攻殻機動隊 -ヘリオスの棺-   作:変わり種

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第10話

工藤を連行していた警務官たちは、先に現場を後にした顎鬚の警務中隊長の乗ったハンヴィーに続いて、もう1台の後続車に乗ろうとしていた。だが、そんな彼らの進路を突如、どこからともなく現れた一人の男が遮る。灰色のレインコートに身を包み、フードを深く被った小柄な男だった。

 

「おい、そこをどいてくれないか」

 

先頭にいた警務官が声をかけるものの、呼びかけに答える様子は一切ない。仕方なく近づいていった警務官がもう一度声を掛けようとするが、男の肩を叩いた時には彼はもはや声を出すことができなくなっていた。

 

喉元に深々と突き刺さった1本のナイフ。何が起こったのか分からないまま、脊髄に致命的な損傷を受けた憐れな警務官は、ナイフが引き抜かれるのと同時に大量の血を噴き出しながらその場に崩れた。あまりの出来事に唖然としつつも、躊躇なく他の警務官たちは腰のホルスターから拳銃を引き抜き、男に向ける。

 

だが、その時には男の姿は消えていた。左端にいた警務官が何者かの気配を背後に感じた頃には、その首筋の頸動脈は断ち切られていて、悲鳴すら上げられぬまま倒れる。続けざまにすぐ近くの警務官たちに襲い掛かったその男は、人間とは思わせないほどの機敏な動きで、一瞬にして彼らを薙ぎ払っていく。

 

「どけ!邪魔だ!」

 

工藤についていた2人の警務官も、彼の電脳錠を外し後ろへ退避させながら拳銃を撃とうとしたが、予想のつかない男の動きに翻弄され、まともに狙いをつけることすらままならない。襲い掛かってきた男に、1人が拳銃でそのナイフの刃を受け止めたものの、すぐに痛烈な回し蹴りが頭部から彼の体を吹き飛ばし、玄関の大窓を突き破って駐車中のハンヴィーに激突する。

 

黒と白のツートンに塗装された警務隊のハンヴィーは、ぶつかった衝撃で側面がへこみ、鮮血が車体を真っ赤に染めていた。軍用高出力義体のサイボーグといえども、脳殻を完全に保護することはできない。見開かれたままのその警務官の目は、どこか遠くを見つめていたが、その顔の片側は大きく潰れていた。

 

生き残った最後の警務官は、連行していた工藤の体を突き倒すと、男に向かって拳銃を乱射する。発射された9ミリパラベラム弾は、別の警務官の喉元にナイフを突き立てて止めを刺していた男の頭部に2発ほど命中したが、それでも倒れる様子はない。フードに穿たれた穴からも、血は一切流れ落ちなかった。

 

弾を撃ち尽くした警務官は、弾倉を交換しようとしたが、間もなく男に刺殺された。6人ほどの警務隊を全滅させるのに、5秒と掛かっていなかった。皆、軍用の高出力義体を装備していたにもかかわらずである。胸に突き刺さったナイフを抜くと、男は滴り落ちる血を無言で見つめながら、静かに工藤のもとへと近づいていく。

 

「た、助けて…!命だけは!」

 

恐怖に顔が引き攣る中、彼は懸命に逃れようとするが、それは無駄な足掻きだった。男は大きく飛び上がると、彼の逃げ道を塞ぐように目の前に着地する。

 

だが、そこへ飛んできた1発の銃弾。後頭部に命中するも、弾は弾かれて壁に大きな弾痕を残す。駆け付けてきたのは、バトーとサイトーだった。彼らはそれぞれFNハイパワーとセブロM5を立て続けに発砲し、男を工藤から引き離す。しかし、男の方もこのまま引くわけにはいかないようで、銃弾を天井に張り付いて躱すと、3つに裂けた左腕から手投げナイフを発射する。

 

辛うじてそれらを躱したバトーだったが、ナイフはそのまま背後にいた受付のアンドロイドの頭部を貫くと、そのままアンドロイドもろとも剣菱のロゴが描かれた後ろの壁に突き刺さった。頭部は完全に潰れ、白い人工血液が派手に飛び散っている。あんなものを喰らってしまえば、いくらサイボーグといえどもひとたまりもない。

 

瞬時に弾倉を入れ替えたバトーは、機敏に動き回るその男に次々と銃弾を撃ち込んでいく。しかし、予想以上に素早いその動きに弾のほとんどが躱されてしまっていた。サイトーも同じような状態で、下手をすればあの投げナイフの餌食になりかねない。弾も大規模な銃撃戦を想定しておらず、あと弾倉1つ分しか残っていなかった。

 

人間離れしたその動きから、相手がサイボーグ、それも全身義体であることは明らかだった。しかも、両腕にナイフの発射装置を忍ばせている点からして、ただ者ではない。おそらく、闇社会で暗躍するプロの殺し屋か、どこかの傭兵といったところだろう。

 

「畜生!何て動きをしてやがる!」

 

残弾から考えて、無駄撃ちすることは避けなければならなかったが、撃ち続けない限りすぐにでも飛び掛かられてしまいそうだった。世界でも有数の義体使いである少佐と比べても、素早さの面ではこの男は劣っていない。バトーは拳銃から次々と火を噴かせながら、そう感じていた。

 

このままでは、弾切れを迎えるのも時間の問題だった。だが、一向に男に対しては有効なダメージを与えられていないのだ。しかも、バトーが挨拶代わりに最初に男の頭部に撃ち込んだ銃弾は、サイボーグの強固な外殻を突き破って内部骨格に確実なダメージを与えるとされる高速徹甲弾だった。それを軽々と跳ね返してしまう男の義体は、一体何なのだろうか。

 

そうしている間にも、バトー達はさらに追い詰められていた。ソファやテーブルの陰に隠れつつ、攻撃を仕掛けるものの、すぐに投げナイフが襲い掛かってくる。そんな中、サイトーのセブロの弾が間もなく底を突こうとしていた。まさに、絶体絶命だった。弾が切れてしまえば、拳銃はただの鉄屑と化してしまう。その後彼の身を守るものは、スタンナックルのみだった。

 

だがその時、機関銃の連続音とともに玄関の窓ガラス全てが粉々に砕け散ったかと思うと、窓枠を強引に突き破って青い塊が玄関の中に突っ込んできた。

 

「バトーさん!ご無事ですか~?」

 

タチコマのあまりに派手な登場に、バトーも思わず驚いて身構える。男の方も思考戦車の増援は予想外だったらしく、動きを止めて姿勢を低く保ったままナイフを構え続けている。

 

「殺人罪、および銃刀法違反の容疑で逮捕する!武器を捨てて、投降しろ!」

 

しかし、タチコマの投降勧告にも男は従う素振りを見せない。すでに男は前後を挟まれ、形勢は完全に逆転しているのだ。だが、突如として男は2人に背中を向けたかと思うと、今度は窓に向かって再び大きく跳躍した。すかさずタチコマが7.62ミリチェーンガンで弾幕を張るが、男の腕から発射されたナイフがタチコマの右腕に命中して、チェーンガンの狙いが一瞬だが、逸れてしまった。その隙をついて、男は窓から外へ飛び出すと、蜘蛛のような動きで壁伝いに建物を這い上がる。

 

「逃がしはしねぇっ!」

 

バトーはそう叫びながら、最後の弾倉をFNハイパワーに装填して、這い上がる男に容赦なく銃弾を撃ち込んだ。だが、巧みな動きでそれらを躱した男は、壁を登り切ると屋上へと消えていく。その間際に、男の腕から再びナイフが放たれた。

 

バトーは瞬時に後ろに飛んでそれを躱したが、放たれたナイフはバトーがいた場所に深々と突き刺さっている。しかも、そのナイフは先ほどまでの細い物とは違い、異様なまでに太く大きかった。バトーははっとして、サイトーと共に受付のカウンターへと逃れようとしたが、その前にタチコマが彼らに覆いかぶさった。

 

次の瞬間には玄関は爆炎に包まれ、一瞬にして廃墟と化した。焦げ臭さと血の臭いとが入り混じり、何とも耐えがたい悪臭が充満する中、タチコマがよけると2人はゆっくりと起き上がった。2人とも、煤だらけにはなっているものの、目立った怪我はなかった。タチコマの方も、装甲によって飛散した破片類は全て弾いていて、損傷はないようだ。

 

「バトーさん、サイトーさん、大丈夫ですか?」

 

「ああ。全く、派手にやってくれるぜ」

 

体の汚れを払いながらそう言ったバトーの先には、無惨な姿を晒した警務官たちの姿があった。豪華な玄関は変わり果てた姿となり、ガラスのテーブルは粉々に砕けて革張りのソファも黒焦げである。だが、工藤の方はもう1機のタチコマが覆いかぶさって守ってくれていて、咳き込みながらもタチコマに連れられて歩いてきた。

 

「それにしても、あの男はいったい何者なんだ」

 

サイトーの声に、バトーはソファに突き刺さったナイフを見つめながら答える。

 

「あの手際から考えると、3年近く前から暗躍し始めた赤蠍って傭兵だな。蠍と呼ばれるだけあって、奴の使うナイフには猛毒のマイクロマシンが塗られているらしいが、こいつはどうだろうな」

 

そう言いながら、バトーは刺さっていたナイフのひとつを抜く。すると、確かにその表面には、粘度のある透明な液体が塗られていた。おそらく、これこそが迂闊に触っただけでも皮膚を溶かして体内に侵入するという、猛毒のマイクロマシンだろう。

 

「そんな奴が、なぜここに現れたんだ?」

 

「さあな。あいつを雇った黒幕が、よほど知られたくない秘密を抱えていたってことだろ。まあ、あとで工藤に訊けば分かることさ」

 

そうして、彼らは破壊された玄関を抜けて外へ出た。駐められていた警務隊のハンヴィーは爆発で横転し、すぐそばには頭の潰れた警務官の死体が転がっている。遠方からは警察と消防のサイレンが聞こえ始め、自分の車に乗り込んだ彼らは警察の到着前に現場から姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先の襲撃で破壊されたメインゲートの端末にはブルーシートが被せられたままで、警備アンドロイドが直接車両の確認を行っていた。目的のトンネル工事現場に到着した少佐とトグサの車にも、警備アンドロイドが近づいていき、認証パスを求める。運転席の窓を開けた少佐は、事前に知らされていたパスをアンドロイドに伝えると、開かれたゲートから工事現場へと入っていった。

 

「さすがに、事件の後だけあって警備は強化されてますね」

 

「どうかしら。あんなアンドロイドじゃ、もう一度襲撃を受けても同じ結果になるわね」

 

少佐の手厳しい意見に、苦笑いを浮かべるトグサ。砂利道の坂を登っていった先には、プレハブの管理棟が見えていた。しばしば通り過ぎる対向車は自動運転中のトラックばかりで、土埃を派手に巻き上げて坂を下っていた。少佐は車が砂だらけになることに若干不機嫌だったが、銃撃で廃車になるよりはマシなのでそこまでは気に留めてはいなかった。

 

「タチコマ!ちゃんとついてきているわよね?」

 

後ろにタチコマがいないことに気付いた彼女は、電通でタチコマにそう訊いた。案の定、タチコマたちはメインゲートで足止めを食っていて、車両と認識されてしまったのか認証パスがないために入れないようだ。

 

「少佐ぁ、このアンドロイドの電脳に繋がって書き換えちゃっていいですか?」

 

「仕方ないわね。関係ない所は弄るんじゃないわよ」

 

「はぁ~い!」

 

元気のよい返事が聞こえてきた後、すぐに後ろから土埃を巻き上げて2機のタチコマが追いかけてきた。ミラー越しにメインゲートの方を見ると、電脳に侵入された警備アンドロイドの1体が呆然と立ち尽くしていて、機能停止しているらしかった。そのうち再起動するだろうが、タチコマがどれほど強引な手法を取ったのかはだいたい想像がついた。

 

管理棟の前で車を降りた2人は、周囲を見張っているようにタチコマに伝えると、中へと入っていった。襲撃で割られた窓ガラスはベニヤ板で塞がれているだけで、修理はされていないらしい。出迎えた責任者に案内されるがまま、2人は2階の警備員室に入っていく。タチコマがこじ開けた扉はさすがに修理され、より強固な物へと交換されていた。

 

「こちらがうちの警備員の田村です。あの、刑事さん。もしかして、田村が何か事件に関わっているんですか?」

 

「それは私たちの口からは言えないわ。ただ、少し確かめたいことがある。それだけよ」

 

おろおろとして落ち着きがない責任者は、少佐にそう告げられると静かに警備員室から出ていった。部屋の壁面には多数の監視モニターが設置され、施設内の状況が一目でわかるようになっている。トグサはそれらを軽く見回したのち、椅子に座っていたその警備員に話しかけた。

 

「俺たちが再びここに来た理由が分かるか?」

 

「いえ…、まったく分かりません。あの、私が何かやったのでしょうか」

 

だいたいの予想はできていたものの、トグサは溜め息をついた。タチコマにセボットを仕掛けるようなことをすれば、いずれ捜査の手が及ぶのは必至のこと。普通ならば逃亡していてもおかしくはないのだが、この警備員は事件後、数日間欠勤していたものの現場に復帰して、仕事を再開していたのだ。

 

余程の馬鹿だという線は置いておくとして、考えられるのは本当に何もしていないか、何者かによってゴーストハックされ、疑似記憶をかまされた上で犯行に及んだという線だった。ゴーストハックだとすれば、電脳倫理法に抵触する重罪である上に、それができるのはかなりの手練れのハッカーに限られる。何らかの黒幕がいなければ不可能なことだ。

 

「事件当日の記憶はある?」

 

少佐は捜査資料を自分の視野に表示させながらそう訊いた。警備員は、俯きながらゆっくりと答える。

 

「はい。あの日は一日中平凡で、あの事件以外には何も。夜の12時くらいに、突然、犯人たちが襲撃してきて、それで私と山口さんは警備員室を出て様子を見に行ったんですが、その時に1階から足音が聞こえたんです。それで、急いで部屋まで戻ろうとしたんですが、間に合わずに山口さんは…」

 

「辛い部分は語らなくていいわ…。ありがとう」

 

少佐は軽く礼を言うと、思考をめぐらす。一応、今の証言も事件直後に県警で受けた取り調べと照合してみたのだが、何ら不自然な点はない。ただ少し引っ掛かるのが、証言があまりにも正確で、ブレがないということだろう。県警での取り調べで話したことと、今話したこととは、多少語尾などが違うものの、ほとんど一致していたのだった。偶然という線も捨てきれないが、疑似記憶の疑いが掛かっている以上、一度調べを受けてもらうしかない。そこで何らかの痕跡を発見できれば、一気に線を辿れる可能性もあるのだ。

 

「悪いんだけど、一緒に来てもらえるかしら。事件のことで、もう一度話を聞かなくてはならない事があるのよ」

 

「捜査のためになるのなら…。分かりました、ぜひ協力させていただきます」

 

警備員は少佐の要請を快諾し、椅子から立ち上がった。その時に初めてトグサは事件後、彼が義体化をしていることに気付く。彼が降りた椅子のスポンジ部分はかなり潰れていて、生身の人間では到底考えられない重量と思われたからだ。

 

「実は、事件後に義体化しまして。車、大丈夫ですかね」

 

そんなトグサに気づいたのか、その警備員は申し訳なさそうな声でそう言った。車と言ったのは、義体の重量で迷惑をかけることを心配しての事である。少佐は「いいのよ」と優しく答えると、彼とともに部屋の外へ出た。

 

階段の途中にある休憩室の窓の外では、西に傾いた太陽の赤みがかった光が輝いている。そこを通りかかったとき、警備員は「少しいいでしょうか」と言って、休憩室の中央に置かれていた献花台に手を合わせた。供えられている花々の奥には、襲撃事件の時に殺された中年の男性警備員の写真が置かれている。

 

「本当に、彼もやり切れなかったでしょうね」

 

トグサがそんな光景を見ながら言った。話によれば、あの中年警備員は若い彼を庇って撃たれ、犯人と刺し違えたらしい。自分が同じ心境に置かれた時のことを考えると、トグサは辛い気持ちになった。手を合わせていた警備員は、やがてその手を戻すと献花台に両手をつき、おもむろに俯いた。

 

だがそのとき少佐は、彼の様子がおかしい事に気付いた。献花台についている手が、小刻みに震えていたのだ。泣いているのだろうかとも思ったが、嗚咽を漏らしている様子もない。

 

「トグサ!」

 

少佐が注意を促したとき、警備員の体が一瞬だけ反り返ったかと思うと、両手で献花台を持ち上げて少佐たちの方へ投げ付けてきた。素早く後ろ飛びで躱した少佐は、すぐに相手に飛び掛かろうとしたものの、警備用に携行していたS&W M42が抜き出された瞬間、身を翻した。

 

途端に響いた銃声。壁には放たれた38口径高速徹甲弾がいくつかの穴を穿ち、発砲した警備員は強引に窓を突き破ると着地を決め、自動運転中のトラックに向けて走り出した。柱に身を隠していた少佐はセブロを抜くとすぐに窓から男の足を狙ったが、その様子を見た近くの警備アンドロイドが体内に収納していた武装を展開した。

 

「挙動不審人物発見!」

 

左右の腕から鈍い光沢を放つライフルの銃身が突き出され、瞬時に彼女に照準を合わせる。しかしそれらが火を噴く前に、どこからか撃ち込まれた7.62ミリ高速徹甲弾が、防弾処理の施されたアンドロイドの頭部を吹き飛ばした。コントロールを失ったアンドロイドはその場に倒れ、火花を散らしている。

 

「少佐~、大丈夫ですかぁ!」

 

「遅いっ、見張りの役目はどうした!」

 

窓の外で逆さまにぶら下がっているタチコマを怒鳴りつけた少佐は、トラックに乗り込もうとした警備員にセブロM5から火を噴かせ、その手を的確に撃ち抜いた。しかし、手首から先を失ってもなお、警備員は一切痛みを感じないかのように肘でトラックの窓を割り、中に乗り込もうとする。少佐はもう1発発砲し、男の背中に命中弾を与えた。

 

撃ち込まれた銃弾は強化義体の防弾被膜を貫通し、内部骨格を粉砕する。一瞬だが動きの鈍くなった男に、少佐は窓から飛び降りると背後から飛びかかった。激しく抵抗してきたものの、すぐに電脳錠が打ち込まれて運動神経が麻痺し、硬直したように男はトラックから落ちた。

 

「少佐、大丈夫ですか!」

 

休憩室の窓からは、びしょ濡れになったトグサが心配そうに身を乗り出している。献花台に供えられていた花瓶をもろに被ったのだろう。少佐はすぐに降りてくるように伝えると、セブロをしまい、しばしば痙攣している男の首元にあるQRSプラグに、身代わり防壁を通した自分のコードを繋ごうとした。

 

ところが、そこへ響き渡る爆音。突如として巨大な何かがフェンスを突き破り、近くの崖から突っ込んできた。即座に反応した少佐は再びセブロを抜き出すが、相手を見るや否やすぐに飛び退く。次の瞬間には凄まじい音が響いて、少佐のいた場所に鋼鉄製の長いアームが深々と突き刺さっていた。

 

襲い掛かってきたのは、黄色と黒に塗装された4本の脚を持つ大型重機だった。タチコマの3倍もあろうかというその重機は、カニのようなマニュピレーターのついた2本の腕を備えており、その根元には大型の回転刃が見える。胴体に書かれた『住山開発』の文字を見る限り、おそらくは森林伐採用重機の1つだろう。運転席は無人で、何者かに操られているようだ。

 

少佐はセブロを発砲するが、重機はエンジンを唸らせると、今度は地面に刺さったアームとは別のアームを倒れていた警備員に振り下ろした。あれほどの大型重機相手では、もはや彼女だけではどうすることもできない。そんな中、諦めかけていた彼女の横を、青い物体が突っ切った。タチコマだ。

 

タチコマはアームと警備員のギリギリの隙間に飛び込むと、2本の腕で振り下ろされた重機のアームを受け止めた。火花が散り、衝撃のあまり前脚が地面に食い込んで、金属の軋む音が聞こえる。

 

「少佐、今のうちにっ!」

 

そう叫ぶタチコマだったが、相手は丸太を軽々と持ち上げるような重機である。力比べでは相手にすらならなかった。徐々に腕が押し戻され、力強く体を支える4本の脚も限界に近づきつつある。肝心のチェーンガンも相手を押さえるのに精一杯で使用できず、またグレネード砲も安全ロックが外されていなかった。それに仮にロックが外されていたとしても、この距離なら自分はもちろん、少佐たちにも被害が及ぶのだ。

 

少佐は駆け付けてきたトグサに警備員を任せると、今にもタチコマを押し潰そうとしている重機に飛び乗ろうとする。だがその時には、重機は轟音とともに出力を上げ、地面に突き刺していたアームを力ずくで引き抜いて、タチコマに殴り掛かろうとしていた。このままでは間に合わない。

 

「このーっ!!」

 

すんでのところで、連れてきていたもう1機のタチコマがタックルを食らわせて重機を吹き飛ばし、少佐のタチコマから引き剥がすことに成功した。それでも、相手はなおも動きを止めない。横転して逆さまになった状態から、脚とアームを使って器用に起き上がろうとしていたのだ。

 

「これでも喰らえ!」

 

そんな中、少佐によってすぐさま安全ロックを外されたタチコマが、50ミリグレネード弾を発射した。放物線を描いた砲弾はAI搭載部である運転席付近に命中し、赤黒い炎が立ち上ると、ようやく重機は動きを止める。

 

「ひえ~、危ない所だったぁ…」

 

潰されかけていたタチコマは、危機を脱して安堵している。捨て身のタックルを食らわせたタチコマも起き上がると、すぐにもう1機のもとへ向かい、いまの間一髪の経験について熱く語り合い始めた。

 

その様子に軽くため息をつきつつも、少佐は再び警備員の電脳にプラグを挿し、アクセスを試みる。潜って最初に感じたのは、電脳内の機圧が異常に高いということだった。電脳錠の影響もあるだろうが、恐らくこれはこの警備員の電脳が何らかの攻撃に晒された証だろう。

 

少佐はトラップに注意しつつ、さらにゴーストラインすれすれの深部まで潜った。調べてみると、確かにこの男にはゴーストハックを受けていた痕跡が見つかった。その上、記憶の整合性にも一部乱れがあり、疑似記憶を植え付けられた可能性が高い。

 

つまり、この警備員が何者かによって操られ、タチコマに例のセボットを仕掛けたと考えるのがもっとも自然だったのだ。まだ確定したわけではないが、これで課員の中に裏切り者がいるという可能性は否定できた。そのことに少佐は内心、深く安堵していたのだった。

 

しかし、使用しているセキュリティソフトは最新型に近い物で、生半可な攻撃ではゴーストラインを突破することはできないはずである。となると、この警備員にゴーストハックを仕掛けたハッカーはかなりの手練れということになるだろう。それに、そのハッカーも単独犯ではなく、何らかの黒幕がいるはずだった。でなければ、ゴーストハックなどというリスクの高い行動は起こせない。

 

痕跡はかなり消されていたが、この電脳を本部で詳しく調べ上げれば、ゴーストハックした犯人を逆探知できるかもしれない。そう思った少佐は、警備員の電脳から落ちようと浮上し始める。だが、その時あることに気付く。

 

男の電脳内の記憶が消えていくのだ。それと同時に、電脳内の機圧が急速に上がり、あまりの激痛に少佐は悲鳴を上げた。痕跡が残っているであろう重要なファイルも、次々と消されていく。ゴーストハック時に遅効性ウイルスでも仕込まれたのだろう。少佐は頭を襲う痛みを必死にこらえながら、削除されつつあったダンプファイルをできる限りサルベージし、自らの電脳内に取り込んだ。

 

ほとんどの記憶が消失した時、少佐は自分を押し潰すかのような壁の存在を知覚した。逆らうことのできない絶対的な圧力。これに飲み込まれてしまえば、生きては戻れない。直感的にそう感じた彼女は、その警備員の電脳内から緊急脱出した。

 

意識が現実の体に戻るのと同時に、彼女は男の首元に差していたQRSプラグを抜こうしたが、その前に首元の身代わり防壁が火花を散らせた。あの壁の正体はやはり攻性防壁だったのだ。それも、かなり巧妙な張り方で、近くに来るまで少佐ですら気づかなかった。

 

一方の警備員は、電脳を完全に焼かれて半開きになった口から唾液を垂らしていた。この様子では、記憶野も言語野も意味消失し、死亡もしくは生きていても植物人間に近い状態となってしまうだろう。このような事件に巻き込まれたことがあまりにも憐れだったが、これも運命ならば仕方のないことなのかもしれない。

 

破壊された身代わり防壁をトグサに預けた彼女は、彼の肩についていた一輪の花を手に取ると、倒れた警備員にたむけた。そして、無言のまま自分の車へと戻っていく。トグサも同情したのか、垂らしていた唾液をハンカチで拭い、開かれたままの口を閉じさせた。せめて死に顔だけでも、よいものにしてやりたい。そんな思いが、トグサの胸の内にはあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 




2018/9/5 一部加筆修正

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