俺は小町に何も返せないでいる。小町も何も言わないでいてくれる。
もうずっとこのままだったらいいのにな。本当に。
きっと、心地がいいというのはこういうことなのだろう。そして恐らくそれは、あの頃みたいだな、と思えることである。
あの頃とは何ぞや、と問えば、恐らくそれは幼少期であり、それはまだ悲しみを知らない時代である。
その上、俺のスマホは言っている、ここでやめるべきではないと。そんな気がして、このかた一時間ほど小町と寄り添っているのだ。
こうしていると、本当に幸せな世界に言葉は必要ないかも知れないと思えてきた。ただ寄り添うことが本当の愛かも知れない。そうしたら今、俺達はリアル・ラヴを楽しんでいるプラトニックな存在である。今の哲学的にポイント高い。
小町がずっとこっちを見て微笑んでるものだから、俺は全世界に小町以上の人間はいねぇと宣言したくなってしまう。懐かしいというのは、きっと心地のいい感情であり、不安を感じない条件のひとつでもある。
そして、今を一言で表せば「懐かしい」だと思う。だが、こんな時間は言葉にならない。
だが、そんな素晴らしいバック・トゥ・ザ・パストな時間もあまりにも長いので幾分か辛くなってきた。そして今、小町さんがログアウトしました。
更に詳しくいえば、小町が俺に身を寄せたまま寝てしまったのである。そして俺の肩が少しきつい。
小町と二人でふれあうというのは、それこそ本当に小さかった頃からしていることなのだが、年々その頻度が減ってきていることは認めたくないが事実である。要は最近、兄妹間でのふれあいが少なかったということ。
昔はそれこそ、いつでも二人でびたびたしていたが、最近は世間体的にそういうことができないのだ。
あえて、二人とも本当はしたいんだということを強調したのは俺の願望も少なからず含まれているが、それは内緒。
人間というのは失敗をし、時にはそれを繰り返す生き物である。俺なんて、きっとその典型。
奉仕部で雪ノ下と由比ヶ浜の前で泣いたと思ったら、今度は家で妹の前で泣くだなんて、おお八幡よ、泣いてしまうとはなさけない。人生がゲームか何かだったらそう言われるに違いない。
まぁ、泣くのは別に悪いことじゃないしな。
元々一人で起きられなかった身であるだけに、俺もまぶたが重たくなってきた。
小町、ちょっと頭借りるな、そう自分の頭の中で許可を取り、小町の頭に軽く頭をのせると、小町の声がした。
「お兄ちゃん......」
どうやら寝言らしい。このまま俺も寝よう。そうだ、それがいいに違いない。そう思った俺は、再びそのまま眠りについた。
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