砲ひとつで床に寝てしまった。
相性的にはそんなでも無い筈だが、先程ルギアが撃った『エアロブラスト』がメガニウムの肢体を掠めていたのだろうか……。
仕方ない。と、女性はそのポケモンをボールに戻した。
「行け。シャノン、アリゲイツ、オノンド」
「ウィル、プクリン!」
少女に駆け寄っていた二人が叫びながらポケモンを出す。
次いで現れる五匹の援軍。
その相貌は一目に分かる程、怒りを顕にしていた。
「お母さん!」
二人に囲まれたサクラが、叫ぶように言った。
「とりあえず、動いたらルギアがエアロブラスト撃つって言ってる!」
――だから動かないで。
と、暗に言うような、困惑した表情だった。
僅かに怒りも見えるような気がするが……まあ、どうでもいい。
女は笑って返した。
「ふざけんなよ? クソガキ」
にっこりと、その表情を満面の笑みに。
「殺すって言ったら殺すよ?」
即座に素早く、コトネの右腕がオーバーオールのベルトを叩く。
彼女の手に払われるような形で、『Mの烙印が捺された紫色のボール』が地面へ転がった。
白き翼竜が地に足をつけた体勢のまま、僅かに仰け反って息を吸い込む動作をして、少女らからの命令を待たずに発射する。
――閃光。
「ちょっと、ルギア! ダメ!!」
「おい、なんで撃つんだバカ!」
こんな緊急時に、呑気なものだ。
思わず閃光の中で女性は含むように笑った。
その閃光がルギアの放つ『エアロブラスト』なのか。
『マスターボールの開放』なのか。
その判断がつく彼女は、少女らの言葉が可笑しくて仕方なかった。
笑い続けた。笑うしかなかった。
「あんた達舐めすぎ。こんなんで――」
翻る青き四肢。
地に降り立った獣は、女性の前で優雅に頭を垂れた。
「私を殺せるって思ってんの?」
額には縦に長い宝飾。
身体を覆う霞のような体毛。
翻る青き四肢。
地に足を着けて、それはそれは静かに。優雅に。妖艶に。
『スイクン』は何事もなかったかのように佇んだ。
例えばルギアが『エアロブラスト』を放てば、閃光の他に、恐ろしい程の衝撃と轟音が響くだろう。しかしその一切はなかった。
三人が息をする事さえ忘れたように、目を見開いて固まる。
その表情は目の前の『スイクン』に息を呑んでか、ルギアの攻撃が『不発』に終わったからか……。しかし何とも滑稽な事か。
女性は翼竜へ指差して笑った。
「ねえ? あんた。まだ立ってるのって気付いてないからなの?」
誰もが、女性の言葉の意味を取りあぐねた。
「もう瀕死なのに」
しかしその刹那、ルギアが大きく咆哮をした。
苦しむように天を仰ぎ、その双眸が驚愕に揺れる。
その胸には、『穴』がひとつ空いていた。
「ルギア!?」
金髪の少女が泣きそうな声を上げた。
彼女は腰を探り、しかし見当たらないと何かを探す素振りをする。
「――っ」
ルギアの瞳から、色が失われた。
力無く首をもたげ、そして大きな音と共に倒れる。
その胸から血飛沫を散らし、ガクガクと痙攣をするように震えて……「あった!!」少女の悲鳴のような声が響いて、その身体は光に包まれた。
「な、何だ……何が……」
「す、スイクンですのよ……」
震える声で、少年と少女が信じられないと女性を臨む。
その隣で、Mの烙印が捺された紫色のボールを両手で抱え、地にへたり込む少女。
ボールから出たスイクンの神速を全くと言っていい程、見切れなかった赤髪の少年と金髪の少女。唯一見切れたらしい桃色の髪をした少女も、生唾を呑むようにして首を振っていた。
愉快だ。女性はそう思った。
「……後学の為に教えてあげよう」
そう言って、サクラを指差す。
「あんた、伝説級のポケモンだからってルギアを過信しすぎ。何を争う気になってるのよ」
肩を震わせ、女性は笑う。
「今まで御苦労様。後悔するのに今のアドバイスは役に立つでしょう? 大人しく死んでくれないかな」
サキとサクラは理解した。
そのスイクンは、自分達の持つポケモンとは次元が違う強さだ。
即座に叫ぶ。「皆逃げて!」「お前ら逃げろ!」と。
コトネは冷ややかに命令した。
――逃がすな。殺せ。
「ウィル! メガシンカなさい!!」
間髪を入れないアキラの声。
閃光。
轟音。
衝撃。
強烈な光を受けて不意に目をつむったサクラは、轟音に身を竦める。
やがて目を開けば、目の前の光景に息をする事さえ忘れそうになった。
目前に迫った白き足。柔らかそうなその先から、伸びる鋭い爪。
正しくサクラの目の前。寸でで止まったそれは、次の瞬間消え去るように投げ飛ばされた。
「グァゥウ……」
猛獣のような声だった。
一見すればその声の主はスイクンかと思ったが、違う。
サクラの前に見知らぬポケモンが立っていた。
黄色い肢体。人形のように愛らしい姿はしかし、小振りの口から牙を剥き出しにし、双眸は深紅に染まっていた。その頭部から伸びる二本の『顎』は巨大。狡猾そうに涎を垂らし、白い煙を吐き出していた。
サクラの元へサキの腕を引いたアキラが駆け付ける。
その後ろに三人分のポケモンを連れ、しかし彼女の『クチート』はそこに居なかった。
当然だ。
アキラのウィルは、『メガクチート』としてサクラの前に立っていたのだから。
彼女はウィルへ「援護なさい! 引きますわ」と、叫び、動けないサクラを引っ張ろうとした。
「逃がすな。殺せ」
次いで響くコトネの声。
「グゥァアアア!」
低く、野蛮な声を上げて、ウィルが黄色の小さな体躯でスイクンの『神速』を止めた。
返し刃と言わんばかりに彼女の顎が高々に振り上げられる。
起点となる黄色の頭部を僅かにかぶって、その顎はスイクンの額へぶち当たった。一本目の顎でその額を下げさせ、二本目の顎で柔らかな体躯を地に沈める。
次いでその顎が開かれれば、水色の獣へ襲い掛かった。
――グチャリ。
嫌な音を二度あげて、その身体へ二本の顎が食い込む。
そしてバキバキと嫌な音を鳴らして噛み締め、そのまま艶やかなスイクンの胴を引きちぎった。
アキラがサクラの手を引く。
「早く! 何を呆けているの!」
彼女の横でサキもサクラを引っ張る。
「ダメだ。効いてねえ! 敵わねえぞ!!」
一瞬はスイクンを引き裂いたように見えた。しかし、即座に横から凪ぎ払われるように、ウィルの体躯は吹き飛ぶ。
二つに引き裂かれたかのように見えたスイクンは、しかし、そこに居た。ウィルの体躯を頭部から突っ込んで吹き飛ばしては、彼女が飛ばされた方へ、何のチャージ動作すらなく高圧の水砲を放つ。その方から激しい破壊音が響けば、スイクンはアキラに引き摺られるサクラへ悠然と向き直ってくる。
サクラは震える足で立ち上がった。
逃げないと不味い。と、しかし視線が離せないまま、振り返るような形で走り出す。
「チィノ!!」
そこで青い妖艶なポケモンを、白く小柄な非力なポケモンが襲った。
尾で額を打ち、しかし微動だにしないスイクンの身体に舌打ちをひとつ。
その顔面に乗って、スイクンの目を塞ぐ。
その姿に、サクラはハッとして足を止めた。
「れ、レオン!?」
サクラは悲鳴のように叫んだ。
しかしレオンは大きく悲鳴のように鳴き声をあげて、少女を一喝した。
――僕の事はいい。早く行け。サク!
そう聞こえた気がした。
小柄なチラチーノの身体はスイクンに対してあまりに非力だ。分かっていたからこそ、分かりきっていたからこそ、彼らは立ち向かわなかったんじゃ……臆していたのではないかと、サクラは目を見開く。
ダメだよレオン。何してるの。なんでそんな無茶をしてるの。
と、頭の中で羅列を並べながら、それでもレオンに『行け』と言われた足は動き出す。
スイクンの頭が震われる。
たった一度、一瞬の動作。
チラチーノの小柄な体躯は、空中へ投げ出される。
その姿を視界の端で捉えていたサクラは、今一度振り返って、足を止めてしまった。
「や、やめてぇぇえええ!!」
その方向を認めるスイクンへ向けて、叫んだ。
スイクンの『ハイドロポンプ』は、小さくも勇ましいポケモンの身体へ――しかし、彼の身体は、黒い影によって救出される。
スイクンを咥えた時とは違い、優しく顎でレオンの身体を助けたウィル。
その額から止め処なく血を流し、見るも明らかな瀕死の状態。それでも彼女は、レオンを降ろすなり再度スイクンへと襲い掛かった。しかし、とりつく島さえ無く、スイクンの前足で払われて吹き飛んだ。
そのウィルを踏み台にするかの如く、白き影は今一度スイクンの額へ乗った。
「ルー!」
意を決したような声色がひとつ。
聞いたサクラはハッとする。
ウィル、レオンが立ち向かった。
幼馴染みの彼女が動かない訳がなかった。
「ルーシー! ダメぇ!!」
サクラは叫ぶ。
それでもその影は止まらなかった。
またも振り払われて宙へ投げ出されたレオンへ、今度こそ水砲を放つスイクン。
無情にも彼の小さな身体から赤い飛沫が飛び散った。
言葉を無くすサクラに、やはり悠然とスイクンは振り返ってくる。
ルーシーはその意識を逸らそうと言わんばかりに、チャージも不完全であれば、威力も無いエナジーボールを放った。
「サクラ!」
「サク!」
腕を引かれた。
やだ。はなして!
もがきながらすがるように手を伸ばす。でもその手は何も捉えられず、ルーシーがスイクンの水砲で血飛沫をあげた。