天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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少年の幼心

 扉を開けたサキに促され、中へ入る。

 するとそこは、サクラの記憶にある『ポケモンじいさんの家』とは、随分と様変わりしていた。ここまでの流れから、何となく『待っていた』というよりは、『移住してきていた』という方が正しいとは思えていたサクラだが、ここにきて(ようや)く確信を得た。

 

 平屋造りはそのままだが、ポケモンじいさんが住んでいた頃にはあった研究用の装置は無く、代わりに様々な家財が用意されている。

 生活用品は勿論、インテリアもしっかり揃っていた。

 その殆んどはイッシュ地方譲りのゴシック調で、シルバーの趣味を思わせる。

 男所帯ということもあって、洒落っ気こそはあまり感じないが、サクラから見ても中々格好良く見えた。

 

 トレーナーの家らしく、ポケモン用の遊具や家財も目立つ。

 特にサクラが驚いたのは、本棚を一瞥した時だ。そこには大量のファイルがびっしりと並んでいて、背表紙には『マニューラ』や、『バンギラス』と言ったポケモン名が書かれている。おそらくシルバーによる育成記録だが……その数が凄い。

 一体何年間の記録なのか、一匹に対して複数のファイルが用意されている。

 サクラもその昔は記録をつけていたが、あまりまめな性分ではないので、とおの昔に止めてしまっていた。それを思い返すと、素直に彼を尊敬する。

 

「狭いけど、そこらに座ってろよ。親父は多分書斎だ」

「あ、うん。ありがと」

 

 呆けていると、サキがソファーを促してくれる。

 玄関から直結したリビングの端に、彼が示すソファーを認めた。

 柔らかなソファーに腰掛け、ふうと一息。

 

「お茶かジュース、どっちがいい?」

 

 椅子が四つある食卓を挟んだ先のダイニングキッチンで、サキの声が上がる。

 

 お茶をお願いして、サクラは辺りを見回した。

 

 キッチンの反対側にある扉を認める。

 ポケモンじいさんが住んでいた時には、そこに壁すら無かった。

 変わらぬ外観とは裏腹に、中々大規模なリフォームをしたようだ。

 まあ、流石に研究資材はポケモンじいさんの身内が引き上げたのだろうが……こうして見れば、ものは変わるものだなと思う。

 

 認めた扉は二枚。

 片方にはサキの名前が書かれた板がかかっており、もう片方にはそれらしいものは認められない。おそらく、そちらが『書斎』なのだろう。

 

「はい。お茶」

「ありがと」

 

 戻って来たサキが片手で差し出してきたお茶を、両手で受けとる。

 サキもお茶を持っていて、彼はそれに口を付けながら、食卓の椅子へ腰掛けた。

 

 貰ったお茶を一口飲む。

 清涼感溢れる冷たさが、喉をスッと通って、先程のバトルで籠もっていたらしい熱を冷ますようだった。思わずふうと息を吐く。

 

「前はシロガネ山の(ふもと)に住んでてさ」

 

 不意の声に、サキへ改まる。

 すると彼は、椅子の背凭れを抱くようにして、座り直していた。

 

 初対面の時の印象とは裏腹に、どこか人懐っこい笑みを浮かべて、彼は明後日の方向を見ている。

 先程からそんな気はしていたが、どうやら彼は饒舌な性質(たち)らしい。

 まあ、初対面の時はあからさまに警戒していたのだ。印象は異なるものだろう。

 

 サクラは相槌を入れて話の続きを促した。

 ちらりとこちらを見て、少年はお茶を一口飲むと、改めて唇を開く。

 

「そん時はほんと……野生のポケモンが強すぎてさ。一人で外に出る事さえ許されなかったんだよ」

「……そんなに?」

「あの一帯自体、『レジェンドホルダー』が一緒じゃないと入れないからな」

 

 レジェンドホルダー。

 この地においては、ポケモンリーグ制覇者で、カントーとジョウトのジムバッジを揃えた者を指す。

 他の地方では、バッジを八個集め、リーグ制覇を成した者の呼称だが、セキエイリーグの管轄が広いので、ここではジョウトとカントーのバッジを一六個集めねばならない。

 だからと言って、決して難易度が低い訳ではないので……ジョウトの地は、少々ポケモントレーナーにとって厳しい地方だったりする。

 

 少年の話は、そんな難関と名高いこの地方で、その称号を得た人間無しでは、外出も儘ならないと言うことだった。

 フィールドワークの名目で、様々な土地を歩いてきたサクラには、想像すら出来ない。確かに野生のポケモンは危険で、ポケモンからの獣的被害で命を落とす人間は、毎日のようにいる。しかしその殆んどは、明らかな危険行為――繁殖時期にテリトリー内で彼らを攻撃したり、群れを成している所へ単身で飛び込んだり――が理由。

 ましてやサキはポケモンを持っている。

 練度もサクラに引けを取らない。

 そんな彼が一人で出歩けないとは……一体どれ程危険な場所なのだろうか。

 

 しかし、ずっと外出が困難だという事は、逆に『何故そんな所に住んでいたのか』という疑問に繋がる。

 それを口に出して問い掛けてみれば、サキは事も無げに返してきた。

 

「親父の立場は命を狙われる事もある。けどあの辺りはそう言う意味では安全だからな」

 

 つまるところ、ポケモンよりも、人間の方が、よっぽど物騒だという事だ。

 サクラは再度小首を傾げた。

 

「じゃあ、何でここに?」

「さあ? 親父が決めた事だし。解んねえ」

 

 と、そこで彼はハッとして立ち上がる。

 拍手を打って、「あ、忘れてた」と言った。

 

 サクラが「どうしたの?」と尋ねるのを他所に、彼は食卓から離れて、本棚へと向かう。本棚の下には引き出しがあり、それを乱暴に引っ張って、中から手回り一周分ぐらいの大きさをした機材を取り出した。

 

「サクラもモンスターボール出しな」

 

 そう声を掛けてきて、彼は自分のモンスターボールを『三つ』取り出す。

 その様子を見て、理由を察したサクラは、モンスターボールを二つ、彼に手渡した。

 

 装置のコンセントを刺し、電源を入れて、モンスターボールをセットする。

 すると静かな駆動音と共に、起動した。

 

 そう、それは『メディカルマシン』だ。

 安いものでも、一台あたり二〇万円はする。

 自宅に用意しているのは余程名うてのトレーナーやブリーダー等のポケモンマニアである証に近いだろう。シルバーの肩書きを考えてみれば当然ではあれ、サクラは思わず目を丸くしたものだ。

 因みに、ウツギ研究所にあるメディカルマシンは、これよりも性能が良いだろう。一台一〇〇万円は下らない。違いは治療の他、『CT検査』や『レントゲン』等を撮れるか否かなので、トレーナーであれば、今サキが用意したもので十分過ぎる性能と言える。

 ポケモンセンターにあるメディカルマシンはそれより更に優れていると言われ、最早一般人に使いこなす事は不可能だ。

 

「ありがとう。メディカルマシンがあるなんて凄いね」

 

 ケアが終わったボールを受け取り、サクラは素直にそう零した。

 するとサキは溜め息混じりなご様子。今に『バカか』とでも言いたげな顔をした。

 

「シロガネ山に居たつったじゃん。向こうじゃポケモンセンターに行くのさえ一苦労なんだぞ?」

 

 呆れた様子の彼に、サクラは苦笑して返した。

 確かに、つい今しがた聞いた話だ。

 正しく愚問だったかもしれない。

 

「いや、まあ……」

 

 サキはマシンをしまいながら、本棚を見上げて、物憂げな表情を浮かべた。

 

「シロガネ山に移る前……母さんが親父の身代わりになって死んだから。多分親父も滅茶苦茶後悔したんだと思う。もうなんつうか、これでもかってぐらい過保護でさ……」

「え?」

 

 唐突に零された身の上話に、思わずサクラは肩を跳ねさせる。

 男所帯である理由を考えなかった訳ではないが……こうもあっさり言われると、反応に困る。

 

 しかし少年はおかまいなしに続けた。

 

「今も厳しいとこは厳しいけど、母さんが死ぬ前より、ずっと優しくなった。……もしかしたら、シロガネ山に住んだのも、俺を守る為かもしんねえ。実際、昔の親父なら、こんなマシンは用意してくんねえと思うし」

 

 彼はそう言って立ち上がる。

 先程座っていた椅子へ、またもや逆向きに腰掛けて、話を続けた。

 

「お前の両親とも何度か会った。お前の所を旅立った後」

 

 こちらの事情は知っているらしい。

 サクラは少しばかり表情を曇らせ、頷いて返した。

 

「……うん」

「最後に会ったのは母さんが死んだ時。……で、そん時親父は『俺はまた間違った』ってヒビキさんに言ってた」

 

 歳に似合わないような遠い目をしながらそう言って、やおらサクラへ向き直ってくる。

 彼は小さく微笑んで、再度唇を開いた。

 

「お前とはさっき会ったばっかりだけど、色々お前の両親には感謝してるんだ」

「うん」

「もし困った事あればいつでも言えよ」

「うん。ありがと」

 

 そう言ってにっこりと笑うサキ。

 両親の話はシルバーに聞くべきだろう。

 サクラも微笑んで返した。

 

「まあ」

 

 明後日の方向を向いて、少年は後頭部の裏で手を組んだ。

 

「俺も色んなポケモン見てみたいし、旅に出たいなーとか、思ってんだけどな」

 

 適当に話を締める彼へ、サクラは小さく相槌を打って返した。

 

 母親が死んだ時の話には、何と言って良いか解らないが、彼にはずっと友達らしい友達は居なかったのだろうと、そう思える。

 シロガネ山の麓という、人の寄り付かない場所に住み、満足に外出さえ出来なかった。そんな日々が続けば、サクラも人恋しくて仕方がなくなるだろう。

 

 初対面の時はどう接していいか解らなかった。

 しかし打ち解けると話をしたくて、接したくて、仕方がなくなった。

 

 そんな少年の感情を、サクラは確かに感じた。

 

 旅に出たい。

 旅をして色んなポケモンと色んな人を見たい。

 と、サキはそう語る。

 サクラはその都度しっかり耳を傾けて話を聞いた。

 

 サクラにだって解る。

 サクラも両親に会いたい。

 旅に出てから会ったと言う人を見て、その気持ちがより強くなるのを感じた。

 勿論、「何で帰って来ないの?」とは思うが、それよりもずっと、会いたくて会いたくて堪らなくなる。

 

 だからだろうか……。

 サクラはサキがとても可愛らしく思えた。

 男の子ではあるが、自分と同じ気持ちを持っているように思え、そしてその感情を隠しもしない彼の姿は、庇護欲を掻き立てるようだ。

 

「おい、サキ。お喋りが過ぎるぞ」

 

 苦笑を浮かべたシルバーが書斎から出てきたのは、サキの大言壮語がポケモンリーグの制覇を夢見る所までいってからだった。


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