――東雲橙矢が紅魔館で働きはじめて一週間がたった。
仕事にもだいぶ慣れてきた頃くらいだ。
さらに橙矢は外の世界にいたときに独り暮らししていた事が項をそうしたのか橙矢の家事スキルが遺憾なく発揮されていた。
メイド長である咲夜以外にも妖精のメイドがいるときは少しだが驚いた。
とにかく数が多いのだ。だがそのメイド達は家事があまり得意ではなく、料理や洗濯は自分達の分しか出来ない。
どうやら質よりとにかく量らしい。
橙矢のシフトはレミリアが起きる前からレミリアが寝たあとまで。
日に日によって時間が微妙にずれるので多少時差ボケが生じる。
「―――や、うや、橙矢!聞いているの!」
ハッとして意識を覚醒させる。
目の前には上司である咲夜がいた。
「すみません、考え事してました」
「まったく……ちゃんとしなさいよ。何回言ったらわかるの?」
「それで何ですって?」
咲夜の言うことをスルーして話を進める。
ため息を大きくはくと続けた。
「これから博麗神社にお使いをたのまれてくれないかしら」
「ハァ、そりゃまたなんでですか」
「また宴会やるってことだから参加するって事を伝えるため」
「何で俺が………」
「喜びなさい、お嬢様直々のご指名なのよ」
「わーりましたよ行ってきますよ」
「お嬢様はもうご就寝になられたから博麗神社に伝えたら今日はもうあがっていいわよ」
「はいはーい。あ、そういえば咲夜さん」
「どうかした?」
「ちょっと気になったことが……」
「なによ。言ってみなさい」
「ええ、たまに廊下の端に地下へ通じる階段があるんですけど……地下には何があるんですか?」
「………………今はまだ答えることは出来ないわ」
「そうか。なら仕方ないですね。それじゃ行ってきます」
お疲れさんですと言い、去っていく。
そんな後ろ姿を見ながら咲夜はふぅ、と息をつく。
「橙矢もそろそろあの時が来るわね………。ま、無理だと思うけど」
次の仕事を片付けるためにその場から去った。
「それで、それを言うためだけにここに来たの?」
お金にうるさい巫女様が呆れながら話す。
「お嬢様直々のご指名なんだと」
「あぁ、結局あそこで働いてるんだ」
「おかげさまでな」
「……それで、用事はそれだけなの?」
「それだけだな」
「じゃあせっかくだしお茶でも飲んでいかない?」
「……………あーそうだな、ちょっと寄ってくわ」
そう言うと霊夢は嬉しそうな顔をすると神社の中に入っていく。
「それじゃあ先に縁側で待ってて」
「了解」
「待たせたわね」
縁側で景色を楽しんでいた橙矢の背中に声がかかる。
「早かったな、もうちょっとかかるかと思ったぞ」
振り返りながら応える。
「元々飲もうとしていたからね」
「なんともタイミングが良いときに来たな」
霊夢に茶の入った湯飲みを受け取る。
「ありがと」
「どういたしまして」
微笑むと橙矢の隣に座る。
「今日はやけに機嫌がいいな。何かあったのか?」
「えぇ、暇をもて余してるところに来客が暇潰しにきたもの」
「あーはいはい俺ね」
それにしても、と橙矢の着ている執事服を見ながら呟く。
「貴方結構それ似合ってるじゃない。レミリアもセンスがいいじゃない」
「それはどーも。こういう物は初めて着るもんでな、すごく違和感がある」
「そうかしら?…そういえば貴方って何歳なの?」
「あ?……そうだな、高校二年だったからな……17歳くらいじゃないか?」
「自分の歳くらいわからないの?」
「あいにく10歳を過ぎたあたりから祝われたことがないもんでな、そのうち自分の誕生日も忘れちまった」
「そう、野暮なことを聞いたわね」
「気になさんな」
眼を閉じて外の世界にいたときの事を思い出す。
「ほんとろくな人生送ってねぇな俺って」
「少なくとも前の世界よりかは退屈しないわよ」
「すでに退屈してねぇよ」
もう一口茶を啜る。
「そう、それなら良かったわ。もし帰るなんて言ってももう帰さないから」
「言うわけないだろ………。でもなんで俺なんか帰したくないんだ?」
「だってお賽銭にお金入れてくれる人がいなくなるし、なにより暇潰しが出来なくなるじゃない」
「つまり俺はただの暇潰し要員か?」
額に青筋を立てながら問う。
「いいじゃない別に」
「ま、人に必要とされるだけで嬉しいよ」
「あら意外ね。貴方は自分の事さえ良ければ何でもいいって感じかも思ってたわ」
「へーへーすみませんねそんな風に見えて」
「邪魔するぜ!」
声がしたあとに二人の前に白黒の魔法使いが現れる。
「「なんだ魔理沙か」」
軽く流しておいた。
「ちょっ、それは酷すぎないか?」
「当たり前でしょ、せっかく盛り上がってきたところなのに」
「そうか?私としては話題が切れたから助け船だと思って来たんだけど」
橙矢の手にあった湯飲みをかすみとり、残りを飲み干す。
「あ………」
「はぁー!やっぱりお茶は美味しいぜ!」
「人のものを勝手にとるもんじゃねぇぞ」
刀を引き抜き、魔理沙の首もとに突きつける。
「え…………」
「ちょっと橙矢何してるの!?」
横で見ていた霊夢が慌てて止めに入る。
魔理沙はとはいうと訳が分からずに涙目になっていた。
「盗るこいつが悪いんだ」
橙矢はさも当然のように言い放つ。
「わ、悪かった…悪かったから許して……」
魔理沙が震える声で許しをこう。
橙矢はため息を吐くと刀を鞘にしまる。
「いや、俺も悪かったな。急に刀なんか突きつけて」
「れ、霊夢ぅぅ~!」
魔理沙が霊夢に泣きながら飛び付く。
「きゃ!な、なによ急に!」
軽くあしらいって橙矢を睨む。
「でも急に刀を突きつけるなんて……ちょっと殺気立ちすぎじゃない?」
「それは自分でも重々分かってるよ」
舌打ちをしながら目線を逸らす。
「独占力が強いっていうか自分のものはとにかくだれにも盗られたくないもんでな」
「あー、貴方ならあり得そうな話だわ」
「もしかしなくても馬鹿にしてるだろ」
「いえ、全くこれっぽっちも」
再び舌打ちするとふと目線を上に向ける。
「そういえば」
気付けば口を開いていた。
「どうしたのよ」
独り言に霊夢が反応してきた。
「あぁいや、ちょっと気になったことがあったからな……」
「何よ、私でよければ聞くわよ」
「それじゃあ……確かこの幻想郷ってところは結界で覆われてんだろ?」
「えぇ、そうね」
「だったら何で俺は入れた?」
「さぁ、神隠しにでもあったんじゃない?」
「随分と曖昧だな」
「だって私にはあまり関係無いのだもの。実際神隠しはある妖怪の悪戯に過ぎないのよ。……たまにめんどくさい事を連れてくるから迷惑なんだけど」
「今現在進行形でか?」
「まさか。でも連れてこられる人間は大抵は下級の妖怪に喰われるんだけどね」
「じゃあ俺は運が良いんだな」
「そういう事になるわね。でもここに来る方法は神隠しだけとは限らないわよ」
へぇ、と興味が無さそうに身体を後ろに投げ出す。
「それで、神隠し以外の方法は?」
霊夢は少し躊躇ったあとに口を開いた。
「―――――世界そのものに拒絶された時」
「……………そうか。あぁそういう事か」
「……橙矢?」
突然楽しそうに謳うように呟く橙矢を心配そうに霊夢が見詰める。
「それか、だから俺は外の世界に拒絶されて、それでこの幻想郷に受け入れてもらった……そうか、そういう事か」
ククッと喉で笑う。
「橙矢…大丈夫?」
霊夢が肩を揺すってようやく我に返る。
「ッ…………悪い、どうかしてた………何か気分悪くなったからちょっと帰るわ。あ、あと茶ありがとな……」
「え、えぇ別に良いけれど……また来なさいよ」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
じゃな、と片手を挙げて去っていった。
「…………そういえば今日休みだったな」
翌日、朝起きてからの第一声がそれだった。
「暇だな…………」
定番の台詞を吐きながら着なれてきた執事服ではなく制服を手に取る。
着替え終わると護身用の刀を腰にかける。
「世にも平和は無しと……いつも通りで結構結構」
ガラと家の戸を開ける。
「どうもおはようございます!清く正しい射命丸文です!」
まだ夢の中にいたか……………。
開けかけた戸を閉めた。
「あれ、東雲さん?あれー!?」
閉めた戸をドンドンと叩いてくる。
あまりにもうるさいので少しだが戸を開ける。
目の前には背に黒い羽、手に手帳的なものを持った………人がいた。
「……何のようだよ鴉」
「鴉ではなく鴉天狗です。宴会のとき言ったじゃないですか。取材受けてくれるって」
「あれ、俺いつそんな空言言ったっけ」
「言いましたよ」
「すまん、覚えてないから無かったことで」
再び戸を閉めようとするが天狗によって止められる。
「まぁ待ってくださいよ。少しの間だけですから」
「…………何分だ」
「新聞が書けるくらい」
「他を当たってくれ」
馬鹿な事を言い続ける天狗の額を弾く。
「な、何するんですか」
「痛くないだろ。妖怪なんだから。人間よりかは遥かに頑丈なはずだ」
「確かにそうなんですけど………ん?」
文の肩に一羽の鴉が止まる。
「ほぅ、それは本当ですか?すぐに向かいます」
しばらく話すと鴉が飛んでいく。
「すみません、用事が出来たので失礼します。あ、お昼頃に此処で取材してもよろしいでしょうか?」
「ハァ?………ったく取材は嫌だってのに………分かったよ。けど家では止めてくれ。人里でもだ」
「あやややや、厳しいですね、理由をお聞きしても?」
「妖怪と仲が良いと思われたくない、以上」
「それだけですか?」
不思議なものを見るような顔で橙矢を見る。
「それだけだ」
「そうですか……じゃあ仕方ないですね、妖怪の山なんてどうでしょう」
「妖怪の山?」
橙矢の瞳に光が宿るのを文は見逃さなかった。
「えぇ、天狗や河童を中心とした妖怪達が凄む山です。そこに私の家がありますので、そこで」
「そんなところに人間の俺が入って大丈夫なのか?」
「私が付いていれば大丈夫です。哨戒役の天狗はめんどくさいでしょうけど……」
「なら頼むよ。ちょうど暇してたところだ」
「分かりました。ではお昼時に妖怪の山の麓に来てください」
「あぁ、わかった」
「では失礼します」
翼を一回羽ばたかせると空へ消えた。
「………さて、どうしようかね………」
一旦人里に降りてみょん。
「おう、この間の坊主じゃねぇか」
聞いたことがある声に顔をあげる。
人里に入ったばかりの橙矢に最初に声をかけてくれた男だった。
「おっさん、久しぶりだな。この時間帯だとまだ店をやってるようだがいいのか?」
「なぁに、ワシがいなくても店はちゃんと機能するわ」
「……ついでに聞くが何の店やってんだ?」
「飯屋だ。どうだちょっと寄ってくか?」
「そうだな、朝飯まだ食ってなかったし、邪魔するよ」
―――店の中に入るとまだ午前中からなのか空席がある。
「じゃあそこのカウンターにでも座ってくれ」
言われた通りに男が示したところに腰を下ろす。
「さて、何を食う?」
「安いのを頼むよ」
「あいよ、ちょっと待ってな」
男は店員であろう人に声をかける。
その人がさった後に橙矢に向き直した。
「それであんたどうだ調子は?」
「良くも悪くも好調だ」
「つまり良いこともあれば悪い事もあったと」
「ま、退屈しねぇからいいけどよ」
橙矢の答に男はなんじゃそりゃと苦笑いする。
「そういえば坊主、お前ちゃんと働き場所決めたのか?決まってないならうちで雇おうか?」
「優しいのなおっさん。でも悪い、もう決めてあるんだ」
「へぇ、何処なんだ?」
「紅魔館で執事を」
「――――――――」
瞬間店の中の空気が変わった気がする。
その事にすぐ気付いた橙矢は何も言わずに立ち上がる。
「どうしたよ、そんな暗くなってよぉ」
気付かないふりをして男に話しかける。
「………ってくれ」
「あ?何か言ったか?」
「出ていってくれ。あそこの妖怪とは関わりたくないんだ」
「あれ、おっかしいな。咲夜さんはよく人里に下りてるってのに……俺だけハブかよ」
「関わりがあるのはあそこのメイドだけで十分だ。だから出ていってくれ」
先程とはうってかわって橙矢の睨み付ける。
橙矢はその視線を受け止める。
「……どういった意味でそんな嫌われるのか知らないが…出ていきますよー」
男に聞こえるように舌打ちをすると店を出ていく。
「全く……この世界で生きていくのも大変だねぇ」
だがそれでいい、退屈さえしなければ。
「残り時間…どう潰そうかな……」
人里を歩き回る選択肢もあったが即効でその選択肢を切り捨てた。
「やっぱり一人のときの方がいいのかねぇ……」
結局家に帰らざるをえなかった。
文に言われたとうりに山の麓に来た。
来たはいいがちょっと予定の時間より少々早くなってしまった。
「……にしても妖怪の山か」
人間にとっては危険なところらしいがそんなもの橙矢にとってはどうでも良いことだった。
純粋な好奇心の方が勝っているのだ。
とにかく寝るかと思い近くの木にもたれかかり、腰を下ろした。
「―――――――ん」
どれくらい経っただろうか。何やら橙矢の周りが騒がしくなってきたので面倒だと思いながら瞼を開く。
犬がいた。
容姿はそれこそ人間と変わらないが、頭についたヒョコヒョコ動く耳に白い毛並み、自律的に動く尻尾。
何処からどう見ても犬だった。
その犬が何やら数人で橙矢を囲みながら話し合ってるようだ。
手には剣やら盾やら持っている。
(……こいつらが文の言ってた哨戒役の天狗……?でも犬っぽいぞ……天狗の中でも色々と種類がいるのか?)
橙矢は覚醒していく意識の中で考え始めた。
そこで犬達は橙矢が起きたことに気付く。
「そこの人間」
「……………なんだよ」
橙矢の声は今までの中で一番ドスが聞いていた。
当たり前だ、睡眠を誰かに邪魔されたのだから。
端から見れば完全な八つ当たりに見えるが橙矢にとってはごくごく普通のことだ。
「何故こんなところで寝ているのです?」
「鴉待ってんの、それだけ」
「ここはすでに妖怪の山です。今すぐ立ち去りなさい」
「ア?人に安眠を邪魔されてその上立ち去れだァ?いい加減にしろよ馬鹿犬」
髪を掻きながら立ち上がる。
「い、犬ではありません!私達は白狼天狗、狼です!」
「お手」
「ワン♪」
手を出すとその上に手を乗せてきた。
やがて犬はハッとするとすぐに手を退けた。
「な、何するんですか!?」
「やっぱりお前犬じゃないか」
「だから狼ですって!」
「あーそうですか白狼天狗さまー」
「いい加減にしなさい………!」
ブン、と目の前を刀身が中々分厚い剣が通った。
「……………感情に任せて行動するなんて阿呆か?」
「~~~~~!」
羞恥からなのか怒りからなのか顔を真っ赤にして俯く。
その様子を後ろの白狼天狗がハラハラとした表情で見守る。
「何も言うこと無いんだったらとっとと失せろ。こちとら睡眠の邪魔されて不機嫌なんだよ」
「ふざけるのもいい加減にしてください!」
身の危険を感じて頭を軽く傾ける。
キンという音が響いたと同時に後ろの木が倒れる。
頭を傾けていなければ後ろの木と同様脳味噌とコンニチハするところだった。
「いきなりなにすんだよ」
「貴方が舐めた口を聞くからです!」
(あーこれ完全にキレたな)
覚醒させてる途中の脳を無理矢理覚醒させて横に薙いだ剣を身体を思いっきり寝かせて避ける。
白狼天狗は十字を描くように縦に剣を降り下ろす。
「――――!」
避けれないと判断して腰から刀を抜いて腕を強化し、受け止める。
ギィィン!と耳障りの音が響く。
つばぜり合いながら橙矢は笑みをこぼす。
「ハッ!中々やるじゃねぇか犬のくせによ」
「私は狼だと……何回も言ってるでしょう!それと私には犬走椛という名前があるんです!」
椛がもう片方の手に持っている盾で横から殴り付けてくる。
腕を強化しているので強化出来ずにまともに喰らう。
ミシッと骨が軋んでから吹っ飛ばされる。
「………ッ」
何とか受け身をとって立ち上がる。
「貴方、私ばかり警戒してますけど白狼天狗は私だけじゃないですよ?」
「―――!」
気付けば椛の後ろにいた白狼天狗がいなくなってる。
「何処に――――」
「「隙ありです!」」
左右から天狗共が突っ込んでくる。
「邪魔なんだよ!」
鞘を腰から抜いて左右から迫る剣を刀と鞘で器用に受け流す。
バランスを崩した二人の真ん中で強化した拳を地に叩き付ける。
衝撃波が二人に襲いかかり、吹き飛ばした。
「この……っ!」
次は上から声がする。
一歩後ろに下がり、剣を避けると足を振り上げる。
盾で受けると盾の影から剣を突いてくる。
「………!」
刀を縦にして防ぐ。
「ラアァ!」
足を再び強化させて盾を下に叩き付けると開いた左手の掌底で心窩をうつ。
「カハ…………ッ!」
嘔吐いてその場に崩れ落ちた。
「ハァ………後はあの椛とかいう奴だけだな………」
瞬間前方から光り輝く弾が無数に飛んできた。
「え――――」
訳がわからずとにかく急所を強化させる。
鈍い傷みが身体全体を回ると同時に気が付いたら地に倒れていた。
「ぐ……」
「あら、まだ意識があったんですね。頑丈なこと」
膝を折ってこちらを見下す椛の姿があった。
「……いきなり弾幕つかうなんて聞いてねぇぞ………」
「大丈夫ですよ、死なない程度に潰してやりますから」
剣を橙矢に向ける。
「そんな気遣い結構だ」
腕で身体を宙に浮かせて立つ。
「やるんだったら徹底的にだ」
刀を握ると刀先を椛に向ける。
「そうですか、なら――――」
僅か瞬きの間、それだけで椛は目の前に迫っていた。
「チィ!」
反射神経を強化させて刀を振り上げる。
椛は目の前まで迫っている刀を紙一重で避け、盾で突撃してくる。
「何度も効くかよ!」
横へ跳んで避けると切り返して刀を叩き付ける。
「く…ッ!」
剣と刀が金属音をたてて弾く。
椛がわずかに態勢を崩し、その間に橙矢は姿を消す。
いや、消えたように見せただけ。
実際は存在を極限にまで薄めただけだ。
「何処だ……!」
背後からガサッと音がしてそちらに剣を振るう。
が何もいなかった。
「甘ぇな」
「――――――!」
横から声がしたと同時に吹き飛ばされる。
そのまま木に激突する。
「がぁ……ッ!」
「…………戦闘中は敵の姿を見失うなって教わらなかったのか?」
背後から声がする。
いち早く気付いてその場から飛ぶ。
すると木が横に真っ二つに割れる。
一瞬でも反応が遅かったら首が吹き飛んでいただろう。
「何なんですか貴方のその能力!」
「能力?…違うな。俺は元々影が薄い体質なんだよ!」
橙矢の姿が霞の如く消える。
「………ッ!」
地上にいては危険だと感じて空を飛ぶ。
「――――あぁ、そうくると思ったよ」
上から声が聞こえた。
「な―――――」
そこにはいるはずのない橙矢の姿があった。
「俺はこう見えても人を観察するのが得意でな。少し観察するだけで次どう動くくらいはちょっとわかんだよ」
「何なんですか……貴方は!!」
もはや人間技とは思えないほどの洞察力、行動力、そして何より知力。
椛も戦闘の経験は浅くない方だ。
だがそれでも始めて経験する感覚。
「……ただの人間だ」
鞘に納まった刀で腹を強打させた。
「カ…ァ………!」
よほど強烈だったのだろう意識も保つことが出来ずに気絶する。
しかもここは空中、妖怪といえどこの高さから落ちたら無事ではないだろう。
「馬鹿が…ッ!」
足を強化させて鞘にかけると鞘を足場とし、蹴る。
強靭的な脚力で一瞬で追い付き、その華奢な身体を抱く。
(追い付いたはいいがどうする……!?高さからするとあと二秒後には激突だ…!俺を強化させるか?いや、でもこいつに衝撃は伝わっちまう!)
腕も中にいる天狗に一瞬目線を寄越す。
相変わらず意識は失ったままだ。
(やるしかねぇのか……!)
覚悟を決めて歯を食い縛る。
地に叩き付けられる直前、椛に強化させて衝撃を受けないようにする。
直後、背に受けたこともない衝撃が走る。
「ゴハ……ッ!」
口から真っ赤な液体が飛び出る。
なんとか生きているようだ。
「ゲホ!ゴハッ!………ァア」
息を整えながら腕の中にいる椛の強化を解く。
「……ハァ……おい、大丈夫…か」
横にさせて肩を揺する。
自身の身体の事も気になるが別にどうでもいい。
「……わふぅん……」
犬みたいな呻き声を出しながら身をよじいている。
「………ったく」
その時、旋風が巻き起こった。
「………んだよこんな時に」
ある程度予想はついていた。
「あやややや、何やら知らないうちに凄いことになってますね」
前に射命丸文と書いてエセ記者と読む鴉が着地した。
「何やら面倒ごとに巻き込まれたようですね」
「…………あぁ、噂の哨戒役やらと奴に絡まれた」
「でしょうね、なんせその気絶してる娘は哨戒役の長ですもの。ちなみに名前を聞きましたか?」
「犬走椛、白狼天狗、だろ」
「そうですそうです。狼なのに名前が犬走ですものね、笑っちゃいます………にしても橙矢さんなにやら血が口から出ているようですが大丈夫ですか?」
「あ?そんくらい大丈夫だ」
「うん…………」
と、椛が目の覚ます。
「お、起きたか」
「あれ……貴方は………」
「ようやく目が覚めましたか?」
「あ、文さんまで!?どうしたんですか!?」
「どうしたも何も貴方が私の客を襲うからです」
「へ?客?……す、すみませんでした!!」
凄い勢いで土下座をする椛を見て橙矢は軽く笑った。
そして頭を撫でると、
「そんな事気にすんなよ。元はといえば俺があんなところで寝ていたのが悪かったんだし、謝るのはこっちの方だ。ま、大怪我が無くて良かった」
「わ、わふぅ……」
気持ち良さそうに眼を閉じる。
こう見るとやっぱり犬に見える……。
いや、犬にしか見えない……。
「橙矢さん、いちゃつくのも良いですがこの山に来た本来の目的忘れてません?」
焦れったいのか文が肩を叩きながら耳元で呟く。
「本来の目的?…………あれ、なんだっけ」
「…………………」
「犬の世話?」
「犬じゃないです!」
「取材でしょうがァァ!」
前後で叫ばれて耳がキーンと鳴る。
「あー悪かった悪かった」
耳を塞いで鬱陶しいように退く。
「うるせぇんだよ。怪我人の近くで叫ぶもんじゃねぇぞ」
傷口に響き、わずかに顔をしかめる。
「あ、すみません………」
椛が申し訳なさそうに頭を下げる。
「気にするなってのに……」
「それでは私の気がすみません、休憩所へ行って軽く治療しましょう」
そういって椛が橙矢の腕を掴む。
「いやいや、この人は私の客ですので私の家で」
反対側からは文が。
「文さんは色々と準備で忙しいでしょう?私があとで連れていきますから安心してください」
「だ、駄目です!ちゃんと自分でしないと心配なんです!」
両側からものすごい力で引っ張られる。
「あの………痛いんだが……。文、悪い、先に行っててくれ、こいつの容態も気になるからな」
「………………分かりました」
案外素直に腕を離した。
「すぐに行くからちょっとの間待っててくれ」
「……絶対ですからね」
「あぁ、わかってる」
すると椛が文とは違う方向に引っ張っていく。
「それじゃあ早く行きましょう橙矢さん」
「お、おいそんな急かすな……」
嬉しそうに尻尾を振りながら橙矢を引く。
橙矢は苦笑いしながら流されるように椛に付いていった。
「はい、これで終わりましたよ」
休憩所で軽く手当てを受けて改めて座り直す。
「ありがとな」
「気にしないで下さい、私が付けた傷なんですから」
「そうか、じゃあ気にしないでおくよ」
そういうとふふっと微笑む。
「ほんと変わった人ですね」
「?」
「だって普通私達天狗の姿を見るだけで大抵の人は去っていきますから」
「へぇ、意外だな」
と近くでパチンと木が鳴る音がする。
興味がそちらへ移り、視線が移る。
白狼天狗達が何かを指していた。
木の盤上の上で木の駒を使い、相手の王を取るボードゲーム、将棋だった。
「将棋なんてあるのか?」
「えぇ、たまたまちょっと昔に外の世界から流れ着いたものです。よく仕事の合間に指してるんですよ」
「俺もよく指していたな。ひとりでだが」
「え………。ひとりで、ですか?」
「あぁ、誰もやる人がいなかったもんでな」
「でしたら今から私とやりませんか?」
椛が近くの将棋盤を指す。
「今からか………ちょっと無理だな。文のとこに行かないかんからな」
「そうですか……。なら暇な時にはいつでも来てください」
「あぁ、そうだな。頭使いたくなったらここに来るよ」
「絶対ですからね」
微笑む椛の頭を撫でる。
「なんですかこの手は……」
「なんでもねぇよ」
ニッと意地悪そうな笑みをこぼす。
「また犬の世話しに来るよ」
「ま、また犬って言いましたね!」
「言ってねぇよー」
立ち上がって休憩所から出る。
「じゃ、またな椛」
手を軽くあげると、向こうも返してくる。
「はい、また今度」
それじゃ行きますかと少々いらない気を入れながら山を登っていった。
――――結局、妖怪の山で文の家を探すという作業に二時間もかけ、結果家に着いたのは日が沈む少しまえだった。